第五話 取捨選択
俺、峰が原徹は友達が少ない。もしかしたらないのかもしれない。
故に親友とかいう非科学的存在との戯れも経験したことないし、休日は家にいるか近所の商店街で買い物をする程度だ。
家にも親兄弟姉妹その他親類はいない。
別にそこに孤独感を感じたりとかはないが、1人だとどうしたってやることがなく、なんとなく手持無沙汰な感じではあった。
そこで、日曜日の朝に俺はある挑戦をしてみようと思った。無謀で危険かもしれないが……
早速準備をしようとしたがここであることに気付いていてしまったのだ。
このチャレンジをするにあたってのそれに相応しい服装が見当たらない。とんでもないことだ。俺は丸腰で行かなくてはならいのだろうか。
ますます、このチャレンジの難易度が上がっていく。
とりあえず、一番まともそうなものを選んで、玄関前で一呼吸おき、さながら戦場へ赴く気分で家を後にした。
峰が原徹の人生初となる「繁華街」へ向かうために――
他人から見ればかなり誇張した言い方ではあるが、生まれてまだ1度も大きな町へ出て遊んだり、買い物をしたことがない。
もちろん師匠に連れられて各国の都市に連れてこまれたことはあるが、それはプライベートではなく師匠の仕事に付き合わされていただけだった。そのせいで学校を長期間欠席することになってしまって余計に毎日の登校をまるで転校初日かのような気まずい気分でやり過ごさなくてはならない。おそらく一般的には転校生がいるとなるとクラスメイトが寄ってたかってしゃべりかけようとするのだが、目つきが悪く妙に筋肉質であることで皆から敬遠されるようになってしまったのだ。白石にしたってあいつから話しかけてくることはあっても俺からコンタクトを取ろうとは思うはずもない。
友達を欲しいと思ったことはないにしても、いないとなると学校での生活が不便である。
そんなわけで、家から駅まで歩こうとした。
「あら、久しぶりね。峰が原くん――」
家を出たすぐ前の道でさっそく声をかけられた。
その声に足を止めてしまった。その声は明らか既知のもので5日ほど前に1度聞いたものだ。
本来なら道中で声をかけられることなど隕石が地球に落ちてくる確率よりも低いはずだ。だが、隕石が落ちるよりも先に声をかけられた。
そこには、獅子堂みくが待ち伏せをしていたかのようなタイミングでいたのだ。
なんと滑稽な絵だろう。微笑を浮かべながらそこにいる女子を見るなりさっきまでの猛々しい姿が嘘のように怖気づいてしまっている男子。
「なっ、なんでお前が――」
彼女は俺のリアクションがたいそう気に入ったらしく満面の笑みで
「少し時間あるかしら?」
あの時と同じ台詞言って、俺と獅子堂はあの時と同じ道を前回とは逆方向に駅へ向かった。
「これからどこに向かうつもりだったのかしら?」
「答える気はない」
あまりの動揺でもしかしたらちゃんと呂律が回っていないかもしれない。
こいつはどこまでついてくるんだろう。
俺が電車に乗って、目的地に着くまで一緒にいられるといろいろ厄介なことになりそうである。
「あらそう。じゃあ教えてくれたら、少し兄についてしゃべってあげるよ。もちろん、これは私の意志で兄のとは別と考えてもらっていいわ」
「本当だな」
うなずいた彼女を確認して、俺は言ってやった。
「千手丘だよ」
それを聞いた彼女は手で口を塞ぐようにして笑った。笑いやがった。嘲笑しやがった。
「ふふ。あんなとこにあなた1人で何しに行くつもりだったの?」
「まだ、1人でとはいっていないだろう」
この台詞自体がそもそも図星だった。ああどうせ1人ですよ……
「気分転換だよ。主にお前のせいでな」
「あらそう。じゃあとりあえずそこに一緒に言ってあげるから、代わりに私になんでも聞きたいことを質問しなさい」
そういって2人で改札を通った。
そこからの電車内での時間は退屈だった。
話に付き合えというのですぐさま話し始めるのかと思ったが、二人並んで座ったもののいっこうに口を開かない。
そして無言のまま約20分が過ぎ、目的地の千手丘駅に着いた。
目的と言っても駅の前にあるショッピングビルなどを順に見て行くだけだったつもりなので、とりあえずは彼女に話を聞こうと適当な喫茶店に入った。
まだ、お昼前であったので空席も多く1番出入り口から遠い壁際の席に腰を下ろした。
「エルマーの言った『運命の歯車』とは何だ? その本にはエルマーが関わっているか?」
「兄のいう『運命の歯車』が何なのか分からないけど、間違いなくそれを動かしたがっているのは兄の真意よ」
「本当にそんなことができるのか?」
「並みじゃない権力と並みじゃない思想があればできるんじゃない」
やつはおそらくそれらを持っている。権力も思想も……そして兵力も……
「なら、お前は何のために御宮山学園にいる? どうして今、俺と話している?監視のためといっても同じクラスに在籍するのはあまりにリスクが大きいと思うが」
すると少し自分の中でいうのは止めようとしたかのように
「あなたをあるべき本来の峰が原徹という姿に仕上げるため、かしら?」
それは彼女の後ろでやつが呟いていたかのようだった。
その言葉はお前の言葉じゃない!
