第四章 第三話
夕方になり、ようやく執務から解放されたラルヴァは、ふらふらと王宮の廊下を歩く。
執務なんて慣れない作業をやらかしたため、精魂尽き果てていたのだ。
「……畜生。何で俺がこんな目に……」
ぼやくラルヴァ。
だが、今日彼が執務に追われたのはラスカル王子が自分の部下を殺した暗殺者を捜すのに躍起になっていた為であり、その暗殺者を放ったのはラルヴァ自身である。
──まさに自業自得だった。
ただ、疲労した分の収穫はあった。
ラスカル勢力の有力な一人と思っていたアルス政務官は、実のところ王族ならば誰にでも仕えるという中立の立場を保っていると分かったからである。
ラスカル王子派だと思っていたのは、単純に彼が執務に忠実であり、そしてラルヴァ王子が今まで執務をサボり続けていたからだけだった。
ラルヴァは脳内でアルス政務官の斬首刑を想像しながらも、しぶしぶ脳内暗殺リストから彼の名を外す。
尤も、収穫があったからといって疲労感が消える訳でもない。
ふらふらと王宮の廊下をラルヴァが歩いていたところに……
「あら、王子さま。お疲れみたいですわね」
背後から声がかけられる。
ラルヴァ王子が振り返った先には、一人の女性が立っていた。
歳は二十歳辺り。
金髪に褐色の肌をしたその美女は、肩を完全に露出した真紅のロングドレスでその身体を包み込んでいる。
身体全体は細身なのだが、その胸は彼女の細身の身体のバランスを崩しかねないほど豊満で、だけど不気味にならない程度には彼女の身体の一部としてバランスを保っているという、まさに芸術品と言うべきプロポーションであった。
瞳の色は青。
顔立ちは百人に聞けば百人とも美女と答えるほど整っているが、悪戯っぽく輝く瞳はどこか幼さを隠しきれていない。
「……レイシアか。何か用か?」
「あら、王子さま。婚約者に向かってそれは、ちょっとつれないお言葉ですわ」
レイシアと呼ばれたその女性は、ラルヴァに向かって妖艶な笑みを浮かべる。
だが、その笑みを見たラルヴァは、それほど感情も篭らない瞳で彼女を睨む。
「ったく。まだ言っているのか、それ」
「ええ。何度も申しました通り、長年の夢が叶うかもしれないこんなチャンスを逃すものですか」
ラルヴァに睨まれたというのに、婚約者を自称したレイシアは微塵も動揺せず、笑顔のままで言葉を返す。
その程度の軽口を応酬できる程度には、彼女とラルヴァは親密だった。
そして彼女の父はあのヴォルクス大臣である。
レイシアは母に似たようで全く父親の面影を残していないが、それでも彼女は父親の影響力を十二分に承知していた。
だからこそラルヴァの婚約者を自称し、その地位は内外にも知られている。
傍から見れば政略結婚の謗りを免れない二人ではあるが、ラルヴァは彼女の気立てやプロポーションに十分満足していたし、レイシアの方も全く自分の立場を欠片も悲観してはいなかった。
「長年の、夢、ね」
「ええ。王子様が迎えに来てくれる。
女の子ならば誰でも見る夢でしょう?」
「……そんなものか?」
「ええ。そんなものですわ」
レイシアがどこか子供っぽさを残す笑顔で答えたその言葉を聞いても、ラルヴァは肩を竦めて……興味がないとばかりの態度だ。
事実、王族として育てられ、合理的・現実的思考を叩きこまれたラルヴァである。
しかも男性である彼に……女の子の見る夢なんて、分かるはずもなかった。
(……アイツも、そうだったのか?)
不意に。
ラルヴァの脳裏に浮かんだのは、無邪気な笑みを浮かべながら殺戮を繰り返す、一人の少女。
今もラルヴァの別宅で彼を待ち続けているだろう彼女のことだった。
(いや、まさかな)
何となく首を振ってその考えを振り払うラルヴァ。
「なに?
