追試の結果。
朝峰灯花は、学校の裏庭にあるベンチで力尽きていた。
冬休み登校、最終日。
一日がかりの追試を受け、結果が出たのある。
アドレナリン全開で追試を受けてみたものの、帰って来た答案用紙は白さを感じるほどだった。
「終わっちまったよ…白くなっちまった…」
夕陽の日差しすら入らない場所で、灯花は廃れていた。
「…………」
少し呆れた様子でこちらを見ている男子生徒がいた。
ざんばらの黒髪によれたシャツにズンダれた制服のズボン。
右足にギブスつきで松葉づえを突いていた。
灯花は顔を上げる。
「川村くん…迎えに来たの?あぁあ、大丈夫だよ…三途の川なら、もう行って来たから…ひとりで行けるよ…」
「勝手に殺すな!あと、お前こそ生きてのか!?」
「生きてるのかな…わたし…」
「おいおいしっかりしろよ~~!」
肩を揺さぶられて、頭ががくがくする。
川村は揺さぶるのをやめ、そのまま隣に座った。
「たっくよ…お前がその調子じゃあ、約束はどうすんだよ」
「やくそく?」
「忘れているし!ほらっあのくそ廃ビルから出た時に約束しただろ?飯食いに行くぞって」
ああ…そう言えば…
廃ビルから出た時、携帯越しで約束した。
3人で食べに行こうと。
「でも…真夜が…」
未だにあの日以来、真夜と会ってない。
肩に地獄蟲に寄生されてて、大怪我を負っていた。
除去されて安静していると聞くが、しばらくは会えないだろう…
学校に登校した時は、ギリセーフで教室に入り追試に挑んだ。
その時、川村君とは挨拶すらしておらず、誰が学校に来ているのかは把握出来ていなかった。
ちなみに、追試の答案が返ってくるまで、無言だった。
それで、今の会話でようやく喋れたと言う事だ。
「あぁ、あいつなら…ここにいるぞ」
「えっ!!」
川村君の言葉でぎょっとした。
「ま、まや…?」
ここは校舎の裏庭だ。
草むらが生い茂っており、植えているツツジの枝木が伸ばしっぱなしだ。
見た所、真夜の気配も姿も見当たらない。
「そこじゃねーよ、下だよ、下」
「下?」
私はベンチの下を覗き込む。
「はい、灯花ちゃん。ごきげんよう」
真夜はこちらに微笑みを向けた。
黒ぶちの眼鏡の中に青い瞳。
昭和の風の黒髪の三つ編みなのだが、美少女なのが隠しきれていない。
そんな、制服に黒タイツでスタイル抜群のお姉さんが何故かベンチの下にいた。
「…い、つからいたの…」
ちょっと真夜を引きそうになりつつ、問いてみた。
「そうですわね、灯花ちゃんが朝のお風呂に入った時から……」
「……っ!!」
割と最初からだった。
「ずっと、おそばにいました。ずっと…」
「…ごめん、真夜…今、血の気が引いている…」
ストーカーマジな件について。
「あら!それは大変!」
真夜はベンチから這い出ては、ベンチに座っている川村君と私の間に入ってベンチに座った。
無理やり座ったせいか、ちょっと狭い。
「おい、真夜。俺、怪我人なんだが…」
「知ってますわ。突き落とされるよりましでしょう」
「お前な~!このまや犬!犬は犬らしく地面にお座りしてろ!」
「まあっ!愚男のくせして、余裕もないですのね!狭い所がお好きならいくらでも!」
真夜はぐりぐりと川村君を押す。
「うるせー!」
川村君も意地でも動きたくないのか、ぐっとベンチにしがみつく。
この二人って、いつもケンカしてる…だけど、仲がいい。
ケンカするほど仲がいいってやつか。
灯花はいつも通りの日常に安心した。
私達、三人とも怪我人だよ…
痛々しいくらいの包帯と消毒液のにおいにむせそうだ。
幽世と言う異世界に入り込んだ私達は、人を喰らい、人に寄生する害蟲、地獄蟲と言う怪物に襲われた。
それも、ただ襲われたわけではない。
人として人格を持つ膿蟲として生きる人に襲われたのである。
