第一章 第三話
ラルヴァ王子はキリアを自身の別宅に連れ込んだ。
流石に王宮に連れ込む訳にもいかない上、彼女の存在はなるべく他人に知られたくなかったからだ。
尤も、一口に別宅と言えど王族のソレである。
他国からの賓客を迎える程度には豪華で、部屋も三十以上あり、下手な貴族の屋敷よりも大きい。
それでも、屋敷近くの小屋には警備兵がラルヴァの私生活を乱さない程度には詰めているのだ。
そんな屋敷に王族自らが身元も分からぬ少女を連れ込んだのだ。
──これが問題にならない筈はない。
……のが普通だが、正直な話、この屋敷にラルヴァは幾度となく愛妾どころか、町娘や酒場女までもを連れ込んだこともあり……警備の者たちもこの程度の王子の奇行には慣れっこだった。
──今さらボロボロの少女一人、問題にするまでもない。
兵たちはそう判断したらしく、キリアは完全にノーチェックで屋敷内へと通されることとなったのだ。
「美味いか?」
「……おいし。こんなの、はじめて」
「そうか、まぁ、そうだろうな」
「……ん」
そんな別宅にキリアを押し込んだラルヴァは、取りあえず食事を与えていた。
何しろ彼女は殆ど食料も食えない状態で放置され続けていたため、少女は栄養失調寸前だったのだ。
王宮を離れる前にバルデスから「消化の良い軽い食事から与えるべきだ」との忠告を受けたため、道中にあった良い匂いを放っていた適当な民家からシチューを少しばかり強引に接収し、少しぬるくなったシチューを与えているのだが……
「ゆっくり食えよ。
お前には働いてもらわないといけないのだからな」
「……うん。がんばる」
キリアはスプーンすらろくに持ったことがない様子で……口の周りをベタベタにしながら、手掴みでシチューの具を口に入れている。
その様子は、まるで幼子のようで……
(本当に、コイツが『鮮血』の二つ名で呼ばれたキリアか?)
実際のところ、その様子を見たラルヴァ王子は少し不安になってきていた。
だが、ここで不安に感じたところで何かが変わる訳でもない。
こうして死刑囚を引き取った時点で……もう賽は投げられてしまったのだから。
「食べたら風呂に入るぞ?」
「……ふろ?」
「ああ、その薄汚れた服も何とかしないとな」
顔の周りをシチュー塗れにしたキリアが首を傾げるのを見て、ラルヴァ王子は軽く頷く。
彼にとってキリアは名刀にも等しい存在だ。
薄汚れているのは持ち主として我慢出来ない。
それが今のラルヴァ王子の気分に最も相応しい感想だった。
「……おうじさま。たべた」
「なら、風呂だ。ついて来い」
「……うん」
王子の言葉に素直に頷くキリア。
そのまま彼女は王子が歩く後ろをぺたぺたとついて来る。
未だに靴を履かせていないから、ラルヴァと違って素足のままだ。
……彼女に靴を履かせていないのは、履かせても無駄だからである。
糞尿や泥土によって足の裏どころか二本の脚は汚れていない場所がないような状態で、そこらの地面よりも足の方が汚いのだ。
風呂に入ってからの方がマシだ……とラルヴァ王子が判断したのも無理はない。
「……ほれ、ここだ」
王子の先導で辿りついた風呂場は、人間が三十人ほど入れる大きさの風呂場だった。
全体的にタイル張りの風呂場で、観賞用の南国植物があったり獅子の口から湯が出ていたりと、非常に高級感溢れる造りになっている。
事実、ラルヴァは王子なのだから贅沢極まりないのは至極当然なのだが、貧民街で生まれ育ったキリアにとって、それはもはや異次元の光景だった。
「まずは、身体を洗わないと話にならんな。
取りあえず、それ、脱げ」
「……うん」
言われた通りに囚人服を脱ぐキリア。
その下の下着を脱ぐのにも欠片の躊躇すらなかった。
何しろ彼女は殺人鬼として育った少女であり、集団生活をまともに営んだ経験がない。
……彼女にとって服飾とはあくまで防寒のためであり……キリアには『羞恥』という概念すら育ってない。
そして、若い男性である筈のラルヴァも、その姿に欠片も性欲を覚えない。
彼は彼でその身分と容姿ゆえに女性に困ることはなかったし……
何より、垂れ流し状態でもう既に元の色の面影すらない下着やら、その下着を着っぱなしで肌すら見えないほど妙なものがこびり付いた少女の下半身やらに欲情するような特殊な趣味を、王子は持ち合わせてはいなかった。
「まず、座って洗え」
ラルヴァ王子は近くのタオルと石鹸をキリアに手渡すと、強引にタイルに彼女を座らせる。
だけど……キリアは手渡されたタオルと石鹸を眺めるだけで動こうとしない。
「……どうしたんだ?」
「……なにするの、これ?」
「……お前、身体を洗ったことすらないのか?」
「……からだ、を、あらう?」
首を傾げるキリアを見て、ラルヴァはため息を思いっきり吐く。
実際、山岳に囲まれた貧しいランシア王国では、水も燃料もそれなりに値の張る品物であり……暖かい風呂に入れるのは高い身分の人間だけだ。
尤も、庶民でさえ身体を洗うくらいはしているのだが、キリアはどうやらそういう基本的なことすら殆ど経験がないらしい。
いや、どんな子供でも親元では基本的に身体を洗ってもらう程度のことはしてもらう筈だから……殺人鬼として生き続けてきた内に忘れたのだろう。
社会の中で集団に関わらない野獣のような生き方をしてきた彼女にとって、身だしなみと言うのはそれほど重要な物事にはなり得なかったのだ。
「おい! 誰かいないか!
