第3話「シャウトシステム」part-A
中国上空を飛ぶ、横倒しの翻車魚のような形状の巨大な戦艦。その格納庫にて、とある男女の二人が愛機の前で出撃の時を待っていた。
男は無精髭に刺々しいオールバックの髪、女の方は落ち着いた黒の長髪が特徴的である。
微かな振動が彼らを揺らす中、男の方が溜息を吐いた。それに対し、女の方が口を開く。
「どうかしましたか」
「早朝から駆り出される俺達も災難だな、ってね。なんでも未確認機なんだって?」
女は抑揚のない声で言い、男は軽い口調で答える。
「そのようです。威力偵察を兼ねた回収部隊も通信途絶。やられたかと」
「ヤツらに活きのいい新人でも入ったか?」
「それを確認するのが私達の任務です」
「こうも退屈だとたまらんな」
「我慢してください」
家に帰りたがる子供をなだめるように、女は男に言うのだった。
そんな彼らの前には、蒼に染まったツォイクと、赤黒く染まったそれが立っていた。
◆
「……ん」
シオンが目を開くと、見覚えのない天井がそこにあった。
傍には日光を遮るカーテンがあり、朝であることを彼に告げていた。
(どこだ、ここ……)
寝起きのせいで正常に回らない頭を無理やり回して、シオンは最近の記憶を引っ張り出す。
だが脳内に映るのは、自分が赤白で巨大なロボットに乗り、連合軍と戦った記憶ばかり――つまり、それが今に至るまでの過程であるということだ。
(そうか、俺はプレイスに……)
上体を起こしてシオンは伸びをし、筋肉の収縮から来る刺激で多少の気怠さを取り除く。
曖昧ではあるが、寝る前の記憶もぼんやりと頭の中に映った。
彼は戦闘後ここに戻り、「今日はもう寝ろ」とアーキスタにここの部屋の鍵を渡され、レイアに案内されてここに来、疲れですぐに寝てしまったのだ。
「うわ、制服のまま……」
自分の服装とその汚れ具合を見て、昨晩入浴していないことを思い出す。学校で赤白のエイグに乗ってから、彼に着替える暇などなかったからだ。当然と言える。
(そういえばここ、ホテルなんだったか……?)
アーキスタの発言を頼りに、ベッドから降りて部屋の中をうろつく。大型の液晶テレビに、小さな冷蔵庫。クローゼットや空調設備まである。
粗方設備を確認したところで、用途不明の扉があったため、なんとなく開けてみる。
するとそこには、洋式便所と洗面台、何かに使うであろう籠のある部屋――と思いきや、仕切るようなビニールのカーテンがあった。恐る恐る開けると、そこには白く大きな浴槽に、シャワーとソープ類が備えられていた。
つまり、そこはバスルームだった。
(ホントにホテルなんだな……)
少し驚きながら、シオンは試しに湯を出し、飾りではないことを確認した。
それから時計を見てまだ6時過ぎであることから、彼は自分には特に用は何も無いだろうと思い、服を脱ぎ、シャワーを浴び始めた。
あまり筋肉はついていない細い身体にこびりついた汚れを落とし、序でに頭もシャンプーで洗い、さっぱりとした状態でバスルームを出た――
が。シオンはここで思考と身体の動きが止まる。
「え」
「あ」
理由は明白であった。素っ裸でカーテンを開けたシオンが、何故かシオンの脱いだ服の入った籠の傍にいるシエラと目が合ったのだから。
止まったのはシエラも同じなようで、十秒ほど、二人は見合っていた。しかしシエラの眼球が徐々に下に動き――その顔が、茹で蛸のように真赤に染まった。
その視線に気づいたシオンもまた顔を赤くし、慌ててカーテンを閉めた。
「なな、なんでここにいるんだッ!?!?」
「ご、ごごごごごめんなさいーっ!!」
同時に叫び、シエラの方はバスルームを出ていってしまった。
取り残されたシオンは恐る恐るカーテンを開け、誰もいないことを確認し、シエラのいた所を見る。そこには、シオンに見覚えのない服とバスタオルが綺麗に畳まれていた。
(これを、持ってきてくれたのか……? いや、確かに着替えとタオルの事忘れてたけどさ)
シオンは濡れた体を純白のバスタオルで拭き、シエラが用意したであろう下着と半袖の服を着用した。サイズも合っており、シオンはすぐにその服が気に入った。
