第二話 WHAT`S YOUR NAME?
獅子堂みくの衝撃の告白があったその日の夜は案外、ぐっすり眠ることができた。
頭の中では、エルマーの顔と獅子堂の顔が入れ代わり立ち代わりに頭を駆け巡った。今更、動揺はしていない。しかし、突如今まであった足場がだんだん崩れるような予感がした。
そんな俺に一瞬であるが夢を見させてくれた。朝になると、一抹の妄想にすら思えてくるぐらいほんの些細な夢を。
その中でもはっきり覚えていることがある。
背後で一発の激しい音がした。そして、女の子が倒れていた。
起きてすぐに、思い出せたのはその音と女の子だけだ。もしかしたら、その音は人を殺す音だったのかもしれない……
あの時に振り返って声をかけたら、お前を助けられたのか? お前は『有野安理香』なのか?
分からない―― 分かりたくない――
残酷にも世界はいつも通りの時を刻む。
例外なく俺にも、桜萌子がいて、白石優太がいて、そして、獅子堂みくがいる教室に向かう時間が迫っていた。
だいだいどこの学校もそうだと思うが、授業というのは学生であれば受けてしかるべきものである。また、同時に学生にとってはできれば聞きたくないものである。
この2年3組の教室を見渡すと、前者の半義務化している授業にいやいやながら参加する生徒、または受けて当然と言わんばかりに背筋を伸ばしている生徒は絶えず黒板を注視している。
一方で、後者の考えに甘えてすでに授業を投げてしまった生徒は、机で寝てしまったり窓の外やらを眺めている。
その数はおよそ全体の5割といったところ。
俺はいつもは前者のほうなのだが、今日は妙に体が重いせいかまだ2時限目にも関わらず、机の上で自分の腕を枕にしてぐっすりと睡眠を摂ってしまった。
昨夜はあんなに眠れたというのに……
「ス、スイマセン……本、見セテクダサイ……」
突然、声をかけられた気がしたので体を起こした。
そこにはいかにもといったようなカタコトな日本語をしゃべる、金髪で碧眼で俺のことをまっすぐ見つめる女子が座っていた。
おそらく初対面であろう人と数秒も目が合ってしまうと自然と目線を落として、頭の中で状況を整理してみた。
あれ? こんな人いたっけ? なんてことを考えている間にその子は俺にささやいた。
「私、今日転校シタ『エミーリア・ハミル・ユールコレット』言イマス」
「そうだったのか。 ついさっき窓から降ってきたのかと思ったよ。 あ、名前は峰が原だ。 よろしくな転校生」
「ミ、ミナ……ミナギルサン?」
いやいや、名前間違えてるよ、なんて指摘はできず、とりあえずこの女は初めて桜に話しかけられたときとおなじような感じがした。
きっとこの子も残念なほうの人間なんだろう……なんか電波が飛んでいそうな感じが……
そんなことを思ってしまっていると、教室のどこからかくしゃみをしたのが聞こえたが、気のせいだろう。
3,4時限目は滞りなく授業を受けることができた。
エミーリアは桜と違ってどうしようもないバカというわけではなく、数学や英語など基本的に日本語を使わなくてもあまり差し支えない教科については優秀である。(確認だがエミーリアは英語圏には住んだことはないらしい)
言葉が話せないなりに、クラスにもすぐ馴染んでいるようで、人当たりのいい性格もクラスのみんなには大うけだった。昼休みになると一緒にご飯を食べようと女子だけでなく一部の男子も、鼻の下を伸ばしてエミーリアのそばに湧いてきた。
が、ただ一人少し不満げそうにその様子を見ている女子がいた。
「桜さん。女の嫉みは醜いですよ。」
どうして、彼女に話しかけたのかは分からないが、自分の席で弁当をまるで機械の単純作業をしているかのように黙々と食べている姿は少し悲痛であった。
「べ、別にエミーリアさんに嫉妬なんかしてないわよ! 」
「俺は別に嫉妬の対象はエミーリアさんとは言ってないけどな。桜さん」
「あんたってそういうこと平気で言っちゃうからいつまでたっても友達がいないのよ!」
「な、なんだと……」
ここで桜は思いがけない変化球を投げてきやがった。いや、ここでは俺の心のど真ん中にまっすぐのストレートを投げてきたというほうが正しいのか。
「あんただって、転校初日に友達いっぱいできてるエミーリアさんに嫉妬してんじゃないの? 」
ここで俺は完全にサヨナラ負けをしてしまった。
返す言葉もないぜ……
「でもね、なんだが普通の子じゃないってかんじがするのよね――」
は?
