渡来幸太郎 1月18日(木)
今までよりも少し長めに書きました
1月18日(水) [8:00]
うちの高校が休校になったことを知った僕は、まずえりに連絡を入れた。
ラインでメッセージを飛ばすと、一時間くらい経って了承の返事がきた。
[13:00]
駅前の喫茶店で話しをすることになり、二十分ほどで身支度を済ませた僕は、約束の十分前には待ち合わせ場所である駅の東口に到着していた。
なんだか緊張する。何と言ったって、えりと学校以外で会うのは数年ぶりだ。
えりとは、幼馴染とはいえ、高校に入ってからはめっきり付き合いも減っていたので、今日誘うのにはかなり勇気を必要としたのだ。
えりは、昔と比べて、かなり綺麗になった。小学校の頃は、一緒に本とか読んだり、家でゲームとかして遊んでいたのに、最近は話すことすらない。 えりが、中学、高校にかけてどんどん綺麗に変身していったのに対して、僕はずっと本ばかり読んでいて、ろくに友達を作ろうともしなかった。えりがおしゃれな洋服のお店に行く予定を友達と話しているのを横目で見ながら、僕は好きな作家の新刊に思いをはせていた。友達とおしゃれな洋服を買いに行ったことなんて一度もない。今は友達がいないわけではないが、えりがいるグループと、僕のいるグループは全然タイプが違う。まぁ俗っぽく言ってしまえば、えりは陽キャラで僕は陰キャラと言われる類の人間だ。
まぁそんな有様になってしまったので、昔、僕がえりのことが好きだったという事実は、こっそりと胸の奥にしまってある。
センチメンタリズムな空気に浸っていると、横断歩道を渡ってくるえりの姿が見えた。こっちに向かって手を振っている。
「ごめーん。待った?」
駆け寄りながらそう言ってくるえりは、とても綺麗だった。洋服も、抑え目のワンピースで灰色のコンクリートによく映えている。
それらを素直に口に出せればいいのだが、生憎僕にそんな度胸はないため、ただ黙ってうなずく。
「五分くらい」
僕がそう言うと、えりはごめんねーと言って申し訳なさそうに頭を下げる。
なんといえばいいのか分からず、じっとえりの後頭部を見ていたら、えりはふっと顔を上げて「じゃあ行こうか」と言って歩き出した。
自分から誘っておいて、えりに喫茶店まで案内してもらった僕は、これはまずいと思いとりあえずえりを席に座らせた。
「注文、行ってくるから、ここで待ってて。何がいい?」
「ほんとに?ありがとう。じゃあ・・・これにしようかな。あっ、お金渡さなきゃ」
「大丈夫。おごる」
僕はそう言うと、えりに何か言われる前にカウンターへ急いだ。ちょうどお昼時とあって、店内は少し混んでいる。テーブル席はほとんど埋まっていて、そんな中テーブルに何もないまま待たせるのはかわいそうなので、できるだけ早く注文をし、席に戻った。
えりに、キャラメルブラウニーキャラメルフラペチーノという、名前にキャラメルが二つも入っている飲み物を渡して、向かい側の席についた。そんな名前なのだから、味のほうもさぞキャラメルしているのだろう。よく分からないが、えりが笑顔で飲んでいるところを見ると、おいしいもののようだ。僕は無難にコーヒーをすする。
店内を軽く見回す。少し警戒していた。駅前の有名チェーン店であるここには、よくうちの学校の女子生徒が来るのだ。いやまあ通いなれているわけでないから知らないが、ここの話をしているのをよく耳にはさむ。なるほど確かに入ってみると、お洒落な絵画や、小綺麗なインテリアなどが情緒を出しているせいか、落ち着いた雰囲気がある。中央のほうにある柱時計なんかは、素人の僕にも高価なものだと分かるし、店内にかかっている音楽も耳に残るでもなく、薄っぺらくもなく、ちょうどいい具合のセンスだ。ここで本を読んだりしたら確かに幸せかもしれない。
僕がきょろきょろしていたら、むかいでえりがストローを口から離してくすっと笑った。
「ここ来るの初めて?」
しまった。笑われてしまった。
「い、いや、何度かは・・・。あっ、クラスの子とかいないかなと思ってさ」
