第八章 第二話
王宮の中をラルヴァは歩く。
「……おい、ラルヴァ様だ」
「となると、やはり……」
彼の耳に入ってくるのは、周囲で囁かれるそんな声だった。
近衛兵に周囲を固められて歩いて行く彼らは、格好の噂の的らしい。
「ふん。所詮国王ってのは政治の部品の一つ。
……幾ら崇められていても結局はお飾りの部品に過ぎないってことだな」
一国の王が亡くなってすぐだというのに、その死を哀しむ人間よりも次の王位を噂する人間ばかりが揃っていることに、思わずラルヴァはそう零していた。
「……何かおっしゃいましたか?」
「……いや」
だが、王子の周りを固める近衛騎士の中に、ラルヴァの自嘲を耳にした者はいなかった。
そのまま、彼らは王宮を歩き……いつもの執務室を超え、階段を上がって降りてその先の……王族の暮らす区画へと到着する。
そこは床、柱、天井まで全てが純白で美しく彩られており、中心部の中庭には泉まであるという優雅な区画で、庶民からすれば天上の風景とも言うべき絶景である。
と言っても、こんなものラルヴァにとっては久々に入る実家に等しい空間であり、彼は特に感慨すら覚えなかった。
──単に柱が立っていて、警備が多い。
……その程度の場所だ。
「この中です」
その内、先導していた近衛兵がドアを開く。
そこはラルヴァの父親、即ちランシア国王が臥せっていた部屋で……
「……勢ぞろいだな」
その中を見たラルヴァは思わず呟いた。
ランシア国王の亡骸を中心に、アスタール近衛兵団長、バルデス将軍、アルス政務官、そして弟ラスカルに……ラルヴァすら名前を知らない年老いた重鎮連中が数名。
王都周辺に各々の領地を構える領主も数名並んでいて、その中にはヴォルクス大臣の息子であるレイヴンの姿も見える。
「来ましたね、兄上」
兄を迎えるラスカルの言葉は、相変わらず冷静で可愛げの欠片もなかった。
(実の父親が死んだ時くらいだな……)
思わずそう説教したくなったラルヴァだったが、自分自身もろくに悲しいとは思っていないのに気付くと僅かに苦笑してしまう。
……そう。
弟と同じように、ラルヴァ自身も父親を失ったことを嘆いてはいなかった。
ラルヴァはただ……もう終わってしまったキリアとの穏やかな生活が惜しくて胸を痛めているだけなのだから。
「では、ランシア国王のご遺言を公開し……」
「少しお待ち下さい!」
二人の王子が揃ったことで、次の王位継承者を決める国王の遺言をアルス政務官が発表しようとした刹那。
立ち上がり叫んだのはラスカル王子だった。
その叫びに呼応するかのように、アスタール近衛兵団長や数名の重臣が立ち上がり、ラスカル王子を擁護するかのように並ぶ。
「その前に、王位継承者に相応しくない犯罪者を告発しなければなりません」
ラスカル王子の言葉は、静かな室内に響き渡る。
(……やっぱり、来たか)
その様子をラルヴァは……他人事のように眺めていた。
ラスカル王子は次々とラルヴァの罪状を読み上げる。
『鮮血』のキリアと呼ばれる死刑囚を世に放ち、己の欲望のままに王都治安維持隊を次々と狩っていったことを。
「その証人として偽りの死刑囚を仕立て上げたヴォルクス大臣の息子レイヴン氏と、『鮮血』のキリアを運んだ御者を揃えてあります」
(ああ、そういうことか)
その顔ぶれを見て……特にレイヴンがラルヴァを睨む形相を見て……ラルヴァは瞬時に理解した。
彼は、父親と姉の仇を討とうとラスカル王子に近づいたのだろう。
(すると、今頃キリアは……)
レイヴンがあちら側についたという事は、ラルヴァが今まで使ってきた経済力が手元から抜け落ちたということであり……
それは……ラルヴァの御者とその妻であるベルが抱えていた借金が、向こう側に渡ったということでもあった。
