黒鬼の手。
鬼の面の男が去ったあと、灯花はその場で呆然としていた。
一体何だったのだろう…
鬼の人は、私を殺そうとしていた。
しかし、そうしなかった。
見逃す。
鬼の人は、そう言っていた。
なら…
「出口ぐらい教えてよぉ」
こんな状態で一人放置されて、どうしろと?
手足に鈍い痛みが走った。
先ほど、黒い糸で強く縛られていたため、肌を切ったようだ。
「なんでこんな目に…」
泣けてきた。
もちろん、こんな所で泣いていても誰も助けにはこないのはわかっている。
幽世に迷い込んだのなら、立ち止りは危険だろう。
鬼の人の気が変わって再び殺しにくるかもしれないし、その場から早く立ち去った方がいい。
辛くても、立ち上がらなければいけない。
ふらつきながら、立ち上がると足首に痛みが走った。
「なんの…これしき…蟲に喰われるより全然マシ!」
そう踏ん張った時、すぐ近くで透き通った声が聞こえた。
「灯花は、強いな…」
支えるように腕を回されていた。
腕の主は、申し訳なさそうに目を細めていた。
「天狼さん…」
月光の下で、銀色の長い髪をなびかせる天狼さんはいつ見てもきれいだった。
「だけど、怪我人は別だ」
「えっ?…あっひゃあ!」
私は、ひょいっと片腕で抱き上げられていた。
抱き上げられると自然と天狼さんの肩に腕を回していた。
「ここでは、手当ができん。もう少しの辛抱だ」
天狼さんは、そう言うと石畳みの道を歩き出した。
抱き上げられるのは、初めてはないがやはり気恥ずかしい。
慣れるものではないのだろう…これは。
それに、心の中の冷たい氷が、じんわりと解けるのを感じていた。
言葉に表せない気持ちが溢れ、天狼さんの黒の着物に罪悪感が残るしわができた。
天狼さんは、ぽつりとつぶやいた。
「無事でよかった」
私は、心の中で返事をした。
この静かな月の下で、天狼さんに寄り添うと自然と声が出なかったからだ。
心配かけちゃったな…
そう思った時、ふと天狼さんの雰囲気がどこか怒っているような感じがした。
むしろ不機嫌に近い。
「えっとぉ、天狼さん?」
だんだんと怖くなって、ようやく声が出せた。
天狼さんは真剣な表情で、石灯篭が並ぶ山道を歩いていた。
「全く、してやられたな…。灯花、ここは鬼門だ」
「鬼門?」
「簡単に言うと鬼の道だ。艮とも言う」
「鬼?うしとら?」
「この道はあまりいい道ではないという事だ。鬼に会っただろう?」
あの鬼の面をした人のこと?
灯花は静かに頷いた。
「あれは鬼門の番人だ。一言、文句付けたい所だがな…」
天狼さんは、ふと私を見ては紫色の瞳を覗かせた。
「本来ならば、迷う込む事は無いはずなのだがな。お前がここを通れるという事は、何かあるのかもしれん、用心した方がよい」
天狼さんにそう言われて、私って運が悪いなーと思った。
「……マジですか?」
「まじだな」
ちょっと似合わない天狼さんの言葉に驚きつつ、肩を落とした。
これまでの経緯を天狼さんに話すと、天狼さんは眉をひそめた。
「なるほど、いきなりか…」
いつまでたっても、厠から戻ってこない私に天狼さんは探したそうだ。
天狼さんから見たら神隠しにあったように、私は消えただろうな…
「まずは、ここから出なければな…怪我のこともある。灯花、それまで頑張れるか?」
「あっはい…」
天狼さんがいてくれるなら、私はいつでも頑張れるのだけど。
ここは、天狼さんに甘えていよう…
この鬼門のことは、天狼さんが詳しいことだし、任せておこう。
でも…
ふと思ったことを天狼さんに聞いた。
「でも、どうして私は、迷い込んだのですか?ここって、幽世ですよね?どうして、お屋敷に幽世があるんですか?」
天狼さんは、一度立ち止ったが、また歩き出した。
何かまずいことでも、聞いたのかな?