嘘を織り交ぜながら、必死で取り繕う。確かに僕とえりの間には、もはや取り返しのつかないほどの「差」があるが、僕もみんなの真似事くらいならできるはずだ。
そんな僕の焦りを知ってか知らずか、えりは声をひそめた。
「やっぱり、みんなの前じゃできないような話なのね?」
そう僕に尋ねてくるえりの瞳はきらきら光っていて、僕に昔一緒に遊んだ時のことを思い出させた。やっぱり、根っこの部分は変わっていないんだなと思って、僕は少し嬉しくなる。
「まぁ、うん。物騒な話というか・・・ね」
正直、鈴木先生のことを話す気分でも雰囲気でもなくなってきたが、前置きとして他に話すような話題もない。覚悟を決める。気つけにコーヒーをぐいっと見干すと、僕は座りなおした。ふうっと息を吐いて、話始める。
「実は、昨日、図書室司書で現国教師の鈴木先生が亡くなったんだ」
[14:00]
僕が話している間、えりは質問も挟まずに、じっと耳を傾けてくれていた。最初のほうこそ驚いていたが、僕が細かく状況を説明する段階になると、落ち着いてくれたので僕としても話しやすかった。
僕は昨日自分が体験したことの詳細から、憶測までを全て話し終えると、一度大きく息を吐いた。警察に緘口令を敷かれていたところまで話してしまったが、ま、いいだろう。問題は、この後だ。
とりあえず、えり、そして何より自分を落ち着かせるために、一度席を立って、コーヒーの追加注文に向かう。レジに並んでいる途中で、ふと後ろを振り返ると、えりはうつむいて、何か考え込んでいた。
「お待たせ」と声をかけると、えりは顔を上げて「おかえり」と微笑んでくれた。
なんだか「おかえり」って言われるのっていいな。なんていうか、親密度か一気に増すというか、友達以上っていうか、うん。いいね!
僕が脳内でそんなわけのわからないことをのたまっていると、えりは真面目な顔をして僕を見た。
「さっきの話だと、幸太郎はあみを疑ってるんだよね?」
僕は黙ってうなずいた。
そう。この話こそが今回えりをわざわざここに呼んだ理由だ。綾辻あみと一番仲のいいえりから、彼女についての情報を仕入れる。
「最初に言っておくけれど、私は、あみが鈴木先生を殺したとはとても思えない。これは別に友達だからというだけじゃなくて、ちゃんとした根拠があるの」
えりはまっすぐに僕の目を見て話す。
「というと?」
僕も目をそらさないようにがんばりながら、先を促した。
「昨日、あみには予定があったの。言っていいのか分からないけれど・・・これ、秘密ね?あみの無罪を証明するために言うけど、昨日あみは、桐生くんに告白する予定があったの。いや、実際に告白したのだけれど」
えりはそう言って悲しそうな顔をした。なるほどね。振られたのか。
「・・・それは、何時くらい?」
僕が質問すると、えりは視線を宙にさまよわせてから、苦笑いを浮かべた。
「そこまでは、分からないわ」
うーん。告白の予定・・・ね。今回のが計画的な犯行だとしたら、フェイクのためにあえてその日に告白を持ってきたって可能性も・・・なくはないよな。何といったって、あの日僕は図書室で彼女を見ているわけだし。
「でも、あみは鈴木先生と対して関わりもないじゃない。動機が見当たらないよ」
えりはそう言って綾辻を弁護しようとする。
けれど、僕は、動機らしいものなら、実はたった今見つけていた。
「確認したいんだけど、綾辻は桐生のことが好きだった・・・そうだよね?」
僕の言葉に、えりは首をかしげた。
「うん。でもそれはあまり関係ないと思うけど・・・って、幸太郎って桐生くんのこと呼び捨てで呼んでたっけ?」
おっと。
「あ、いや、ついね。失礼失礼」
引きつった笑い顔で誤魔化した。えりは怪訝そうな顔をしている。まずいな。えりは、昔から勘と注意力だけはいいんだ。
「ふーん。ところで、私は、犯人よりもまずは現場についてのほうが気になるんだけれど」
話題を変えてくれたことにほっとしつつ、僕はえりの意見に耳を傾けた。
「現場?」
「幸太郎が言っていたように、鍵となるのは『本』と『非常口に続くドア』よね」
えりは深刻そうな顔でつぶやく。