(これは……通信機か? あの時なってたのは、これか……)
次いでシオンは、他に何かないかと漁って見つけた、時代遅れの形状をした携帯端末をポケットに入れる。
それから礼と謝罪をしようと思い、彼は部屋に戻る扉を開けた――しかし、そこにシエラの姿は無い。
(逃げられたか……いや、まあ)
視線を下に向け、紅潮したシエラの顔を思い出す。それだけでシオンも顔が熱くなるが、自分に非が無いとは言えない。
(こういうことはちゃんとしとかないと、後々付き合い辛いからな……)
冷蔵庫の上に置いてあった部屋鍵で施錠し、シオンは誰かいないかと首を動かす。すると運よくレイアが顔をにやつかせしながらこちらに来るのが見えたので、ゆっくりと歩み寄り、話しかけた。
「レイア、おはよう」
「おはよう、ちゃんと着替えたようだな。シエラがちゃんと持って行ったか」
どうやらレイアがシエラに着替えを持って行くことを命じたらしい。しかしシオンはそこに何かが引っ掛かった。
「……レイアがシエラに持ってこさせたのか?」
「起きる前にと思って、早起きのあいつに持って行かせたんだが。見た所施錠していなかったし」
「お前の差し金かよ! 何考えてんだよ!」
「ふむ、見るからに風呂上がりだな。さては一悶着あったか」
まるで予想外の出来事のように言うが、顔はそうは言っていない。悪戯っぽい笑みを浮かべて、レイアはシオンの顔をじっくりと見ている。
シオンはそれが恥ずかしくも苛立たしく、逃げるように目を逸らした。
「……とにかく! シエラの部屋を教えてくれ!」
「あったんだな」
「ああもう! そうだよ! いいから教えろ!」
「ふ……くく……」
笑いを堪えて顔を赤くするレイア。シオンは戦闘時の彼女と印象が全く違い、調子どころか気が狂いそうだった。
ふう、と彼女が一息ついた時には、目尻に涙が一粒浮かんでいた。
(何だ、このいじめまがいの嫌がらせは……)
「いやいや、すまんな。突然部屋に入って何かあるのは分かっていたが、まさか風呂で鉢合わせとは……」
「……いいから、早く教えろ」
「そう焦るな。どうせお前の隣だ」
レイアが涙を拭きながら指差したのは、シオンの部屋の隣の扉だった。
シオンは扉を2度ノックし、中からシエラの返事を聞いてから、部屋に入る。
「……シエラ? 俺だけど」
「ひっ!?」
甲高い悲鳴に驚いて頭が真っ白になったシオン。一方でシエラはまた顔を赤くしている。
わたわたと無意味に動き冷や汗を大量に流す彼女は、震える口をゆっくりと開けた。
「ナナナナニモミテマセンヨオオオ!?!?」
裏返った声で叫ばれ、逆にシオンははっとなる。
「お、落ち着けシエラ! 俺も悪かったよ!」
「ほぇ……?」
目を回して混乱した吐息を漏らすシエラ。シオンは彼女の両肩を掴んで、ユサユサと揺らした。漫画のようなやり方ではあるが、それでシエラは意識を取り戻した。
ただ、顔は赤いままだった。
「私……ええと、その……」
「ま……まあ。そのことは互いに忘れよう。覚えていてもいいことはない」
「う、うん」
「それより確認なんだが、シエラ。お前はレイアに言われて服を持ってきたんだよな?」
「そう、だけど」
顔も合わせられないのか、シエラは顔を俯かせてぼそぼそと喋る。
「いつ言われた?」
「……今朝。早起きしたら部屋の前に服と置手紙があって。ごめんね、本当に」
「いや、いい……わけではないけど、不可抗力だし」
「それじゃなくて、ええと、お姉ちゃんの方」
「……ああ」
それは許す必要などない。どうやらシエラも苦労しているらしい。
「多分、お姉ちゃんとしても朝に入浴なりするんじゃないか、っていう配慮もあったんだと思うけど……」
「完全な悪意じゃない所が憎みづらいな……」
「油断しちゃだめだよ、いつもはそんなことないんだから。お姉ちゃんは敵なの、一緒に倒そう!」
「……そうだな!」
互いに勢いで手を強く握る。が、何をきっかけにしたのか定かではないが、それがおかしなことであると思いパッと手を離した。