「…あの、天狼さん?」
「幽世は、どこにでも開く。それに、確かにここは幽世だが、鬼門でもある。作り出す世界は、意味を持てば、変化する」
「えっと…?」
「ここの幽世は、意味があって開いている。意味があって鬼門としているんだ」
「それって、故意的に作った幽世ってことですか?」
「そうだ」
何の為にと思っていると天狼さんはすぐに答えてくれた。
「この先に、禁忌の箱がある。要は、蔵だ」
「蔵って、お宝とか置いているんですか?」
「ただの宝なら良いが、生憎、いい物ではない。それこそ、不吉な物だ」
番人がいるほどだ、よほど悪い物に違いない。
「だからこそ、鬼門と称してこの地に幽世を開いた」
「そうなんですね…」
これって、本当に聞いて良かったのだろうか?
なかなか、ヤバそうなんだけど…
「…灯花、最初の問いだが…そもそもお前が迷い込んだのは…」
天狼さんがその先を言う前に、月の影から何かの気配を感じた。
何も無い影から、黒い煙が立ち上った。
「灯花、すまないがしっかり掴まってくれるか?あと、舌を噛まぬよう口は開かぬようにな」
天狼さんは、私を抱き直すと強く引き寄せた。
私も言われた通りに天狼さんにしがみついた。
嫌な予感がした。
冷たい風が吹きあがり、私達を包んだ。
森のざわめきに混じって、枯れた老人の声が聞こえて来た。
「…チ、チ、チ、ノ、ニオイ」
聴きたくない声に抱えている灯花が震え出した。
「チノニオイガスル、チ、チガ、チガノビタイ…」
声の主は、月の影から現れた。
私達の前に巨大な黒い手が伸びた。
人一人握り潰せそうな大きな手で、墨のような黒い肌に鋭い紅い爪が伸びていた。
まるで、鬼の手だ。
「硯鬼か…何故、ここに?」
天狼は、目を細めた。
「封印が解けたのか?解けるはずはないのだがな…」
硯鬼は溜め血に棲む鬼だ。
封じる時、枯らして封じる。
さぞ、渇いているだろうな…
「チガノビタイィイイー!」
紅い爪を立てて、こちらへと向かって来た。
天狼は、それを横に跳んでかわした。
硯鬼の紅い爪は、石畳に突き刺さり、身動き取れずにいた。
天狼はその隙に、硯鬼をすり抜け、先へと進んだ。
ここで、やりあうのは得策ではない。
今の所、硯鬼は右手しか出て来れてない…だとすると、封じはまだ続いている。
半端な開封。
封じの元へと行けば、原因がわかるのかもしれんな…
硯鬼は、指を動かし埋もれていた紅い爪を取り出し、影の池を泳ぐように天狼達を追いかけて来た。
それを見ていた灯花は、渋い顔した。
天狼は、上へと続く階段を見つけると何段も飛ばして駆け上がった。
灯花は、天狼の身のこなしに、振り落とされないように必死にしがみついていた。
天狼さんは、上にあがると鳥居をくぐった。
鳥居をくぐると、そこは社があった。
だが、そこは何も祀られておらず、封じの札と錆びついた鎖が張り巡らされていた蔵があった。
重々しく佇む蔵は、陰気な雰囲気が漂っていた。
天狼は、蔵を一瞥してから、横へと通り過ぎた。
蔵のすぐ近くにお屋敷がそこにあった。
天狼は土汚れた足袋のまま、お屋敷の中に入り、古くなった床を鳴らせた。
「灯花、ここならば安全だ。傷は痛むか?」
天狼は、灯花の様子を伺った。
「へっあっ大丈夫です。それにしても、ここはどこですか?あのおっきな鬼の手は?」
「ここは、監視宿だ。鬼は、この屋敷の中までは入って来れまい。結界を張っているからな。それよりも、休めるところに案内しょう」
お屋敷の中へと突き進むと、明かりがついている部屋を見つけた。
部屋からテレビの騒がしい音が漏れて来ていていた。
天狼は、静かに足を上げて、襖を蹴り倒した。
その行動に、灯花も中にいた人も驚いた。
「な、な、なっ何事でござるー!」
