壱拾弐巻
狩りから帰って、俺は食事代を返済し後は町をぶらぶら……というわけにはいかなかった。
俺は白と黒の毛並みを持つ猫又、鈴と絶賛正座中である。
なぜ、こんな固い床の上に正座をしているのかというと傷だらけで帰ってきたところを『猫飯屋』の店主であり、厨房長でもある黒い猫又の次郎長に見つかってしまったからである。
例のごとく俺だけでも逃げようとしたのだが、自分でも食材を取りに行ったりすると言う現役からは逃げ切れず今に至る。
最初は疲れているとはいっても逃げ切れると思ったのだが、この黒猫は一人前の基準である三又ではなく、一つ上のランクである四又の猫であった。背丈も五尺と他の猫又よりも頭一つ大きく力も強かった。あっけなく尻尾を掴まれ引きずられるように店の中に連行され二人して説教を受けているというわけだ。
「小次郎っ! 聞いているのかっ!」
「は、はいっ」
いきなり怒鳴られビクッと震える。次郎長は全身の毛を逆立ててカンカンに怒っているんだぞと全身でアピールしている。
「全くお前はさっきから人の話をちゃんと聞いていないな。それに鈴っ!」
「は、はい。何でしょうにゃ?」
鈴さんはおずおずといった調子で答えた。
「聞けばお前は自分の体力配分もろくにせず、その結果死にかけたそうじゃねえか。詰めが甘いんだよっ!」
ゴッという音が鳴りそうなほど威力を持った拳での鉄拳制裁だ。師匠に似ている。そんな事を思っていると俺も殴られた。
「小次郎っ! お前は自分の能力を過信しすぎだ。そんなんじゃ死ぬぞっ!」
はぁ、耳の痛い話だ。確かに敵をナメきってたし、俺がいればすぐに助けられると思っていた俺のミスだな。まあ、ここまでは分かる。こういう風に先人の忠告というのは有り難い。だが、問題なのはここからだ。
「いいか、お前ら位の時はヤンチャしたいのも分かる。だがな、俺はもっと凄かったぞ!」
これだ。さっきまで説教していたと思えば、自慢を始めるのだ。俺はこんな体だから正座と言っても頭を下げていれば済むが、なまじ人の体に近い鈴はちゃんとした正座の姿勢が出来るため横目で見てもきつそうだ。早く終わらないかな?
「山に登って鬱蒼した林の中に入り、出てくるモンスターをばったばったと倒しては進み、時には仲間と協力しながら進んだ。班の中ではそれぞれ役割が決まっていて、俺はいち早く敵を見つけ、味方に警戒を促したり、単独で先行して倒したりと無くてはならない存在だったわけだな!」
それから地獄の様な一時間が過ぎた頃、終わりは唐突に訪れた。
「おい、帰るぞ」
師匠だ。師匠が来た。助かった、いや、助かったのか? 前門の虎、後門の狼と言ったところだろう。最悪なのは二人して説教をしてくることだが、肝心の師匠は口元を吊り上げて次郎長を見た。
「ほう、久しいな。猫又の小僧」
「あ、貴方は銀様。お久しぶりです」
師匠から声をかけられると次郎長は両膝を地面につけ、頭を下げた。
「ここは小僧の店だったか。くくく、面白いものだ。一番の下っ端だったお前がこんな店を持つとはな」
「はい。この次郎長が身を粉にして働いた結果でございます!」
さらに頭を深く下げる次郎長の声には恭しさというものが籠っていた。
「そうか。まあ、内の馬鹿弟子が世話になったようだな」
師匠は笑みを深くし、次郎長はその言葉にはっと頭を上げると表情が青ざめたものへと変わっていく。
この二人はいったいどうい関係なのだろうか? まあ、何であれ師匠だからという理由で納得は出来るが。
「お、お許しください。何卒、何卒っ!」
沈黙が辺りを支配する。それを低い笑い声が破った。
「くくく、やはり小僧をからかうのは面白い。なに、この馬鹿が何かやらかしたのだろう? 俺からもきつく言っておく。許せ」
「いえ。滅相もございません。この度は大変失礼いたしました!」
予想外の師匠の言葉に驚いたのか次郎長の表情は明るく、そして、俺はきつくというこれから待ち受けるであろう結果を想像して暗くなった。
だが、これで俺は終わった。でも、まだやる事があるよな。鈴がさっきから寂しそうな羨ましそうな視線を送ってきているのだ。大方、一緒にこの説教から抜け出したいのだろう。俺が出来る事といったら師匠に口を利いてやるくらいしかできないが、どうなっても知らんぞ?
