第一章 第一話
ランシア王国には二人の王子が居た。
ラルヴァ王子と、ラスカル王子である。
素晴らしい政治手腕を誇り、品行方正、剣術にも優れ、数多の貴族をソツなく使いこなす弟のラスカル王子と裏腹に、兄のラルヴァ王子はダメ王子との評判だった。
曰く、剣の訓練には参加しない。
曰く、政治を手伝おうともしない。
曰く、色を好み女を侍らせ、酒場や町中で豪遊し金を使いまくる。
いつの間にか流れた宮中の評価はそれほどに隔たっており、事実、二人の王子の気性は水と油ほどに相容れないものだった。
口さがない市井の噂では「無能にて無用の兄」「生まれ出る順番を間違えた弟」などという二つ名がつけられるほどである。
そして……小国故かランシアの民は質素倹約を重んじるところもあり、次期国王は誰が考えてもラスカル王子になると王国内では噂されていた。
そんな中、国王が余命幾ばくと噂されるようになったある日。
次の国王と目される一人であるラルヴァ王子、そしてその側近であるバルデス将軍とヴォルクス大臣の三者は秘密の会合を開いていた。
「畜生ッ! ラスカルのヤツ! 俺は兄だぞ!
何がたまには執政を手伝って下さいね……だっ!
嫌味ったらしいっ!」
弟に言われた言葉を思い出したラルヴァ王子は、苛立ち紛れに机をぶん殴る。
机自体はかなり頑丈な樫の机であり、身体を鍛えてもいないラルヴァの拳を痛めるには十分過ぎる強度を有していた。
「~~~っ!」
あまりの痛みに、拳を抱えて蹲るラルヴァ王子。
……はっきり言って、ラルヴァ王子は馬鹿……いや、直情的で気まぐれなところを持った王子だった。
性格は清貧を旨とするランシア王国ではあまり好かれる類のものではなかったが、二十歳をまだ超さないラルヴァ王子の、容姿に関する評判だけは素晴らしい。
彼は伊達に王子なんてやっている訳じゃなかったのだ。
金髪碧眼。少々冷たい感じは拭えないものの、容姿端麗と言っても過言ではない。スラッとした背の高い彼は、容姿に関する女官の受けは非常に良い。
……ただ、それを嵩にきて貴族の娘や女官、それどころか町娘や酒場女にまで手を出しまくったお陰で、彼の素行に関する評判は非常に悪いのだが。
「よりにもよって、アイツが次期国王だと!
兄であるこの俺を差し置いて!
これが許せるか!」
酒場で酔っ払いから聞きつけた、市井に広まっている噂を思い出しラルヴァは叫ぶ。
彼は自分自身の方が国王に相応しいと思っていたし、何より直情的な彼は冷静沈着な堅物と噂されているラスカル王子の性格が嫌いだった。
だからこそ、ラルヴァにとってラスカル王子こそ次期国王であるという噂は……我慢ならないものだったのだ。
……酒場の親父をぶん殴り、ますます彼自身の評判を貶めてしまうほどに、だ。
「王子。怒鳴っても仕方ありませぬ。何とかしなければ」
そう言って王子を宥める褐色の肌をした四十代ほどの大柄な禿の髭男は、ランシア王国一の剣技を誇る最強の騎士バルデス将軍である。
その頭上の寂しさとは裏腹に、彼の武勇は凄まじい。
その顔に走る大きな傷跡といい、丸太のような腕といい、彼に敵う人間など王国全てを探してもまずいないだろう。
ただ、勝てば良いという戦い方ばかりを選ぶ彼は「敵貴族の令嬢を人質に取る」「町を虐殺して敵を誘き出す」「証拠はないものの政敵が戦場で何故か戦死する」などと常に悪い噂が絶えず。
その上、彼の部下である王国第七騎士団を含めて「死神の群れ」と呼ばれるほどに評判が悪く、ついでに戦費の使い方も非常に荒いため……品行方正なラスカル王子とは馬が合わないことで有名だった。
……尤も、戦費を派手に使い恩賞を惜しまない性格の所為か、彼を慕う部下は多かったのだが。
「そうです。
このままでは次期国王はあのラスカル王子に決まってしまいます。
知恵を出し合いましょう。
……我等が三者、一蓮托生ではありませぬか」
次に声を出したのは、ヴォルクス大臣だった。
全体的に丸みを帯び、もう五十を超えるほどの彼は、とても騎士とは思えぬほど戦いに向かぬ身体つきをしている。
戦には向かぬ彼だったが、その分領地経営に関して非常に長けており……ランシア王国で最大の富豪であり貴族でもある。
だが、商人を優遇し庶民から容赦なく税を取り立てるその手法は非常に悪辣と名高く、王国中から強欲と噂され……敵が非常に多い。
何故ヴォルクス大臣がラルヴァ王子に付き従っているかと言えば、王家の威光を借り、特権を得ることによって様々な税収を独占するためであり……
「分かっているさ。ヴォルクス。
貴様には感謝しているさ。
あの娘、レイシアは……なかなか良い女だからな」
「ええ、そうでしょうとも。
レイシアは私の自慢の娘ですからな」
そう言って薄笑いを浮かべるヴォルクス。
要は、ヴォルクス大臣は実の娘を王子に差し出すことにより、その特権を握ることに成功していたのだ。
そしてラルヴァも、幼少より『色々と親しくし続けてきた』彼の娘を非常に気に入っていたのである。
「ふん。貴様の娘か。貴様に似てないのを神に感謝するのだな」
「けっ。領地経営も満足に出来ぬ蛮族が、偉そうな口を」
「んだとっ!」
「あぁ?
