トラウマの箱。
灯花と陽炎は、蔵の前に来ていた。
少しすれ違う程度しか見ていなかったが、いざ蔵を見ると重い雰囲気が漂っていた。
「大丈夫よね…」
この中に入った、天狼さんが気になった。
天狼さんは、硯鬼という鬼の封じが解けたことで、蔵に入って行った。
灯花は、辺りを見渡した。
「あのでっかい鬼の手は…いないよね」
鬼の面をさすりながら、オタ面さんは言った。
「硯鬼のことでござるか?」
「そう、ストーカーみたいな鬼こと」
「硯鬼は、中の方へと行ったようでござるな。封じを完全に解かないと、こちらへ出られぬことを分かったようだぞよ」
「確か、右手しか出て来れなかったよね…うん?待って、右手大きかったよね…身体はもっと大きい?」
「5階建てのビルぐらいあるかもしれないぞよ」
「うわあ、マジか」
「マジっすよ」
「天狼さん、大丈夫かな…」
「天狼坊ちゃんなら、鬼ぐらい平気でござるよ。問題は、白猿でござる」
…結局、説明されてもよくわからなかったな。
「灯花たん、中に入るなら覚悟したほうがいいでござる~。灯花たんの身は保証するでござるが、心のほうは保証出来かねるぞよ」
「心?」
「気をしっかり持つでごさる。途中で泣いても、誰も助けてはくれないでござるよ」
鬼の面の奥で、緋色の瞳がじっと私を見ていた。
「…………」
「自信が無いなら、ここで大人しくするでござる」
「…………」
「中途半端の気持ちなら、心を封じられるでござる。そして、それはとても迷惑なことでござる」
「…………」
迷惑と言う言葉を聞いて、引き下がってしまう。
……でも、でも、でも。
天狼さんは、そんな迷惑な私を何度も助けてくれた。
それに迷惑なのは、最初からだ。
迷惑な私をほっとけばいいのに、ほおっておいてくれない天狼さんがいた。
私は、嫌な気配を放っている蔵を見上げた。
天狼さんは、この中に…
怪我が治ってばっかりなのに、こうもどうして無茶をするのだろう。
天狼さん。
「…オタ面さん、私、きっと泣く」
「…………」
「たくさん泣いて、わめいて、後悔して、みっともないと思う…だけど、私は頑張る」
これが、私だから。
弱い心を持っている私が私。
でも、頑張っている天狼さんがいるから、頑張れる。
すると、急に陰った。
「…っ!」
オタ面さんは、私の頭をひと撫でした。
そして、一言だけ真剣な声を聞いた。
「わかった」
それは、澄んだ声だった。
オタ面さんは、蔵の前にし、錆ついた鎖できた鈴緒に触れた。
すると、蔵全体に鈴の音が響き、蔵の扉が内側から開いた。
「いざ、出陣!」
「あっはい!」
こうして、灯花と陽炎は蔵の中へと入って行った。
蔵の中は、埃ぽく一歩足を踏み入れると床が軋んだ。
オタ面さんは、それを気にせず蔵の奥へとスタスタ歩いて行った。
いくら青い火を灯すろうそくがあっても、蔵の中は暗い。
入り口もすでに勝手に閉まっているし、不気味だ。
オタ面さんに置いて行かれそうになりながらも、軋む廊下を早足で進んだ。
すると、オタ面さんは奥にある扉を開け、入って行った。
「ちょっと待って!オタ面さん」
そう声かけるが、止まらず行ってしまった。
灯花は、開いた扉の前で足を止めた。
扉の奥は、何も見えず暗闇だったからだ。
「ここを通ったのよね…」
でも、行かないと!