「エルマーの思想とは何だ。やつは未来に何を願ってあんな馬鹿げたことをしている?」
「大いなる未来、光ある未来、平和な未来。だいたいそんなことあなたのほうがよく知っているのだと思っていたけど――」
ん? 俺がそんなこと知っているわけないだろう。
「戦争や殺戮をしてその血でそんな煌びやか未来が創れるわけないだろう」
「必要悪っていうのが、1番分かりやすいかな――」
必要悪。
悪は全であるために必要である、悪の撲滅は善の消滅である。
必要悪なんてものは結果的に悪と判断されただけで手段としては間違っていない、なんていうのは後出しの言い訳でしかない。
しかし、やつの挙動はどこか悪であること自体に意味を見出しているような、結果は度外視にしているような……
「戦争という言葉があるから平和という言葉がある。戦争がなければそれは平和ではなくただの日常である。逆もまた同じ。平和を望むなら戦争を望め。戦争を拒むなら平和を忘れろ。これが兄の思想であって、兄そのものなの、峰が原君」
「両者が互いに存在し、どちらかを捨てることは不可能ってか。そんな世界を達見したような独りよがりな考えに獅子堂は従うのか?」
「従っているんじゃない! 理解しているの!」
おとなしそうな見た目と反した活発な声をあげた。
俺の発言が癇に障ってしまったようだ。
彼女とエルマーの間には何か壁というか、兄弟とは違った別の関係があるようだ。
獅子堂みくがどうしてもエルマーの味方をしているようには見えない。
その後、1時間弱どうにかして師匠がいっていた『計画』とやらについて聞いてみたが「分からない」の一点張りで特に進展はなかった。
「なんでも聞きなさい」といったわりの成果である。
獅子堂はエルマーの兄であるが、それ以外は何もないのだろう。兄妹というのは本当にただの血縁の仲とだけであるようだ。
エルマーにとっても獅子堂という存在はその程度にちがいない。
家族のようで他人の仲に一体どれほどの意味があるというのだ。獅子堂だってそう分かっているのだろうか? 分かっていてこのようなことをしているのだろうか?
彼女にはいったいどんな世界がみえているのだろう?
どちらともが店を出ようとは促さず、それとなく同時に席を立ち店を出ることにした。
獅子堂は俺が行くところについていくと言い出したので、とりあえず男女2人が入って行ってもおかしくない店を手当たり次第に散策した。
本屋に行けばお互いに好きな作家について語り合い、CDショップに入れば俺が好きなクラシック音楽を視聴させ、最後には普段近所のスーパーでは買えないような珍しい調味料とかを見に行くために広い食品売り場があるショッピングセンターに立ち寄った。
それらの時間は俺が峰が原ではなく、彼女が獅子堂ではなくただのどこにでもいるような男女であればどんなに楽しかっただろう――
今、この時間を幸せと感じずに虚しいとだけ感じてしまうのは、俺の罪であり彼女の宿命なのだ。
午後6時過ぎ、片手にスーパーの小袋を持ったまま千手丘駅で帰りの電車に乗った。
下りの電車なので混んでいるというほどでもなく寧ろ行きの電車より座りやすかった。
結局、帰路も沈黙が続いてしまった。
俺と獅子堂の家の最寄駅に着く直前に彼女が俺に言ったのか、窓の景色に言ったのか分からないが「まだ1週間も経ってないんだね……」とぼやいた。
確かに獅子堂と話し始めたのはほんの5日前のことだったが、それがどうしたのだろう。
獅子堂の考えていることは分かり易そうで実に分かりにくいものである。
駅に着き切符を通すと、獅子堂は「じゃあ、ここでいいわ」と少し弱い声で言った。
俺にゆっくりと背を向けた彼女の姿はハリボテのように脆そうでその中身は寂しそうであった。強そうで弱そうだった。
そんな姿から目を背けるように家へ足を運ぼうとした。
すると急に肩を叩かれた。
誰だろう?と振り向いてみると、すでに100メートルは離れたところにいるであろう獅子堂みくが息を切らしながらすぐそこにいた。
「メールアドレスを交換しましょ」
本日をもって俺の携帯電話には2つ目のアドレスが登録された。