第6話 正反対
その日は少し風が強かった。気温もとても低く、冷たい雨が降っていたのもやがて雪に変わっていた。
肌寒く感じた僕はコートを着る。その上にマフラーを羽織りながら近所散歩していた。
どうして僕はここにいるのだろう―― その理由は分からない。けれども何かに流されるかのように、なんとなく歩いていたのだ。
気づけば隣に誰かがいる。僕の知っている人なのだろうか、見覚えがあるのになかなか思い出せない。
女の子だった。
その子は見ている僕の方を向き、ニコッと笑顔で返した。体は冷えているのに心はとても暖かくなって、2人でいれば寒さなど耐えられるような気持ちになっていた。
いや、でも何かが可怪しかった。なんでこんな時期に寒いのか、そもそも彼女は一体誰だ。
僕は混乱しそうになり、立ち止まってその子から距離を置く。
「えっ?」
彼女は驚いた顔で再び僕の方へ近づいてきた。
――やめてくれ、僕は君を知らない。それになんで雪なんか降っているんだよ! 春になったばかりじゃないか!
白い吐息が大声とともに飛んで行く。
「お願い。忘れないで、戻ってきて…」
彼女は僕に向かってそう言った。
忘れる? 僕の人生において友人をそんな簡単に忘れることなんかしたことはない。そもそも初対面なんだ。
一目散に逃げ出し、なんとかして家に帰ろうとした。
300メートルほど走ったのだろうか。
後ろを振り向いても、その子はまだ追いかけていた。
恐怖を覚え、もっと早く走ろうとするも躓きその場で倒れこんでしまった。
バテて中々立ち上がれない。そして足音はどんどん近づいていく――
彼女は泣いていた。それでもひたすら僕を求めてこちらに向かっていた。
しかし、その時僕は思った。
「そうだ、これは夢なんだ」と…
目覚まし時計の音が聞こえたのは、すぐ後のことであった。
――――――
「なんか、とてもリアルな夢で怖かった……」
教室、僕は桜井君に今日見た夢の事を話していた。
「こええええ! なんなんだよそのストーカーみたいな奴! 怖すぎだって!…」
「お陰でよく寝た気がしなくてさ、もう今にも眠ってしまいそうだよ」
今学期最初の席替えが行われてから、1週間が経った。
あまり話していなかった人とも仲良くなり、不安も少しずつ、もう無いくらいに消えかけてきていた。
もう怖いものは無くなった。そう思っていた矢先にこんな悪夢を見てしまったのだけれども、所詮夢だし誰だって見るものだよね?…
最近調子がとても良い。生き生きしている気がするんだ。
「なー吉坂、そろそろ勉強会でもしないか? 中間近いし」
桜井くんにそう言われ、そういえばと思い教室のカレンダーを確認する。
5月9日――。
もうすっかりこの八ノ幡中に溶け込んだ生活を送っている。
桜井くん率いる僕達4人の仲は今も続いていた。ゴールデンウィークの休み中は4人で街に行き、学生らしい遊びが出来てなんだか嬉しかった。桜井君と有原さんが引っ張って僕と山田さんをいろんな所へ案内してくれた。あまり建物が密集した所に行ったことがなかった。そういえば、父さんと昔行ったっけ?
入学してからもう一ヶ月。近づいて来る中間テストにきびきびとした空気が学校中から伝わり始めている。
部活はまだ入っていない。悩んでいるうちにタイミングを逃してしまい、来年でもいいかな位の事として扱っている。
「なあ」
僕達の背後から突然声がした。
慌てて振り向くと、目の前に制服の襟に1学年を示す校章を付けた生徒が立っていた。
霧島隆二、クラスメイトだ。
ギロっとした目つきであまり周りからの印象が良くない、というか学校にも全く来ていないので話す機会すらもなかった。
「これ、お前らのプリント」
唐突に僕達の提出したプリントを強引に渡してきた。
「あ、うん。わざわざありがとう」
「……おう」
返事をすると、霧島君は教室に残っている他のみんなに同じような事を繰り返していた。
「なんだ? 愛想ねえ奴」
「そ、そんな事言っちゃ駄目だよっ!」
「フンッ てかあいつ、俺らのクラスにいたんだよな」
「そうだよ、たしか霧島君って名前だったはず。でもあんまり学校にも来ていないし、みんなとそこまで仲良くなっていないよね」
「なーんかよくわかんねえなぁー。 ま、放っておいてそろそろ帰るか」
「うん… そうだね」
なんだか悲しかった。
学校に何か事情があって来れずにいて、入学時に僕が不安がっていた孤独を今感じている霧島君に同情しているんだ。見下しているとか、安心しているとかではない。単純に仲良くなりたいと思ったんだ。
帰り道、桜井君と別れた僕は、商店街を通りながら駅へ向かった。
「あれって、霧島…君?」
コンビニから立ち去ろうとしていた姿をたまたま見かけた。
声をかけようともしたが、早足で帰ってしまったので出来なかった。
何かあったのだろうか、心配だけれどただのお節介だよね…
今度学校に来た時に話しかけようかな。少しでも彼の助けになれば僕は嬉しいと思っている。
「君、八ノ幡中の生徒だよね!?」
すると今度はコンビニの店員が焦った勢いで出てきた。なぜか目の前にいた僕目掛けて走ってきたのだった。
「はい、そうですけど…」
「今店から出て行った子、知らない?」
今… そんなの霧島君しかいないじゃないか。
「えっと、はい。いましたけど…」
「あの子、万引きの常習犯なんだよ。また今回も逃げられたなぁ…」
「え…?」
恐らく、その時の僕はくだらない正義感に浸りたかったのかもしれない。自分が霧島君を助けられるという勘違いをしていたのだろう。あの時の僕こそが真の偽善者だ。自分を良い人のように見せようと必死になって、当然の結果が後にやって来る。
すべてが消しゴムで乱暴に消されるように、僕の輝かしい青春が消え始める瞬間だった。