鬼の面をした男が、テレビを見ていたのだろう、そのまま腰を抜かしていた。
冷たくそして鋭く、鬼門の番人に言い放った。
「何事ではなかろう、己の務めを忘れたか。陽炎」
怒る時でさえ冷静さを失わない天狼さんだった。
天狼は、その部屋に灯花をゆっくり降ろし、座布団の上に座らせた。
「なーんのことでござるか?拙者は、九時五時の勤務であるぞお!当に過ぎてぐっへぇえ!」
天狼さんは、問答無用に鬼門の番人を踏みつけた。
「五時九時の間違いだ…硯鬼の封はお前が解いたのか?」
「硯鬼?あっ!」
鬼門の番人は、しまったというような声を出した。
「何か知っておるようだな、この件はお前の差し金か?随分なことをしたな、なあ陽炎?」
陽炎は、慌てて弁解した。
「違うでござる~!何かの手違いでござんすよ~!天狼坊ちゃん勘弁してくださいよ~!」
「白々しい」
「ぐっはあ!」
暴れたせいか、パタンと鬼の仮面が取れた。
すると、天狼さん似の顔が現れた。
違うとしたら、黒髪と顔に花模様のあざ、瞳の色が緋色だったこと。
しばらく、ポカンとその人を見つめていたら、目が合ってしまった。
「おやおや、先ほどの拘束プレイのJKではないか!まだ、帰ってはいなかったのか!見逃してやったものを…」
「…………」
天狼さんの前で何を言っているんだ。
「天狼さん、すいませんが…この人、ちょっと殴ってください」
「あいわかった」
天狼さんは、二つ返事で了解し、指を鳴らしながら大変無礼な人に近づいた。
「ちょっとちょっとちょおおっと!待って待っててええー!ぶっほぉっ!」
清々しいほどの、天狼さんの殴りぷりに感心した。
私が受けた心の傷に比べたら、この程度の暴力は安いものだろう。
「ぐっふふっこの頬のスティグマが疼くでござるな~ふっふふ」
ご褒美のほうだったか…
天狼さんの人の姿に似ていて、天狼さんがデレデレになっているかのように見える。
酔っ払い?
「それで、どうなんだ?」
天狼さんが問うが…
「天狼坊ちゃん、セーラー服って興味ない?昔、水兵が着ていた軍服なんだけど…」
話聞いてねえぇー!
痺れを切らした天狼さんは、陽炎の胸倉を掴んで言った。
「お前の後生大事にしている雛人形を壊されたくなかったら、白状しろ」
天狼さんのこの上ない睨み方に、陽炎は降参した。
「吐く吐く!わかったでござるからあ!それだけは後生でござる~!」
涙目で懇願する陽炎さんだった。
灯花は部屋を見渡した。
雛人形らしきものは、確かに置いてあった。
だが、本来飾るべき雛人形は、セーラー服が似合う月の女戦士たちでいっぱいだった。
あの段って、ひな壇のをそのまま使っているよね…
その他にも、いろいろとポスターやらなんやらとある。
あっあのポスター、円盤を予約しないと手に入らないやつだ…
予約特典の物もしっかりとある。
「わかったでござるから、はなしてくれたまへ!」
風を斬るような放し方だった。
「ぶぇごお!」
「…………」
天狼さんがいつもの笑顔の圧力をかけて来た。
早く言えとオーラで言っていた。
陽炎は、取れた鬼のお面を顔に付けながら、さっきと違う口調で答えた。
「……私は、硯鬼を解いた覚えはない。だが、心当たりはある」
「ほう、して?」
「主の小鬼たちが、この土地に遊びに来ている。その子らが、いたずらで解いたのだろうな。遊べと言って来たものだから、面倒だったから適当に放り込んだのだ」
「…して、どこに?」
「蔵の中に」
あれ、蔵って不吉な物を置いているんじゃなかったっけ?
「もしかしたら、中で封を解いたのかもしれんな」
「…………」
「…………」
この沈黙で、このあとの展開がわかった。
天狼さんに似て、イケメンなのに、とてもとても残念な人だ。
次からは、オタ面と呼ぼうと思った。




