プロローグ―日常その3
「ハハハッ、苦しゅうないぞ、民どもよ! 最も早く肉を貰うのはこの僕! アーロン・バレルだ!」
あの叫んでいる人物、アーロン。彼こそガイが何度も挑み、そして敗北を繰り返した人物。つまり今の劣悪な精神状況の原因でもある。
もちろん彼は何度も街の人々の為に戦ってきた、何度も死に掛けて何度も奇跡の生還を果たした。だから少しくらい休んでも批判は少ないだろう。だがそれでも彼はアーロンがこの事をやめるまで戦い続けると覚悟を決めていた。そして今日も。
「……すまないエレン、約束果たすの遅れそうだ」
ガイは風でナイフを作りだし力を溜める。
「え?何でですか?」
「俺は皆が食料を受け取るまであいつと戦って時間稼ぎをしなくちゃいけないんだ」
「そのくらいの事きっとだれかがやってくれますって! 行きましょうよ」
「確かにその通りかも知れないが!」
ガイは耳の奥底に轟く声を出した。その声は幾たびもこだまする。おそらくアーロンも聞こえているだろうが、それを分かった上で更に声を張り上げる。
「街が悪い方向に進んでいくのを黙って見過ごせないんだ」
その声は耳の奥底にも心の奥底にも轟く声だった。その声を聞いて思わず納得しそうになったがひとつの事を思い出し、エレンは食い下がる。
「……僕との約束はどうするんですか? 遅れると言いましたけどどれくらい遅れるんですか?」
「大丈夫だ」
話を遮るようにアーロンが風に相性のいい炎の弾丸をエアナイフに当てて溜めた力を無理やり開放させようとする。だがそれはガイが生成した盾によって防がれる。更に何度も弾丸が飛んできたが、先ほどと同じように防ぎつつ話を続けた。
「俺は何度も街の皆に知り合いが勤める診療所に連れて行ってもらってるからな、そこらへんの人に聞けば1発で分かると思うぞ。じゃあ」
会話が終わっても炎の弾丸は止めどなく飛んでくる。アーロンが近づいてくるにつれて少しずつ角度が変わっていく為、片方の腕をあちらこちらへ動かしている。
力を溜めきった事を確信しすると、溜めていた力を解放し民衆がアーロンの為に開けていた道の真ん中を通って50m程先にまで近づいていたアーロンに向かって一直線に飛ぶ。
彗星のような勢いで飛び、一瞬でアーロンの所にたどり着く。そしてそのままの勢いでアーロンに今出せる全ての力を籠めた拳を繰り出す。その拳はアーロンの頬に直撃し、アーロンが立っていた板を持ち上げていた男達はパンチの衝撃に耐え切れず倒れてしまった。風の力が乗っていたのもあり、アーロンは一流のスポーツ選手が投げるストレートのように激しいきりもみ回転をしながら民衆の海に飛んでいく。その光景は民衆に爽快感を与えさせた。
着弾点からは土煙が上がり、弾となって発射されたアーロンの周りには野次馬が集まってアーロンが倒れている様子を見つめる。
アーロンは野次馬を気にも留めず口から出た血を手で拭き、服についた土をささっと払いながら立ち上がる。
普通の貴族なら、装飾はあまり付いていないが伝統的な柄や貴重な布が使われていて、価値観が平民の大人の“それ”とは違うそこらへんのガキが一目見ただけで高価な物だと刹那にも満たない時間で理解できるような服が、自身が虐めている人間によって汚された事に腹が立つべきだろう。
「痛いじゃないかぁガイ君……何で君は僕に歯向かうのかなぁ!」
だがこの男は自身が受けた傷に対し怒った。その反応に大人達は何を考えているのかわけの分からない生物の前に居る時のような恐怖を感じた。
その感覚もあながち間違っていない、バレル家は元々この街を治めていたが、突然領主のご子息がやってきて、しかも皆の見本となるべき存在であるバレル家のご子息が逆に街を乱すような行動ばかりしている。行動理念も行動理由も一片のかけらさえ無い赤ちゃんのようで何を考えているのかわけが分からない。更に物より自分を大事にしているという今のこの街のご時勢ではありえないような思考回路をしているのだ。