勇気を出して、暗闇に飛び込んだ。
だけど、続くだろう道はなかった。
「あだあ!」
何かの壁に顔からぶつかったのだ。
「うぐぅう…」
思いっきり顔をぶつけて、うずくまった。
しばらく、顔を伏せていると違和感を感じた。
さっきの埃ぽい蔵の中ではなく、カルキのにおいがした。
なんか、臭い。
ふと、顔を上げると目の前には、洋式の便所があった。
「……はっ?トイレ?なんで?」
どうも、私はトイレと縁があるようだ。
電気が点いていて、ここが個室の中だと把握できた。
私は、自分の姿を確認した。
柿色の着物を着ていて、帯に挟まっているオタ面さんからもらった扇子があった。
何かあったら、この扇子で殴るしかないけど…
丈夫に出来てそうだから、壊れることは無いだろう…たぶん。
灯花は、警戒しながら個室から出た。
何度も、色んな世界を渡って来た。
だからだろう、自然と慌てることなく冷静に物事を捉えていた。
でも、このトイレは、どこかで見たことがあるトイレだった。
トイレから出ると、呼吸を忘れた。
灯花の視線の先には、見たことがある光景が広がっていた。
いつも通りのガヤガヤとした空間に、学生や一般お客さんに、そこに勤める店員がそこにいた。
「……うそ」
体温が一気に冷めるのを感じた。
「な、んで…ここなの…」
よりによって、トラウマがある場所にたどり着くなんて!
そこは、駅前のファーストフード店。
バーガー屋さんだった。
そして、賑わう店内には学生の集団が必ずある。
耳の奥で激しく鼓動が聴こえた。
身体が上手く動かなかった。
一つのテーブルを囲って、談笑している学生の集団に見覚えがあった。
そう、私はこの場所を知っている。
この時間帯を知っている。
この人の流れを知っている。
そして、この会話を知っている。
「みのりちゃーん!ほんと先輩の彼氏になれるなんてうらまーしいいー」
「よ!バスケの王子!」
「ねえねえ!みのりちゃん可愛くなったね!よかったらその使ってるリップどこのー!教えてよー!」
「なあなあーこんな可愛い女子どこで捕まえたんだよ!むしろこっちが恨ましい!憎いぞこの野郎!」
「ところでさーさっきさー朝峰いなかったか?」
「朝峰って?」
「ほらっ中学の!噂の珍獣!」
「ああー思い出した!そうそういつも村上にくっついていたヤツ」
「思い出した思い出した!あの寄生虫!」
「あの時の村上可哀そうだったなー、いつもあの寄生虫が付きまとっていたしー、ああー気持ち悪い!」
「村上が優しすぎるんだよ!あのほっとかない精神!どうな奴だって優しく手を、差し伸べることができる心!」
「それに引き換え…あいつは、ほんとうに気持ち悪い寄生虫!!」
「村上の優しさに、甘えてる!」
「高校から、別れて本当に正解だよ!みのりちゃん!」
みんなの前で笑顔で答える、かつての友の姿があった。
「えぇーそんなことないよー、別れてなんだか寂しいなーって思うよ!それに私がいなきゃダメかなーって思うの、だって高校生活、出来てなさそうだったしー!」
他の高校生がその話に乗ってきた。
「みのりちゃん、それって中学も面倒見てたのに、高校も面倒見るのー?しかも他校だよー」
「そうしてあげようかっなー!ほらいじめられていたら大変だしねー!先生たちもそこんところ気にしてたみたいだし、先生にこれ以上ー、気を使わせないないようにしないとだめだよー!」
かつて友だった者の彼氏が親友へ悪口を気に留めてなかった。
「みーちゃんがそんなことしなくていいってば!気にしてばっかりだと体壊すよー、最近ほらかなり冷え込んできたしさー、心配なの俺は!」
かつて友だった者の甘い声に嫌気が差す。
「もうー大丈夫ってばー!!」
「甘ーい!」
「あまあまですなーお二人さん!」
「でっ朝峰は?」
「あっ寄生虫?」
学生の視線が私に集まる。
「…っ!!」
そして、このあと…
「あっ!みーつけた!灯花」
化粧と巻き毛。
赤のブレザーにピンクのチェックのスカート、進学校の制服。
かつての親友、村上みのりの姿がそこにあった。
「…………」
言葉が出ず、その場に突っ立ったままでいると、村上みのりから近づいて来た。
「どうしたのー?いじめられた?」
くすくすと笑いながら問いてくる、村上みのりに怒りがこみ上げてくる。
着物の裾を握りしめる私がいた。
「灯花って、いつも私の後ろについて来ては、隠れてばかりいたよね?また、隠れていいのよ?私が守ってあげるから~」
「…………」
中学の時、確かに私は男子にからかわれるのが怖くて、村上みのりの後ろをついて行っては隠れていた。
「可哀そうな、灯花。高校生になっても、友達がいないなんて本当に可哀そう。そうだなぁ~灯花がよかったら、また親友になってあげる。だって、学校の先生や灯花のお父さんお母さんが心配するでしょう?そうしたほうがいいと思わない?ほら、みんなだって~ねぇ?」
村上みのりの呼びかけに皆は賛同する。
「そうだよ、朝峰」
「そうしたほうがいいよ、朝峰さん」
「せっかく、みのりちゃんが言っているからさー!」
その言葉の裏腹にくすくすと笑い声が聴こえた。
「…………」
「ねぇ~灯花、ちゃんとお金払った?」
「…っ!」
私は、反射的に村上みのりに手を上げそうになった。
寸での所で、理性が止めた。
頬を叩くだけなのに、簡単なことができなかった。
悔しくて、息が苦しかった。
「なにそれ!みのりを叩くの?やって見なさいよ!暴力女!」
みんなが見てるから!