である以上、借金を突きつけられたあの御者も、その妻である侍女のベルもラスカル王子側に寝返ってしまったということである。
そのベルに食事その他の一切を任せていた以上……キリアはもう生きてはいないのだろう。
キリアはあの侍女に懐いていた。
切り結んでならば最強の騎士と同じだけの戦闘能力を有する『鮮血』のキリアとは言え、食べ物に毒を入れられては抵抗すら出来なかっただろう。
そう考えると、分かっていたことだとは言え……ラルヴァの胸が痛む。
(だが、責める訳にはいかない、な)
所詮は自業自得だと自らを嘲うしかないラルヴァ。
ただ、恐らくベルの手によって毒殺されているだろうキリアの身だけは、ラルヴァにとっても胸が痛む出来事だった。
(せめて、苦しまずに眠ってくれ、キリア)
黙祷するように目を閉じ、ただ唯一それだけを願うことが……今のラルヴァにとっての精一杯だった。
そもそも、あれほど社会通念や様々な倫理、通貨すら理解出来ないキリアが生き延びたところで、それほど長い間生きていける筈もない。
結局は民衆に追われ、治安維持部隊に追われた挙句、またも罪人として捕まり首を斬られるのが関の山だろう。
王位継承権を諦めた時点で自身の死を覚悟していたラルヴァは、それを懸念してここ暫くの間、ずっと彼女に人間社会で生きるための知識を教えていたのだが……獣同然の生き方が染みついた彼女を人間に戻すには、どうしようもなく時間が足りなかった。
だから毒殺とは言え、キリアが苦しまずに逝けたのならば……それは歓迎することなのだろう。
理屈ではそう思っていても、やはり人生最後に隣にいる者として選んだ女性の死である。
ラルヴァは彼女の死を予想し、胸の痛みを抑え切れない。
(もうすぐ、俺もそっちに行くからな)
彼女に言い聞かせるよりは自分自身を宥めるようにラルヴァはそう口の中で呟くと、目を開き……自分を断罪している連中に目を戻す。
その列から少しだけ離れて……渋面のままのバルデス将軍と目が合った。
彼はラルヴァを擁護するでもなければ、ラスカル王子に追従するでもなく、ただ無言で直立している。
恐らく、彼は彼なりに中立の立場を必死に貫いているのだろう。
その渋面を正視したラルヴァ王子は……彼の視線が自分を咎めていることに気付く。
(……確かに。
結局、お前の言う通りになったな、バルデス)
あの時、彼の忠告を聞かなかったため、自分が今窮地に立たされキリアを失ったのだから、バルデスが無言の内に彼を咎めるのも無理はない。
あの時、バルデスの忠告通りにレイヴンを処分していれば……
(いや、どっちにしろ同じか……)
ラルヴァは自分の脳裏に浮かんだ甘い仮定を鼻で笑い飛ばす。
もう賽は振られたのだ。
今更何を言おうと……所詮ただの繰り言でしかない。
(しかし、思ったより、レイヴンは馬鹿だったらしい)
そうして追い詰められていながらも、ラルヴァは自分を裏切ったレイヴンを責めることもせず……ただ肩を竦めただけだった。
事実、レイヴンの告発は愚行以外の何ものでもなかった。
何しろ、次にラスカル王子が追求し始めたのは、ヴォルクス大臣絡みの不正に関してだったからだ。
「そして、次にラルヴァ王子が数々の特権を使い、ヴォルクス大臣がその利権を得ていた事実に関してですが……」
「そんな! 話が違う!」
ラスカル王子がラルヴァの罪状の一つを読み上げ始めたところで、レイヴンは叫ぶ。
恐らく彼は、父親が犯した罪を帳消しにする代わりにラスカル王子への協力でも申し出たのだろう。
それは保身からか、父親の名誉からか……レイヴンという名の少年とは全く面識のなかったラルヴァには分からなかったが……
(ラスカルがそんな取引に応じるヤツじゃないってくらい、見抜けよな)
