第八章 第四話
「侵入者です!」
その叫びに、最も激しく動揺したのは間違いなくラルヴァだった。
「侵入者の数、概要は!」
だからこそ……その報せを聞いた瞬間、誰よりも早く誰よりも威厳を持った態度でそう叫んでいたのだ。
……まるで自らの動揺が間違いだと確かめるかのように。
その所為か、既に王位継承権を失う寸前の彼には命令権なんてないにも関わらず……彼の叫びを咎める者なんて、誰一人としていなかった。
「はっ。一名です!
白い服を着た少女が一名っ! 手には短剣一つっっ!」
「ああっ? 単身だと?
……馬鹿馬鹿しい。
そんなのでイチイチ報告に来るほど……」
近衛兵団団長であるアスタールは報告を鼻で笑い飛ばす。
が、彼以外の……特にここ最近王都での出来事に詳しい貴族たちはそうは考えなかったらしい。
王都に居を構える貴族全員が、その報告を聞いて深刻そうに黙り込む。
だが、その場で最も衝撃を受けていたのはラルヴァその人だったのだろう。
「……馬鹿なっ。
何故、来たんだ……」
既に死んだと思っていた少女が生きており、王宮に侵入してきたという報を聞いたラルヴァは、キリアが生きていたというその報せに喜ぶでもなく、死地に飛び込んできたという報せに嘆くでもなく、ただ呆然とそう呟いていた。
運の良いことに、その呟きはこの場の誰一人として聞いていなかった。
……いや、聞いていたとしても意味のない呟きとして意識しなかっただろう。
ただ一人……バルデス将軍だけがその意味と内心を理解し、目を伏せたのだが。
「アスタール、バルデス。
次期国王として命じる。
両者とも協力し、侵入者の排除を行え」
ラスカル王子は立ち上がると、大仰な手振りと威厳を込めた声でそう命令を下す。
いつもの冷静沈着な彼にしては珍しく、その態度は妙に芝居がかっていた。
どうやら……彼自身、先ほどのラルヴァが上げた威厳に満ちた命令を聞いて……何やら思うところがあったらしい。
「……私一人で十分だが、ま、命令ならば仕方あるまい」
アスタール団長は肩を竦めながらも、先ほどレイヴンを血に染めた剣を手にして立ち上がった。
「……御意」
バルデスは目を伏せたまま、長剣を手にゆっくりと立ち上がる。
その表情は、お世辞にも明るいとは言えず、その動作は普段の彼とは全く異なり、如何にも精彩を欠いた動作で……彼なりに苦悩している様が窺えた。
「バルデス、お前……」
「……私が従うのは……王国に対して、王家に対してです、ラルヴァ王子」
立ち上がったバルデスにラルヴァが声をかける。
だが、その声を遮るバルデス将軍の声を聞いて、ラルヴァは黙り込む。
吐き出すようなその言葉一つが、何より雄弁に彼の内心を語っていたからだ。
いや、まだ彼は迷っていたのかも知れない。
──主君と国家とのどちらを選ぶかを。
だからこそ、その動作は精彩を欠き、そんな苦渋に満ちた声を吐き出すしか出来なかったのである。
そのまま部屋を辞するバルデスを黙って見送ろうとしていたラルヴァだが、彼が部屋を出る直前、顔を上げ……口を開く。
「悪いな。
せめて……苦しまないようにしてやってくれ」
自らを裏切ろうとしているバルデス将軍に対し、ラルヴァは結局、そう言葉をかけてしまう。
彼の困惑や苦悩を理解した上で、助命の懇願でもなく悪態を吐くでもなく……彼の裏切りを後押しするその一言を。
昔のラルヴァならば……己の欲望を満たすことが最優先だったあの頃のラルヴァならば、一も二もなくバルデスに命令を下し、この場を切り抜けることを優先しただろう。
……しかしながら。
今のラルヴァにその命令は下せなかった。
