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渡来幸太郎 1月17日(水)

主人公交代

 1月17日(火) [16:45]




 一瞬、何がそこにあるのか理解できずその場に立ち尽くしてしまった。

 そして、いつか我が家でゴキブリを発見した時と全く同じ動きで後ろに飛びのいた。

 

先生が、うつぶせで床に寝転がっている。


こうして倒れているのが、もしえりだったら僕だっておふざけだと理解して華麗にスルーしただろう。けれど、大の大人がこうして寝転がっているのには、おふざけで片付けられない異様さがある。とてもスルーできるような状況じゃあない。



 何かにつまずいたんだろうか。司書室を一通り見回してみるけれど、先生が倒れた原因になるようなものは見つからなかった。相変わらず先生の机の上にはハードカバーの小説が山積みになっているし、職員用のパソコンは起動している。

 冷たい風が顔にあたって、そちらのほうを見ると、裏手の階段に続くドアがわずかに開いていた。

 先生がドアのほうに向かって倒れているところを見ると、ドアを閉めようとしたときに何かあったらしい。


 近づこうと、さっき飛びのいた分の距離をじりじり詰めたところで、気づいてしまった。


 血が流れ出ている。


 傷口は確認できないが、おそらく顔の部分から、半径三十センチくらいの血の水溜りができていた。

 普段無口な僕だが、やはりこういう時も声はでないものなのか、叫び声をあげるより先に、震える手でケータイを取り出していた。

 

 「あ、ああ、110番しないと・・・あ、それは警察か・・・えっと、きゅ、救急車」

 

 混乱した頭のまま119に電話すると、冷静な人の声が聞こえてきた。

 こちらもどうにか頭を落ち着かせ、住所と先生の状態(頭部から血を流して倒れている)を伝えた。

 それ以外に自分が何を話したか分からないまま電話が切れた。

 

 えっと・・・あ、救命措置!


 血を踏まないようにおそるおそる先生の傍まで行き、そっと長い髪を分けた。真っ白なうなじがあらわになる。少し白すぎだと思うのは気のせいだろうか。まずは脈の確認。

 そっと首に触れた。

 触れた瞬間、冷たさが肌に伝わり、自分の体の芯まで冷え切った気がした。思わず手を引っ込めた。

 もう一度、首に触れる。背筋が凍るような冷たさにまたもひるんだが、今度は負けずに脈を捜した。

 

 確か、あごの下あたりだったか。

 おそるおそるその部分に手を近づける。

 脈は通っていなかった。

 耳を近づけても、呼吸の音もしない。


 「・・・死んでる」

 

 床の血はまだ赤々としていて、天井の照明の光を受けて不気味に光っている。


 「そんな・・・」


 ぐらぐらと立ち上がって、先生から、いや、もうこれは先生じゃない。その死体から離れようとした。けれど、血だまりに足を滑らせ、その場に転んでしまう。制服の袖に先生の血がつき、頭がくらくらした。

 元々僕は、血が嫌いなんだ。

 涙目で後ずさりながら、何でこんなことになっているんだと考える。

 図書当番を終えて、ついでに現国の課題を提出するために司書室に寄っただけなのに・・・。

 さっさと帰っていればよかった。

 何でいつもどおり当番さぼって帰らなかったんだよ。

 くそ、どうして。

 そこで、自分が珍しく当番に出た理由を思い出した。

 そもそも僕がここに来た本当の理由は、あの本を見せてもらいたかったからだ。

 司書室を見回すと、例の本は、倒れている先生自身の手に握られていた。表紙にタイトルが書かれていないそれは、話に聞いていた通り綺麗な装飾がほどこされていた。黒い背景に大きなハートマーク。その本をしっかりと抱きかかえるように死んでいる先生を見ると、胸が苦しくなった。

 とにかく、人を呼ばなくては。すぐそこに教員室があるはずだ。

 廊下に出るために、とりあえずさっき自分が入ってきたドアから図書室に入った。司書室から出るためには、一度図書室に入った後に図書室のドアから廊下に出るか、裏手の非常階段から外に出るしかない。

