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サキソフォン

作者: 沙猫対流

 1、2、3、4。

 カウントすると強い風が、僕の胸をぐっと押す。黒のサングラスをかけたから前は見えない。見えない力にただ身を預け僕はビートを刻む、それなら暗くても怖くない。

 誰かの嬌声が風の音と混じって聞こえる――我らがアルトサックスの誰某――隣では先輩の声。たぶん僕の名だ。ぱっと前に出てスピーカーに足をかける。リードを咥えて、風に乗せ、港町の唄を奏でるんだ。


 大学生の頃からサキソフォンとバンド漬けの日々だった。この優美な名の管楽器に出会ったのは高校の吹奏楽部だけど、大学では時間もお金もあって、ずっと真剣に向き合えた。

 インカレの部活だったから他所からも人が練習に来た。特に西方出身のギター弾きは良い奴だった。よく一緒にあいつのキャンパス近くで遊んだ。勿論音楽も忘れなかったけど。

 学生楽団の部室で夜更けまで練習して、皆で飲み屋へ――そこか学食でしか食べてなかった気がする。酔いつぶれて眠ると夜が明けてた。講義にちょろっと出て、勉強してない罪悪感をごまかし、またサキソフォンを吹く。飲みに行く。夜が明けた。講義。吹く。飲む。夜明け……

 

「今日もお疲れさん」先輩が円筒形のグラスを差出し労う。氷で冷えた蜂蜜レモンジュースがなみなみ注がれている。

「サックスはいつも風に吹かれてるたぁ言うが、今日はまるで突風だな。ソロの時、顔真っ赤だったぜ」

 苦笑。集中するとつい周りが見えなくなっていけない。あんまり強く吹いたから喉もガラガラだ。煙草を止めたらまだ具合は悪くなかったかも。サキソフォンは華やかで気に入ってるけど、こういう時だけ先輩のベースギターがちょっぴり羨ましい。グラスに口をつけると、甘い液体が荒れた喉を滑り降りていく。


「俺達の身体って、何で動いてると思う? 『風』だよ」

 空っぽのジュースのグラスを置き、ギター弾きが呟いた。宴は既にたけなわを過ぎ、酒に呑まれきっていない楽団員は、僕とあいつだけだった。

「『風』?」

「『命の息』ともいうかな。神が入れた特別な『風』で、呼吸すると抜けてく。全部抜けきったらこの世からオサラバさ」

 神学系の一般教養科目で聞いたらしいが、あいつが言うと歯の浮くような台詞になるから不思議に思えた。

 その理屈だとオレすぐ死ぬんじゃね? と、半分冗談半分本気で言ったのを覚えている。僕は歩く時以外ほとんど全て、演奏と飲み会に時を費やしていた。煙草もやった。もうきっと一生分の『風』が、ニコチンと酒気を帯びた二酸化炭素になって出て行った。

「音楽で命をすり減らせたら本望じゃねぇか」

 彼は笑った。僕も笑って、ジョッキのビールをぐっと飲んだ。

 天高く昇った丸い月が、僕らの席を照らしていた。


 自宅の箪笥に頭をぶつけて目を覚ます。窓の際から丸い月が、僕の顔を覗いている。ライブが終わってからの記憶はない。箪笥の角と二日酔いの痛みで頭から飛んでったか。シャツがはだけて肌着とパンツが丸見え、上着とズボンは部屋の隅でくしゃくしゃ。煙草の吸い殻が灰皿からこぼれかけている。

 サキソフォンだけがケースに収まったまま、きちんと壁に立てかけてある。

 大学時代から変わらないな、僕も。初めての酒を覚えてからずっと、一寸先の闇に向かって、明日をも知れぬ独り暮らし。でもこいつを演奏する間は不思議と怖くない。暗い夜が迫っても、月が沈んでも気づかない。

 革張りの楽器ケースを開ける。曇り一つ無い金の筒と一緒に収まっているのは、ワイドフレームのサングラス。演奏する時いつもかける愛用の品だ。

 ズボンをはいてシャツの襟元を正し、最後にサングラス。サキソフォンからのびるリードを咥える。僕の命をここに吹き込み、沈みゆく月を港町の唄で見送ろう。


  1、2、3、4。

 カウントすると強い風が、僕の胸をぐっと押す。黒のサングラスをかけたから前は見えない。見えない力にただ身を預け僕はビートを刻む、それなら暗くても怖くない――。


〈おしまい〉

音楽と煙草を愛する、ロックンローラーな先輩へ。

勇敢で偉大な貴方に捧げた掌編です。これからもどうか素敵な音楽を奏でてください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 頽廃的なありながら、静かな情熱を漂わせた雰囲気がよかったです。音楽に限らず芸術一般において、命を削りながら紡いだ作品にはやはり胸を打たれます。
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