第1話「アナタを呼ぶ声」part-A
創立十年にも満たない高等学校の一室で、シオン・スレイドは世界史の授業も聞かず、タッチ式ディスプレイが埋め込まれた机に頬杖をつき、灰色に濁った空を見ていた。
本日、七月七日は七夕にも関わらず曇りだった。
織姫と彦星が年に一度会う、などと言い伝えられているが、実際にその光景が見えるわけでもない。それ以前に、彼はそう言った迷信的なモノは一切信じていない。
(……雨でも、降ればいいのに)
彼自身、何気なく思ったことだった。だが、彼は自分も知らない内に雨を好いていた。
ノイズにも似た雨の音は、彼を孤独な世界に誘う。それは今の彼にとって、何にも代えがたいモノだった。それが無意識に、雨が降るようにと彼に願わせたのだろう。
しかしそう思ったところで、実際に雨が降るわけではない。仕方ないと小さな溜息を吐き、彼は画面を操作して教科書フォルダの最後の方にある年表を見始めた。
二〇二九年 ドロップ・スターズ
連合軍、結成
(……ドロップ・スターズ)
今から三年前――二〇二九年に起きた、未曽有の大災害のことだ。どこから飛来したのかも知れぬ大量の小型隕石が世界中に落下し、津波や地震といった災害を連鎖的に引き起こした。それでもこの日本のように、比較的被害の少ない国も少なくはない。
そこで、復興・治安維持の為に、国連の常任理事国を基幹とした連合軍が結成された。軍は世界中で活躍し、テレビのニュース番組でも度々その姿が見られていた。シオンも何度か見たことがある。
指をスライドさせるように動かすと、画面がスクロールして別の情報が下から流れてくる。
二〇三〇年 プレイス、連合軍の活動の阻害を開始
第三次世界大戦、開戦
「………」
そして、今から二年前。少しずつ復興が進む中、その活動を阻害する大規模テロ組織が現れた。その名は『反連合組織プレイス』。目的こそ不明だが、軍と敵対する関係にあるのは確かである。邪魔とそれへの対応は何か月と続き、やがて戦争へと姿を変えた――それこそが、第三次世界大戦である。一進一退の攻防が続いているらしく、未だに終結は見えていない。
ちなみにプレイスは世界各地に基地を持っており、残念ながら日本もその例に漏れていない。ここ千葉県のすぐ隣、東京都にある大学とその周辺地域がそれだ。しかしだからと言って、国民を人質にされるわけでも、理不尽に殺されるわけでもなかった。でもなければ、彼を始めとする学生は学校に通えてなどいない。
おまけに『プレイスのおかげで戦時下にも関わらず、通常の生活が送れているのではないか』などと言う意見も出ている。最後の戦争が何十年も前であるせいか、『戦争を知らないからそういう事が言える』と言う人間もいる。戦争を体験した人間など、今となっては殆どいないのだが。
シオンはどちらでもない。彼は今生きていられるのならどうでもいい、と言う人間だからだ。
しかし彼の心臓は今にも止まりそうだった。第三次世界大戦という単語が、彼を苦しめているのだ。
彼――正確には彼の家族がほんの二週間前、その被害を受けたのだ。千葉県の海岸付近での戦闘にて、偶然にも流れ弾が何発か、彼の自宅付近に着弾したのである。その日学校行事で外出していた彼は無事だったものの、家にいた家族は皆、死亡した。
そのせいで身寄りのない彼は離れたアパートで独り暮らしを始めながら、学校生活も続けなくてはならなくなったのである。
結果的に、深い、などという度合いでは表せない傷が彼の心に刻まれたのだ。
やるせないその思いはやがて、神への復讐心へと変わった。しかしながら、神などどこに居るのか、知る者はどこにもいない。その為彼は何もできず、こうして前と変わらず学校で授業を受けているのだ。
「すぅ……はぁ」
心臓が苦しめられたことによって乱れた呼吸を整えるために、シオンは一度深呼吸をする。何も彼は自分を苦しめる為にそれを見ていたのではない。少しでも早く、その言葉に慣れておきたかったのだ。
彼が息を吐くと同時に、授業の終了を告げる鐘の音がスピーカーを通して響いた。
「では、今回はここまでにしよう。復習を忘れないように」
「はーい」「へい」「あーしたー」
若い男教師の決まり文句に対し、周囲の生徒は適当に返事を返す。まだ経験の浅いという男教師は苦笑し、教室を出た。
それを合図に、静かだった生徒達が一斉に騒ぎ出す。孤独を望むシオンにとっては地獄の始まりに等しかった。2週間前の件から友人に対しても心を閉ざしている彼には、10分の休憩時間と言えどすることは何もない。本を読むか、先程のように空を眺めるだけかだ。
