ホワイトクリスマス。(その20)
天狼の目の前に透明な壁が張り巡り、急激な温度の低下によって辺りが白い息を吐いた。
この技ができるのは、あの子しかおらん。
「美鈴!」
氷鬼を使う術者は、崩れた天井からするりと現れた。
「天狼様!」
一つに束ねた黒髪を振りながら現れた女性は、すらりとした四肢に黒スーツがよく栄える。
だが、肩から腕にかけて血の流れがあった。
美鈴、負傷したのか…
天狼が美鈴を気にすると、神楽夜は、じろりと美鈴を見た。
「へぇ、道綱の娘?」
神楽夜の言葉に美鈴は、冷たく睨んだ。
「なに?下痢男」
神楽夜は、ニタニタと笑いながら言った。
「くっくくく、それね、困っているんだよね。どっかの誰かさんが、お腹弱くってっさあ」
天狼は、神楽夜の言葉に一瞬驚いたが、次第に微笑を漏らした。
「はて、何のことかな?」
神楽夜は、天狼のとぼけぶりに不敵な笑みが崩れた。
「ふっはははははっ面白い!実に面白いよ!天狼!」
腹を抱えながら笑い出す神楽夜に、天狼は大太刀を構え直し、ガラスを割るように、張り巡らされた氷結を叩き割った。
その隙に美鈴は、身動きできないでいた蠅の親蟲を拳で殴り落とした。
蠅の親蟲は、悲鳴を上げる暇なく砕かれた。
天狼は、もう一体の足長蜘蛛の親蟲の足を一振りで三本斬り、二振りでまた三本斬った。
足を失った足長蜘蛛は、立つことも出来ずにジタバタと暴れた。
キィキィと鳴きながら、この世に呼び出した神楽夜に縋るが、笑っていた神楽夜の機嫌を損なったのか、神楽夜は扇を振り下ろした。
「邪魔」
凍てつくような冷たい言葉に、天狼は親蟲に哀れを向けた。
この世にあってはならない生き物だが、神楽夜の横暴はそれを凌駕した。
蜘蛛は、無残に斬られ、赤い液体を深い池のように広げるだけだった。
あまり見るものではない。
滅しない死蟲は、共喰いにあう。
周りに這っていた黒蟲たちが、蜘蛛に群がり喰いつくす。
赤い液体が見る見るうちに、黒蟲たちよって吸いつくされ当た片もなく、無くなっていく。
天狼はその光景から目をそらし、神楽夜を睨む。
「随分と手ひどいな」
神楽夜は、笑いをやめ、冷めた口調で答えた。
「別に、手ひどくはないんだけどなぁー負けたものに同情はしない主義なだけ」
扇で顔を隠しながら神楽夜は、どこか先ほどまでの覇気が見当たらなくなった。
「ふぅん…狂が冷めたな。今日の遊びは、み子が少なくて天狼は、気が入らないみたいだし…」
神楽夜は、ぶつぶつと小言のように言い放った。
天狼は、獣の耳でそんな小言でもしかと聞いていた。
「私は、いつでも気が入らんぞ。いい加減、それを理解したらどうだ?」
風ない場所に天狼の銀色の髪がさらりと揺れた。
青い火種が天狼の周りを散らした。
神楽夜は、そんな天狼の容姿に神楽夜は目を細めた。
「相変わらず、綺麗だねぇー天狼様は…」
月が無い世界にも関わらず、そのには月の輝きがある。
天狼の輝きは、月の光。
「天狼様、あなたには常闇が似合うよ」
神楽夜の急な言葉に、天狼は目を見張った。
「神楽夜?」
神楽夜は、扇を高く上げ、風を呼び込んだ。
いきなりの突風が病内に吹いた。
血臭がする風に天狼と美鈴は風にむせる。
「…っ!」
「…うっ!」
周りに湧いていた黒蟲たちは、風に踊りながら神楽夜の元へと向かって行き、一つに集結した。
神楽夜の足元には、大穴が開いていた。
その大穴からは、無数の黒い蝶が現れた。
まとまりの無い飛び方をするはずの蝶は、神楽夜の傍で舞うように踊り、輪を作った。
「今夜は、聖夜らしいね。それに相応しく、天狼に贈ろう…地獄を」
大穴から、一匹の黒狼が現れた。
「…っ!!」
黒オオカミは、大型犬より大きく、大熊がほどの大きさだった。
さすがの美鈴もこれには目を見張った。
「かぐやああ!」