嫌々とは言え政治を担う仕事を続けた所為で、国というものがただのシステムではなく、人の営みの集大成だと理解してしまった以上。
そして何より……人々が望んでいる、穏やかで優しい生活というものを知ってしまった以上。
保身のために内乱を巻き起こし、民草の穏やかで優しい生活を破壊するような命令を、今のラルヴァが下せる訳もなかったのだ。
「……御意」
その言葉を聞いたバルデス将軍は……王位継承権を失ったはずのラルヴァ王子に対し、片膝をついて剣を真横へ置くという国王への恭順を示す姿勢を取る。
そして、すぐに身体を起こすと王命を受けた騎士のように堂々と胸を張りながら部屋を出て行った。
「……あの、ばか」
それを見たラルヴァは……つい悪態を零してしまう。
もう王位を継ぐ可能性のないラルヴァに対し、王へ恭順を示す姿勢を取ることが……しかも、新たな国王の目の前でそうすることが将来どういう事態を招くのか、それくらいバルデスにも分かっている筈で……
事実、部屋にいる貴族たちはどよめいており、将軍が行った行為への話題で一杯だった。
「……あの馬鹿」
だからこそ、自身の忠臣が自らの将来を捨ててまで示したその姿勢に、ラルヴァはそれしか言えなかった。
そして将軍が葬るだろう少女に対し、せめて安らかに眠ってくれるようにと祈るしか出来なかったのである。
キリアは無人の野を歩くが如く、王宮を堂々と歩いていた。
たまに矢が飛んでくるが、キリアにとっては難なく避けることが出来る速さであり、注意するほどのことでもない。
ただ、近衛兵のあまりの数に流石のキリアも無傷という訳にはいかなかったようだ。スカートや服がところどころ斬られ、身体にも数箇所切り傷が走っている。
「くらえっ!」
「……ん」
曲がり角を曲がろうとした瞬間、一人の近衛兵が斬りかかって来るが、キリアは不意を突かれたというのに一切慌てず、その斬撃を紙一重で見切って反撃を加える。
既にそれは作業でしかなかった。
悪意も殺意もない……王子の下へ歩もうとする邪魔者を、ただ切り払うだけの『作業』。
全身を返り血で染め、肩で息をしながらも……まだ彼女は危機感すら覚えていない。
ただ単に……膨らんで行く不安を消そうとして、唯一不安を消し去ってくれる王子様を捜そうとしているだけだったのだ。
「ふん。貴様が侵入者か?」
そんなキリアの前に、一人の男が現れる。
胸甲だけを着込んだ、一人の男。
気障ったらしい髭を蓄えた四〇代くらいの男で、腰には反り返った剣を吊っている。
その背後からは褐色の肌をした髭面の大男……バルデス将軍が追いついてきた。
「おい。アスタール。
加勢するぞ?」
「ふん。手助け無用。
こんな小娘相手に二人がかりとは、我が武名に傷がつくわ」
共闘を申し込んだバルデス将軍を一蹴すると、アスタールはキリアに向かう。
「……こんな小娘一人にここまで突破されるとは。
これからは近衛兵の訓練をもっと厳しくする必要がある……」
周囲で斃れている近衛兵を忌々しげに眺めたアスタール近衛兵団長は、そう呟きながらも無雑作にキリアに近づいて……
「……なっ!」
一瞬で腰の剣に手を置くや否や、鞘から抜き去る動作でキリアに斬りかかる。
だが、キリアも伊達に『鮮血』の二つ名を貰っている訳ではなかった。
刹那の速度で放たれたアスタールの斬撃を、ただ上半身を逸らすことだけで避け……
「……?」
……切れなかった。
僅かに右乳房の僅かな膨らみの分だけ刃を避け切れない。
服と皮を一枚だけ切り裂かれ、キリアの身体から僅かに血が飛び散る。
その事実にキリアは少しだけ驚いた顔をする。