「まぁ、そうだね。不可解なのはその二つだ」
消えていた本と、鍵のしめられていたドア。
「そして、本を持ち出すことと、ドアの鍵を閉めることを矛盾なくこなせるのは、図書室に居た綾辻あみただ一人だって、そう言ったよね?」
「うん。言ったね」
えりは、一体何を言おうとしているのか。さっきのえりの発言で、綾辻の動機は確定した。犯行も、あの日の条件からすると、綾辻以外に可能なものはいない。あとは証拠品である現場にあった本か凶器を見つけ出せれば、かなり解決に近づけるはずだ。
「でも私、思うのよ。図書室に居たのはあみだけじゃなかったんじゃないかって」
えりは、そんな僕の仮説を根底から覆すような発言をした。
ん?どういうことだ?あの日の図書室には確かに綾辻あみ一人しかいなかった。それは僕が証明できる。
「ど、どういうこと?」
つい動揺で焦りが声に出てしまった。それに対してえりは冷静に一呼吸おくと、「図書室の秘密、知ってる?」と、ひそひそ声で言った。
「と、図書室の秘密?」
何だそれは。図書委員の僕ですら聞いたことがない。
「うちの学校の図書室の、一番奥の列の本棚。その二つ目と三つ目の本棚の間に、人が二人入れるくらいの、謎の空間があるのよ」
何だそれは。
「え、じゃあ、ちょっと待って」
ぐるぐる回る頭を落ち着かせるために、コーヒーを一口飲んだ。
「じゃあ、犯人は図書室を飛び出した僕を確認して、先生の部屋の本を回収して非常階段へ続くドアの鍵を閉めた後に、そこのくぼみに隠れていたってこと?」
「そうじゃないかな!」
えりはどうだ!といわんばかりにあごに手をそえてこっちを見ている。
えーっと・・・。
いやいやいや、ありえないだろう。だって、仮にあの場所に綾辻以外の人間が居たとしたら、司書室にいた僕、そして、図書室にいた綾辻からも隠れなければいけなくなる。仮にその謎のくぼみがあったとしても、移動はどうするんだ。第一、そんな空間なんて存在しないだろう。
「ま、まあ、可能性はあるかもね」
僕は、そう言ってひとまずは表向き肯定の意を示した。えりは、「そうだよ。あみは犯人なんかじゃないんだよ」と言って空気が抜けた風船のように椅子の背もたれになよーっと寄りかかった。
何だ。結局は友達を守るためのとってつけの意見だったのか。
「じゃあ明日、その図書室のくぼみを確認することにする」
僕が表向きそう言うと、えりは、「じゃあ私も一緒に行く!」ときらきら瞳を輝かせて言った。
うーん。一人で行くつもりだったけれど、まあいいか。
「へへへ」
えりはこっちの気も知らないで一人で笑っている。
「どうしたの?」
十分すぎる情報が手に入ったし、話が一段落したので僕も力を抜いて、気を緩めてえりに尋ねた。
「いや、幸太郎と久しぶりに会ったけど、昔と変わんないなあって思ってた」
えりがこっちを見てにこにこしながらそう言う。なんだか照れくさくなって僕は顔を伏せた。
確かにこうして向かい合って話していると、小学六年生の頃の図書室で一緒にいたことを思い出す。
窓から暖かい日差しが差し込んで、外のほうからはクラスメイトの元気に遊ぶ声が微かに聞こえていたのを覚えている。あの時期、どんなに天気がいい日でも、僕らは図書室の、あの窓際の机にいた。本を読んでいたのはたいてい僕だけで、えりは折り紙をしたり、絵を描いたりと好き勝手していた。僕が本を読むのに疲れて顔をあげた頃には、えりは画用紙や折り紙をほっぽって、うたたねしていることがしょっちゅうだった。たまに僕もつられて寝てしまい、チャイムの音で起きて、授業に遅刻したことも何度かあった。
お互いが黙っていても、なぜか一緒にいるだけで心地よかった。
あの幸せな時間に、僕は何度えりに告白しようとしたことだろう。そして、決心して顔をあげた先の、えりのうたたねしている様子に何度拍子抜けさせられたことか。
・・・でも、今は違うんじゃないだろうか。今僕が顔をあげた先でえりがうたたねしてるなんてことは、きっとない。今なら・・・。