「大丈夫ですかアーロン様!」
先ほどまでアーロンを運んでいた男達が、アーロンに近寄り手を差し伸べる。
アーロンはその手を撥ねてその男達にこう言った。
「近寄るな、金だけで動くゲス共が。貴様らに触れられると貧しい人間の体液がついて服まで貧しくなり、バレル家が不幸に見舞われてしまう」
その言葉を聞いた男は急にアーロンの首を掴んで持ち上げる。
「こっちがへいこらしてやってんのに何なんだその態度は!」
その叫びを聞くと、男の仲間達が態度を一変させアーロンに襲い掛かる。すると男達が炎に包まれた。炎の中からは男達の悲鳴が絶えず聞こえ、近くで動向を窺っていた民衆の中には目や耳をを覆い隠して彼らの屍を見ないようにした。
やっと彼らの周りで燃えていた炎が消えたと思うと彼らは生きていた。その代わりに下着も全部焼き尽くされてあられもない姿を民衆の眼前でさらしてしまったが。
その姿に驚いた男たちは恥部を手で隠して昭和のアニメの悪党のように覚えてやがれと叫んでその場から逃げ出した。
「ガイ君、君にはこんな事したくないんだけどさぁ……君が僕の言う事を聞かないから仕方ないよねぇ!」
次の瞬間、アーロンは炎を使って上空に飛び出し、それに呼応するようにガイも風を使い飛び立つ。2人は目に留まらない速さで空を翔けながらそれぞれの属性で1本、刀身2mほどのナイフ、いや剣を造りだし、剣戟を繰り広げる。
剣を扱う腕前ならガイのほうが1枚上手のようだ、巧にアーロンを攻め立てていく。だが炎の剣ブレイズソードは風の剣エアソードに触れるたび、瞬間的に威力をあげて、風の剣から威力を奪っていた。
「アハハハハ!馬鹿なのかいガイ君?魔術には属性の相性ってものがある。君の風の魔術は僕の炎の魔術に圧倒的に不利なんだよ?そんな事をすれば余計威力を上げさせるだけじゃないか!」
「だがそれでもォ!」
ガイは更に魔力を使って風の剣の威力をあげ、剣を振るう速度を上げる。だが、アーロンはそれを平然と避け続けていた。
「あたらない!?」
「フフッ常人にはその速度でもいいだろうけど僕にとっては遅すぎるね!」
アーロンは剣の速度を超えるスピードで斬撃を避けていた。種は簡単、ガイの眼前に擬似的な蜃気楼を作り出し、遠近感を狂わせていただけ。
たったそれだけの事だが、まったく中らないと次こそはと無駄に力んでしまい、焦燥感が生まれ集中力を切らすのには効果的な手だったりする。
そしてついには太刀筋を見切られ、風の剣にわざと炎の剣を当てて更に威力を吸われてしまう。再び威力をあげてもまた奪われての繰り返し。まさにいたちごっこだ。
ガイは最後に魔力を籠めて斬りかかろうとしたが、アーロンは逃げるようにガイから離れた。
それを疑問に思い、彼を追いかけようとするが、魔力が残り僅かのこの状態でそれをすると魔力切れを起こし、彼を倒すことが困難になってしまうため出来なかった。だが状態は一変し、アーロンはこれまでガイから吸い取った魔力、そして自身の気力を用いてブレイズソードの刀身を延ばしてきた。これだけならばそれほどの脅威ではない、むしろこの距離ならば止めやすくなったほどだ。ガイはその大剣で攻撃するのだろうと思い、構えたがしかし、アーロンは攻撃をせずに大きく息を吸った。
「君と私では何もかもが違うんだよ! 生まれに地位!」
「そして、何より力が!」
ガイのような反抗の灯火が市民の心に2度と点かないように、アーロンはそう叫んでいた。炎の剣を巨大化させたのはこのための布石だったのかとガイは驚く。