「師匠、鈴も一緒に連れて行っていいか? こいつを一人前の猫又にならせてやりたいんだ。でも、ここだとすぐには成れないけど、俺らと一緒なら一気に強くなれる気がする。ダメかな?」
師匠は何やら考え込み、そして、口を開いた。
「いいだろう。そこのガキお前もそれでいいか? 小僧もこのガキを連れて行くがいいか?」
『はい。よろしくお願いします(にゃ)』
二人の声が綺麗に重なった。
師匠はその様子を見て、頷いた。
「最初の手ほどきは俺がしてやる。だが、その後はお前が責任を持ていいな?」
「ありがとう、師匠!」
鼻を鳴らすと、師匠は歩いて行く。だが、三歩歩くとこちらを振り返った。その表情はいい笑顔をしていた。
「そうだな。これから今すぐというのも辛いだろう。お前らは小僧によくせ――話を聞いて準備してから俺の元に来ると良い。俺はさっきの鍛冶屋で待っているぞ」
え? 終わりじゃない、だと!?
次郎長もいい笑顔をしていた。今日は長くなりそうだな!
ようやく地獄から解放されると西の空から太陽が昇ってきているところだった。日が沈んでからは意識が朦朧としていたため、そこからの記憶はあまり明瞭ではない。どうやら一日が過ぎたようだ。隣を見ると地べたに鈴が仰向けに倒れている。仕方ないと思う。いや、普通ここまでやるだろうか?
厨房から漂う美味しそうな匂いに惹かれて匂いの元に近づいてみる。
「おお。起きたのか? 畳に上がって待ってろ。すぐに食事にするぞ」
次郎長があの説教の後とは思えぬほど、晴れやかな笑顔をこちらに向けて朝食を作っていた。
怒るに怒れないじゃないか。
完全に毒気を抜かれた俺は大人しく座る。程なくしてまだ眠たそうな顔をした鈴がやってきた。
「おはよう。鈴、足大丈夫か?」
「おはよ。うーん、何とか?」
「そっか、次郎長さんが朝食を作ってくれるらしいぞ」
「楽しみだね……」
鈴はそう言って船を漕ぎ出した。そして、また頭を引っ叩かれて起こされるのは仕方のない事だろう。
食事がし終わる頃には鈴も完全に目を覚まし、一緒に師匠の所に行くという事でせめてもの餞別だと、次郎長から短刀と銀狐の毛で織られたインナーを受け取っていた。
準備が整ったので、師匠の元に向かう事にする。気がかりなのは、予想以上に説教が長引いたから、待たせて怒らせていないかどうかだ。
あの人は自分が片棒を担いでいても、平気で怒るからな。……不安だ。
鍛冶屋に着くと、師匠と力さん、翠さんが待ち構えていた。
三人揃うと中々の迫力だな。
鈴は顔が引き攣っている。
「師匠、おはようございます」
「これからよろしくお願いします」
俺たち二人の挨拶に相変わらずのああという短い返事で済ませる。
師匠は翠に目を向けると翠は心得た様に二本の白と赤い紐を差し出した。所々キラキラと光っていて綺麗なものだ。
「小次郎さん、これは刀を固定する為の物です」
素直に受け取るが疑問が残る。
「もうちょっと時間が掛かるじゃなかったんですか?」
そう言うと翠はニヤリと笑う。
「いやねぇ。お優しい御仁が手伝ってくださいましてね。その方のおかげで予想以上に早く仕上がりまして」
翠のニヤニヤとした視線は師匠に向かっている。師匠は不機嫌そうな顔している。