膿蟲は死者を苗床にし、人々の血肉を求める。
昼間は普通の人に見え、夜は膿蟲として幽世を開き、人を巣に招き迷わせ、そして喰らう。
その狡猾さは言わずとも知れている。
例えば、家族が関わっていたとしたら、人は正気ではいられない。
膿蟲に関わった人たちは、どんな思いでその人といつもと同じ日常を送って来たのだろう。
きっと、日常に嘘が入った世界なのだろう…
歪な世界、幽世のように…。
「とにかく、私達がこうしていられるんだから良しとしようよ。あの地獄から生還したんだからさ」
灯花はそう二人に言葉を投げかける。
二人は頷き納得していた。
「そうだな、マジでキモかったし、ヤバかったしな」
「わたくしは、傷を負った時には諦めていましたわ。だけど、今は感謝しております。だって二人ともわたくしを諦めさせてはくれなかったんですもの」
「真夜…」
「ったりめーだ!あそこで蟲の餌になりたくねぇーよ」
真夜は小さく笑みを浮かべた。
「そうですわね」
灯花はそんな二人の様子を見ては、言葉を出した。
「ところで、二人とも怪我は大丈夫?」
二人とも結構重症だったはず。
「俺は8針だ」
「うわあ…結構えぐい…」
「わたくしは、かすり傷ですわ」
「はい嘘、傷の深い所まで蟲が入っていたの見たんだけど?」
今の言葉で、川村くんが反応した。
「おいおいマジかよ、お前寄生されてたのかよっ!エグッ!」
真夜は目を細めた。
「なんですの…」
「すねんなって!あと、やせ我慢すんなって!こんな所いるより、中に入ろぜ」
冷たい風が私達の肌を当てていた。
「そうですわね、少し冷えて参りましたわ。そろそろ中に入りましょう」
「てかさーなんで、お前はすぐにここに来たんだよ?別に教室でもよかっただろ?」
川村の問いに灯花は目を反らした。
いくら危険な目にばっかりあっても、内面的なものは変わらない。
天狼さんに強くなりたいと言っても、何もしない自分がいる。
私にとって学校は、どうでもいい所だ。
天狼さんが先生という所だけは省いて、それ以外は何もない。
授業受けるだけの学校生活だ。
ただ居るだけの存在が、いつまでも教室にいるわけにはいかない。
教室にいるといつ間にか標的にされるのだ。
教室なんて、無ければいいのに…
そんな灯花の様子に真夜は川村を引っぱ叩いた。
もろに入った音がした。
「乙女に失礼ですわ!気分を変えたくてお庭にいるだけですのよ!この愚男が!」
「なんでっお前が怒るんだよ!意味わかんねー!」
「察しなさい!」
川村は真夜の青い瞳に獣の刃を見ては後ずさった。
「察しろと言う目じゃないぞ、真夜様の目だぞ!」
真夜は川村を見下していた。
川村はほほを押さえながら言葉続けた。
「理由は分からんが、こんな所に居たら本気で風を引くぞ。これ以上、身体に負担かけたら駄目だろ、女ならなおさらだろ?」
川村君の言いたいことはわかる。
「……わかった。教室に戻ろう」
受ける教科の数によるが、一緒に受けた追試組は帰っている頃合いだろう。
ベンチから重い身体を上げると、川村君の舌打ちが聴こえた。
「なんだよ、くそ…」
「どうしたの?」
川村君の目線は、渡り廊下の方に向いていた。
男性教師が忌々しいそうな顔でこちらを見ていた。
「あの先生って…」
「クソふじ」
「藤田先生でしょう?あの方は、生徒指導の先生よ。あなた、あの先生に目を付けられることをしたのかしら?」
「やってねーよっ!クソっ!」
川村はイラつきながらベンチから立ち上がり、松葉づえを突きながら藤田先生の元へと向かった。
私と真夜はそんな川村くんを後ろから見守った。
「なんすか」
「お前…なんでここにいるんだ?また他校と喧嘩したんだろ?」
灯花は息を飲む言葉を聞いた。
「お前みたいな奴が、学校の迷惑だといい加減気づけ!」
