第八章 第六話
「……おうじ、さま」
部屋へ入ってきたのは……全身を血で染めた一人の少女だった。
その姿は……壮絶の一言に尽きる。
右腕をなくしたことで、もう素早い動きが出来なくなったのだろう。
背中からは矢が八本も突き刺さっており、腹の刀傷からは腸が覗いている。
右足は半分千切れかけ、引き摺るようにしてその身体を前に運んでいる。
彼女の着ていた白いドレスはもはや返り血と彼女自身の血で真っ赤に染まり、かつては白いドレスだった面影すら残っていなかった。
「……こ、こいつっ!」
そんなボロボロで血まみれの闖入者を見ても……誰一人としてその少女の姿を哀れとは思わなかった。
貴族たちは咄嗟に剣を抜いて構えたし、彼女の背後からは近衛兵の残りが詰め寄せ、彼女にトドメを刺す機会を窺っていた。
「待て」
だが、それを止めたのはラルヴァ王子の一言だった。
その場の誰よりも落ち着き、その場の誰よりも威厳に満ちた王としての声に、誰一人として動けなくなる。
「……おうじ、さま」
「来たんだな、キリア」
ラルヴァの顔を見たキリアは……一瞬だけ安堵の笑みを見せたかと思うと、ただそれだけで満足したのか力尽き、前のめりに倒れる。
そんな彼女を、周囲の者が制止する間もなく、ラルヴァは優しく抱きとめていた。
──返り血と彼女の血によって、身体中が真っ赤に染まることを厭いもせずに。
神の身ならぬラルヴァには、彼女がどういう思いで王城の奥深くまで、しかもこれほどの傷を負ってまで彼のところへ来たのかなんて分からなかった。
だがそれでも……ラルヴァは彼女の全身の傷を痛ましいと思うよりも、この場に彼女が現れたことの方を喜んでしまっていた
少なくとも自分の最期を迎える前にキリアに逢えて嬉しいと、ラルヴァは感じていたのである。
「……おうじさま、あたたかい」
ラルヴァの胸に抱かれたキリアは、笑顔でそう呟く。
満身創痍に加え出血多量で……もう痛みすら感じないほどの怪我だと言うのに、それでも心の底からの笑みで。
「……そうか?」
「……うん。しあわ、せ」
ラルヴァ王子の胸の中でそう呟いた彼女は、笑顔のまま……目を閉じると心の底から安心したかのように身体中の力を抜き……そのまま崩れ落ちる。
「……もう、ねむる、ね。
……おうじさま」
「……ああ、おやすみ」
それが『鮮血』のキリアの最期の言葉だった。
幸せそうに眠る彼女の身体をゆっくりと抱きしめると、ラルヴァは呟く。
「……結局、俺は何をしたかったんだろうな?」
それは、彼の心境全てを語っていた。
放っておけば手に入る筈の王位を手に入れるため、法を破り『鮮血』のキリアを解き放ち、暗殺を繰り返したことで忠臣を失い、自らの情婦を失い、生まれる筈だった我が子を失い……
その挙句、こうやって己の命も、次期王位も、人生最後にと選んだ大切な女性をも失うという、最悪の結末を迎えることになった、その心境を……
だが本当に最悪なのは、こんな最悪の状況に陥ったというのに、ラルヴァ自身が今この最期を後悔していないという、そのたった一つの事実であり……
「ははっ。
やっぱり俺は……王位に相応しくないほど愚かだったということか」
そう呟いたラルヴァは愛しそうにキリアの頬を一度撫でると……顔を上げる。
──誰から見ても王としての威厳に満ち、その場に居る人間全てが膝を突きそうになるような顔で……
……そう。
目の前でキリアを……彼の最後の執着を失ったことで、彼はこの部屋で弾劾されていた時とは別人とも思えるほど様変わりをしていた。
皮肉にも、ラルヴァ王子はこの瞬間、自身の抱えていた全ての執着を失うことによって、無我無欲で国家のことを憂うという、王としての最高の資質を手に入れたのである。
「……ラスカル。
法のために人がいるんじゃない。
人のために法がある。
それを忘れなければ、お前は良い王になれるだろう」
「あに、うえ?」
その言葉を聞いたラスカルは……血まみれの少女を抱きかかえる兄の姿を、威厳と寛容と慈悲を併せ持った真なる王の姿だと直感していた。
その所為だろう。
……冷静沈着と名高い彼がその変貌した兄の姿を、ただ呆然と見つめるだけだったのは。
「アルス。この書類に目を通してくれ」
「……これは?」
「戦災や流行病で両親を失った孤児を救う手段を記してある。
貴族に少しばかり課税することになるが、それほど多額でも不公平感もない。
これなら何とかなるだろう?」
アルス政務官は手渡された書類に目を通す。
それには王家が主導して孤児を集めて教育を施す、その計画が十七通りの方法に分かれて記されていた。
孤児を救いながら、幾つもの特殊技能を持つ人材を確保することにより国益をも求めるその計画は……恐らく誰一人反論出来ないほど精査されて記されており……
それはラルヴァが自分自身の最期を予感した際に、自分と最期を共にするだろう少女の、その悲惨な生い立ちを憂い……『鮮血』の二つ名を持つような少女が、もう二度と現れないようにするための、自身の全てを賭けた一つの計画であった。
「……確かに、承りました」
アルス政務官はそれを恭しく掲げると、国王に対する恭順の姿勢を自然と取っていた。
だが、それを咎める人間は……この場所には一人もいない。