ラスカル王子は法を厳格に護り、融通が利かないことで有名なのだ。
そんな相手に司法取引なんて持ちかけても無駄なのは目に見えている。
「よって、領地没収が妥当と思われますが、如何でしょう」
「……仕方ない、でしょうね」
ヴォルクス大臣に対する沙汰を読み上げたラスカルの言葉、アルス政務官や重臣たちが頷く。
実際、こうなると分かっていたからこそ、ヴォルクスは時期国王と噂されるラスカル王子ではなくラルヴァの方に付き従っていたのだが……
彼の息子は、その程度のことも分からない人間だったらしい。
「……ラスカルっ! 貴様っ!」
それどころか、レイヴンは罪状が読み上げられた直後、怒りに目を血走らせ、腰から剣を抜いてラスカル王子に斬りかかろうと……
「不忠者がっ!」
……レイヴンと同時に動いたのは、ラスカル王子の隣に控えていたアスタール近衛兵団長だった。
腰に吊っていた細身の片刃の剣へ手を伸ばしたかと思うと、鞘から剣を抜き去る動作をそのままにレイヴンに斬りかかる。
まさに目にも止まらぬ速さで逆袈裟斬りにされたレイヴンは、自分の身に何が訪れたかさえ分からないという表情で自分と傷口を見比べ……
「……ごふっ」
血の泡を吹いてその場に崩れ落ちる。
「……王の住まいを汚したこと、お詫びします」
懐から出したハンカチで剣に付いた血を拭い、剣を鞘へとしまいながらアスタール団長がそう言葉を連ねるが、誠意の欠片も感じられない。
ラスカル王子の表情にも驚いた様子がないことから……どうやら、こうなることはラスカルにとって予想の範疇だったようだ。
「さて、話を戻しましょう。
王位継承権についてですが……」
部屋中に広がる血の匂いに表情一つ動かさず、ラスカル王子は言葉を続ける。
「もう十分でしょう。
我が兄ラルヴァの王位継承権はこれで失せられると私は判断しますが、皆様の判断は如何に?」
ラスカル王子のその言葉に反論する者は一人もいなかった。
この場にいる殆どの者が、王位は長兄のラルヴァではなく弟のラスカル王子にこそ相応しいと思っていたし、ラルヴァ王子自身も反論する気がないのか、黙って聞いている。
「確かに、ランシア王国法第一七二条……ベルガ王子叛乱の際に作られた条項ですが、これによると……暗殺、侵略者に対する防衛及び犯罪者逮捕目的以外での軍の動員を行った者への王位継承権の剥奪は認められています」
執政・法学に最も詳しいとされるアルス政務官がそう言葉を発したのが、ラルヴァ王子・ラスカル王子二人の王位継承争いの決着がついた瞬間だった。
「ですが、王族が叛逆や暗殺で処刑されるのは国民の不安を招くでしょう」
そう呟いたラスカルは指を鳴らすと、ワイングラスとワインを侍女に運ばせる。
そのワインはランシア王国にある大きな農園で作られるブランド物で……ランシア王国では最高級品だった。
今は亡きヴォルクス大臣が非常に高い税を課していたことが功を奏したのか、そのワインは半ばブランド化しており、貴族たちですら滅多に口に出来ない代物である。
ラスカル王子は作業的にワインのコルクを抜いてグラスに注ぐと……その中へ味を失わせるだろう粉薬を惜しげもなく入れる。
「せめて、自害という形を取って下さい、兄上」
兄に死刑宣告を通達したというのに、ラスカル王子の表情は微動だにしない。
ただ事務的な作業をこなす時特有の……面白みのない表情のままだ。
「……さて、兄上。何か遺言は?」
勝利が決定したというのに眉一つ動かす様子も見せず、ラスカル王子がラルヴァに向けて最終通達を突きつけようとした。
……その時だった。
「大変です! 王宮に、侵入者がっ!」
そう叫ぶ近衛兵が部屋に転がり込んできたのは……