もちろんのこと、彼の評判は良くない。2週間前こそ平凡で、それこそ生徒たちの間では話題になることすらない地味な生徒だった。しかし今は誰も相手にしない、しても冷たいなどという根も葉もない噂が広まり、陰口を叩かれることは少なくない。
(実際誰とも話してないし、間違っちゃいないんだがな)
女子生徒3人の小声の陰口を聞き流しながら、シオンは心の中で誰かに言う。言い返す気力もないので、説得を諦めていると言っても過言ではない。
「おい」
「……。俺か?」
男子生徒に自分が呼ばれたのだと一瞬分からず、シオンは返事が遅れた。振り向くと、後ろに似たような外見の男子生徒二人を連れているのが分かった。
周囲の生徒たちは皆黙ってシオン達の方を見ている。
「ちょっと話があってよォ。来てくれよ、スレイド君」
知らない顔だった。入学してまだ半年も過ぎてはいないが、人の顔を覚えようとしない彼にとっては当然だ。クラスメイトの顔と名前すら殆ど一致しないのだから。
もちろん、彼は面識もない赤の他人の願いを、素直に聞き入れるような人間ではない。
「嫌だと言ったら?」
念の為、挑発するように問いかける。すると案の定、手前の男子生徒の右側の眉が動いた。それが怒りを表すモノであると、分からぬ者はそういないだろう。
「力づくだよ」
「まず理由が聞きたいな。俺も暇に見えるだろうけど、何せお前達の無視に忙しんだ」
「―――」
俯いた。それを見て、シオンが嘲るような微笑を浮かべる。それはただ言い返さない男子生徒が滑稽だと思っているからだけではない。次に起こる事象が容易に想像できたからだ。
「ッ!!」
次の瞬間、嘲笑うシオンの顔と拳が衝突した。彼のモノではない、目の前にいる男子生徒が振るったモノだ。
「口答えしてんじゃねえ、似非日本人が! 気持ち悪ぃんだよ!」
「っ……」
殴られることに慣れている彼は、拳が当たる直前で顔を動かしてダメージを軽減している。しかし一切を消せるわけではなく、口の中が切れて血の味が僅かながらに広がる。
このように、しばしば彼は人種差別にも似た理由で殴られる。見た目こそ日本人のそれであるが、彼はアメリカ出身である。証拠と言っては何だが、彼の名は全く日本人らしくはない。彼の父親――彼の誕生後すぐに事故で死んだ――がアメリカ人だったせいだ。スレイドは父の名なのだ。
シオンは日本人らしい見た目に反し、欧米の人間の血を引いている、というだけに過ぎない。向こうの理由も、それだけに過ぎないのだろう。
「狂ってるな、お前……」
「うるせえ!」
シオンが言うと、男子生徒はすかさず追撃を加えようとする。しかし彼はその拳を受け止め、力強く握り締める。
予想外の事態だったのか、男子生徒は目を見開いた。
「人種差別なんてしてるから、お前みたいな奴が減らないんだろうさ……!」
「っ!」
低い声で言いながら睨みつけると、男子生徒は何も言わなくなる。後ろにいる二人もうろたえているようだった。
そしてシオンが拳を握る力を更に強くすると、男子生徒は一瞬だけ苦悶の表情を浮かべて彼の手を振り払った。そのまま逃げるように、足早に教室を出た。後ろの二人もそれに続く。
(大した用もねえのに来るなよ……)
心の中で吐き捨てると、シオンは再び曇った空を見上げた。先程よりも濁っている。
今にも嗚咽交じりに叫びそうな――曇り空はそんな表情をしていた。
(……降りそうだな)
◆
灰色に濁る空の下、別の場所では戦闘が行われていた。
少女は腰のホルスターから二丁の機関銃を抜き、敵兵らに向けて連射する。それは全弾命中するものの、鎧に弾かれて一切のダメージが通らない。少女は舌打ちし、全弾打ち終えてからそれらを敵兵らに向けて投げ飛ばし、その隙に太腿に内蔵されたコンバットナイフを右手で逆手に持ち、二人の仲間と共に一気に飛び込む。
(二人やられた……あとは私を含めて三人。向こうはあと四人……)
冷静に戦況を把握しているつもりだったが、少女は確実に焦っていた。味方の応援が呼べないわけではない。しかし損耗が激しく、出撃したところでまともな戦力になるとは思えない。
彼女自身新米の兵士で未熟なのは確かだが、並みの兵士よりは動ける自信があった。彼女の姉は同じく兵士であり、それも皆からエースと称えられる腕を持つ人物――その才は確実に妹である自分にもあるのだと思っているからだ。
(お姉ちゃんがいなくても、私は!)
