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【完結済】Bloody Bride  作者: 馬頭鬼
第八章
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第八章 第一話

 ……幸せの時間は短いものだ。

 それはどの人間にとっても同じだし、ランシア王国の王子であるラルヴァにとってもそれは同じだった。


「おうじさま、これは?」


「林檎だな」


「……り、ん、ご」


 日差しの中、ラルヴァはソファに寝そべり、静かに本を読んでいた。

 その隣では、キリアが子供用の絵本を手にして文字を勉強している。

 彼女が着ているのはもう侍女の服ではない。

 最近のラルヴァは彼女のために様々な服を仕立てており、見た目だけならキリアはもう普通の女の子と言っても過言ではなかった。

 今日の彼女の服装は白のワンピース。

 全体的にフリルをあしらっており、簡易なドレスといっても通じるだろう。

 尤も、キリアは足回りを邪魔する長いスカートを嫌う傾向があったので、彼女の着るスカート丈は常に短かったのだが。


「……おうじさま、おうじさま。これ」


「苺だ」


「い、ち、ご」


 キリアはその本の分からない場所……文字の読めない彼女にとってはほぼ全ての場所を、ラルヴァに尋ね……ラルヴァはその全てに対して優しく答えてやっている。

 彼女にとって、本を読むことや文字を読めることよりも、王子の歓心が自分の方へ向くことの方が嬉しいらしく、何度も何度もラルヴァに問いかける。


「……ふぁぁあ。おうじさま、おやすみ」


「ああ、お休み。キリア」


 暫くそれを繰り返していたキリアだが、暖かい陽射しの中で慣れない文字を読んで疲れたらしい。

 大きな欠伸をすると、そのまま目を閉じて丸まった。


「……ははっ」


 そんなキリアを見て、ラルヴァは笑う。

 笑いながら思う。


(意外とこういう生活も楽しいもんだ)