何しろ、彼女には……アスタールの斬撃は完全に見えていたのだ。
見えていたのに、見切っていたというのに。
──身体が追いついて来なかった。
それは……ラルヴァ王子の下で彼女が幸せに暮らしていた故の『弊害』。
穏やかな日々とお腹一杯の食事、そしてゆっくりと眠れる寝床。
それらの豊かで幸せな生活は……彼女の身体に脂肪という貯蓄を与えてしまっていた。
その分、身体の形が丸みを帯びた。
その分、身体の切れが落ちた。
当然、キリアが幸せに暮らせた日々は僅かな期間であり、ついた脂肪と言っても僅かなもので……一般の近衛兵程度の速さでは関係ない程度だったが、アスタールほどの実力者を前にすれば、その僅かな差が……決定的な差になってしまう。
「ふん。いつまで避けられるかな?」
自慢の居合いが皮膚一枚で避けられたというのに、アスタールは自信満々の表情でもう一度鞘へ剣を仕舞う。
そして、またしても柄に手を置いたまま、無雑作に『鮮血』のキリアに向かって歩き出す。
「……ふん。所詮はこむす……めっ!」
キリアが間合いに入った瞬間、アスタールは剣を鞘から抜き去り……その斬撃がキリアに届くその刹那の瞬間。
勝利を確信していたアスタールは、僅かに気が緩む。
そして、キリアの勘は……その刹那を逃さない。
彼女は手にしていた唯一の武器である短剣を男の咽喉元目がけて放り投げていたのだ。
「……ご、ごふ?」
アスタールは自分の身に何が起こったかすら理解していなかったに違いない。
所詮は近衛兵団……王都を護るために集められた最強の部隊の長でありながら、近衛兵団は「何処の部隊よりも実戦経験が浅い」という問題があった。
当たり前の話だが、近衛兵団が戦場に出るような事態は……即ち王都防衛戦のみ。
そんな状況がそうそうあればその国家は滅んでいる。
事実、アスタールも剣の腕では王国で一・二を誇る剣士ではあるが、バルデスと比べると実戦経験はないに等しい。
キリアにはそこを突かれた形になったのだ。
尤も……彼女はそれを理解して狙った訳ではなく、ただ本能的に動いただけに過ぎなかったのだが……
「……ったく。馬鹿が」
その一部始終を見ていたバルデス将軍は同僚の死に軽く笑みを浮かべながらも、長剣を抜き放つ。
……そう。
この期に及んでバルデス将軍は笑っていた。
実のところ、彼としては……このままキリアに加勢してラルヴァを救出しても構わない。
政治の暗部に精通している彼は、ラスカル王子と貴族たちを葬れば……理由付けなど後でどうとでもなるということも分かっていた。
だけど……ラルヴァ王子はそれを知りつつ……その上で「キリアを苦しまないように屠れ」と命令を下したのだ。
バルデス将軍がラルヴァに加勢して貴族を葬り去ったならば、確実に地方貴族たちの叛乱を招き、国力が大幅に低下し……
──最悪の場合、他国の侵略を許してしまう恐れがある。
そんなことになれば、貴族同士が殺し合う内乱どころではなく、権力争いに無関係の無辜の民草にまで甚大な被害が及ぶ。
だからこそラルヴァ王子は……自分の命やキリアの命、そして二人の将来よりも王子としての務めを優先し国家の安定を命じたのだから。
それに……
「まさか、あのアスタールまで倒すとはな……」
彼自身、ランシア王国最強の存在として……『鮮血』のキリアと斬り結んでみたいと思っていたのも事実だったのだ。
だからこそ、笑いながら……キリアがアスタールの死体から短剣を引き抜くまでこうして待っているのだ。
「さぁ、見せてもらうぞ、貴様の腕を!」
そう叫ぶとバルデス将軍は……笑いながらその長剣をキリア目がけて振り下ろしたのだった。