本当にそんなこと言う先生がいるんだ…
「ちっ」
川村は舌打ちして、顔を背けた。
またその話かよと言葉無くとも伝わった。
生徒指導の先生は、私達にも目線が来た。
まるで何かを疑うような目をしていた。
嫌な目だ…
怖気づいてしまい、真夜の後ろに下がった。
「君たちは、そこで何をしていたんだ?こいつとつるんで何をしていた?」
凄むような声音で私達に問いて来た。
「…………」
「少し休憩をしていただけです。たまたま、その場に川村君がいただけですが、何か問題でもありますか?わたくし達、これから教室に戻って勉強をして、少しでも成績を上げたいと思っています」
「お前は…」
「わたくし達の為に日々お務めをしてくださっている事は重々承知です。どうかここは…先生?」
真夜の渾身の真面目が炸裂した。
さすがの生徒指導の先生は、生徒の渾身さに身を引くしかない。
「……暗くなる前には、学校から出るように」
「はい、先生」
真夜はにっこりと笑いながら返事をした。
私達から見たら、仮面をつけたような顔だった。
生徒指導の先生が見えなくなるまで、真夜は崩れることなく笑ったままだった。
「それ、いつまでやんの?」
川村君の言葉で、真夜は顔を崩した。
「いい迷惑ですわ」
「ちぇ」
「藤田先生のことです。あのような目を向ける方こそ、いい迷惑です」
「…………」
「いいのかよ、いい子ちゃんがセンコーの悪口なんて、誰かが聞いてもおかしくないぜ」
「堂々と言ってやりたいですわ。ですが、あまり事を起こしたくありませんの。わたくしにも、立場がありますのよ立場に従ったまでのこと。ただあの方は、生徒を指導する態度ではありませんでした。あなたはどうでもいいのですが、わたくし達にとっては迷惑ですわ」
真夜は長い三つ編みを払った。
「俺はどうでもいいのかよ!ひでぇ…これでも、お前らと危機を乗り越えたって言うのによぉ…」
川村はガックリと肩を落とした。
「まあ、負け犬らしくなってきましたわ」
「うるせー!」
そう言うと、川村は教室の方へと行かず、反対の方向へと足が向いた。
「どちらへ行きますの?」
「ほっとけっ!」
そのまま、川村はどこかへ行ってしまった。
真夜はそんな川村を言われた通り、ほっとくことにした。
灯花は真夜の後ろに居ては、あの先生にすくんだままだった。
むしろ、川村君や真夜と距離を置きたいと思ってしまったほどだ。
関わって、こっちまで怒られるのは恐ろしかった。
「…………」
そんな灯花に、真夜が言葉をかけた。
「…さあ、行きましょう。灯花ちゃん………灯花ちゃん?」
真夜は、俯く灯花にどうしたのかと伺った。
「灯花ちゃん?」
灯花は無言のまま教室の方へと向かった。
それから、一言も言葉を交わさず早足で廊下を歩き、教室までたどり着く。
かばんを取っては、真夜に言った。
「真夜、ごめん。私、先帰るね」
「えっ?…とう、かちゃん?」
真夜の言葉を無視して、そのまま教室を出た。
私は今、すごく嫌な女だ。
関わりたくないと思ってしまったことに嫌気が差したのだ。
自分が恥ずかしい。
強くなりたいと思っていながら、こんな体たらく。
こんな時、家に帰りたくなる。
家に帰って、全力で布団を被るのが一番だ。
灯花は色んなことを置き去りにして、学校を出た。
窓から見えるグランドを見ては、真夜はため息を吐いた。
ここからじゃあ、校門は見えないことはわかっている。
だけど、つい見てしまう自分がいた。
「…所詮、わたくしには過ぎたものだったのね…」
真夜はそうつぶやいては、またため息を吐いた。
すると、教室の扉が開く音がした。
顔を上げると天狼様がいらっしゃった。
天狼様の今のお姿は、人が言う紳士の格好だ。
銀色の美しい髪が、黒に染まっているのが口惜しいけれど。