気を引き締め直し、少女はナイフを敵兵の鎧の隙間――腰に付き刺した。
すかさずそれを引き抜くと、腰から僅かに火花が散る。まるで人の寿命が目に見える光になって、一瞬で放出されてしまったかのように。
「はぁ……はぁ……っ!」
人を殺すという感覚は、未だに慣れない。彼女が未熟たる所以の一つだ。
その頬を、汗が垂れる。いや、それは雨粒かもしれない。
ポツ、ポツと、大粒の雨が少しずつ落ちてくる。しかし少女らにそれを気にしている暇はない。
「うわああぁぁぁっ!!」
自分の感情を誤魔化すように叫び、少女は再びナイフを振る。
◆
まだ仄かに感じる血の味を不快に思いながら、シオンは数学の授業を無視して頬杖をつき、教師の背にある巨大タッチディスプレイを睨んでいた。
二次関数で描かれた放物線は、自分の気持ちの浮き沈みに似ている。シオンは何となくそう思った。しかしだからと言って、何かあるわけでもない。
「スレイド、聞いているのか」
「……はーい」
中年の男教師に言われ、シオンは適当に返事をする。彼は学校で勉強をせず、試験前になって漸く勉強を始める生徒だった。その勉強スタイルでも点数は良いどころか満点近くを取るのだから、教師陣も何も言えはしない。
シオンは生徒用教材フォルダからオンラインの百科事典アプリケーションを起動し、なんとなく調べようと思った単語を入力しようとして――その手が止まった。そして、小刻みに震えだす。
(……やっぱり、俺は)
考えようとして、シオンは首を振る。
彼にはある『呪い』がかかっていた。いや、そう言うには大袈裟かもしれない。しかしそれは確実に彼の立場を今以上に危うくさせるモノに相違なかった。
震える手を見て、彼は何かを握り潰した。誰にも見えない何かを。
(なぜ、ここまで俺に厄災が降りかかる)
シオンは右手で両目を覆い、自分の不幸さに自分で同情する。
人種差別を受け、戦争に巻き込まれて自分以外の家族は死に、『呪い』まで掛けられてしまった。まだ二十年と生きていない子供にとって、これほどの苦痛を感じることはまずないだろう。そして彼はそれに耐えるしかないので、その分の苦痛も上乗せされている。
彼はアプリケーションを終了し、再び頬杖をついて空を見上げた。
空は濁った雲でくしゃくしゃになって、既に何粒か、雫を落としていた。
彼は今日、苦しんでばかりだった。苦しみを乗り越えるために。
◆
雨が降り始めた。降り始めたと気付いた時にはもう、豪雨だった。
その全てが勢いよく少女らの鎧を叩く――しかし、彼女らはそれを気にしている場合ではなかった。
(あと、二人。こっちはまだ三人。やってみせる!)