村上みのりには、味方がいる。
私に味方がいない。
その差は、圧倒的で敗北の印。
「もう脅しだったの~やだあぁ~うざぁ~!みんな今の見たぁ?灯花ってほんとうざい!」
たった一人の私には、何もできなかった。
私への笑い声と批判の声が上がった。
上げていた手に力が入らなくなって、だらりと落とし、逃げ出したい衝動にかられた。
悔しい、悔しい、弱い自分が悔しい!
こんな人に負けるなんて!
でも、そんなことを強く思っていても、その差は埋まらないし、相手の思いのままだ。
灯花は、どうしょうもできなくなり、うずくまるように下を向いた。
逃げようにも、カバンが無いと帰れない…
とっさに思ったことだった。
カバンは、あのテーブルの座席にある。
だけど、あの座席には他校の学生が座っていて、取り返せない。
無論あの学生は、村上みのりの知り合いだ。
そう簡単には、返してはくれないだろう。
じわりと目頭に淡い雫が湧いて来た。
私は、逃げ出したい一心で、一歩ずつテーブルへと近づいた。
デジャブを抱えながら、涙をこぼしながら、敗北を感じながら、孤独を刻みながら、歩いた。
すると、カシャンと何かを落とした。
「……?」
進んでいた足を止め、足元を見ると黒の扇子があった。
「…あっ」
扇子を拾うと思い出した。
そうだ、私…
天狼さん!
私は、着物の裾で涙を拭いた。
「私、こんなことしてる場合じゃなかった!行かないと!」
そんな私の様子に村上みのりは、訝しげに言った。
「何を言ってるの?ほら、カバンあるでしょう?それ取って帰ったら?」
カバンを取らせようとする村上みのり、その行動の先を期待する周りの学生。
私は、息をゆっくりと吸って、吐いた。
一呼吸してから、村上みのりに振り返った。
「村上みのりさん、中学の時、私はあなたにすごく迷惑かけました。ごめんなさい」
頭を下げて、謝罪をした。
これは本当のことだから、謝罪をする。
「えっちょっと…」
急に戸惑る村上みのりがいた。
「だけど、もう迷惑かけません。好きなだけ、私の事を愚痴ったり、笑いの種にしてください。今までお世話になりました。さようなら」
「ちょっと待ってよ!」
慌てる村上みのりの制しを振り切り、真っ直ぐ店の出口へと向かった。
みんなの視線を感じたが、もう…どうでもいいのだ。
お店の自動ドアが開く。
私の歩みは、止まることはなかった。
店から出ると、いつもの街並みに夕陽が射す路上へと出た。
店の前には、オタ面さんが居た。
「あっ!」
慌てて、近づき謝罪をした。
「すみません!遅れました!」
「…………」
オタ面さんは、何も言わずに私の頭を撫でた。
ちょっとだけ、照れてしまった。
オタ面さんには、私が泣いていたことをきっとすでにバレていると思う。
何も言わずに、そうしてくれていることが何より証拠だった。
なんだか、くすぐったくて、少しだけ笑った。
オタ面さんは、頭から手を離すとまたスタスタと歩いた。
「では、参るでござるよ~」
「はい!」
オタ面さんのあとを追いかけると…。
「お主の学校は、どこでござるか?」
「学校?天狼さんは、学校にいるのですか?」
「何となくでござる~」
「何となくって…でも、わかりました。行きましょう!学校へ案内します!」
今度は、私がオタ面さんを追い越して、先導した。