そう思いながら僕は顔をあげた。その先にいるえりは、やっぱりうたたねなんてしていなくて、まっすぐにこっちを見ていて、その姿はとても綺麗で、でも、だからこそ、僕は何も言うことができなかった。
僕のことを変わっていないとえりは言った。確かにそうだ。僕は変わっていない。何一つとして。でも、えりは変わった。とっても綺麗になったし、あの頃と違って体も強くなった。もう休み時間には校庭で遊べるし、急に入院するようなこともない。病弱なのが理由でクラスメイトに馬鹿にされることもない。僕なんかと一緒に図書室なんかにいなくても、他に仲良くしてくれる友達がたくさんいる。
「えりは、変わったね。綺麗になった」
僕は、待ち合わせの時に言えなかった言葉を言うだけで、精一杯だった。
[15:00]
しばらくした後で、特にすることもないので解散になった。空になったグラスを返し、固まった筋肉をほぐして苦笑いしながら、二人で店を出た。空を見ると、朝と変わらずに太陽が照っていて、寒さはそれほど感じなかった。駅の前まで行き、明日の昼休みに図書室に行く約束をして、「それじゃあ」と言い、えりを見送った。
僕はその後姿をしばらく見ていたが、「よし」と気持ちを切り替えると、さっきの道を戻った。
そして、再び店内に入り、本日三度目のコーヒーを注文して、さきほどの席に腰掛けた。
そのままケータイを取り出し、電話をかける。
コール音が鳴り、留守電に切り替わる直前で桐生が電話に出た。
『もしもし?』
篭ったような声が聞こえる。寝起きだっただろうか。いや、今はもう三時だ。それはないだろう。
「いや、ちょっと話したいことがあってさ。今から駅前これない?」
『あーごめん・・・今日は・・・』
「パス」と言われる前に、僕は必殺技を使うことにした。
「頼む!来てくれたら、お前が欲しがってたサイン本やるから!」
「行く」
そう言って桐生は通話を切った。
あまりの素直さに通話口を見ながら思わず苦笑いが漏れる。いやあこんな桐生を綾辻あみが見たらどう反応するだろうか。
気になるところだが、綾辻あみに関してはこれからいろいろ分かるだろうし、とにかく今はおいておこう。
桐生が来る前に考えをまとめたい。
僕はアイスコーヒーをすすりながら、さっきのえりの話を脳内で反芻する。
綾辻あみは桐生のことが好きだった。
なるほど。僕は色恋沙汰事情には疎いので、この話は初めて知った。でも僕は、綾辻あみが一つのことに異常なほどに執着する性格であることは知っている。それは、クラスで彼女と接していなくても、遠目から見ているだけで十分に分かる。この前の文化祭なんて、クラスで作るはずだったマスコットキャラクターの気ぐるみ、いろいろ面倒で頓挫になってみんな放り出したのに、あいつ一人で作っちゃったもんな。放課後の美術室をのぞくと、ほとんど毎日のように一人で残っていて、何だか気味悪かった。
えりはそれを「まっすぐ」とか「一途」という言葉で表しているけれどそんな綺麗なものじゃない。あれは「執着」だ。
そんな綾辻あみが人を好きになったとしたら、そこにかけられる執着の比重は、かなりのものだろう。
それこそ、ストーカーとか平気でしてしまうくらいには。
そして・・・
「ごめん、待たせたね」
僕の考え事を、桐生の声がさえぎった。顔をあげると、目の前に僕に向けて片手を立てて謝罪の意を示している桐生の姿があった。いつの間に店内に入ってきていたのか、もう片方の手には既に注文を終えた飲み物が握られている。
桐生はさっきまでえりが座っていた、向いの席に腰掛けた。ジーパンにパーカーという、いつもどおりのラフな格好だ。桐生は席につくなり、息をつく間もなく僕に尋ねる。
「本は?」
全くこいつときたら。
僕はため息をついて呆れた目で桐生を見た。
「今日は持ってきてないから、今度でいいかな?」
桐生は一瞬残念そうな顔をしたが、「絶対ね」と言うと満足げな様子で椅子に寄りかかった。
本当に本の話になると人が変わるのだから。いや、人が変わるって点で言えば、本には限らないか。
