天狼さんと再会。(その3)
和室で上品な畳部屋。
一目見て、旅館で泊まるような部屋だ。
その部屋の隅で、私は膝を抱えた。
未だに天狼さんの言葉が耳に残っていた。
続きが欲しければ、床へ来い。刺激をやるぞ…。
その言葉は、ある意味侮辱。
だが、私の本質を見抜かれたと言えば、穴があったら入りたい。
「……天狼さんの、ばか」
ぐっと目をつぶっては、その思考もろともかき消そうとしたが、濡れた頬と首元が起きたことを思い出させた。
すると、頭上にある気配を感じた。
この感じ…。
「いやはや、灯花たんを泣かすなどと不届き者でござるな~」
声の主に私はそのままの体制で答えた。
「一人にしてください…オタ面さん」
今、あなたの相手はしたくないし、顔も見られたくない。
だけど、私の言葉を無視をして、オタ面さんは手を伸ばして来た。
「ふむふむ、可哀そうに…拙者が慰めてやろうぞ!」
「いい加減にしてください」
「ぬう…」
私に触れようとしたオタ面さんは、手を引っ込めた。
だけど、代わりに寄こしたのは、白い布切れだった。
「これで拭くといい…」
「……ありが、とうございます…」
私は渋々、それを受け取った。
唾液で濡れた頬と首を拭いた。
オタ面さんはそのまま私の横に座り、あぐらをかいた。
結局、そばにいるんですね…。
一人にしてと頼んでいるのに、離れてはくれない。
正直、鬱陶しい…。
私は一つため息をついては、オタ面さんに聞いた。
「…今まで、どこにいたんですか?」
鬼のお面をしているオタ面さんの表情は伺えない。
だけど、その様子からは少し笑っているようにも見える。
「拙者は、拙者のやるべきことをしたまでのこと」
「そうですか」
聞いても話してはくれなさそうだ。
いつものことだけど。
「しかし、また派手なことが起きたでござるな~」
「派手なこと?」
「天狼坊ちゃんのことでござるよ。床に就いていることも聞いたでござる」
「そうですね…」
「ぐふふっ…これだから、童貞の拗らせ坊主は…ぐふふっ…」
「なんですか…それ。天狼さんのことを言っているんですか?天狼さんは童貞…なんかじゃ…」
ないと思う…。
さすがに、27歳で…そんな…。
「童貞でござるよ」
お面を付けててもわかった。
真顔で答えるな。
「ねぇこれ、私が聞いていい話なの?」
モテモテだと思っていた。
好きな人がいてもおかしくないのに…なんで…。
「童貞と言うより、めんどくさい男だと言っているぞよ」
「悪口なら他所に行ってください」
「まあまあ、拙者の愚痴だと思って聞いてくれでござる」
「…………」
灯花は膝に張っている絆創膏をいじっては、陽炎の言葉に耳を傾けた。
「天狼坊ちゃんは、見たまんま坊ちゃん育ちでござるよ。だが、決して甘やして育ったわけではないぞよ。天狼の名に相応しく、厳しく育てられたでござる。そのせいか、天狼の名ばかりこだわってな…」
私は首を傾げた。
「天狼の名?天狼が名前じゃなくて?」
「天狼と言う名は…個を表す名でござる。通り名だと思っていいでござるよ」
私は反射的に、オタ面さんのお面を見た。
「じゃあ天狼さんの本当の名前があるってこと!」
オタ面さんは深く頷き言葉を出した。
「うむ、久遠司狼と名でござる。久遠は永久の久に永遠の遠、司狼はそのまま、司る狼」
「久遠、司狼…くおんって、聞いたことある。…うちの学校で名乗っている名前がそう」
「それが天狼坊ちゃんの真の名でござるよ」
学校では、久遠先生として名乗っていたのに、実名を隠すように天狼を名乗っていた。
「なんで、天狼って名乗って…」
「それが、生まれ落ちた使命だからでござるよ。天狼は神の名。この世の狼達を統べる王」
「王…」
山犬さん達が天狼の名に敏感だった理由は、天狼と言う神様に反応したからだった。
「山犬達が警戒し極秘に扱う理由がこれでわかったでござるな」
オタ面さんの話で天狼さんのことをやっと知れた。
本当に身分違いの人だったのだ。
……でも。
「王様だから、天狼だから…先生をやめるのですか…」
