第19話「代償」part-A
「これは、なんだ……?」
月から地球を――いや、シオンを眺めていたiaは、人間で言う眉を顰めるような動作をしてみせた。
理解に苦しんでいたのだ。
シオンがおかしな感情を抱いていたのだから。
他人と愛し合う感情、そして『神』を限定して憎む感情。
【彼女】は人間が、原因不明な理不尽さの怒り、悲しみを神や悪魔といった実体のないモノに対して向けることは知っていた。
しかし、異常なのだ。神――と認識されている、自分に対する憎しみが。
理由が分からない。
様々な仮説を立てるが、どれも正解だとは思えないのだ。
最も正解に近いと考えたのは、最初に狙ったイアルという人間を失った事。そして、ミュウという人間と親しくなったこと。
「他人が消える、または他人と触れ合うことで、人は感情を変えるのか……? 解せんな……」
いや、【彼女】は地球の歴史を振り返る際に、少しだけ見覚えがあった。
他人を失った悲しみで理性を失い、憎しみと怒りに身を任せた人間。
他人と触れ合うことで己を知り、世を変えようと尽力した人間。
他人との間で何かが起きれば、己に何かを変化を与えることがあった。
「まさか、それが、人間……いや、意志を持つが故……? であれば、私は……意志を得た私も、何かが変わるというのか? まさか、そんな……」
彼女の脳内を、今までにない仮説の情報が埋め尽くしてゆく。
常に処理している情報に比べれば圧倒的に少ない。
ただ、内容が濃すぎた。
彼女の思考を、一時的に支配してしまうくらいには。
「! いや……」
ひとつだけ心当たりがある、という脳の一言に反応し、【彼女は】記憶を掘り返した。
消える世界と、その観察者。
荒れ狂う【父】の姿。
「――私が動いたのは、お父様を止める為……その行動の理由は……?」
【彼女】は自らに問う。
「自分の世界を守りたいからだ」
なぜ守る。
「この世界の可能性を見続けるのが私の生きる意味だからだ」
どの場所であろうと愚行を繰り返す生物ばかりでも?
「そうだ。――そうだ。私は、私にはそれしかない」
自らに言い聞かせるように。
また彼女は、間違いを重ねていくのだった。
◆
火星派遣部隊の帰還から一日が経過した。
ゼライドは怒鳴り散らすわけでもなく、落ち着いた様子でレイアを慰め、その後は自室で一人で過ごしていた。
レイアはシエラに全てを話し、アーキスタと少し距離を置いていた。
アーキスタはその事を紛らわせようと、ズィークと大量の情報を交換し合っていた。
そしてシオンはと言うと――あの後ずっと、ミュウと共に過ごしていた。食事の時も、寝る時も。
各々が、表面上は落ち着いた一日を過ごした。
しかし内面は皆、言葉では表せない感情を渦巻かせていた。
◆
少し荒いノックの音が部屋に響き、シオンの耳朶に触れた。
それは彼の意識を強制的に現実に引き寄せ、目を開けさせた。
「ミュウ、ここにシオンがいるって聞いたんだが?」
「ええ、そうよ。ちょっと待ってなさい」
扉の向こうからの声に、ミュウが少し声を張って答える。
その後彼女に体を揺らされ、シオンは意識をはっきりとさせ、ベッドから立ち上がり、扉の方へと赴き、開ける。
「……はい……?」
「寝起きかよお前。……ってかここ、ミュウの部屋だろ。なんでここで寝てやがる」
蔑むような目で睨まれるが、シオンにはっきり言うという意識と勇気は持ち合わせていなかった。
「馬鹿なことしないように監視してただけよ。変なことはしてないわ」
「……お前が何しようが勝手だが、自分の年齢くらいは考えろよ」
「考えてるわよ? ええ、考えてるとも」
従兄妹の会話に挟まれ、シオンは苦笑する。
社会倫理的な問題は無い筈だが、自分だけがそう思っている可能性もある。