同胞がやられた。
この地に呼び出したのは、山犬だった。
「…くっ!」
天狼は、苦虫を嚙み潰したようになり、神楽夜は上機嫌になった。
「天狼!その顔だよ!とても素敵だあ!」
神楽夜は、高揚とした言葉を述べ、深い笑みを浮かべて、深い深い大穴の中へと落ちて行った。
天狼は、歯を噛み軋みながら、黒オオカミを見た。
蟲にやられて、自我が無いことにまだ救いだった。
懐にいる幼い灯花は、先ほどの戦闘にて、すでに気絶している。
これもまた、まだ救いだ。
山犬が殺される所など、見たくないだろう…
傍にいる美鈴は、普段表情を崩さないが、これにはさすがに崩れていた。
私と同じ紫色の瞳に澄んだ雫が落ちていた。
…だが、ここで立ち止まってはならぬ。
「美鈴!」
私の呼びかけに、美鈴は我に返る。
「…………はい!」
苦渋の決断をさせてしまうが、これで、終わりにはさせん。
天狼は、胸に抱く灯花に誓うように、目の前にいるかつての同胞に向けてに言葉を贈った。
「今、悪夢を終わらせる」
それを聞いた美鈴は、拳を作り覚悟を決めた。
黒オオカミは、蟲に浸食されていた。
膿蟲によって肉体を動かされ、思考は、捕らわれる魂によって動かされる。
黒オオカミは、完全に意識が無いようだ。
己の本能に身を任せているからだろう…
そのほうが、同胞討ちには適している。
すまない…
また一人と同胞を亡くしてしまう。
だが、もう楽にしてやろう…
運命からの解放を。
天狼は、眠る灯花を抱き寄せ、片手で大太刀を構えた。
生きてるように黒オオカミは、唸り出す。
目の前のいる我々を獲物と見ているようだ。
黒オオカミは、じりじりと間を縫うように横に動いた。
さて、膿蟲はどこにいる?
短期間で、ここまでの事をしてくれたんだ…
一撃で終わらせよう。
それには…
「美鈴」
「はっ」
「私が滅する。出せるか?」
「もちろんです」
美鈴の瞳には、純粋な殺意が込められていた。
美鈴は、私の前に出た。
「我は、久遠美鈴、久遠道綱(久遠みちづな)の娘にて、山犬の御前にてお相手致す」
美鈴の戦い方は、氷鬼と武術。
刀を持たず、滅せる者は少ない。
その中で、美鈴は随一だ。
黒オオカミは、美鈴に間を置かず跳びかかった。
美鈴は、一瞬にて、オオカミより低く態勢を取り、オオカミの腹に拳を入れた。
黒オオカミは、美鈴の一撃を真に受けた。
美鈴は、それでも終わらずオオカミの毛皮を掴み床に叩き落とし、もう一度、腹に追撃をする。
その容赦しない攻撃に、オオカミの身体から血が飛び散った。
一度、膿蟲に取りつかれた者は再生能力が高まる。
どんなに、斬りつけられてもたちまち再生をする。
膿蟲を斬らなければ、その身体は永遠と動き続けるだろう。
膿蟲を的確に倒さねば、泥沼の戦い方となるだろうが、膿蟲自体が身体を放棄すればの済む話。
先に根を上げるのは、膿蟲の方だという事だ。
さて、そろそろだな…
灯花を抱えては、動きが早いオオカミ相手では少し荷が重かったが、美鈴のおかげで、一振りで終わりそうだ。
これで、同胞の身体を取り戻せる。
オオカミとは違う鳴き声がオオカミから響いて来た。
美鈴は、オオカミを片手で上げて、回し蹴りした。
黒オオカミは、遠くに吹っ飛び、病内の壁にぶつかった。
天狼は、黒オオカミに近づいた。
オオカミの身体から、赤くて小さな触手が無数に生えて来ていた。
そして、黒い毛並みの中から、芋虫のような蟲が出て来た。
天狼は、すかさずそれを大太刀で斬った。
斬られた蟲は、すぐさま青い炎で掻き消えた。
黒オオカミは、死体へと戻った。
もう動くことはないだろう。
そして、その御霊も解放されるだろう。
「もう大丈夫だ…お前はよくやった。山犬として立派だった」
天狼は、黒い毛並みをゆっくりと撫でた。