桜はいきなり声のトーンをおとしてそうつぶやいた。
友達がずいぶん多い桜(俺とは違って)は、他人の性格とか雰囲気に敏感ではあるがこの場合はどういうことなのだろう――
そんな中でふと獅子堂の姿を探してみたが、どこにもいなかった。
昨日あいつは自分のことを認識してもらえなかったことに立腹していたが、そもそも俺は教室にいる姿を見たことないのだった。
白石によると、獅子堂みくという生徒は家庭内で問題があってこの学園に転入してきたらしいが、いつのことなのかはほとんどのクラスメイトが認知しておらず、いつの間にかクラスにいたそうだ。
やはり、つかみどころのない女であった。そもそもどうしてこの学園に転入してきたのかも分からない。俺がいるからか?
さらに言えば、ここ二日で同じクラス内で初対面の人と会う機会が二度もあるのはおかしい。
3年前のあの事件は終わったはずなのだ。俺だって罪悪感から抜け出し、すっかり「普通」の生活ができている。ここにいる生徒だってほぼ全員があの事件の真相を知らないままのはずだ。
とはいってもエルマーの言った最後の言葉もやはり気になって仕方がない。それこそこれから起こる事象が俺を中心に動こうというのなら、このエミーリアの転入にだって何か意味があるのかもしれない。
2年3組の教室を見渡しながら、学園内すべてが何かしらの意味をもたせて俺の回りに存在しているのではないかとさえ感じた。桜だって、白石だって、もちろん獅子堂も。
正直、ここまで自分が他人に関心を持って、自分のことに対してまでも疑問を持つことはなかった。
すべての答えはエルマーにしか分からないのだろう――
そうだ、運命の歯車とは途轍もなく大きな力で回り、どんな不可能だってもしかしたら奇跡として表れる。そしてなによりも、残酷なのだ。
放課後、時の運命か、もしくは桜が今日の昼休みの一件への仕返しのせいか、俺は教室に携帯電話を忘れてしまった。おそらく後者が正解であるが。
時間は5時3分過ぎ。あたりは少しであるが暗くなりつつあり、白い校舎も夕陽に照らされている。全校生徒のほとんどは部活等で教室棟からはいなくなっている。
はずだった……
最近聞いたことのあるような声で話しているのが俺が所属している2年2組の教室から聞こえる。
ただ、おかしいのは声が一種類しか聞こえないことだった。おそらく電話だろう。しかし、なぜ教室から?
その口調も友達との談笑というわけではなさそうだ
昨日のこともあり、息をころして教室をそっと覗いてみるとそこにはエミーリアが携帯電話で話していた。――――日本語で。
いや、正確には流暢な日本語で、だ。たしかに、今日の授業中にも不慣れなようではあったがカタコトの日本語は話せていた。が、現在彼女がしゃべっているのは、誰が聞いても間違えることのないような日本語だ。
「What? 」
思わずこちらが英語でつぶやいてしまうほど驚いた。
彼女の半日で語学能力が上がっていることにはもちろんだが、そもそもどうして彼女が1人で放課後の教室内で誰かと電話をしているかだ。
何か見てはいけないもの見てしまったような、俺が教室に来てしまったという要素が状況をひっくり返してしまったような、そしてなによりも、この瞬間に世界の歯車どうしが微妙にかみ合わなくなったような感覚がした。
俺の声に気付いたのかそいつは急いで電話を切り、冷や汗をかきながらものすごいスピードで教室の後ろの戸から出ようと試みた。
が、そこにはすでに、慌ててしまい咄嗟に日本語が出なかった男子高校生が塞ぐように立っていた。
「何してたんだ?エミーリア・ハミル・ユールコレットさんよ」
「なにもしてな、は!ナ、ナナ、ナンノコトダカ……」
「いや、もういいって。しゃべれるんだろう?日本語」
そんな容疑者を追い詰めたような雰囲気のなかで容疑者はこういった。笑顔で。
「えへっ」
どうやら情状酌量の余地はないようだ――