「ご、ごめんね」
「……こっちこそ」
「出会って1日も経ってないのにそれか、お前ら」
気まずい青春の空気が流れる中、いつの間にか部屋に入っていたレイアが水を差した。
急なことに驚き、二人は体を大きく震わせた。
「お姉ちゃん! 永遠に黙ってて!」
「黙ればどこにいてもいいか、そうか」
「一応服を用意してくれたのは感謝するが、これからはもう少し手段を考えてくれ」
「ん? まあ今回は私が自主的にしようと思ったことだからな。今度説明するが、欲しいものは自分で頼むことだ」
「自分で……?」
「支給部っていうのがあるの。シオン君みたいなヒュレプレイヤーがたくさん……絶対数は少ないけどね。まあ、とにかくいて、みんなの欲しい物を作ってくれるの」
「へえ……覚えておくよ」
初めて耳にする言葉を脳に叩き込むと、レイアがこの話は終わりだと言わんばかりに手を叩いた。
「さて、今日は少しばかりすることがある。ひとまず二人とも私について来い」
何かをするようなことをした覚えのない二人は、理由がわからず頭上に疑問符を浮かべた。しかし断る理由もないため、3人はシエラの部屋を出、移動を始めた。
どれだけ嫌がらせをされようと結局ついて行ってしまうのが、レイアがレイアたる所以なのである。
エレベータでロビーまで移動すると、それなりの人数がそれぞれ別の方面に向けて歩いていた。人の数だけ役目があるのだろうと思いつつ、シオンは新鮮な景色に、無意識に夢中になっていた。
そこにまたレイアの拍手の音が来、意識がそちらに集中される。と、その隣に見覚えのある青髪の少年――いや、少女がいた。アヴィナだ。
「やははー。おはよう、おにーさん」
「お、おはよう」
「シエラは私について来い。シオン、お前はアヴィナについて行け。何、あの場にいなかったヤツとの顔合わせだ」
「あ、ああ。了解。じゃあな、シエラ」
「うん、またね」
そうして姉妹と別れ、シオンはまだ幼さの残る少女の隣で、どこに行くのかもわからず歩き始める。
何を話すべきかと考えていると、アヴィナの方から声がかかった。
「おにーさん、っていうとちょっとヘンな感じするんだけど、シーくんって呼んでいーい?」
「ん……別に、いいけど」
初めて呼ばれる愛称をくすぐったく感じながら、シオンはアヴィナの楽しげな表情を見る。
どこをどう見たって、戦場に出る者の顔ではない。
「じゃあシーくん。昨日のボクは出撃したけど、結局なーんにもすることがありませんでしたー。何してたと思う?」
「……何もせず、帰った?」
「ノンノン」
アヴィナは口をへの字に曲げて、シオンを挑発するかのように人差し指を振った。
「形の残ったツォイクの回収だよ! 重装型の仕事じゃないよ。アレは」
頬を膨らませて、可愛らしく怒る。シオンは不思議とそれに和み、笑みがこぼれる。
それを見て、アヴィナも無邪気に笑う。
「やっと笑ったね。人間笑うのがいちばんさ」
「………」
そう言われたとて、やはりシオンにはアヴィナが戦場にいる姿が想像できない。
だから、彼は疑問を自然と口にしていた。
「アヴィナ。お前はなんで――」
戦うんだ、とシオンが言おうとすると、アヴィナは急に駆け出した。
何事かと視線で彼女を追うと、そこには昨晩シオンがレイアと訪れた格納庫があった。
照明に照らされたモノとは違い、自然の光を浴びるそれは、シオンに少し印象の違う威圧感を感じさせた。
それに思わず見入った彼は、立ち止まった。
「どったの、シーくん。行くよー?」
「あ、ああ……悪い」
格納庫前で呼ばれ、シオンは駆け足でアヴィナに追い付く。
「んもう、隊長さんの話きいてたー?」
「悪かったって」
ばつが悪そうに頬を掻くと、アヴィナはまた無邪気な笑みを見せる。
(よく笑うヤツだな……)
その印象のせいで、謎は深まってしまう。しかし目的地らしき場所に着いた以上、これ以上個人的な話をするわけにもいかない。
「そんじゃ、こっちね」