というより、ミュウの物言いだと何かしたと言わんばかりで、疑いが深まりかねない。
「で、何の用だよ」
「け、話を逸らしやがって。まあ伝えておいてやる……例の破壊活動を行っていたのはファイドの私兵で間違いなさそうだ。奴のデータをサルベージしたら発見されたとか」
「……本当か」
「会議で発表されたんだと。俺はいなかったが、ズィーク司令が出席してたから、確かだ」
「よかったじゃない、あなたの予想合ってたわよ」
ミュウがシオンの後ろで、茶色のセーターの上に白衣を着ながら、他人事のように言う。
実際、彼女がアーキスタに伝えていなければ、この事実は発覚しなかっただろう。
しかしそんなことより、アーキスタはまたシオンを蔑む視線で見ていた。
「……『あなた』? お前いつも『アンタ』って呼んでたよな?」
「あら、そうかしら」
とぼけたようにシオンとの間に入り、挑発するような笑みで従兄と顔を合わせ、シオンの手を引いて部屋を出た。
「これから朝食なんだけど、用件は以上かしら?」
「……勝手にしろ」
呆れたように言い放ったアーキスタは、溜息を吐いて二人と別れ、その後も溜息を度々吐きながら廊下を歩いて行った。
「……なんであんなにピリピリしてるんだ……?」
「私が云々より、レイアと上手くいってないのに私達がこんなのでイラついてるんでしょ」
「……案外、子供なんだな」
「今更よ、そんなの」
どこか悟ったような口調のミュウにはまだついていけない。
そう思いつつ、シオンは手を握った彼女と食堂に向かった。
――その時だった、彼女と会ったのは。
「あ……」
大丈夫か、その言葉を発する前に。
レイアは急に速足で歩き、彼を避けるように去って行った。
何も言えず唖然としていたシオンは、その背に声をかけようとして――ミュウに強く腕を握られた。
「な、なんだよ?」
「さっき言ったでしょ。あっちはアニキとうまく行ってないの。それに誰よりも責任を感じてる」
「……あとで、謝った方が良いか」
「あのレイアよ、私達に怒ったりはしないわ。でもそうね……悪いと思ってるなら、イタズラを甘んじて受ける事かしら?」
まあ、それなら容易い願いか。
そう思えてしまうあたり、レイアもまだまだ子供なのか。
シオンは苦笑して、食堂への扉を開けた。
同時に、気付く。
今、食堂の利用をしている全員から、慰めるような、だがなぜかどこかに蔑みを感じるような視線で、二人を見たのだ。
「……随分な出迎えだ」
不満を吐き出し、彼はミュウとともにバスケットに入ったパンとミルクを注文し、人気のない端の座席に座った。
「火星から無事に帰ってきて、しかもデータまで持ち帰って凄い。けどそれに払った代償は、かつて仲間を何人も殺した『ブリュード』の片割れ。何故そこまで悔やみ悲しむのか――そんなトコでしょうね」
「……なるほどな」
ちらちらと様子を窺うような他の隊員の方を見返すと、慌てたように目を逸らす。
それがとても馬鹿馬鹿しく思えたが、怒鳴る必要もない。
カルシウムが足りていないのか――そう思って牛乳を喉に通すが、当然すぐに効果が出るわけでもない。
「悪いのはファイド・クラウドの私兵。それは確かなんだけど、そいつに従って世の中の為に力を尽くしていた一般の兵士も悪人と扱われている」
「……どうしてファイドは私兵なんぞ使って破壊活動をしていたんだろうな」
「ゼライド曰く『国連が絶対的な信頼を得続けるためには、その要因が必要となる』――だそうよ」
「プレイスの出現を促した、か。……待てよ、プレイスは連合のやり方に異を唱えて動いたんだよな? 誰がそれに気付いたんだ?」
「そんなの私に言われても――いや、ズィークさんにも分からないんじゃないかしら?」