桐生圭吾、こいつは、僕の友達だ。アウトドアな見た目どおり、サッカー部のエースを務めている。物腰は柔らかく、成績も良い。誰にでも優しいし、二枚目なので、女子からも持てるし、男子で桐生を酷く毛嫌いするようなのもいない。家もお金持ちで、なんとも否定するところが見つからないぐらい人間が出来上がっている。
ただし、学校限定。こいつには、裏の顔がある。
「で、渡来があの稀こう本を手放すくらい面白い話って、何?俺、そっちのほうも気になってんだけど」
桐生はそう言ってドリンクをずずっとすすった。ほら、学校のやつがいないとこいつはいつもこうなる。
「いいのか?ここ、学校のやついるかもしんないよ?」
僕が忠告すると、桐生はドリンクを飲むのを止め、冷や汗を掻きながら周りを見回した。
「おっと。いけないいけない。僕としたことが」
そう言いながら一通りあたりを見回して、誰も知り合いがいないことを確認すると、桐生は「ふいー」と息を吐いてもう一度椅子に深くもたれかかった。
僕は本日二度目の呆れ顔で桐生を見て言う。
「お前のその器用さには、ほんとに舌を巻くよ。ていうか気味が悪い」
「悪かったな気味が悪くて。ON・OFF切り替えなきゃ、こっちも息できないっての」
「にしても、お前、もう人格変わるレベルで使い分けてるよ。疲れないの?」
僕の質問に、桐生はははっと軽快に笑った。学校でのこいつなら、考えられないような笑い方だ。
「疲れないよ。もうとっくに慣れたっての」
桐生はそう言ってまたはっと笑う。
そう、桐生圭吾は、性格を使い分けている。親の目が届く範囲、つまりは、学校や、家、また親が接触する可能性のある人の前では、完璧に好青年を演じきっている。
桐生の家は、かなりの名家だ。一家代々、かなり昔から、医者を輩出してきたらしい。桐生のお兄さんも、お父さんも、おじいさんも全員医者で、大きな病院を持っている。そんな家に生まれたために、桐生も医者になる宿命を背負っているわけなのだが、桐生は医者になりたくないと言う。彼は小説の類が大好きで、将来はそれを書いて暮らしていきたいらしい。でも、それが親に知れたら、大変なことになるので、親に絶対にばれないようにそれを隠している。
そしてまた、それが始まりだったようだ。
本が好きなのを隠しているうちに、桐生は他のことも隠すようになった。具体的に言うと、親が望まない部分を隠すようになった。それはたとえば荒い言葉遣いであったり、あふれ出る好奇心であったり、小説のことになると異常に回りが早くなる舌であったり。そう言ったいろいろを隠していった結果、親の前では「医者を目指して日々邁進する優等生な息子」として。一部の限られた人の前では「日々の束縛から脱したハイでクールなナイスガイ(自称)」として過ごすようになった。
親が桐生を縛れば縛るほど、本当の桐生はどんどん奔放になっていき、今となっては二つの桐生の間にはかなりの差が生まれた。
これがいいことなのか悪いことなのか分からないが、とにかく僕は、桐生の本性を知る数少ないうちの一人だ。
僕が桐生の裏の顔を知ることになった経緯は・・・確か、本がきっかけだった気がする。よく覚えていない。
「で、話って何だよ?」
桐生は、目を大きく開きながら、興味津々な様子で前のめりで尋ねてきた。こうして目つき一つ見ても、本当に雰囲気が変わる。まあ、僕もいい加減慣れたけどね。
「そうだった。ええっと、どこから話すかな」
やはりまずは、先生が死んだところからだろうか。
「今日学校が休校になった理由についてなんだけど」
僕がそう切り出すと、桐生は途端に悲しそうな顔になった。こいつは学校や親の前では、こんな顔すらしない。
「鈴木先生が死んだんだろ?」
「え」
何だ、知っていたのか。
「うちの病院に運ばれてきたんだ。担架で手術室に運ばれてくのを見た」
そう言う桐生の顔はつらそうだった。眉間にしわがよっている。その時のことを思い出しているのか、苦しそうな表情だ。無理もないか。こいつは教師の中で、鈴木先生だけは唯一信頼していたんだから。桐生はミステリー小説好きの先生には、素の自分を見せていたように思う。まぁ、今日は、そのあたりのことも聞くつもりで呼んだのだ。