 混乱した頭のまま図書室に入ると、本棚の影をぶらついている女子生徒が見えた。よく見ると、その生徒というのは同じクラスの子だった。確か綾辻あみとかいったっけ。自分の好きな作家と同じ苗字だったから名前は覚えていたが、自分とはどうも相性の合うわないタイプだ。

 綾辻あみは、辞典コーナーを夢遊病者のように彷徨っている。本を出しては戻して出しては戻してを繰り返して、じりじりと進んでいるようだった。

 先生を呼んできてもらおうかと思ったけど、こんなときでもできればかかわりたくなかったので、そのまま自分の足で図書室を出た。




[17:15]




 連れてきた先生二人は、死体を見るとかなりうろたえて、ひたすらおろおろしていた。「AEDは・・・いや、心臓マッサージ・・・」とか言ってる間に救急車が到着した。救急隊員の人達は冷静に状況を把握すると、担架で先生を運んでいった。それとほぼ同時に警察が来て、現場の封鎖と鑑識を始めた。僕は第一発見者ということで、一応はその場に残された。

 鑑識の人たちは、先生が倒れていた体勢をチョークでかたどり、その後に現場の捜索を始めた。机から指紋をとっている人もいた。

 一人の警察官が、外階段に通じるドアに手をかけてあけようとしたけれど、鍵が閉まっていた。そのドアは内側から鍵をかけるものだったから、つまみを回して一度鍵を開けてドアを開き、その階段から外に出て数秒で戻ってきた。

 血を綺麗にふき取っている人もいた。顔をしかめる様子もなく、みんなただ黙々と作業をこなしている。

 僕はそういった光景を横目で見ながら、警察の質問に答えていた。

誠実に答えたつもりだったけど、死体発見の衝撃で、どこまで正確に話せたかわからなかった。

 それに、話さなかったことも二つほどあった。




[21:50]




「疲れた・・・」

 

 疲労感と倦怠感を孕ませた声を出しながら、僕はようやく自室のドアを開けた。

バッグや上着を布団の上に放り投げ、その上に自分もダイブする。

 頭がぐらぐらとし、仰向けに見た天井が一瞬揺らいで見えた。瞬きを繰り返して、それが収まるのを待つ。既に時刻は十時前で、身体は疲れきっていた。何しろ帰ってきたのが今さっきだ。それまで、警察に取り調べを受けたり、学校側に事情を説明させられたりで、なかなか帰してもらえなかった。

 まあ、確かに警察での取調べも、先生陣の狼狽を見るのにも神経を使ったが、一番精神的にまいっているのは、生まれて初めて死体を見てしまったことだ。

 生まれてから今までに至る間、僕は一度も人の死を見たことがなかった。事故の現場や、誰かの最後を看取ったことがないのはもちろん、葬式に参列したこともない。

そんな僕に、いきなり血を流した死体は、強烈すぎた。

 しかも、鈴木先生は、事故や病気でなくなったのではないそうなのだ。警官のおじさんも、はっきりとは言わなかったけれど、取調べの雰囲気や、現場の厳正な立ち入り禁止具合を見るには、どうもこれは殺人のようなのだ。

 警官の質問にも、明らかに犯人を捜すためだと思われるものが混じっていたし、学校側から、このことは絶対に他言禁止だと迫られた。

 鈴木先生が、殺されるなんて、考えてもみなかった。

 体の疲れに反して、眠気は全く来ない。

 いや、まだ寝るつもりはない。この後風呂に入った後に親に事情を説明しなければ。

 それでも目に入ってくる照明がまぶしくて、僕はとりあえず、目を閉じた。



 鈴木先生は、優しい先生だった。生徒に好かれていて、休み時間なんかは、先生の周りにはいつも誰かしらいた。オープンな人なので、聞かれればケータイの番号も教えていたし、女子生徒と、好きな歌手や俳優の話なんかもしていた。授業をするのもうまくて何より綺麗で若かったことから男子にも人気があった。基本温厚な性格だったけど、芯は強くて、悪さをする生徒がいるとなあなあで済ませようとはせず、しっかりと叱った。今時、廊下に立たせたりする先生は珍しいんじゃないんだろうか。その若いわりには尖ったやり方で、他の先生から多少の反感は買っていたようだ。けれど生徒の前ではそんなことはおくびにも出さなかった。僕自身、先生とは図書委員でしか関わりがなかったが、ずいぶんと叱られたし、お世話になった気がする。何より、先生とする本の話は楽しかった。

