前巻‐参‐
少年は目を覚ます。それは生と死の狭間。本来なら来るはずのない場所。
綺麗な場所。
それが真っ先に思い付いた感想だった。
光沢を放つ黒と白の板が交互に隙間なく敷き詰められている。少年には分かる由もないが、大理石である。
周囲には石柱が何本も立っていた。しかし、不思議と天井には濃い霧で覆い隠されていて見ることが出来ない。
しばらくの間見慣れぬ風景に見惚れているとコツコツと一定の間隔で音が響く。そして、その音は徐々に少年近づいてくる。しかし、周りを見渡せど音源が何なのか知ることは出来なかった。
「ここじゃよ、少年」
……!
驚き、振り向く。
先ほどまでは誰もいなかったはずの場所に人の良さそうな老人が立っている。ねじれた杖を持ち、自らの髭をさすっている。
「はじめましてじゃの」
見知らぬ場所に一人でいた少年には目の前にいる老人以外にいるはずもない。
「はじめまして、俺は佐々木小次郎です。あの、ここがどこだか分かりますか? 俺、戻らないといけないんです」
その言葉に老人は一瞬悲しげな表情を浮かべるが、スッと無表情になった。
「どこに帰ろうというのだ? 佐々木小次郎、ちゃんと現実を見ろ」
――ゾクッ。
突然の変調。その低く何の温かみのない声は少年を寒気と恐怖、そして元いた場所での最後の記憶を嫌でも思い出させた。
全てを思い出した少年が縋るように老人を見るが依然として甘えを許す様な表情はしていなかった。
「理解したようじゃの。わしの見込み違いでなくて助かるのぅ」
少年に口を開く間すら与えずに二の句を継いだ。
「さて、少年にはこれから別の世界に行ってもらう。異論も文句も認めん。これも仕方のない事だと思ってくれ」
少年が口を開けたままでいるのも気にかける事無く、話は進んでいく。
「しかし、わしは主を見てきた。じゃから主の心の内で望む事が出来るように手助けをしてやろう。きっと満足できるはずじゃ」
少年の眼を力強く見つめわしゃわしゃと頭を撫でた。呆然としている少年。老人には先ほどまであった柔らかな笑みがあった。自然すぎてそれが偽りの物かも分からない。だが、それでも少年に肩の力を抜かせるには十分だった。
「なあ、爺さん。俺の本心とはなんだ? なぜ、分かるんだ?」
「分かる事がわしがわしたる所以じゃ。その内分かるじゃろう。だからこそ主を選んだのじゃからな。餞別にいくつか特典を与えてやろう。その内の一つに刀も含まれておる」
刀という言葉を聞いた途端に少年の目が輝く。先ほどまでの死んだ魚のような眼をしていたのが嘘のようだ。
「行きます。行かせてください!」
「うむ、元気がいいのは良いことじゃ。子供はそうであらねばの」
老人は少年の様子に目を細め喜ぶと、杖で二回床を叩いた。
すると、床から薄い長方形の物体が浮かび上がる。
その物体の中心は磨かれたように輝いている。少年と老人の姿を映し出している。少年がいた場所では考えられないほど綺麗に人を映し出す鏡だった。
「これを見よ」
鏡の部分に現れたのは森や、冬山、砂漠、海、そしてぐつぐつと煮えたぎるマグマ。
少年は辛うじて映し出された物に対して見識を有していたが、それは偏に父親に連れられ各地を旅した経験と商人故に豊富に集められた書物を盗み見ていたおかげだろう。
「ここは主がこれから行く場所じゃ」
見た事もない植物、動物が存在する世界。
「じゃが、見知らぬ世界に行くのは不安じゃろう? そこで最初は補助を付けてやろう。補助の内容は行けばわかる」
「行かないっていう選択肢はないのか?」
その意見を老人は鼻で笑った。
「良いのか? この様な機会滅多にないぞ。そして、わしは知っておる主がこの状況を楽しみ始めていることを。あちらの世界では主が何をやろうと自由じゃ。柵も縛りも何もない」
「それに多少の知識もくれてやる」
白い光が小次郎を包む。小次郎の脳裏にはカタカナで知らない言語――スキル、レベル、ヒットポイント、スキルポイント、マジックポイントなど様々だ――が次々と脳裏に刻み込まれていく。
「今与えた知識は様々な場所で使う事になるだろう。もちろん、主の使う漢字も平仮名も使う。じゃが、先程のような横文字が主要な場所もある。そのための知識じゃ。有難く受け取れ」
尊大に、そして、鷹揚に告げると、真剣味を帯びた瞳で少年を見据えた。
「さて、無駄話はこれで終わりじゃ。行け。小次郎よ、そして為すべき事を為すがよい!」
そして、少年の体はこの空間から消え去った。
一人残された空間で老人は悲しげな表情を浮かべ、呟いていた。
「悪いのぅ。わしにはこの手しかないのじゃ。じゃが、主ならきっと……」
一粒の雫が床を濡らした。
「また、会えることを祈ろう。少年に幸運を」
2013年1月13日大幅に変更いたしました。