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05 Go to Sleep

登場人物


 須藤江奈えな……女子高生。

 鴇田玖珠くす……〃

 但馬那珂なか……〃

 三浦茅夜ちや……〃

 永野紗乃さの……〃。死体となって発見される。

 生籟おうらい……警部補。

 その他警察関係者多数。

 〈北西ほくさい〉……江奈の上位人格。

「江奈?」


 最も近くにいた玖珠が、俯いたまま不気味に笑う江奈に、不安げな声を恐る恐る掛けた。

 その隣で赤眼を瞬かせていた那珂も、身悶えるように警部補の追及に抗っていた茅夜も、警部補も、そして面長の捜査員までもが各々の随意的な動きを止め、表情の窺い知れぬ江奈の様子を、息を潜めて見守った。

 やがて、笑顔の張り付いた面をゆるゆると上げ、自分を見る一同の様々に思いの籠った眼差しを照れ臭そうに見渡すと、あろうことか江奈は、


「いや、これは失礼。あなたたちのやり取りが余りに滑稽だったものですから、つい笑みが……クク……」


 と、先程までとは全く異なる、別人のような溌剌はつらつとした口調で言ってのけたのだ。

 度重なる緊張に、精神が崩壊してしまったのか?

 誰もが脳裏によぎらせた江奈の言動に対するそんな解釈に、だが彼女自身は周囲の様子を一向意に介することなく、澄まして言葉を継ぐのだった。


「ああ、こういうときは、早めに自己紹介をしておいたほうが良いのでしょうね。僕は、名を北西(ほくさい)と申す者です。北に西と書いてそう読みます。どうかお見知り置きを」


 ぽかんと口を開け、まだ涙を浮かべている眼尻もそのままに、那珂はぽつりと、


「江奈ちゃん、でしょ?」


 江奈のことを良く知る三人は驚きと僅かな恐怖を、警察から派遣された二人は不審と不信と冗談をとがめるような心情をそれぞれの顔貌に表し、彼女の豹変ぶりに総じて眼を丸くしている。

 何故か北西と名乗った江奈は、丁寧且つ素っ気なく言葉を返した。


所謂いわゆる二重人格ですよ。一昔前ではニュース番組や雑誌や書籍でも頻繁に扱われていましたし、さほど珍しい語句でもないでしょう。一つの人体に別個の人格が宿っているという症状のことです。ま、僕の場合は正確に言うと多重人格ではなく、妄想性人格障害に分類すべきですがね」

「何を言っとるんだ、君は」


 警部補が口を挟んできた。

 顔つきも語調も怪訝な思いに溢れている。


「今は人事な捜査の最中なんだ。下らないお芝居で我々を揶揄うのはやめなさい」

「下らない? 僕に言わせれば刑事さん、あなたの言った大事な捜査とかいう大層なもののほうが、よっぽど下らないですね。無実の人間を加害者におとしめる……これほど下らない犯罪捜査がほかにありますか」

「なんだと? 君は面白いことを言うな。なら、この茅夜さんは無実だというのか?」

「無実も無実、彼女は光の三原色を足し合わせたかの如き純白、潔白そのものですよ」


 そこで〈北西〉はつと立ち上がり、未だ眼を瞠ったままのクラスメイトたちを順繰りに観察した。


「ああそうか。君たちも、江奈が二重人格者だということを存じていなかったんでしたね。まあ致し方ないことです。江奈自身でさえ、自分が多重人格であることに思い至っていなかったのですから」