一番気になることを私は言葉にしていた。
「それは天狼坊ちゃんが決めたこと。拙者はただの鬼門の番人ぞ」
「…………」
そんな切るような言葉を出されたら、こちらが言葉を失う。
私は再び、膝の絆創膏を見る。
いじり過ぎたのか、少しずつ剝がれてきていた。
陽炎はそんな灯花を見ては、言葉を続けた。
「だが、名ばかり気にして、灯花たんに迷惑かけたのは頂けないでござる」
その言葉を聞いて、灯花は反射した。
「……っ!それは、私から関わろうとして…」
「いいや、面と向かって伝えなかった天狼坊ちゃんが悪い。そして、見舞いに来た灯花たんを辱めたのも悪いぞよ。言ったでござろう?童貞の拗らせ坊主とな。相手を拗らせては困らせる坊主だと」
「天狼さんが、子供?」
「ぐふふっ…大人になっても、まだまだ子供だということでござる。要は拗ねているでござるよ。天狼の名に相応しくない行動を取ってしまったから、拗ねておる。」
「拗ねてって…そんな…」
「ぐふふっ…まったく、めんどくさい男に育ったでござるな~……さて…」
オタ面さんは、その場から立ち上がった。
「……?どこに行くのですか?」
私は自然とオタ面さんに聞いていた。
「灯花たん、これだけは言っておくでござる。その右目に入っているモノは、白猿の瞳ぞよ。禁忌の箱に封じているモノ全てを取り出すことも、入れることが出来る四次元ポケットでござる」
「そんな、未来型ロボットの機能が……!」
「だが、モノを知らぬと取り出すことも、入れることも出来んぞよ。それに、何度も出し入れするほど、灯花たんの目は持たないでござる」
「えっ?」
「失明すると言っているでござるよ」
「はあ~~!!」
私はとっさに右目を押さえた。
痛みも何ともない右目。
失明と言う言葉に顔を青ざめていくのがわかった。
「これ以降、禁忌から何かを取り出すのはやめるでござる。それに、拙者はもう取り出せないでござるし、助太刀も出せぬでござろう」
「と、取り出せないって…」
「箱から取り出したモノをどうやって、また取り出せるでござるか?一堺に一現、一度の潜りで一度だけの具現でござる。この法則が原則でござるよ。それ以上の事をすれば、これ以上の負荷も掛かるし、代償もある」
「…………」
「簡単に言うと道路と一緒でござる。誰も逆走して走らないでござろう?もし走れば、事故が起きるし、事故が起きたら代償があるでござる」
今の説明でようやくわかった。
「わかりました…気を付けます」
「ではな…あと、拙者を呼び出した代金は、ツケておくでござる」
「ツケってまさか…」
禁忌の箱での同伴に対価として、コスプレを要求してして来たのである。
私はまだその対価を払っていない。
「そのまさかでござる。ぐっふふふ…灯花たん、借金が増えつつであるな~楽しみでござる…」
「ぅっ………」
背筋からぞぞぞと悪寒がした。
いったい…私にどんなコスプレをさせようと考えているのだろう…。
絶対、ろくなコスプレじゃあない。
灯花が身を引いていると、陽炎は自分の着崩れを見つけてはそれを直してから、部屋から出て行こうとしていた。
曼殊沙華の刺繍が施した着物が軽く翻った。
私は最後にオタ面さんに言葉を掛けた。
「あの!オタ面さん…!その、えっと…気持ちが少し楽になったと言うか…どうして、天狼さんがああなったのか、わかったので…だから…ありが、とうございます」
オタ面さんに対して、素直になれない所があってか、躓きながらの言葉になってしまった。
これで伝わっただろうか…?
オタ面さんは、私に背を向けたまま言葉を出した。
「なに、数少ないオタク仲間が落ち込んでいたから声を掛けたでござるよ」
そう言い、オタ面さんは部屋から出て行った。
「……オタク仲間って…まったく…」
灯花は静かになった部屋で、少しだけ、はにかんだ笑みを浮かべた。
そして、膝に張っていた剥がれかけの絆創膏を一気に剝がした。
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