僅かながら希望の見えてきた少女は、ナイフを握る力を強くする。
水を余分に含んだ地面は踏む度にべしゃ、という重い音が鳴る。何度か地面を鳴らして、少女はナイフを振り下ろす。
「っ!」
しかし、敵兵もナイフで応戦。僅かな火花を散らして、少女のそれを受け止めた。
二人の力の強さはさほど変わらないのか、拮抗してそこから動かない。
埒が明かない。少女は舌打ちして、もう片方のナイフを取り出そうとした――その時だ。
「しまっ……」
少女が反応するより早く、敵兵のナイフがまっすぐ少女の肩に向けて直進する。そして一切の障害なく進んだそれは、迷わず鎧を貫き、少女の肩に突き刺さった。
「く、あぁぁ……っ!!」
少女の口から苦悶の悲鳴が零れる。しかし痛みに苦しんでばかりもいられない。彼女は新たに抜いたナイフを力任せに投げ、敵兵の頭に直撃させた。司令塔の機能を失った敵兵は力なく崩れる。
「っ、く……!」
ナイフを抜いて、少女はスパークの散る肩を押さえる。残った二人の味方を見ると、たったの一人相手に苦戦していた。
いくら弾丸を放とうとも、いくら剣を振るおうとも、その一切が分厚い鎧に阻まれていた。
(装甲強化型!? そんな、こんな時に改造型だなんて……!)
少女は苦悶の表情を浮かべ、自身の中で生まれる弱音を片っ端から振り払っていった。そしてナイフを握り直し、味方の援護に加わる。
「逃がさないっ!!」
助走をつけて、少女はナイフを投げた。鎧と鎧の隙間を正確に狙い、それは直線を描いた。――しかし、足で弾かれる。
「っ!?」
恐ろしい反応速度に少女は目を見開き、同時に溢れんばかりの絶望を感じた。
勝てない。
彼女の本能がそう告げた。悪魔が囁くように。
「ぐあぁぁ……!」「うわぁぁぁああっ!!」
その隙に、敵兵は味方二人にリボルバーを向け、素早くその引き金を引いた。その動きは彼女らを嘲るようだった。「自分はまだ本気ではない」と、そう言わんばかりに。
「く、くうぅ……っ!!」
少女は呻き、腰にある予備の短剣の柄を握る。彼女は何も考えず、本能的にその剣を振り上げ、敵兵に襲い掛かった。
◆
シオンの予感は的中し、午後からバケツをひっくり返したような大雨が地上に降り注いだ。
学校で虫唾の走る思いをしていた彼はその音を聞き、リラックスしながら帰路に着いていた。
雨でなくとも既に7時を回っていたため、彼の周囲は暗闇が覆っている。
彼がそんな時間に下校するのは、部活動が忙しいからでも、反省文を長々と書かされているわけでもない――そもそも彼は部活動に所属していないし、反省することもないのだが――。昼間の男子生徒のような、シオンに危害を加える人物が少ない時間を選ぼうものなら下校時間をいくらか過ぎたこの時間しかないからだ。その間彼はずっと図書室の隅で新聞や本を読み漁っている。家に誰かいるわけではないし、何をするかは彼の自由だ。
常に鞄の中に入れている折り畳みの大型傘を差す彼は、人通りの少ない路地を通って一人雨の音に耳を傾ける。この間、彼は何も考えてはいない。
しかし、途中で脳が「違和感がある」と断続的に告げていることに気付き、シオンは木陰に入って鞄の中身を見る。少しばかり漁った後、彼は見慣れたあるモノが無い事に気付いた。
筆入れだ。
彼は反射的に舌打ちし、苦い顔をした。
学校の設備こそ電子化が進み教科書などは不要となっているものの、学校への提出物は相変わらずと言うよりか、何故か紙なのだ。
その為、この時代でも筆入れは必須なのだ。
(面倒くせえ……仕方ない、取りに帰るか)
過去の経験から、シオンは教師が8時を過ぎても学校にいることを知っている。彼は腕時計を見、まだ余裕があることを確認する。そして渋々、再び学校に踵を返した。
学校に戻る途中で雨の勢いはだんだんと衰え、終いには一粒も落とさなくなった。どうやら泣き疲れたようで、濁った雲もどこかに流れて月明かりが差し込んでいる。
夏の気温も相まって空気は湿りきっているが、シオンがそれを気にすることはない。彼は一刻も早く筆入れを持って、誰もいない自宅に戻りたいのだ。唯一完全な孤独が得られる場所に。
そうやって心の中で愚痴を吐き続けながら門をくぐる。案の定まだ校内には人がいるようだった。いくつかの教室を照明が照らしている。
安心して校舎を目指して歩いていると、びくり、と体が何かに反応した。
(……悪寒?)