この事から師匠が手伝ったのだろうという事は想像出来るが、今それを指摘したら何が起こるか分からない。次郎長に散々鉄拳制裁を受けた後に怒らせるのは避けたい。翠がこれ以上師匠を刺激しないように祈りながら、気づかないフリをした。
「へえー。誰なんでしょうね。皆目見当がつきませんよ」
「案外近くにいるかもしれませんよ」
翠さんは黙ってて! お願いだから。早急に話題を変えないと。
「翠さん、これ付けてもらってもいいですか?」
「もちろんですよ」
やはり、商売人だな。客の要望にすぐに答える。これなら話題を変えるのも容易い。
「これは二本の紐を交差させて固定するので、より安定化が図れます。また、織る段階で魔力を込めているのでそんじょそこらの防具よりは長持ちしますよ」
はっきりと断言した事から、自分達の技量の高さに自信と誇りを持っていると思った。信頼出来るな。
「ありがとうございます。力さんもありがとうございます」
「おうよ! 気に済んな。まあ、大切にこき使ってくれ」
矛盾している様に思えるが俺はそうは思わない。道具だから使って欲しいという思いとぞんざいには扱って欲しくないという思いがあるのだろう。
「はい、大切に使います!」
力と翠は満足そうに頷くともう一つ差し出してきた。それは白く輝く細かい金属だ。何に使うのだろう?
「これは足とか尻尾に付ける物だよ。付ければ攻撃力が上がる事間違いないよ。後使っている金属が特殊でね。
雪輝石と言って長い年月を魔力に当てられた鉱石が芯まで凍りつく事で生成されるんだけど、この石は魔力に反応して形を変えるから一回所有者に合わせれば他人が使う事は出来ないし、成長に合わせて大きさも変わるからとても便利な物なんだよね。だから、君専用の武具が出来上がるというわけだ」
よく分からないけど、俺に合わせて形も変わるという事ならば壊れても魔力さえ込めれば元に戻るだろうから、途轍もない物を貰ったのではないんだろうか?
「でも、俺はこれを本当に受け取っていいんですか?高い物なんじゃあ……」
「ああ、構わないよ。銀さんのお弟子さんだし、それにその鉱石は加工もし易いし、この辺じゃあよく採れるからね」
どうやら、それほど高価な物でもないらしい。で、ですよね。
俺との要件が済むと力は店の奥に、翠は寝始めた。
何と言うかこの人たちは……。
「さて、俺は山に帰る。お前たちはここに残って修行していろ」
「え!?師匠が鈴と俺の面倒をみてくれるんじゃあ」
「甘えるな!いいか、お前は試練をすでに乗り越えている。言うなれば、もう俺からは卒業せねばならない。良い機会だ、今をもって師弟関係は解消だ」
突然の宣告に何も言い出せなかった。数十秒たった後、ようやく思考が動き出す。
こう言った以上師匠は本気なんだろう。本気で師弟関係が終わる。一人になるのか?
「いやだ……」
自然と口から言葉が漏れていた。この一言をきっかけに決壊したように喋った。
「いやだ! 俺は師匠と一緒に行く! 俺は師匠の弟子だ。絶対に離れない! 置いて行かないでくれ!」
俺の必死の叫びにやれやれと首を横に振ると次の瞬間、頭に今まで感じた事が無い位の強い衝撃と激しい痛みが俺を襲った。
「し、しょう……?」
暗くなる視界の中、最後に見たのは初めて見る師匠の悲しげな表情だった。




