第8話 彼の裏、彼女の裏
帰宅後、自分の部屋に入ると同時にベッドへ勢い良く倒れこんだ。
入れ替えたばかりの夏向けの薄い掛け布団の中へ潜り、放課後の出来事を思い出す。
本音から言わせて貰うと、あの豹変した霧島君の態度がとても怖かった。殴りかかってきそうな雰囲気だったのにも関わらず、一瞬で元の態度に…
「本当にあれでよかったのかな…」
一応自分は正しいことをした。同じ境遇だった仲間を守るのが僕にできることだと思い、それを突き通した。
もう一度、話を整理しよう。
僕は昨日、クラスに全く馴染めている霧島君が偶然コンビニを出て何処かへ走り去って行くところを発見し、店員さんから実は万引きをしていたという事実を知ってしまった。
こんな事を本人に直接聞くことは絶対に危険だった、でも同じ境遇だった事からなんとかして助けたいという感情に駆られ、放課後、たまたまその場にいた本人と話をした……
最初は本性をさらけ出したような冷酷な態度で僕に反応をしたが、突然表情をコロっと変え、彼が脅されて万引きを強いられている事を告白した。
そして今に至る……
これが逆に悪い方向へ行ってしまったら… なんて考えてしまうとキリがない。
それともう一つ引っ掛かる事があった。
誰かに脅されている、その人は一体誰なんだろうか…
入学したばかりで上級生からいじめられるような治安の悪い学校ではない。じゃあ身内? それとも小学校の人から何かされているの?…
「春希〜 ご飯できたわよー」
疑問の中、母さんの呼び声が1階から聞こえた。
そうか、もう夕飯の時間だった。
僕は駆け足で階段を降りた。
――――――
翌日の放課後、いつものように学校は終わった。
「吉坂、俺は腹が減ったぞ!」
HRで生徒の声がどよめく中、お腹を空かせた桜井君がやってきた。
「なんだよさっき食べたばかりじゃないか… 昼から運動でもしたの?」
「何もしてねえよっ! ただな、今日はワクドのハンバーガーが半額という話を有原から聞いて行きたくてたまらねえんだ…」
たかがセールでこんなにも飢える人はいないだろう。
ワクドはたまにお店によってセールを行ったりしている。特に僕達が通う商店街の店舗は学生が多い。それに売上も好調らしいので日頃の感謝として月に数回何らかのセールを実施しているようだ。半額セールは常識的にもかなり珍しいケースだけどね…
今日は財布に余裕がある。月1回のジュース代、お弁当が用意できなかった際の昼食代を除いたお小遣いが貰える日が丁度今日だった。
安いなら別に行っても構わない。それに桜井君とあまり遊べていなかったし…
「それじゃ、先行ってるぞ! 善は急げだ〜〜!」
「ええええもう行っちゃうの!? まだ準備してないのに待ってよー…」
舞い上がった桜井君は正面玄関まで突っ走って行った。
「あのアホ、早速行きやがった…」
馴れ馴れしく桜井君をアホ扱いしていたのは有原さんだった。どうやら半額の事を教えたのは有原さんのようだ。
「桜井君みたいに単純で真っ直ぐな人がいたら、世界に平和が訪れるんじゃないかな」
僕の冗談に対し、有原さんは無邪気に笑い声を上げた。
「そんなアホな世界、私はゴメンだね」
右手で前髪をいじりながらそう言うと、今度は自分の発言に対し再び笑い出した。桜井君のツッコミ役かもしれないが、意外とツボが浅くて不思議なところが有原さんの特徴だ。
「有原さんも来る?」
「私? ううん、今日はやめとく… ちょっとは試験勉強でもしておかないとなーって」
「さすがだね、有原さん。そういう計画的なところが羨ましいよ…」
確かに、遊ぶのは別に良いけど勉強も忘れてはいけなかった。
「べっつに〜 私は失敗するのが嫌なだけだよ」
「なら余計羨ましい…」
「それはどうもありがとう」
有原さんはわざとらしく丁寧な口調でお礼をすると、窓の方向を見始めた。
「この間、霧島君と話していたよね…」
ほんの少しだけ間が空くと、僕の胸を突き刺すような一言が有原さんの口から出た。さっきまでの絶えない笑顔は、深刻な表情へと変化していた。
前々から少し引っかかっていたのは、有原さんと霧島君の関係だ。2人がその場にいるとすぐに有原さんが逃げたかのようにどこかへ行ってしまう。嫌い? それとも苦手なのか…
なぜ、有原さんが僕が霧島君と話しているのを知っているのかは分からない。胸の奥底に眠っていた不安が押し寄せてきた。
「う、うん…… でも、偶然だよ?」
「あのね、あんまり他人の事に首を突っ込むのは失礼なんだけど、彼には距離を置いたほうがいいと思う」
「それはどうして?」
「私、霧島君と何回か話した事あるんだけど、なんか感じ悪いしたまに凄い怖い顔して睨んだりしてきたの。だから吉坂君はあまりああいった人との関わりは持たない方がいいんじゃないかなって思っただけ」
僕の口から言い返せる言葉が何も無かった。実際僕も霧島君に対してそう思っているからだ。
なのにも関わらず、僕は彼に近づこうとしている、僕しか出来ないという謎の正義感を持ちながら…
「なんか一方的過ぎたよね。その、ただ忘れないで欲しい… やっぱり世の中合ったり合わなかったりする人はいるから!」
気を遣ってくれたのか、有原さんは僕に苦笑いを見せた。
「そうだね。とりあえず忠告ありがとう」
うん、と有原さんは頷いた。しかしそれでもまだ何か言いたげな表情だ。
「私ね、吉坂君はとても優しい人だと思ってる。その優しさがきっかけでみんなが幸せになれたらそれはもうパーフェクトってやつなんだよっ!」
「ぱ、ぱーふぇくと?なの……」
「ふぁぇぇ!? ええっと、んっとぉ…」
意外と分かり易い人なんだ、有原さんって…
「ごめんなさい、なんだか少しズレた話しちゃった。それでもなんかあったらみんなで話そうね? 私達ってもうイツメン? っていうのかな、こういうの… とにかくそういう仲だから!」
「確かに、いつも一緒にいるもんね、きっとそうだよ!」
「ねっ! 私、なんだかこういう関係好きだな〜」
僕が表情を伺うように言うと有原さんはいつもの調子に戻った。そして手を後ろに組み、スキップで鼻歌をしながら教室を後にした。
僕もそろそろ桜井君の所へ行こう。きっと退屈して待っているはずだ。罰ゲームで僕の奢りになってしまわないように急いで正面玄関へ向かった。