今までにない感覚を訝しみ、再び歩こうと足を少し上げた瞬間。
彼の聴覚を、とてつもない轟音が支配した。鼓膜を破りかねないそれに、シオンは反射的に手で耳を塞ぐ。
「ッ……なん、だ……!?」
同時に襲い掛かる地震でバランスを崩しながらも、シオンはなんとか壁に手をついて音のした方を向く。
するとそこ――校庭には、月明かりに照らされた、大の字になって寝ている青白の巨人がいた。
シオンに向けられた足の裏、なんとか見える腕、肩。どこを見ても、機械のようだった。それが人型ロボットであると理解するのに、そう時間は要さなかった。しかし、代わりに何故それがここにいるのかという問いが彼の脳内を埋め尽くしていた。
が、彼にそんな余裕は殆ど与えられなかった。
今度は緑の人型ロボットが同じ轟音と共に目の前に現れたのだから。
青白の人型ロボットと見た目は同じ、しかしどうも様子がおかしい。少なくともシオンにはそう見えた。
(追ってきた、の、か……?)
落ちてきたと言うのがぴったりと当てはまる青白に対して、着地した緑はそれを追ってきたように見える。
彼のこの予想は、間もなく確信に変わる。
『――死ね』
ナイフを持つ手を振り上げる、緑から発せられたと思しき男の声は、メガホンか何かで拡大されているようだった。
そして、その短い言葉はシオンに単純な恐怖を覚えさせる。
いや、それどころではない――緑は、何をしようとしているのか?
(まさか、敵対して……ッ!?)
そこから彼が結論に至るまではとても速かった。
未知のロボット二体、対立するそれら――戦闘。戦争。
『くうっ!』
青白から発せられた、少女の呻くような声。左手がぎこちなく動き、振り下ろされた緑の右手を払う。しかし勢いそのまま、校舎に腕がめり込んだ。瓦礫が流れ出すように校庭へと降る。
それがまた、シオンの思考を加速させた。
一撃の被害。故郷の惨状。数発の流れ弾で、あれだけの被害は出ない。
となれば、原因はこの類の戦闘。シオンはそう結論付けた。そして同時に、彼の中で静かに燃えていた小さな灯は、再び全てを焼き尽くさんとする業火に戻った。
それは一瞬で、全てを忘れさせた――そのはずだった。
『……生体反応? まずいな』
不意に、緑が青い双眸を光らせながらシオンの方を向いた。その姿は全てを恐怖に変えかねない威圧感を放ち、彼も例外なくそれに呑まれた。
(な、何だ。体が、動かない……!)
怒りよりも恐怖が勝り、彼の体は脳の命令すら遂行できなくなっていた。
その間に緑はもう一度ナイフを持つ手を振り上げていた。狙いは自分であると、シオンはすぐに分かった。
(……ここで、死ぬのか? まだ何もしていないのに……そんなのは嫌だ。嫌だ、嫌だ。嫌だ!)
心の底から、彼は死を拒絶した。
そしてそれは、悲痛な絶叫に変わる。
「―――嫌だァァァァァァァァァァッッ!!!!」
彼の絶叫が夜空にこだました、次の瞬間だった。
何かが、緑のナイフの進行を妨げたのだ。
壁、などという単純な障害物ではない。
それは。
『何が……?』
『な、何だっ……!?』
「……これは……?」
シオンだけではない、その場にいた者全員がそれに目を奪われた。
鬼のよう、それでいて人間のような印象を受ける顔。見るからに屈強そうな赤と白の身体。その色合いは、彼に『正義の味方』を連想させた。
それは、救世主。彼を、世界を、セカイを救う。
雨の降った七夕の夜。彦星と織姫が、この地球で出会ったのである。