「実は、今からしたいのはその話なんだけど・・・」
つらそうな桐生を見て、自然と言葉が尻すぼみになる。僕も鈴木先生とは仲がよかったほうだが、この反応を見る限り、桐生は先生のことを僕の予想以上に慕っていたようだ。おそらく、僕とは比べ物にならないくらいに。さっき電話に出た時にいつもと様子が違ったのは、そのせいかもしれない。
そう考えると、なんだか申し訳なくなってきた。
「あの、なんかごめん。やっぱりやめるよ」
僕がそう言うと、桐生は睨むような目でこっちを見た。
「いや、聞く」
桐生は唸るように言った。
桐生の気迫に押され、何も言い返せなかった僕は、とりあえず気分を落ち着かせるためにコーヒーをぐいっと飲んだ。
そして、先ほどえりにした話を、もう一度話す。
[16:00]
桐生に一部始終、いや、全部始終を話した。
えりとは違い、桐生は僕の話に細かく質問や確認をはさんできたため、全てを話すのには結構時間がかかった。先生の死体発見の場面なんかは、明らかにダメージを受けている様子で、僕は話を続けるか迷ったが、桐生が話してくれというので結局隠さず全てを話した。
話し終え、すっかり氷の溶けたコーヒーを飲む。グラス越しに桐生をちらっと伺うと、桐生は腕を組んで暗い顔で下を向いていた。
いつもの様子からあまりにかけ離れた桐生を見て、俺は黙っていることしかできなかった。こんな時に、えりだったら何か声をかけてあげられるんだろうけど、対人スキルがゼロの俺にはどんな言葉をかけたらいいか分からない。なさけなく視線を左右に動かすことしかできない。
重い沈黙の後で、桐生はようやく口を開いた。
「お前は、鈴木先生を殺した犯人を捕まえようとしてるのか?」
桐生は下をむいたままそう言った。
「そうだよ。僕は、鈴木先生を殺した犯人を探し出すんだ」
僕は、彷徨わせていた視線を桐生にまっすぐ注いで言った。
桐生はしばらく黙っていたけれど、やがて大きく息を吐くと、顔を上げた。その表情は、まだ弱冠曇ってはいたけど、さっきよりは明るく、憑き物が落ちたかのように見えた。
「俺も、協力させてくれよ」
テーブルの上に置かれた桐生の拳は、強く握られていた。僕も無意識にテーブルの下に組んでいた手に力がこもる。
「ありがとう。必ず一緒に犯人を探し出そう!」
[17:00]
桐生助手の話をまとめると、こうだ。
昨日桐生は、午後五時半頃に、綾辻に告白をされた。あらかじめ断るつもりでいた彼は、綾辻の話を一通り聞いた後で、返事をした。その時の綾辻には特に変わった様子もなかったし、身なりも態度も自然だったという。
もし僕の推理が正しければ、綾辻あみは午後四時半頃に先生を殺害しているはずだ。桐生に告白した時に、何かぼろをだしていないかと思ったのだが、どうやら何もなかったらしい。
「犯行可能な人が、綾辻さんしかいないってだけで容疑者にするのは、安易すぎるかな?」
僕の質問に、桐生は首をかしげた。
「いや、犯人だと決め付けるのは確かに安易だけど、容疑者に上がるだけの条件は揃ってる。疑ってかかって問題ないと思うぜ」
「そうだよね」
僕が考え込もうとすると、桐生がそれを止めるかのように口を開いた。
「ただ、綾辻は鈴木先生と全く関わりがないよな。動機のようなものが全くなさそうなんだけど」
「あぁ、それなら」
僕は先ほどえりに話を聞いた時のことを思い出した。
一度咳払いをして、桐生の注意をひきつける。
「桐生さ」
「ん?」
「鈴木先生のこと、好きだったよね?」
俺の言葉に、桐生は一瞬固まった。
「ううん?そんなことないよ?」
固まった後で、綺麗な笑顔を作って俺の言葉を否定した。敬語になっている。そして、非の打ち所のない営業用スマイル。キャラを使い分けるのはいいが、俺の前でその好青年キャラ見せないでほしい。気持ち悪い。
「はい嘘。先生と話してる時の桐生見ればバレバレだったよ」
俺がそう言うと、桐生は途端に笑顔を崩し、むすっとした表情になった。
「何だよ。怒らなくてもいいじゃないか」