 本に関して、僕は特にこれといったものはなく、面白そうなものがあれば雑多に手当たり次第読んでいくタイプだ。それに対して、先生は推理ものが好きだった。授業の時、生徒に自習をさせておきながら、自分は文庫本を開いているなんてことがざらにあった。

 図書室に新刊が入ったら、基本僕が先に読んで、面白かったものだけ先生に報告して先生もそれを読む。それで二人の意見が一致したものだけ、図書室のおすすめコーナーに並べるという作業は、楽しかった。そのおすすめコーナーに本を並べながら、「この本はほんとに面白かったね。」とか「この作者は心理描写がうまいですよね」とか色々話したのを覚えている。

 一度だけ、先生のほうから僕に進めてきた本があった。タイトルは『赤い水面』。作者は忘れた。やっぱり推理もので、殺人シーンが具体的で生徒にこんなもの勧めていいのかと思ったのだが、後半に行くにつれて僕はページをめくる手が止まらなくなっていた。

 この小説の主人公のように、鮮やかに事件を解決できたら、どんなにかっこいいだろうかと考えたりもした。

 翌日、本を返した僕が「面白かったです」と言うと、先生は嬉しそうに何度も「本当?本当に?」と念を押してきた。僕が「はい」と言って具体的な感想を話すと、先生は心から嬉しそうな顔をして「そっかぁ」と呟いた。


 今日、僕が司書室に入ったのは、先生が「また読んでもらいたい本があるから」と、僕を呼んでいたからだ。でも実際に司書室に入ってみると、先生はその本を片手に持ったまま殺されていた。



 目を開けると、目の前の照明がかすんで見えた。自分の目に涙がたまっているせいだと気づくのに少しかかった。


 鈴木先生は、殺されたのだ。そして、殺された人がいるなら、必ず殺した人がいる。


 今回の事件の第一発見者は僕だ。『赤い水面』の主人公も、確か事件の第一発見者じゃなかっただろうか。

 僕は布団の上でもう一度ゆっくりと目を閉じた。その拍子に涙が一滴こぼれる。

 『赤い水面』を両手に抱えて、嬉しそうな顔をする先生の顔が目に浮かんだ。

 「この小説の主人公、幸太郎くんに少し似てるかもね。」

 あの時先生はそう言っていた。

 僕も、あの主人公のように、事件を解決できるだろうか。あの小説は確か、ハッピーエンドだったはずだ。




[10:30]




 風呂につかって体を休める一方で、頭はフル回転させる。

 まずは状況を整理しよう。

 『赤い水面』の主人公は、いつどこでだれがどうしたかを整理していた。推測の域を出ないが、やってみるしかない。


 まず、いつ。先生はいつ殺されたのか。

 僕が今日最後に先生を見たのは、午後三時半、図書当番のために図書室に来た時だ。先生は当番の後に自分のところによるように僕に伝えると、司書室に入っていった。そして僕が倒れている先生を発見するまで、ずっと出てこなかった。僕が先生の死体を発見したのは四時四十五分。つまり先生が殺されたのは、三時半から四時四十五分の間となる。けれど、先生から流れていた血は、まだ固まっていなかったし、言い方はおかしいかもしれないが、まだ新しかった。それを視野に入れると、先生は僕が司書室に入る直前に殺されたと考えるのが正しいかもしれない。見積もって、四時半から四時十五分と言ったところだろうか。こればっかりは正確なところはわからない。