っと、くそ。侍女は……休暇を取らせていたな」
屋敷で働いている侍女を呼ぼうとしたラルヴァ王子は、大声で叫んだ後でその事実に気付く。
普段ならばこの別宅に五名ほど常駐させているのだが、キリアの存在を外部に洩らすのを避けるために、急遽、全員に休暇を与えたのだ。
お陰で目の前の、汚物まみれの少女を洗う人手はなく……
「ったく。何で俺がこんなことを」
「……ん、なにするの?」
「良いから、黙ってろ」
「……うん」
ラルヴァは結局、石鹸でタオルを泡立てるとキリアの身体を洗い始めた。
「……ん、くすぐったい」
「黙ってろ。うわ、何だこりゃ」
当たり前ながら、洗えば今までの汚れが落ちる。
キリアの正確な年齢なんて分からないものの、彼女の犯しただろう殺人の報告書から推測する限り、彼女は三年間以上は路上を彷徨い続けていた。
──つまり、三年間以上も積もり積もった汚れである。
しかも、ここ一ヶ月ほどは牢獄に閉じ込められ垂れ流し状態だったから、その汚れは凄まじい。
泡があっさりと真っ黒く汚れ、タオルは瞬間で黒ばみ……
「何すりゃこんなになるんだよ」
「んっ。んんっ。おうじさま。
なんかへん。
……やめてっ」
「やかましいっ!
色っぽい声上げるなっ!
……ったく」
「んんんっ!」
洗っている内に妙に艶っぽい声を上げ始めたキリアに苛立ったラルヴァ王子は、頭からお湯をぶっ掛けることで黙らせる。
実際……ラルヴァ王子にとってのそれは……入浴というよりは、ペットの洗濯に近い気分だった。
それでも一応、女体は女体なのだが……流石にこれだけ汚れがドンドン浮いてくるのを見ると、手に感じる柔らかな感触の興奮すら一瞬で消え去ってしまう。
「……ん。んんん。そこ、やだっ!」
「黙ってろ!」
キリアの身体で一番汚れている場所……つまりが股間辺りだが、そこを洗い始めると今まで為すがままだったキリアも、生まれて初めて感じる感触が怖いのか、妙に抵抗を始めた。
それでもキリアがラルヴァ王子を殺そうとしないのは……彼に害意がないと分かっているからだ。
食事もくれたし、自分を綺麗にしようとしてくれる。
──大昔、両親がいた頃のように。
……そんな考えがあるからだろう。
つまり、彼女にとってラルヴァ王子とは、世界で唯一の味方だった両親と同等レベルの存在になっていたのだ。
キリアにとっての人間とは、「両親」と「その他の敵」という二択だけだったから、それほど凄いことでもないのだけれど。
「ったく。次は髪か。
目を閉じてろよ?」
「……いたい。めがいたい」
「だから、目を閉じろと!」
浴場にそんな叫びが幾度となく響き渡る。
そんなこんなで色々とゴタゴタしたが、ラルヴァ王子は何とかキリアの清掃を終えて、湯船に浸からせることに成功した。
「ったく。俺の服もこのザマか」
──洗えば汚れが出る。
──洗う相手が暴れれば、その汚れが飛び散る。
それは当たり前の道理でしかない。
そうして暴れる少女を洗い終えた代償として、ラルヴァ王子の服装もかなり汚れていた。
薄汚いと言うには彼は気品に溢れすぎていたが、それでも彼の高価な服装は褐色や黒色の泡をところどころに浴び、とても王子とは言い難い有様である。
「ったく。誰か……って、誰もいないんだったな」
秘密を優先した結果とは言え、侍女を使えないことがこれほど不便とは思わなかったラルヴァ王子は少しだけ後悔する。
普通なら侍女全てに休暇を出すだけ不信に思われるところだが、こういうラルヴァ王子の気まぐれは今に始まったことではないので、侍女たちは誰一人として疑問に思った素振りすら見せなかった。
今度はどこか表に出せない女……人妻を口説いたか、貴族の娘を連れ込んだか、それとも市井の娘を無理やり連れ込んだだけだろうと思われた程度である。
そして侍女たちには休暇中も給料は出している。
