少年は「憎」む
She hated the shangri-la.
So he shouts to heaven.
天まで届け、紅蓮の絶叫。
――何が憎い?
少年は戦火の嵐が去った街の中で、一人瓦礫の上を歩いていた。短いその髪は茶色で、目の虹彩も同じ色。古来から存在する日本人のそれだった。
既に陽は落ち、夏場に合った涼しい風が吹くと同時に、砂塵を巻き上げる。少年はそれが目に入らないように目を細めながら、自宅へと歩みを進める。この被害では、それが無事であるとは限らないのだが。
それでも少年が行こうとしているのは、家族の安否を確認したかったからだ。
しかし心のどこかでは、既に死んでいるのではないかという諦めと恐怖が理性を蝕み始めていた。
それでも、少年は行かなくてはならなかった。そんな気がしていた。まるで何かに操られたように、ふらふらと、それでいて確実に一歩を踏んでいた。
――誰が憎い?
辺りには血生臭い臭いが立ち込めている。見れば、瓦礫に混じってかつて人だった肉塊がある。
内蔵の飛び出した胴や、骨が剥き出しの手足。脳髄を垂らした生首までもが転がっている。
だが少年はそんなものに目もくれず、果てにはそれを踏んで歩みを進める。
――絶えず争う、人類か?
少年には父親がいなかった。生まれてすぐに事故で死んだのだ。
代わりに母と妹がおり、家庭内で唯一人の男だった彼は、いつも母の疲れを労い、妹の世話をしていた。
と言っても、結局は彼の方が世話されていた。だからこそ、彼らの家庭はいつも笑顔に溢れていた。
――争いの原因を作った、兵器か?
だからこそ彼は今こうして、その家族の待っているであろう自宅を目指しているのだ。
心のどこかで諦めているのだとしても。
今「会いたい」と強く願っているから。
――それを前にして平和を忘れた、人の心か?
そうして、彼は自宅に着いた。
それは案の定倒壊しており、とても中で人が生きているなんて思えなかった。荒々しく削られ積み重なった瓦礫やボロボロの家具が、よりそう思わせる。
だが少年は生きていることを疑わず、小さな瓦礫から除け始める。
ここに母はいる。妹がいる。そう自分に言い聞かせながら、少年は少しずつ家の中へと進む。
玄関もようやくそれだと分かるくらいだ。瓦礫のトンネルをくぐって、記憶を頼りに居間へと向かう。それと同時に、少しずつ血の匂い――言うなれば「死の臭い」がどんどん強くなっていた。
それでも。
それでもと。
少年は諦めず、そこへと近づいていく。
だが、もちろんのこと、家族は生きてはいなかった。瓦礫の合間から、右手がはみ出していた。まるで少年の助けを待っていたかのように。
少年は反射的にそれに触れる。しかしもう熱はなく、固くなりつつあった。だが、妹のものであるのは確かだった。
――それとも……
少年はもう一つ、同じように瓦礫に挟まった足を見つけた。確証は無かったが、彼は無意識にそれを母だと悟った。
その二つの絶望を見ては、少年はもう、希望など持てなかった。
――神か?
少年はこの瞬間、神を憎んだ。この事象に自分を誘き寄せた、神を。
この惨状が引き起こされたのは、偶然と言っても別に間違いではないだろう。しかし少年には、作為的な何かがあることを疑わずにはいられなかった。
少年の心に、前触れもなく復讐の火が灯る。それは一瞬で理性を焼き尽くした。
神への憎悪が、体中に染み渡っていく。
殺してやる。殺してやる。殺してやる……!
有耶無耶の存在に、少年はその殺意をむき出しにする。
――それでいい。ならば私は、お前に力を与えよう。
少年は怒りからの強い歯噛みによる血と、やりきれない悲しみによる涙を流していた。そのまま何も言わぬまま外へと踵を返し、星の瞬く夜空を見上げた。
そして、叫んだ。感情の赴くがままに。
誰もその絶叫を聞くことはない。周辺にあるのは変わらず、死によって意識の絶えた骸ばかり。
だが、月は違った。まるでその絶叫を嘲笑うかのように、三日月の弧を描いていた。
――神を殺すための力を。
不意に、泣き叫ぶ彼を光が包み、しかしそれはすぐに消えた。
それが何を意味するのかは、このセカイでは【彼女】しか分からない。そして、【彼女】はまだ。
――さあ、種は蒔かれた。その力をどう扱うかは……
少年は叫ぶだけでは感情を止められず、方向など考えずに走り出す。途中で躓いたりもした。それでも少年は駆ける。
現実が後ろから、追いかけてくるような気がしたのだ。見えない手を伸ばして、今にも自分を捕まえてしまいそうで。
だから。
――お前が決めろ。
だから少年は、逃げた。
逃げて、逃げて……知った。人の都合に合わせて動く神などいないと。
神は人の嫌うことしか、しないのだと。
それから少年が新たな生活を始めたのは、2週間後のことである。
少年の心は、傷だらけのままだった。
――決められるモノならばな。