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誘われし狐  作者: こう茶
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前巻‐弐‐

 結局少年の右腕は治ることはなく、当日を迎えた。


 腕を組み厳めしい面構えをした大人たちが椅子に座ってじっと見ている。視線で体に穴が空きそうなほどだだ。試合場の周りに張り巡らされている柵越しには心配そうな面持ちの少年の両親がいる。


「緊張するな」

 その言葉とは裏腹に少年は笑っていたが、その興奮を納めるように息を吐いた。

 

 片腕で闘うというハンデが彼に今の状況に対して開き直らせていた。


 この武術大会の出場者には木槍か、木刀を使う事が許されている。少年は迷わず、使い慣れた木刀を取る。鐘捲流かねまきりゅうは太刀と小太刀などを扱う流派である。たとえどんな不利な状況に陥っても負けないという自負があった。 

 それに少年には心強い味方――金を象ったお守り昨日父親から武術大会でいい成績を残し、無事終えられるようにという願いの込められたもの――を受け取っていた。商人であることを誇りに思う父親のセンスに苦笑いを浮かべるが、ギュッと握った後の表情からは晴れ晴れとしていて、無駄な力みが抜けたようだった。

 最後に両頬を叩き気合を入れ、前に進んだ。





 相対している男は少年よりも頭一つ分背が高い。所々古傷のあるがあり、筋肉で全身が覆われていて見るからに屈強そうな男だ。槍を構える体からは強者特有のピリピリと肌を指す様な雰囲気が漏れ出し、油断なく少年を射抜いている。

 攻撃範囲も相手の方が広く、右腕のこともある。少年は待ちの姿勢ではなく、自分から突っ込んだ。

 長期戦は厳しいと判断し、最初の一撃から全力で踏み込む。一気に距離を詰め、これまた渾身の力を込めて突いた。全力の突きだったのにもかかわらず、大男は驚いたように目を見開きはしたものの半身ずらし躱す。

 少年は再び距離を取り、今度足捌きで翻弄しようと試みる。

 前傾姿勢になり、相手の迎撃を誘う。重心を後ろに置いているが故に相手の攻撃を引き付け躱す事が出来た。作りだしたわずかな隙を、針の穴を通すような小さな隙に果敢に飛びかかった。

 跳躍。その際、槍を足で抑えるように跳ぶ。跳び越えると左腕を前に突き出した。

 殺気の籠った攻撃はわずかに体を逸らす事で躱され、頬を浅く切り裂いただけ。

 そうなると、無防備になるのは少年の方。着地した瞬間を狙い足を払うように槍が繰り出される。先に地面に着いた片足で着地の衝撃による痛みをなんとかけんけんの要領で跳んで躱し、辛くも逃げきった。

 勝負の駆け引きによる冷や汗を拭いながら、相手を見る。


(強い、それも恐ろしく。万全の状態でも一本取れるかとどうかだ。しかも突いた後の隙がない。おかげでこっちは逃げ続けるしかない。さて、どうする?)




 その姿を見下ろす者がいた。

 老人は少年の焦りが手に取るように分かった。ほっほっほと笑いながら見ているが少年に向ける瞳は決して笑っていない。鋭く何かを見定めている。




 ――十一合。何度も槍と刀を重ねるも決着が着けれずにいた。両者の額からは汗がしたたり落ちる。しかし、最初から片腕で闘っている少年の左手には疲れが蓄積し、もう腕を上げる事さえ厳しい。片腕で刀を扱う訓練をしていなければここまでもたなかっただろう。そして、少年は訓練に付き合ってくれた師範に感謝を捧げると、この状況に及んでも決して闘志を萎えさせる事はなかった。




 そんな少年の心境に老人は今度こそ柔らかく優しそうな瞳をして、心からの笑みを浮かべた。

「願わくば生きて欲しいがそうもいかんのじゃな……」

 そして、ひどく悲しそうな表情をして、顔を伏せるのだ。




 少年の闘志が消えぬとは言え、相手の懐に潜り込み攻撃圏内に持ち込まなければ話にもならない。だからこそ、少年は機を窺う。一撃で状況をひっくり返す瞬間が訪れるのを。

 そして、チャンスはやってくる。

 少年は槍が突き出された瞬間、屈んで躱す。そのまま低い体勢のまま突っ込む。距離を詰める間に木刀を小指と薬指で持ち、残った三本の指を地面に着け、指で体を押し出すように踏み込む。


「うおおおぉぉぉ!」


 少年は気勢を上げる。抜き胴で勝つ算段がついていた。だが、運命はすでに決まった方向に動き出していた。

 少年が気付いた時には視界いっぱいに槍があった。

 不思議とゆっくりと流れる時間の中で少年は思う。走馬灯というやつだろう。


 冷静に今の状況と敗因を思い返す。


(このまま槍に突かれて負けだな。いくら木の槍と言えど当たり所が悪い。助からない。

 負けた要因は何だったのだろう? 屈んだまま突っ込み、防御を考えていなかったからか? そもそも長期戦に持ち込まれた事かな? それとも……。いや、今考えても詮無き事か。勝てると思ったんだがな。仕方ない。

 父上、母上、ごめん。何にも返せなくて。親孝行も何一つ出来なかった。

 師範は指導は厳しくて鬼のようだったけど、笑いの絶えない楽しい時間だった。商人の子である俺にも平等に接してくれてありがとう。父上と一緒に酔いつぶれて、母上や町の人に介抱されている姿がいつもの師範っぽくなくて面白かったな。

 畜生っ……! まだ言いたい事、やりたい事、たくさんあるのに。もう時間がないみたいだ。

 さようなら)




 固い感触と鋭い痛みが少年の意識を刈り取った。


 少年、佐々木小次郎の人生はここで幕を閉じた。それが意図されたものだとは知らずに。


2013年1月13日大幅に変更いたしました。

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