戦争したがる貴様のために、戦費をかき集めた恩を忘れたのか?」
「あの戦争のついでにこの辺りを荒らしていた山岳部族を皆殺しにしたから、街道の強盗が減ったのは分かっているのだろう?
そのお蔭で貴様お得意の商売が繁盛しているのだろうがっ!」
「……止めろ、二人とも」
バルデス将軍とヴォルクス大臣がにらみ合うのを止めるラルヴァ王子。
「我々は一蓮托生と言ったばかりではないか」
まぁ、この三人はそういう間柄だった。
王子は女と手駒が欲しい。
バルデスは自由に戦争がしたい。
ヴォルクスは金を得るための特権が欲しい。
王子の持つ権威はバルデスとヴォルクスそれぞれの欲を満たし、バルデスの武力は王子にとってもヴォルクスにとっても欠かせない剣であり、ヴォルクスの富は王子の欲を満たすにもバルデスの戦争資金としても有用で……。
要するに三人ともがそれぞれの欲のためお互いを必要としていのだ。
……清々しいほど、欲でまみれた三人組ではある。
「しかし、あのラスカル王子は不正を一切許そうとしない」
「ええ。
あ奴は『水清くて魚住まず』という言葉すら知らぬほど、世間知らずの坊やですからな」
「……ならば、やはり消えてもらうしか」
「どうやって?
常に周囲を人に囲まれ、剣の達人でもあるアヤツを消すほどの人材など、我が王国には……」
ラスカル王子が次期国王に選ばれると、能力に反比例するように社会通念に欠けている彼ら三人はお互いに困る。
と言うか、正直な話、彼らが今まで積み重ねてきた不正の証拠を押さえられでもしたら……彼らの地位など一瞬で吹き飛んでしまうだろう。
だからこそ、三人はこうして……雁首を突き合わせているのである。
「バルデス将軍、貴様の腕ならば何とかなるのでは?」
「阿呆が。
俺がことを起こせば、貴様とてタダでは済まぬわ!」
「……やはり、アレを使うか」
いがみ合い始めた二人を止めたのは、今まで黙っていたラルヴァ王子の一言だった。
「王子、……アレ、とは?」
「何か、良い手駒が?」
「……ああ。ちょっと前に報告にあっただろう?
市井に人殺しに長けた化け物がいるとか」
二人の視線を受けた王子は近くのワインを口元に運びながら呟く。
「……それは、もしや『鮮血』のキリアでは?」
「あの、騎士を百名ほど斬り殺したと言われる、最悪の犯罪者?」
唐突に放たれた王子のその言葉に、思わず二人は顔を見合わせていた。
「王子、それは幾らなんでも……」
「獅子身中の虫となる恐れが……」
「ふん。所詮は女。
……ならば色々と手はあるだろう?」
そんな二人の側近の忠告をラルヴァ王子は笑い飛ばす。
その笑みは自信に満ち溢れ……まさに一国の王子に相応しい笑みだった。
……もし色を好む自信家が即英雄となれるのならば、彼は確かに稀代の英雄になれたことだろう。
「……ですが、あの女の処刑はそろそろ……」
そんな王子へ向けて、バルデスが未だに気が乗らぬという声色で諫言する。
騎士として捕り物に参加した彼は、直接相対した訳ではないものの『鮮血』のキリアという存在の恐ろしさをその身を持って知っていたのだ。
事実、あの捕り物では彼の部下を含め三〇余りの騎士が犠牲になっている。
──正面から多対一で斬り合って尚、騎士を軽々と屠るその戦闘能力。
現実問題としてそれがどれほど凄まじいものかを、戦争に長けたバルデスは思い知っていた。
結局、王都を護る騎士たちはその誇りの象徴である剣での捕縛を諦め、投網という手段を使うことでようやく『鮮血』のキリアは捕らえられた訳なのだが……
……ラルヴァ王子はその化け物を解き放とうというのである。
戦好きだからこそ、リスクとリターンの釣り合いを常に考えて博打を好まぬ気質であるバルデス将軍が、この案に対して乗り気でないのはある意味当然だった。
「身代わりくらい幾らでも手に入る。
ヴォルクス。少々包んでもらうことになるが」
「……ええ。
凄腕の騎士を雇うより遥かに安く済みそうではありますな」
戦場を知らぬ二人は、既に決まった話として笑いあっている。
ラルヴァ王子にとって自分に逆らう人間なぞ、同じ王族のラスカル以外にはいないと信じていたし……ヴォルクスは領地経営に長けている分、戦いには疎かった。
だからこそ、彼ら二人にとって死者というのは「ただの数字」であり、騎士を百名も殺す犯罪者がどういうものか、しっかりと理解していなかった。
──そう。
──彼ら二人は『鮮血』という二つ名がついた殺人鬼のその恐ろしさを理解していなかったのだ。
「バルデス。
あの女が幽閉されている場所は?」
「……ベルガの塔です。
確か最下層に」
ラルヴァ王子の声に、気が進まないなりにも応えるバルデス。
軍という命令系統が絶対である彼にとって、王子の言葉とは逆らえぬ絶対のルールであり、彼自身にも腕に覚えがあった。
たかが殺人鬼如き、生粋の軍属である自らの剣の前では無力だと信じていた。
だから、気が進まないながらも彼はその王子の命令に強く反対することは出来なかったのである。
「そうか。
……ならば向かうとするか」
そうして、話合いの結論としてラルヴァ王子が放ったその号令により、彼ら三人はベルガの塔に向かうことになったのだった。