 次に、どこで。先生はどこで殺されたか。

 これは、どう考えても司書室だろう。誰かが他の場所で先生を殺害して、その後に司書室に運んできたとは考えにくい。司書室は全く荒れていなかったし、そのような痕跡もなかった。第一僕は先生が司書室から出るところを見ていない。ただそれを言ってしまうと、司書室に入っていく人も見ていない・・・。


 誰が。先生は誰に殺されたか。

 これは、犯人だ。


 そして最後に、どうしたか。これはつまり、犯人がどうやって先生を殺害したかを指す。

 僕は先生の死体の傷口を見ている。

 あまり思い出したくはないが、傷はつむじより少し上のあたりにあった。刺し傷や切り傷ではなく、どう見てもえぐれているかんじだった。あの傷口を見る限り、犯人は先生を撲殺したんだろう。傷口が少し深かったところを見ると、凶器は刃物とまではいかないが、少し鋭利なものだと推測できる。ただ、司書室は本当にいつもどおりで、凶器らしいものは見ていないし、多分見つかっていない。それに何度も言うが、現場もあらされていなかった。

現場があらされていないということは、強盗など、外部から金銭などを目的として襲う無差別的殺人ではないということになる。また、現場が荒れていないというのは、先生が抵抗する間もなく殺されたことを意味する。

そう考えると、先生は犯人に不意打ちの形で頭部を何かで殴られて死亡したということになるが。


 とりあえず今の推測をまとめてみる。


 鈴木先生は、四時半頃、司書室で、犯人に不意打ちの形で後頭部を殴られ殺害された。


 ここまでは状況を見れば誰にでも分かることだが・・・。


 これにプラスして、明らかに不可解なことがある。


 僕が死体を発見した時に見た司書室と、その後に先生を連れてきた時に見た司書室とで、明らかに違う点があった。


 一つは、先生の手に抱えられていた例の本がどこにもなかったこと。

 もう一つは、外階段へ続くドアが閉まっていて、なおかつ鍵がかけられていたこと。


 これは一体どういうことだろう。僕が先生が死んでいるのを確認した時には、確かに本はあったし、外階段のドアも珍しく開いていた。僕が助けを呼びに行っている間に、誰かが司書室に入って本を奪い、外階段の鍵を閉めたということだろうか。


 なぜ。そして、どうやってそれを実行したというんだ。


 あの時僕は、隣の教員室に助けを呼びに行った。図書室と教員室は隣り合わせで、助けを呼びに出たのはせいぜい三分程度。その間、図書室から人は出てこなかった。いくら動揺していたとはいえ、自分の後ろを人が通れば分かるように注意を払っていたし、教員室の中に入らずに、入り口で先生を呼んだから、図書室から人が出てこなかったのは絶対。また、図書室に入っていった人もいなかった。

そして、司書室にある外階段につながるドアは、中から鍵をかけられても、外からはかけられない。鍵をかけて外に出るには、必ず図書室のドアから出てこなくてはいけない。


 ということは・・・どうなる?

 

 あの限られたタイミングで司書室に入れたのは、あの時図書室にいた人だけということになる。

 もし本を奪い、鍵を閉めた人物が、鈴木先生を殺した犯人だとするならば。犯人は、図書室にいた人の中にいることになる。


 そして、僕の記憶が正しければ、あの日、図書室に居たのは、綾辻あみただ一人だ。


 鈴木先生を殺した犯人は、綾辻あみ?


 高速で回り始めた脳にブレーキをかけ、僕は湯船からあがった。ノズルをひねり、まだ冷たいシャワーを頭にかける。


 決め付けるのはまだはやい。

 ・・・でも、もし綾辻あみが犯人なら、あの本を持っているはず。それが決定的な証拠になる。

 確かめてみる価値はあるかもしれない。



 そういえば、えりは綾辻あみと仲が良かったのではなかったか。


 ・・・幼馴染のよしみで、それとなく探りを入れてもらえるよう、頼んでみるか。


 そうなると、えりにはこの事件のことを話さなければいけないな。

 あいつは変なところで頭がいいから、中途半端な嘘はすぐに見破られる。


 とりあえず今日は疲れた。風呂から上がったら、もう眠ってしまおう。


手がかり編

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