それを見届けたラルヴァは……満足そうに一つ笑うと、テーブルに置かれたままのワインを一気に飲み干す。
「な、兄上!」
「……王子」
周囲の誰一人その行動を止めることは出来なかった。
ただ周囲の誰もが……毒杯を勧めたはずのラスカルまでもが、そのラルヴァの行動に驚いた声をあげる。
「……末期の酒には、悪くない、な」
「……何故?」
ラスカル王子のその言葉は、恐らくその場にいた人間全てが感じていたことだろう。
何しろ、あの少女が入ってきた時から、ラルヴァはその風格と言動をもって、彼こそが誰よりも王に相応しいと見せ付けたのだから。
「ははっ。もう王位を手に入れても、欲しい物は手に入らないからな」
ラルヴァは自嘲気味にそう呟きながらも、その腕の中で眠ったように動かないキリアの身体を抱きしめる。
「こんな馬鹿に最期まで付き合せたんだ。
せめて一緒に逝ってやらないと。
……こいつは寂しがり屋だからな」
そう言って愛しそうにキリアの頬を撫でたラルヴァは……不意に真剣な表情に戻り、弟であるラスカル王子へと口を開く。
「ラスカル、二つだけ頼みがある」
「……何でしょう?」
突然の兄の行動と、それでも威厳を失わないその視線に怯みながらも、ラスカル王子は尋ね返す。
「一つ目は……俺の墓に、コイツも一緒に葬ってくれ」
「……それ、は……」
ラスカル王子は頷けない。
王宮深くへ入り込んだ暗殺者を王位継承権者と一緒に葬るなんて、彼はそんな無法を許せる人間ではなかったからだ。
そんな弟の躊躇を気にもかけず、ラルヴァは言葉を続ける。
「二つ目だが……俺の墓碑には、こう記して欲しい。
己の妻を暗殺の道具に使い、死に至らしめた愚かな男、とな」
「……バカなっ!
そんな無茶、出来るはずがっっ!」
「……頼んだ、ぞ?」
ラスカル王子が抗議の叫びを上げるが、ラルヴァにはもうそれは聞こえなかったようだ。
抱きしめたままだったキリアの身体に向かい……自分の右手にはまっていた指輪を外すと……その左手薬指に通す。
それは王族としての身分を証明するための指輪……封蝋に印を付けるためだけの指輪で、特に飾り気もない。
だが、それを渡すということは、王族として迎え入れるという合図でもあった。
──それは即ち──今の彼に出来る、唯一にして絶対の、プロポーズで……
「……ふふ。待たせたな、キリア」
そのまま、ラルヴァは幸せそうな表情のままの血染めのドレスをまとった花嫁に唇を寄せ……その唇が彼女のそれと重なった瞬間……
ラルヴァ王子は力尽き、床に崩れ落ちる。
「……」
その最期に……誰一人口を開けない。
見守っていた貴族たちも、仲間を殺されキリアを恨んでいた筈の近衛兵たちも。
そして、実の弟でさえも……血だまりに沈む二人の姿が何故か触れ得ざるほど神聖な姿に見えて声すらかけられなかった。
長い沈黙の後、それを破ったのは……アルス政務官だった。
「……ラスカル王子。
ラルヴァ王子のご遺言、如何なさいますか?」
「……出来る訳、ない、でしょう」
ラスカル王子の返事は苦々しいものだった。
「……共に葬るのが、限界です。
王家の威信というものがあります」
「承知しました、ラスカル王子」
ラスカル王子の言葉に……アルス政務官は一礼すると、周囲に向かって大声を上げる。
「……ここにいる者たち、この件に関しては緘口令を敷くっ!」
その言葉に異を唱える人間は誰もいなかった。
いや、未だに……ラルヴァ王子のその最期に圧倒され、口を開く気にもならなかったというのが本当のところだろう。
「王宮を狙った暗殺者は……近衛兵数十名とアスタール近衛兵団長、バルデス将軍をも斃し、次期国王 となられる筈だったラルヴァ王子と壮絶な相討ちを遂げたのだ。
市井にはそう発表する」
アルス政務官の言葉が室内に響き渡る。
この場にいた全員が……その一言は起こり得たかもしれない叛乱の芽を摘み取るための一言だと理解していた。
ラルヴァを次期国王になる筈だった王子として扱うことで、ラルヴァに加担しようと考えた地方貴族を納得させる。
と同時に、次期国王となるラスカル王子に組していた貴族に対し、次期国王はラルヴァ王子だったという牽制を行う。
アルス政務官は……結局、法の下による中立を貫き、最も国家のためとなる行動を取ったのだった。
「この場にいる全ての人間は、この件に関して口外した場合、斬首刑とする」
アルス政務官のその一言は珍しく感情が込められており、ソレがただの脅しでないことをその場にいた全員に理解させた。
結局、地方貴族たち全ては……アルス政務官の気迫に呑まれたのだろう。
一も二もなく、すぐに敬礼をしてその命令を徹底することを誓ったのだった。
「……これで宜しいですか、ラスカル王子」
「……ええ。
ありがとう御座います、アルス政務官」
問いかけてくるアルス政務官。
その言葉にラスカル王子は一つ頷くと、少女と重なるように斃れている兄へ視線を向け、口を開いた。
「……すみません、兄上。私ではこれが限界です」
その一言が……ランシア王国次期国王を決める争いの決着を告げる最後の一言になったのである。
そして、それから七日後、ランシア国王とラルヴァ王子の葬儀は静かに執り行われ……
──その一月後。
ラスカル=ランシアは……ランシア王国第十六代国王として即位することとなったのだった。




