うれしたのし秋の恋
本編が「前フリ」、あとがきが「本編」という試みを行っております。
どうか前フリで石を投げないでください。お願いします。
……ほんと、お願いします。
「はい、まーくん。あーん」
喫茶店で、彼女がケーキを切り分けて僕に差し出してきた。
「え? いま?」
突然の出来事にキョトンとしながら尋ねる。
時刻はちょうど午後3時。
まわりにはたくさんの客がいる。
僕は人目が気になって言われた通りに口を開ける気にはなれなかった。
「もちろん。はい、あーん」
それでも差し出されたケーキのおいしそうな見た目と、それを差し出す彼女の魅力にはかなわず、僕は言われた通りに口を開けた。
彼女はそのままケーキのささったフォークを口の中に突っ込んできた。
ケーキの甘さと彼女の甘ったるい笑顔が口いっぱいに広がる。
「うふふ、おいしい?」
「うん、おいひい」
モゴモゴと口を動かしながら答える。
目の前には可愛い彼女。
口の中はおいしいケーキ。
もう幸せすぎてとろけそうだった。
案の定、まわりの客がドン引きしているが気にしないことにした。
「はい、まーくん、私にも。あーん」
今度は彼女がそう言って口を開けて身構える。
ちょっと待て。
なぜ目を瞑る。
可愛すぎるだろ、その顔。
僕はいそいそとモンブランを切り分けて、フォークに突き刺すと彼女の小さな口に入れた。
パクッと食いつく彼女。
その幸せそうな顔といったら。
「くうう、おいしーいのーう!」
拳を握りしめながら、まるで時代劇のような口ぶりでモンブランを堪能する彼女。
両拳を握りしめながらプルプル震えている。
可愛い。
「はい、今度は私。まーくん、あーん」
また彼女がケーキを差し出してきた。
正直、二回めはキツい。
「残りは美香が食べなよ」
そう言うと彼女は「ええー」と言ってむくれた。
「まーくんに食べてもらいたいのに……」
「いいよ、じゅうぶん味わったから。僕にばっかり食べさせてたら美香の食べる分がなくなっちゃうよ?」
その言葉に観念したのか、彼女は少しがっかりした顔をしながら「うん、そうだね」と言って僕に差し出したケーキを自分の口に入れた。
あ、かわいそうなこと言っちゃったかな、とちょっと不安になるも、ケーキを頬張った瞬間に「おいしいー!」と顔を輝かせたのでホッとする。
「ねえねえ、まーくん。やっぱり食べてみてよ!」
「さっき食べたからいいよ」
「モンブラン食べた後だと、さらに甘くておいしく感じるよ!」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
じゃあ、と言いつつ彼女の手からまたケーキをもらう。
「あーん」
「あーん」
口に押し込まれたケーキをモゴモゴと味わってみるものの、おんなじ味だった。
「あんまり変わらないけど……」
「うふふ。まーくんがあーんしてくれないから、ウソついちゃった」
こ、こいつめ!
なんて賢い戦略をとるんだ。
完全にやられてしまったではないか。
「じ、じゃあ、僕も。美香、あーん」
「やだ。これ以上食べたら太っちゃう」
「僕には食べさせといて?」
「ふふ、まーくんはいいの。太ってても好きだから」
なんだそりゃ。
「僕だって、美加は太ってても大好きさ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。はい、あーん」
「あーん」
パクリと食いつく美香の可愛い姿に、僕の心は張り裂けそうだった。
彼女の美味しそうに食べる顔は、見ているだけで殺人級だ。
ここにあるどのスイーツよりも甘く感じられる。
「おいしーい!」
うっとりする彼女の顔は、僕にとって何よりのご馳走だった。
もう、このモンブランは全部美香にあげよう。
僕はそう思った。
(おしまい)
「うわ、ないわあ……」
ベンチの隣に座る彼女がスマホを見ながらつぶやいた。
「なにこれ。コメディ? ホラー? めっちゃ寒いんですけど。いまどき、あーんし合って喜ぶなんて、どこのバカップルよ」
彼女はブツブツ言いながらスマホをスクロールしつつ、何度もさっきの話を読んでいる。
「男も男よね。恥ずかしいなら食べなきゃいいのに。ちゃっかり彼女の手から食べさせてもらって、自分もやっちゃうなんて。読んでるこっちが恥ずかしいったらありゃしない」
オレは隣で彼女がブツブツ言ってるのを笑いながら聞いていた。
秋の空の下、オレたちはイチョウの木の下で公園のベンチに座って「小説家になろう」を読んでいる。
読書の秋とはよく言ったもので、お互いにすでに二十作品以上の恋愛作品に触れていた。
時代だろうか。
オレたちにとって読書とは本ではなくスマホを介して読むものだった。
1冊の本を顔を寄せ合い読み合うのではなく、お互いのスマホで一つの作品を読む。
それが最高に幸せでたまらない。
そして今、オレたちは「うれしたのし秋の恋」という作品を読み合っている。
内容としては、なんてことはない。
ただのバカップルの話だ。
彼女が「あーん」と彼氏の口にケーキを突っ込み、彼氏もお返しに彼女の口に「あーん」と言ってモンブランを突っ込む。ただ、それだけ。
ストーリー性もなにもない。
なんなんだこれはとオレも思った。
彼女が怒るのも無理はない。
けれども、彼女が怒ってる理由は別にあるようだった。
「ああ、やっぱないない! 喫茶店で、公衆の面前で『あーん』だなんて……」
「なあ。もしかしてお前、うらやましいとか思ってない?」
オレの言葉に彼女は
「はああっ!?」
と叫びながら立ち上がった。
「ななな、何言ってるのよ! ないない! 全然そんなことない! バカなこと言わないで!」
図星か。
わかりやすいなあ。
オレは慌てふためく彼女を見て「ふふ」と笑った。
「やっぱり。お前もこの作品の登場人物のように『あーん』してもらいたいんだろ?」
「ないない! 絶対ない! 第一、私がそんなことされて喜ぶと思う!?」
めっちゃ喜びそうだ。
おおはしゃぎでパクッと食いつきそうだ。
しかしあえて言わない。
「そっか。ま、そうだよな」
「そ、そうよ。そうそう」
「『あーん』してもらって喜ぶなんて、子どもだよな」
「そうそう、子どもよ……」
みるみる萎れていく彼女が可愛く見える。
「ま、なんだ。これ読んでたらオレもケーキ食いたくなっちゃった」
「私も」
「ちょうど小腹も空いたし、ケーキ食べ行くか?」
「うん!」
そう言ってオレたちはスマホをしまうと立ち上がった。
何気なくスッと手を差し伸べる彼女。
秋の空気ですっかり冷たくなったその手をしっかり握ると、彼女は「ふふふ」と笑った。
どうやら、いろんな恋愛作品を読んであてられたらしい。
そんな彼女のおでこをツンと突っつきつつ、オレたちは喫茶店へと足を向けた。
喫茶店でケーキを頼んだら「あーん」してやろう。
彼女がどんな反応を見せるか楽しみだ。
きっと怒りながらも恥ずかしそうにオレの手からケーキをもらうだろう。
そんな彼女の姿を想像し、オレはそそくさと歩く足を速めた。つられて彼女の足も速くなる。
まさか、同じこと考えてる?
チラチラとこちらを伺う彼女の顔を見つめながら、オレたちは喫茶店への道を急いだ。
今年の秋は甘酸っぱい。
※お読みいただきありがとうございました。
こちらはアンリ様主催「うれしたのし秋の恋」参加作品です。