シオンは疑問を胸の奥にしまって、アヴィナについて行く――しかし、そこは格納庫ではなく、その隣にある小さな建物だった。いや、巨大な格納庫の隣にあるからそう見えてしまうだけで、これもなかなかのサイズがある。
アヴィナがその扉を開け、シオンも中に入る。しかしそこにはちょっとしたスペースがあるだけで何もなく、奥に続くであろう扉がもう一つあるだけだった。
「……なんで、二重玄関? ここ千葉だろ?」
「まあ見れば分かるよん」
首を傾げるシオンに言い、アヴィナはもう一つの扉を開けた。
するとその部屋から、朝だと言うのに涼しい空気が漂っていた。その理由だと言わんばかりに、多数の人間がパソコンのディスプレイを睨んでいた。
「ここはボク達のエイグの研究とか、武器を作ったりとかする所。だから大事なデータとか機械とかいっぱいあるし、それを外から入ってきた空気なんぞに壊されちゃたまったもんじゃないってわけさ」
「へえ……凄いな」
感嘆の息を漏らして奥の方に進むと、見覚えのない桃色のツインテールを持つ、白衣の少女の姿が見えた。
眼鏡をかけた少女も他の者達同様にディスプレイを睨んでおり、近くにいるアヴィナとシオンに気付いていないらしい。
話しかけづらい雰囲気の中、シオンが押し黙っていると、アヴィナがその肩を優しく叩いた。少女は嫌そうな顔をして振り向く。
「やほ、ミュウ」
「ん? ああ……アヴィナ。てことは、アンタが新入りね?」
メガネをはずした少女の顔は、アヴィナと同様に幼さがはっきりと残っている。おそらくアヴィナと歳が近いのだろう。
しかしシオンはそれよりも、初対面でアンタ呼ばわりする生意気な少女だ、とばかり思っていた。
「……そうだよ」
「これから色々と世話になるわ。私はミュウ・チニ。ここの管理者で、エイグの研究、武装の設計を主にしているわ。一応年齢はアヴィナと一緒だから、決して身長で人を差別しないように頼むわよ?」
上目づかいで睨むミュウ。近付かれると、その身長の低さがよく分かる。アヴィナよりも低い。
シオンは苦笑いで誤魔化し、ミュウの出した手を握る。
「ちなみにボクとミュウは大の仲良しなのだー! ミュウのことなら何でも教えたげるよ」
「……教えなくていいから。それよりアンタのエイグについて話がしたいの。どうせ暇でしょ?」
「まあ、そうだな」
「その辺のパイプ椅子にでも座って。――そうね、まずあのエイグの名前を知りたいんだけど?」
「俺が知りたいくらいなんだが」
「どのエイグの名前も、大体はAIがモデルにした人のモノよ。あなたのエイグのAIは、誰?」
その問いに、シオンは少し言葉が詰まった。
だが言わなければ話が進まないため、彼は俯いて言った。
「……リア。俺の妹だよ」
「リア、ね。了解。……他人に呼び捨てされるのが嫌なら、別で名前を考えてもいいのよ?」
「……考えておく」
「で、ま。とりあえず『ヴェルク』にしておいたから、皆と同じように戦える筈」
「ヴェルク?」
「連合側がツォイクって言って、それで区別してるんだよ~」
「えーと、国防協力の下で作ったレーダーがあってね、ヴェルクにはその情報をリアルタイムで受信できるアンテナがついてるのよ。あとはエイグの方で勝手に適応してくれるの」
「だから俺には見えなかったのか……」
レイアに言われていた説明を聞き、合点がいったシオン。
「まあ、今のところはそんな感じでいいかしら――」
と、話が一区切りついた時。シオンが昨晩聞いたのと同じ、けたたましいサイレンの音が部屋中に鳴り響いた。
シオンはアヴィナと顔を合わせ、格納庫に向けて走り出そうとする。しかし、彼の背にミュウの声がかかり、立ち止まらざるを得なかった。
「なんだ?」
「アンタのヴェルク、わからないことだらけで調べ甲斐があるんだから、壊すんじゃないわよ!」
「……はいはい、了解」
「んふふー。ミュウはツンデレだから、素直に生きて帰れって言えないんだよ~」
「うるさい、さっさと行け」
「あーんこわーい」
戦闘前だと言うのに緊張感のない会話を繰り広げる二人に、シオンはやはり調子が狂うのだった。