「あなた、本当に……江奈じゃないの?」


 この世の現象ではないかのような安定しない語調で、玖珠が問い掛けた。

 声の質自体は江奈と変わらないが、知的な、あるいは知的ぶった〈北西〉の少年然とした口調は、確かに従来の江奈のものではなくなっている。

 その顔つきからも、江奈が常に有していた憂鬱っぽい陰影は取り払われ、日頃にあらぬ自信ありげな様子が、垣間見えるどころか表情の前面に、しかも全面に現れ出ていた。

 口調と顔つきが変わっただけだというのに、耳や眼では感じられぬその人特有の気配までが新たな装いを帯びているようだ。

 局地的には何処となく、だが全休として見れば確乎かっこたる変化である。

 確かに、先刻までの彼女とは何かが、決定的に違う。


「はい。僕は北西であって、江奈ではありません。第一、彼女と僕とでは性別が違いますから。とは言うものの、それを実証しろと詰め寄られると、実は僕も困ってしまうんですけどね。信じたくないならそれで結構、といったところですか。ねえ刑事さん」


 そう喜色満面で語り掛ける十代の少女の顔をした〈北西〉に、言葉遣いを真似られた警部補が獅子奮迅と対峙する。


「なんなんだ君は。私の聞き込みを邪魔しようというのか? これ以上つまらん口を利くと、君も公務執行妨害で検挙することになるぞ」

「面白いことを言いますね。つまらないのは、あなたが飽きもせず長々と喋り散らした推理のほうですよ、僕に言わせればね」


 玖珠や那珂は勿論、退室のタイミングを逸した捜査員も、この状況にどう対処したら良いのかさっぱり判らず、テーブルを挟んで相対する両雄に覚束おぼつかない視線を投げるのみ。

 乱れ髪を直すのも忘れ、中途半端な姿勢で江奈を凝視したままの茅夜を指差し、数分前までは江奈であった〈北西〉が言った。


「彼女を今回の犯行と結び付けることは出来ません。彼女には、動機の有無など関係なく、紗乃君を殺害することは不可能だったのですから。どうもあなたは、その点がお判りになっていないようですね」

「何を訳の判らんことを。おい、彼女を別室に連れていけ」


 捜査員の胸を手の甲で叩き、そう警部補は言った。


「《《茅夜君は事件当時》》、《《この家の外で彼氏と一緒にいたんですよ》》!」


 茅夜に突き付けた指はそのままで、〈北西〉は先手必勝とばかりに声を張り上げた。

 命ぜられた捜査員も含め、室内の凡ての人間を圧倒するかの如き気迫に満ちた声で。


「考えてもみて下さい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 一同の口が、不可抗力によってあんぐりと開かれる。

 そんな中、言葉を放った張本人だけが、無邪気と呼ぶにはどうにも気障きざったらしい、露骨な作り笑いを口許に浮かべてみせた。


「い、家の外にいた?」


 思わぬ異説の出現に、警部補はかなり面喰らっている様子である。


「君は、何を、言っとるんだ。どうしてそんなことが判る?」


 この機を逃してはならぬ、ここぞとばかりに〈北西〉は、


「警部補さん。予め断っておきますが、無駄な反論は控えたほうが賢明というものですよ。僕という人格が出てきた以上、凡て真相は明らかにされねばならず、且つまたそうあるべきなのです。何分、江奈は今回のような殺人事件を解明するには気質が消極的すぎ、その上能力的にも幾分見劣りします。僕の登場があなたたちを驚かせてしまったようで恐縮ですが、罪のない人があんな的外れな推理で犯人扱いされてしまうのを、黙って見ているわけにもいかなかったものですから。その点はどうかご容赦願いたい」