僕がそうなだめると、桐生は困り顔になって頭をかいた。
「まぁ・・・な。もういない人だしな。あぁ、好きだったよ」
「それは恋してたって意味で?」
「そうだよ!悪いか!」
僕は真面目に質問したつもりだったが、桐生は茶化していると受け取ったのだろうか、少し粗雑な口調で返事をした。むきにならないでよ。
「というか、この話、動機の話と関係ないだろ。軸を戻そうぜ」
やれやれといった口調でそう言ってくるが、綾辻あみが先生を殺害した動機の軸は、ここにあると僕は考えている。
「桐生。よく聞いてほしいんだけど、もし綾辻あみが、『桐生が好きな人は先生』だってことを知っていたとしたら、どうかな?」
僕の言葉にしばらく桐生は首をかしげていたが、やがて理解したようで、目を見開いた。桐生が前傾になる。
「お前、まさか、綾辻あみは、俺と付き合うために先生を殺したって言いたいのか?俺が先生のことが好きなら、先生を殺してしまおうって?」
「そう。動機は『痴情の縺れ』ってかんじかな」
僕がそう言うと、桐生は苦々しげな表情を浮かべた。そんな可能性を考えたくもないって顔だ。
「・・・いや、ドラマでもないんだし、俺たちは高校生だぜ。綾辻がそんな理由で先生を殺したなんてありえない」
「でも、考えてもみてよ。あの綾辻あみだよ?」
僕は桐生に問いかける。綾辻あみの性格については、僕より桐生のほうがずっと分かっているはずだ。桐生は何かを思い出そうとするかのように黙り込んだ。
「・・・まぁ、あいつが俺のこと好きだってのは分かってたんだ。黙っていても伝わってくるくらい念がすごかったしな。・・・中学の頃から好きだったって噂も、聞いたことある」
「・・・てことは、綾辻は少なくとも三年間、桐生のことを思い続けてたってことだよね?」
「・・・そうなるな」
僕は一度黙った。
綾辻あみが桐生を自分のものにするために先生を殺害。可能性としてありかなしか。普通の高校生だったらありえないだろうけど、綾辻あみとなると・・・
「まあ、ありえなくはない・・・かもしれないな」
桐生は真顔でつぶやいた。その顔からは少し血の気が引いている。
「でもだとしたら、俺は綾辻のこと、マジで許せないんだが」
「・・・まぁ、綾辻あみを犯人だと仮定すると、とんでもないことになるからね。だって、先生を殺した数分後に、その先生のことを好きだった桐生に告白しにきたんでしょ?それもいつもと変わりない顔で。とんでもなく肝が据わっているか、サイコパスかのどちらかだね」
僕がそう言うと、桐生は目を覆って歯軋りをした。
「綾辻・・・許せねえ」
その様子にただならないものを感じて、僕はあわてて言う。
「いや、ちょっと待ってよ。まだ綾辻あみが犯人だって決まったわけじゃない。少しずつ確かめていかないと」
僕の言葉に桐生は歯軋りをやめると、手を顔からはずして、明るい顔に戻った。
「あぁ、そうだよね。わりい」
少し好青年モードに切り替わっている。けれど、その笑顔はどこか空々しくて、僕は背筋に冷たいものを感じた。
「と、とにかく、さっきも話したけど、明日図書室に行くから昼休みは空けておいてね」
「・・・あぁ、分かった」
桐生は現場の本と、非常口についてはあまり追求しなかった。まぁそっちの話は、えりとの話でだいぶ整理できたし、桐生とは第一容疑者の綾辻の話ができたから、十分だろう。
別れ際、桐生の様子が少し気に掛かったが、今日はそのまま解散となった。あいつ、早とちりで綾辻あみのとこに向かったりしないよな?
「・・・まぁ、そこまで馬鹿じゃないか」
この件は、慎重に動かなければいけない。とにかく明日は図書室の謎の空間の存否について確認し、あわよくば、消えた本の行方を突き止めたい。
それにしても、桐生は先生のことが本当に好きだったんだな。
先生の話をする度に泣きそうになっていたのが、僕には分かった。あれで隠してるつもりだろうけど、変なところで不器用なのは桐生のいいところかもしれない。
「さて・・・」
空を仰ぎ見ると、冬の空はもうすっかり暗くなっていた。
まだまだ続きます