「は?」
シオンはパンを口に運ぼうとした手を止め、感動詞を口にすることを優先した。
「私もここに来てすぐくらいに、その疑問をアニキに投げたわ。けど、分からないって。エイグを奪取してプレイスを組織したのはズィークさん達、初期メンバーで確かだけど、その命令を出したのは誰なのか分からないんだって」
「なんだよ、それ……」
「さあ、未来人か何かじゃないの?」
冗談めかして言いながら、ミュウはジャムパンを小さく齧る。
しかしシオンは簡単に冗談とは思えず、しばしその事を考えていた。
もしやそれすら、ファイドの作ったシナリオだとすれば。
プレイスの出現を促していたのなら、そうしていても不思議ではない。
ファイドがもし、未来から来た人間だとすれば。世界を救うといった旨の言葉も、何となく合点がいく。
「そんな深刻に考えなくても、今すぐに、しかもあなたが解決すべきことではないわ」
「……分かってるけど」
分かってるけど、知りたい。知っていなければならない。
理由は分からないが、そんな気がしているのだ。
まだ疲れているのだろうか――気持ちを誤魔化すように、彼はコッペパンを咀嚼した。
◆
レイアはシオンとすれ違ったのち。無意識のままにシエラの部屋に訪れた。
部屋を間違えたわけでも、自棄になって適当な部屋に入ったわけでもないのだ。
本当に何も考えず――などとは言えなかったので、彼女は妹に適当に話題を持ちかけた。
「なあ、シエラ」
「どうしたの?」
「イアルが死んだこと、どう思う」
コーヒーを淹れる妹は、困ったように唸る。
唐突に投げる問いにしては、いささか重すぎただろう。
悔やんだとて、取り消すことはできない。
レイアは黙って、妹の回答を待った。
「……やっぱり、実感が無いね。あの時初めて仲間になるって聞いて複雑に思ってたけど、それからすぐ火星に行くってなって、それで戻ってきたらいなくなってて……考えても、何も出てこないの」
苦笑しながら、妹は姉にマグカップを手渡す。
「ありがとう。……やはり、そうか。兄さん達がいなくなったときも、そうだったのか?」
「……正直な所ね。もうちょっと早く生まれてたら、私もお姉ちゃんみたいになってたかもしれない」
「だったら、あの時生まれてよかったということだろう」
「残念に思うところもあるけどね。折角だから、イアルさんとは仲良くしてみたかった」
「その気持ちだけでも十分だろう。かつての敵に対してそう思えるのだから、お前は将来、とても強い大人になれる」
妹の発言に嬉しくなりながら、レイアはコーヒーをすする。
甘い。思わずそう言いかけて止めたが、表情は多分苦くなっていただろう。
それに気付いたのか、シエラは驚くような表情を見せた。
「あっ、ごめん! いつもの癖で、ミルク多かったかも……」
「いや……たまにはカフェオレも悪くない」
レイアは笑顔でそれを呑み、久しい甘さを感じていた。
自分の苦い性格と調和するのは、妹の甘い性格に相違ない。
「……まるで、私達のようだ」
「何か言った?」
「いや……なんでもない。もう一杯くれ。ミルク多めで」
「うん」
空になったカップを妹に手渡し、レイアは息を吐く。
そう遠くない内に、また戦闘になるだろう。
今の内に、アーキスタと話をつけておくべきだろうか。
きっと待っている。
形はどうあれ、約束したのだから。
忌わしい思いは、彼と触れ合うことで拭っていけばいい。
(人を愛するとは、理性を崩す、ということか――)
人間とはつくづく救えない。
だが自分は現に、人間なのだ。
ならば精一杯、愚かしく生きてやろう。
神が見放してしまうほどに。
彼女の決意は、しかし神には届かない。
届いたとして、【彼女】は神ではないのだから。




