ホワイトクリスマス。(その3)
天狼が幽世へ入るとそこは、病院内だった。
幽世に入る前に通った廊下と同じ所だった。
一つ違う所は、病院内の電気が全て点いていたことだった。
私が入って来たあの黒い大穴は、一度だけ開いてすぐに閉じたようだった。
「招かれたな…」
どうやら、私は蟲たちに歓迎されているみたいだ。
この天狼は、蟲たちにとってはごちそうだ。
それも、とびっきりの。
「さて、どうするか…」
ここは、蟲の巣。
いくら蟲の巣といえども、病院を柱としている幽世は、厄介だ。
現世に影響が出やすく、器械や器具に障りがあれば、現世にいる患者やそれに関係している者らの命が危険にさらされてしまう。
それに、この病院に入院している患者が幽世へ迷いこんでしまい、下手に幽世を壊せば迷い込んだ者は、そのまま戻れなくなってしまう。
そして、既に何人かは、こちらへ迷いこんでいるようだ。
こういった場合は、複数の山犬が入るのは、とても危険だ。
蟲を刺激してしまい、迷いこんだ者たちを喰われてしまう。
蟲の動きが静かな時に、迷いこんだ者たちを一人一人導いて行かないとならねばならない。
少し時間は掛かるが、幽世と現世の時間差は、でたらめで大差ない。
できれば、現世の灯花が起きる前に片をつけたい。
また、怒られそうだ…
私がここにいることを蟲たちは知っているが、こちらの様子を伺っているだけで、襲ってくる気配はない。
ただし、私が手出しすれば相手も向かって来るだろう。
蟲たちが用心深くてよかったな。
「だとしたら、こちらは静かに行動しなければな…」
天狼は、迷い込んだ者たちのにおいをかぎ分けながら、慎重に前へと一歩踏み入れた。
まずは、ここから近い者から導いてやらねば…
長い廊下を進んで行くと、椅子に座った老人を見つけた。
迷い込んだ者の一人だ。
老人はここの患者なのだろう。
寝具をまとって、ただ茫然と座っていた。
天狼は、老人に聴こえる声で声をかけた。
「翁殿少しよろしいか?」
老人は、ゆっくりとこちらを向いた。
かすれた声で、老人は天狼に答えた。
「お…お…おお、ここは天国ですかな?」
天狼は、少し微笑みながら老人に近づいた。
老人と視線を合わせて言った。
「いいえ、ここは、狭間ですよ」
「…なんじゃ、狭間かぁ…」
「はい」
天狼の言葉に、老人は少し俯いた。
「そうかぁ…わしはもう長くないと思っていたのじゃがなぁ…」
天狼は老人に伺った。
「何かあったのですか?」
「…わしは、もう一人でなぁ…長いこと一人でいるのは…疲れたんじゃ…」
「本当にそう思われるのですか?」
「うん?」
天狼は、老人の目をしっかりと捉えた。
「翁殿。貴方には、まだ運命が残っていますよ。どうか、お孫さんたちを導いてください」
天狼の言葉を聞いて、老人はゆっくりと微笑んだ。
「おぉ…そうだったなぁ…孫に餅を作ってやらんばなぁ…」
天狼も微笑みながら言った。
「ええそうです。きっと、待っていますよ」
「もうすぐ…正月だからなぁ作ってやらんばぁ」
「はい。待ってますよ」
老人は、ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと腰を曲げてお辞儀をした。
「どこかの神様か、存じませんが…ありがとうございました。おかげで、孫との約束を忘れてしまう所でした…」
「翁殿。お一人で、帰れますかな?」
老人は、ゆっくりと腰を上げて答えた。
「はい…それでは、失礼いたしました…」
ゆっくりと廊下を歩いていく老人を、天狼は見送った。