 事実、ラルヴァにとって、その生活は楽しいものだった。

 朝、キリアと食事を取った後で王宮へ向かい、アルス政務官の小言を聞き流しながら書類の束を昼までに片付ける。

 昼にはこうして別宅に返り、キリアに色々と教え込みながらゆっくりと過ごす。

 夜には、調べ物をして……キリアと共に眠る。

 ここ暫くはそんな日が続いていた。

 王位を継ぐという望みも抱かず、何かが欲しいという欲望を満たすこともせず……ただ心穏やかに過ごす日々。

 そんな日々が楽しいと、ラルヴァは感じ始めていた。

 こんな日々が続けばいいと、ラルヴァは願い始めていた。


 ──ラルヴァが似合わぬ願いを抱いた、ちょうどその時だった。


 ゴォオオオンと町街中に響き渡るような大きな鐘の音が、ラルヴァの耳に入る。

 それは、王宮の最上階にある鐘突き塔から聞こえてきた音で……同時に四方八方からも同じような音が響き渡っていた。

 王宮最上階で鳴らされる鐘の音は、王都中にあるあちこちの鐘と連動し王都に居る住人全てに聞こえるようになっていた。

 その音は、ランシア王国にとって重大なことを告げる鐘……王都中の住人全てに知らさなければならないほど、重大なことが起こった証であり……


「……そうか、親父。

 ついに、死んだか」


 ここ最近でその鐘の音を鳴らすほどの重大事とは即ち、ランシア国王が崩御したという報せであった。

 事実、国王はここ最近、絶対安静と小康状態を行ったり来たりしていたし、ラルヴァ自身も父親が臨終の寸前であるということで幾度となく王の自室へ呼ばれていた。

 だからだろう。

 実の父親を亡くしたというのに、ラルヴァが悲しみの欠片も感じなかったのは。


「……終わったか」


 その鐘の音を聞いたラルヴァが呟いたのは、そんな一言だった。

 国王の崩御とは即ち……新たな国王が選ばれるということでもあり。

 ラスカル王子が選ばれた時点で、ラルヴァの王子としての特権が全てなくなり……

 死刑囚であり数々の要人を暗殺した、『鮮血』のキリアとの……この静かな生活が全て終わったことを意味していた。


「……おうじさま?」


 鐘の音で目覚めたのだろう。

 キリアが目を擦りながら、ラルヴァを見上げてくる。

 その声はいつになく不安げで……もしかしたら、ラルヴァの内心の絶望を感じ取っていたのかもしれない。

 ただ、今も鳴り響いている鐘の音が不気味で不安だっただけかもしれないが。


「いや、何でもない。

 そのまま寝てるんだ」


「……うん」


 彼女の問いかけにラルヴァは優しく頭を撫でながらそう諭す。

 キリアは、たったそれだけで不安が全て解消されたような笑顔になると、そのまま身体を丸め、また目を閉じた。


「……さて、行くか」


 キリアが眠ったのを見届けた後、ラルヴァはそう呟くと……自室から書類の束を手に取り、歩き出す。

 その書類はこの日の為に……ここ暫くの間、ラルヴァが暇を見ては調べ物を続け、記した一つの政策案を綴ったもので、これだけは忘れる訳にはいかなかった。

 最後に眠ったままのキリアを起こさぬようにその小さな額に一つ口付けると、ラルヴァはもう振り返ることもなく自らの別宅を出る。


「お迎えにあがりました。ラルヴァ様」


 別宅を出たラルヴァを待ち構えていたのは、白銀の鎧に身を包んだ王宮近衛兵……アスタールの手勢だった。

 丁重な出迎えにも見えるが、獲物を逃がさないための手配にも見える。


「ああ、ご苦労」


 だが、そんな近衛兵の姿を見ても、ラルヴァは欠片も動じた様子は見せなかった。

彼には既に……覚悟が決まっていたからだ。


 ──もう二度と、この別宅へは帰れないという覚悟と。

 ──もう二度と、あの穏やかな日々には戻れないという覚悟を。


 その覚悟は、今までのラルヴァにはないもので……近衛兵たちはラルヴァのその堂々とした姿勢に、自然と敬礼を取っていた。

 そんな近衛兵の間をまるで王のように堂々と歩き、王子はそのまま彼らの用意した馬車に乗る。

 だが、それでも……馬車のドアが閉まる寸前、彼は一度だけ別宅の方に視線を向けてしまう。


「……未練、だな」


「何か?」


「……いや」


 思わず自嘲した言葉を聞きつけた近衛兵が尋ね返してくるが、ラルヴァは首を振ってなんでもないことを伝える。

 それが合図となって……その馬車は王宮へと走り始めたのだった。






「……その少女のところに駆けつけてくれたのは王子様でした」


 暖かい陽射しの中でまどろんでいたキリアは、夢を見ていた。


「彼は金色の光に包まれ、その少女を優しく包み込み……」


 夢の中、キリアは幼い子供になって母親の膝の上で寝転がりながら、母に絵本を読んでもらっていた。


「そうして、少女は王子様に迎えられ、幸せに過ごしたのです」


 それは、幼いキリアにとって当然のような日々だった。

 母は病弱だったがキリアには優しく、キリアは母の膝の温かさに包まれながら絵本を読んでもらう時間が好きだった。


「おうじさま?」


「ええ。そうよ。

 頑張る女の子には、王子様が迎えに来てくれるの」


「……わたしにも?」


「ふふ。そうね。

 いつか、きっと王子様が迎えに来てくれて、幸せになれるわね」


 まだ幼かったキリアには、母親の言葉の意味を全ては理解出来なかった。

 ただ、それでも……王子様という存在が彼女を暖かな気分にさせてくれる。

 それだけは理解出来たのだった。


「……ゆめ?」


 そこで、キリアはまどろみから目覚める。

 まだ、彼女は自分が夢の中に居るのか、現実に戻ってきたのか分からない様子で、左右を見つめる。

 暫く彼女は夢なんて見ていなかったので、まだ現状が理解出来ていなかった。

 そもそも、獣同然の生活をしていたキリアに、夢を見るほど穏やかに眠れる日々なんてなかったのだ。

 久々に夢を見て混乱しても無理はない。

 それでも彼女が、大昔の……もう記憶すら風化している過去を思い出せたのは……恐らく、キリアを包み込むこの暖かな陽射しが、彼女の記憶の何処かを刺激した所為だろう。


「……あれ? おうじさま?」


 そこで、キリアは気付く。

 あの日、冷たい牢獄で身動きも取れなかった中、優しく触れてくれた存在が、それからずっとご飯をくれて笑顔をくれて優しく触れてくれた暖かい存在が隣にないことを。

 ……夢を見た所為だろうか?

 キリアは無性に王子に逢いたくなった。

 暖かい陽射しの当たる、王子の座っていたソファを少しだけ名残惜しげにしたキリアだったが、それでも立ち上がり……王子を捜すために部屋を出る。

 その瞬間、彼女は暖かいシチューの香りに気付く。

 その香りを辿って行くと、いつも食事を取る場所に料理が並べられていた。

 何故かいつもより豪勢なそれに、自然と惹きつけられるキリア。


「あら、起きてきたの?

 ほら、食べなさい」


 そこにはベルという名の侍女が料理を用意していた。

 キリアを見て……何故か僅かに彼女から目を逸らすと、そのまま料理の用意を続ける。


「?」


 その様子にキリアは少しだけ違和感を覚えたが、空腹には勝てず……テーブルの上の料理に手を伸ばし……

 ……手を止める。

 それは……ただの勘だった。


 ──いつもの料理。

 ──いつもの場所。

 ──いつも料理をくれる侍女。


 ……だけど、違う。

 キリアの勘が……都市の中で野生生物と変わらぬ生活を送っていた彼女の勘が、コレはいつものと違うと告げている。


「……キリアちゃん?」


 ベルという名の侍女が動きを止めたキリアに近寄ってくる。

 その、彼女から発せられる感情に、キリアは覚えがあった。


 ──悪意。

 ──殺意。

 ──敵意。


 そういった、キリアの生活で最も馴染み深かった感情。


「……キリっ」


 それを感じ取った瞬間、キリアは手元のナイフをその侍女の咽喉に突き立てる。

 今まで食事を貰った記憶も、色々と身の回りの世話をしてくれた記憶もあるベルという名の侍女へ、微塵も躊躇することなく。

 咽喉を押さえ込みながら、背後へ倒れこむベルの姿に目を向けもせず、頬に飛んできた返り血をテーブルクロスで無造作に拭うと、キリアはテーブルから立ち上がり……


「……おうじさま」


 呟きながらキリアが顔を向けた方角には……王宮がある。

 今まで、ラルヴァから近づくなと念を押されていた場所で、キリアにとっても警護が厳重な王宮は、近づいてはいけない危険な場所という認識だった。

 だけど、いつもラルヴァ王子は王宮に通っていることを、キリアは知っていて……


「……いかなきゃ」


 何故かは分からないが、キリアは先ほどからずっと胸騒ぎがしていたのだ。


 ──虫の知らせ?

 ──ただの勘?


 もしかしたら、先ほど見た夢の所為で、人恋しくなっているだけだったのかもしれない。

 ただ、キリアには我慢をするという経験がなく……何より、不安を和らげる行為を彼女はたった一つだけしか知らなかった。


「……おうじ、さま」


 だから、キリアは走り出した。

 己の身にとって危険な場所と知りつつ。

 行くなと教えられていたにも関わらず。


 ……ラルヴァが、王子様がいるだろう王宮へ。


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