「真夜か…どうした?」
天狼様はこちらを親身になって聞いてくださる優しい方だけど、ご心配をかけさせたくない。
「何かあったのか?」
「いいえ、何でもありません」
つい、素っ気もない言葉が出た。
愛想もないったら、よけい己を引っ掻きたくなった。
「そうか、何かあったらいつでも相談をしてくれ。出来ることは限られているかもしれないが全力をつくそう」
そう言って下さるだけで、ありがたい。
「……ありがとうございます。天狼様」
真夜は下向いた。
無様姿を天狼様に見せるわけにはいかない。
「……真夜」
声をかけられ、重い返事をする。
「…はい」
「今の私は教師だ。学校での様を付けることを禁じる」
「はい…?」
いきなりの事で、顔を上げる。
それと同時に、声も地の声を出してしまった。
恥ずかしい思いをしつつ、天狼様の言葉に耳を傾けた。
「これでも、ここの教師らしくしようとしている。だが…先ほど、他の先生に注意をされてしまった。
教師と言う職業は難しいな。だがな、やりがいのある仕事だと思う。今まで、見えていなかったものが見えるような気がしてな…日々お前たちを見ては学んでいる」
それは、天狼様の地の言葉だった。
今の天狼様は、いつもの天狼様ではないのだろう。
聖域にいらっしゃった時と比べて、人らしい。
だからだろうか、真夜は重い口をゆっくり開いた。
「…………天狼、さ、いえ、久遠先生」
「うん」
「わたくしは…どうしたら良いのでしょう。どうしたら、人に近づけるのでしょう。わたくし、距離を間違えましたの。わたくし、つい言葉を強く言ってしまって…人を傷つけてしまったのです。わたくしには、やはり過ぎたものなのでしょうか…わたくしは…」
気づけば、言葉が溢れていた。
ここまで、言うつもりはなかった。
だけど、これが正直な言葉だ。
天狼は静かに頷き、真夜の肩を軽く叩いた。
「私とお前との距離はこれでいいと思う。相手の目を見て、言葉をかけられる距離だ。それは、人との距離もそれは変わりない」
「…はあ」
その言葉だけで、少しだけ気持ちが軽くなった。
距離はやはり、近かったのかもしれない。
天狼は言葉を続けた。
「私は先ほど、お前の肩を叩いた。痛かったか?」
「いえ」
「ならば、それを伝えればいい」
「えっ?それはどういう意味ですの?」
「相手を傷つけるつもりはなかったのなら、そう伝えればよいのこと。さすれば、己が与えた痛みが相手とってどれぐらいだったのかわかるかもしれん」
「…………」
真夜は言葉を閉じた。
それは、難しいことだったからだ。
伝えれば、苦労はしない。
下を向く真夜に天狼は言葉を投げかけた。
「真夜、人は傷つきやすい。残る傷もあれば、癒える傷だってある。真夜はどちらにしたいのだ?」
「……っ!」
その言葉ではっとした。
天狼様の言う通り、人は傷つきやすい。
だからと、受けた傷をそのままにはしてはいけない。
傷は膿、悪化する。
そして、より深く傷つく。
真夜は顔を上げた。
「もちろん、癒える方ですわ」
「なら…」
天狼様が言葉を出す前に、答えを出した。
「はいですわ。わたくし、謝って参ります」
今度は、しっかりとした言葉を出した。
真夜は天狼様に深く頭を下げた。
「久遠先生、ありがとうございます」
真夜は急いで、教室から出ていった。
謝らないといけない人がいるから、きっと傷を負って、痛みを抱えているから。
癒さないといけないと思った。
「まっ」
天狼は真夜に待ったをかけようとしたが、かけられなかった。
灯花に渡す物があったのだが、どこにもいなかった。
真夜に聞こうにも、代わりに渡してもらおうともしたかったのだが、彼女は行ってしまった。
「まいったな…」
天狼は誰もいない教室でそう呟いた。