民衆がざわめき始めた。中にはガイを止めようとする声さえもあった。きっとあの巨大な剣を見て僅かな希望も無くなったのだろう。
だがガイは抗うのを止めなかった。ここで諦めたらアーロンの力に臆して2度と誰も間違っている行動に対して違和感を持つ事を忘れてしまうからだ。
瞳から輝きを消さずにガイはアーロンを見つめた。まず落ち着いて考えてみるとあれほどの大剣を生み出すのはガイの魔力を使った事を考慮すればそれほど難しい事でもない。それでもアーロンほどの年齢の人で、あれほどの大きさの物を造り出す事が出来る人が少ないのには違いない。周りを見ると川があり、その近くには多くの人がいる。そのため何とか川に落とすというのもできない。その事実がガイの行動を1つに絞った。
まずガイは残りの魔力で最後の1手を打つ時には不必要な分だけでエアナイフを出来る限り生成し、アーロンに向かって飛ばす。アーロンは最低限の魔力で火球を生成し、それらで相殺した。相殺時に発生した熱風で一瞬目が開けられない状態に陥った彼は炎の大剣を振り下ろした。この状況においてその行動は周りから見ても愚行でしかない。その愚かさは当人が最も理解しただろう。なんせガイは大剣から逃れていたからだ。
ガイの位置は遥か上空。おそらく隠れて風の剣を生成して飛び上がったのだろう、彼の手にはそれが握られている。
(頼む気づくな!)
十分な高度に達した彼は剣の切っ先をアーロンに向けてその方向に落下していった。正確には脚部から風を噴射し、突貫しようとしている。これが決まればアーロンにも勝てると人々は思ったが、彼の心には勝利の言葉は無かった。これが現状できる最高の手段で、やっと引き分けるかどうか程度の賭けだった。そして運が良いことにアーロンがガイの位置を確認するまでに20mほどまでに距離を縮めることができたのである。彼は神というもの自体はそれほど信じてはいなかったが、この瞬間は神に感謝した。
「これで終われええええ!」
残りの距離は8m。余程のことが起きなければ引き分けると確信した言葉だった。彼らの実力は若干ガイが劣っているだけでほぼ拮抗していた。両者共に心が疲弊し、こんなことは早く終わって欲しい、そう思っていた。これはそんな心の弱さによって出た言葉だった。
瞬間、ガイが異常に気づく。アーロンの表情が演技臭かった。何度も彼と戦っているガイだからこそ、彼が何か奥の手を隠していると分かった。だがこの状況で警戒して力を抜くということは僅かな希望が潰えてしまう。それを理解していたガイは、もし負けるとしても手を抜くことはできなかった。
刹那、アーロンの顔が狂った笑みに染まった。右腕を上に伸ばしたかと思えば手の平に炎が集まっていき散弾銃をかたちどった。そして次の瞬間には銃弾が放たれ、ガイはそれを盾を生成して防ぐが意味は無かった。その弾丸はブラフだったのだ。ガイが防いだ一瞬を利用して今度はアーロンが上空に飛び出し、その銃から筒状の火炎が発射された。彼の現状で出来る全力の攻撃。これでガイは死ぬと予測していた。だが、死にはしなかった。自身の残りの魔力を使って防御していた。空中の姿勢を維持するために使っている魔力が底をついたことにより、ガイは気絶して自由落下を始める。
「クソが!また気絶する前に仕留めきれなかった!」
(クソ……また止めきれなかった……)
両者の心は半端な終わり方に対する苛立ちと後悔で埋め尽くされた。両者共に相手を倒すことは叶わず、後味の悪い結末。以前ガイとアーロンが戦ったときも同様の結末だった。終わりの見えない戦いを、彼らは何度も続けている。それが日常となった辛さは当の本人たちしか分からない。
20221120 見返したら直感的に分かりづらい文章や、誤字っぽいところがあったので修正