また何処かの女でも引っ張り込んだのですか?」
そんなラルヴァの様子に何かを感じたのだろう。
酷く冷たい声でレイシアが呟く。
「まぁな。
結構面白いヤツだぞ?」
レイシアの冷たい声も気にせず、ラルヴァは堂々とそう応える。
「……そりゃ、一国の王子ともあればもてるんでしょうけどね」
開き直ったとしか思えないラルヴァの言い訳だったが、それを聞いたレイシアも、ため息を吐くだけで何も言わない。
……言っても無駄だからだ。
そんなことで腹を立てていれば仕方ないくらい、ラルヴァ王子は気の多い人間だったし、レイシアも貴族出身……王族の義務くらいは心得ている。
と言っても、最近は王宮内でも本性がばれてきたため、あんまり色目を使う相手もいなくなってきたのだが……
それでもレイシアの声が拗ねた感じになるのは仕方ないだろう。
夫になるかもしれない相手の浮気を喜ぶ女性なんて、よほど特殊な趣味をしている女性以外はあり得ず……その相手の身分がレイシアから見れば遥かに各上である以上、拗ねるくらいしか彼女に出来ることはないのだから。
「……そう言われてもな。
ま、王族の務めというヤツだ」
レイシアの拗ねた声を聞いたラルヴァは、少しだけバツの悪い顔をしたと思うと、そう言い訳をする。
彼としては、王族とは国家の頂点に飾られるモノに過ぎないから、血を残すだけが仕事と考えていて……血縁者を増やす作業を頑張っているだけだ。
勿論、その『血縁者を増やす作業』をラルヴァ自身が好きでやっているのは否めない事実ではあるが……彼には侍女から農民、人妻から貴族の息女に至るまで色々と手を出した実績がある訳だし。
とは言え、流石にむやみやたらと胤をばらまく訳にもいかず、一応、彼なりに注意はしてきたつもりだえる。
だからこそ、彼が王族の血を残す羽目に陥ったのはまだたったの三度しかなく。
「もう私と……この子がいるから良いじゃないですか」
ラルヴァの言い訳がましい言葉を聞いたレイシアは、自分のお腹を眺めながら囁く。
そこにはラルヴァが王家の務めを頑張って、王族の血を残す羽目に陥った結果が入っている……らしい。
まだそれほど目立つサイズでもないので、ラルヴァにとってその実感は欠片もないが。
実際にスタイル抜群のレイシアがラルヴァのお気に入りであるのは間違いないとは言え、そして彼女の父がラルヴァ派の貴族として一・二を争う重鎮とは言え、たかが一貴族の息女に過ぎない彼女が堂々と王族の婚約者を自称しているのはそういう理由からだ。
尤も、ラルヴァは彼女が婚約者を自称するのをあまり歓迎してはいなかったのだが。
「そう言えば、別宅の侍女たちに休暇を出したのですって。
そこに新しい女を住まわせているって訳ですか?」
「……まぁな」
「何ならその新しい女とやらに、私が話をつけても……」
レイシアが婚約者を自称し子供まで宿しているのにも関わらず、ラルヴァの浮気癖は治らない。
そんな彼に対して、彼女ができることは……王子のばら撒く種が実らない内にその相手を摘むことだった。
しかも彼女の父親であるヴォルクス大臣は、凄まじい富豪である。
金の力で色々と手を打つのはレイシアにとっては得意分野で、だからこそ彼が失敗を仕出かした他の二件の通りに処理すれば……。
レイシアはそう考え、少し意地悪そうな笑みを浮かべながらその一言を放ったのだが……
「やめろっ!」
そんな彼女を、ラルヴァは全力で怒鳴りつける。
「……な、何よ、そ、そんなにお気に入りって訳?」
その余りの剣幕に、レイシアは怯みながらも体裁を取り繕って尋ねてくる。
「良いか?
死にたくなければソレだけはやめておけ」
ラルヴァとしては心底レイシアの身を心配して……もしかしたらそのお腹の中の「もう一人の身」を心配して放った言葉だったのだが、レイシアからしてみればそうではなかったらしい。
「……ふん。分かったわよ。
貴方のことだから、どうせまたすぐに飽きるでしょうし……それくらい我慢しますわ」
そんな負け惜しみの一言を言い放つと、王子に背を向けてレイシアは立ち去る。
ちなみに、ラルヴァは気付かなかったが、レイシアは新しいドレスと新しい下着に身を包み、最近ご無沙汰だったラルヴァとの逢引を楽しもうと待っていたのである。
だからこそ新しい女が出来たと言い放ったラルヴァに腹を立てて立ち去ったのだが。
「……何なんだアイツは?」
……残念ながらラルヴァは女性の機微に関して疎かった。
ラルヴァからしてみれば、折角心配してやっているのに……となる。
「ま、良いか。
早く帰らないと、キリアのヤツが何をしでかすか分からないからな」
薄情にも婚約者の不機嫌をラルヴァはあっさりと流すと、疲れた身体を引き摺ってキリアの待つ別宅へと向かったのだった。