実のところ……この王子の奇行も、侍女たちからすれば気まぐれな暴君である雇い主がいない上に働かずとも給与が出るという特典付きで、怪しまれるどころかむしろ歓迎されていたのだった。
「……さて、服は何処にあったかな」
「おうじさま……どこ、いくの?」
汚れてしまった服を脱ぎ捨てたラルヴァが風呂場を出たところで、背後から声がする。
ラルヴァが振り返ってみると、キリアが全裸で立っていた。
ようやく綺麗になった筈の彼女は、それでもあまり綺麗とは言い難かった。
顔はまぁ幼い印象は拭えないながらも人並み以上なのだが……手入れを全くしていなかっただろう銀髪は酷く伸び放題で、その栄養失調ギリギリの身体はアバラが浮き出ており、色々と垂れ流しだった肌は……内股から膝にかけて酷い湿疹だらけだ。
……若いからすぐに治るだろうが、体型的な問題と言い……とてもラルヴァ王子の好みの身体ではない。
基本的にラルヴァ王子は豊満なバストが好きな人種だったのだ。
事実、彼の一番のお気に入りである愛妾レイシアもそれはそれは豊満なバストと非常に抱き心地の良い、だけど引き締まるべき場所は引き締まった身体つきをしている。
「おい。風邪引くぞ?」
「……ついてく」
「……なら、まず身体を拭け」
「……ふく?」
「あ~もうっ! この世間知らずの小娘はっ!」
ラルヴァは風呂場に戻ると、大き目のタオルを掴み、キリアの身体から水滴を拭う。
もう完全に風呂に入れた犬を拭う……そういう雰囲気だ。
「っと。ここら辺に俺の服が……」
キリアの身体を拭いてやったラルヴァは、いい加減鬱陶しくなったキリアを完全に無視して自室へ戻ると、さっさと自分の服を新しい物へと着替える。
「……くしゅ」
着終わった時に、狙ったかのようなキリアのくしゃみが背後から聞こえてきた。
王子が振り返ってみれば……当たり前のように全裸の少女がそこに立っている。
「……あ~。もうっ!」
最強の武器どころか、最悪の足手まといを背負い込んだ気分で、ラルヴァは使用人の部屋へと入り込み、その中のクローゼットを次々と開く。
侍女の一人がキリアみたいな貧弱な体型だったのを彼は記憶していたのだ。
……たまにラルヴァは侍女の着替えを堂々と拝見する趣味があったから、よく知っている。
その侍女の服は非常にスカート丈が短く……動き易さを最優先した構造になっていた。
あまり好みではない体型のため、その侍女は……ラルヴァの記憶では良く動く侍女という記憶しかないが、まぁ、短いスカートの中身が見えるのを楽しむ分には、良く働く彼女はなかなか楽しい存在だったのだ。
「ほれ、着ろ」
「……うん」
ラルヴァが投げ渡した侍女の服をひどく乱雑に着込むキリア。
ラルヴァの屋敷で侍女が着ている服は、黒を基調としたエプロンドレスで……誰が着てもそこそこ似合う服だ。
そのお陰で、あれだけ凄まじい状態だったキリアも人前に出せる程度の容姿にはなっていた。
「さてと。取りあえず今日は寝るか」
「……ねる」
「ああ。
……お前にも、明日から働いてもらうぞ」
「……うん」
そのまま、ラルヴァはキリアを伴って自室へと戻り、五人は眠れそうな巨大なベッドにキリアと一緒に入ると……
そのまま眠りに就いた。
大量虐殺の殺人鬼を隣にして平然と眠れるその凄まじい精神は、稀代の英雄かただのバカかはかなり判断のし難い代物だったが……
「……ん。あたたかい」
キリアにとっては王子の強靭な精神力は非常にありがたいものだった。
すぐに眠りに落ちた王子に幼子のように抱きつくと、その肌の暖かさを感じながら満足げな表情で目を閉じ……穏やかな寝息を立て始める。
少なくともキリアにとって、この晩の睡眠は久しぶりの……
数年ぶりに外敵を気にせずに眠れる、穏やかな睡眠時間だったのだ。