 と、的外れな推理の提唱者にやんわり釘を刺した。


「あの」


 弁舌が途絶えたところで、やおら玖珠がそう声を発し、怖々と挙手した。


「なんですか、玖珠君」

「あなたの話だと、その、今までの会話を全部、あなたが耳にしていたように聞こえるんですけど」


 奥歯に物が挟まったような物言いだが、当の〈北西〉は少しも気にする素振りを見せず、


「ええ。それが何か?」

「その……今まで警部補さんの話を聞いていたのは、あなたじゃなくて、江奈のほうだったんじゃ」


 語を繋ぎながらも、心中の動揺は隠しきれないと見える。

 右の耳朶を頻りに指で弄び、怯えがちにどうにかそこまで言うと、玖珠は精根尽きたというふうに首を落とし、深々と椅子に凭れた。

 ああ、そういうことですか、と〈北西〉は得心顔で頷きかけ、即座に言葉を返した。


「君は僕と江奈の関係について、少し誤解しているようですね。いや、元を正せば僕の説明不足が原因なんですが……つまり、僕という人格と〈江奈〉という人格は、完全に同等というわけではない。ジキル博士とハイド氏の関係を、そのまま僕たちに適用することは出来ないのです。江奈が睡眠等で自己の意識を失っているときには、僕はこうして彼女の躰を支配し、僕自身の言葉で君に語り掛けることが可能なわけですけど、その逆は真ではない。江奈が目覚めているということは、決して僕という人格が眠りに就いていることを意味するのではない。僕は江奈自身も気付かぬ意識の深部から、江奈の身体器官を通して、ちゃんとここでの君たちの会話を聞いていました。それも、江奈以上に自覚的にね。嘘だと思うなら、一つ再現してみせましょうか?」


 型通りの咳払いののち、姿勢を正した〈北西〉は通りの良い声を室内に響かせて言った。


「階下での殺人に全く誰も気付かないとは……いやはや、昨晩は皆さん、随分と熟睡なされていたご様子ですな」


 警部補の厚い眉毛が、ぴくりと痙攣した。


「あそこの戸口で捜査員との会話を終え、戻ってきてからの次の台詞はこうです……皆さんのご両親への連絡がつきました。すぐにこちらに向かうそうです」

「判った、もういい」


 人払いのようなジェスチャーをしつつ、警部補は苛立いらだった声音を放った。

 〈北西〉の証言を前に、依然、玖珠の表情には困惑の色が残っていた。

 が、それは飽くまでも、かつての江奈とのギャップに起因する戸惑いの延長線上に過ぎず、証言に対する確然たる疑惑ではない。

 口調を改め、生徒に向かう教師じみた態度で〈北西〉は続けて言う。


「このように、妄想性の人格障害の場合には、人格間に歴とした位階、上下関係があるケースも存在するのですよ。厳密に言うと、反比例の力関係ですけどね。〈江奈〉は己の肉体に対する縛りが強い分、覚醒している上は僕の意思とはなんら関係なく、自在に身体を動かすことが出来ます。僕は彼女の上位人格として、彼女の胸中や彼女の感じている周囲の世界を体験できる代わりに、彼女が意識を持っていないときにしか、こうやって躰を操ることが出来ないのです。人格同士で対話が出来る稀少なケースも、中にはあるようですが。〈江奈〉には申し訳ないが、下等な悪魔ほど人間界に頻繁に往来可能であり、上級の悪魔となると、その強大無比な能力故に却ってこの世界に赴くのが困難である……と、こういう具合なわけです」

「判った判った。二重人格だか悪魔だか知らんが、君の言いたいことはよーく判ったよ。しかしながら、君は少々混乱しているようだ。友人が殺されたとあれば無理もないがね」


 警部補は腹蔵だらけの笑顔と共に言い、きょとんと眼を見開いたままの捜査員を急き立てるように肘で小突くと、声を潜めて、


「おい、空いている部屋がほかにもあるだろう。そこで彼女を休ませろ」


 この言い様に、かの〈北西〉が異議を申し立てぬはずもない。

 途端に見下したような眼を警部補に向け、少女そのものの容姿にはおよそ不似合いな言動を示した。


「おやおや、詰まるところ、あなたは僕をこの捜査から外そうというのですね。茅夜君が全くの無実であることは、疑うまでもなく確かだというのに。僕の推理を如何なる理由もなしに却下し、あまつさえ僕を錯乱者扱いですか。これじゃあ、殺された紗乃君も浮かばれませんね。無駄死にですよ」

「……言ったな」


 警部補の様子が一変した。

 まず、目まぐるしく変転する周辺の状況を最前より唖然と見やっていた茅夜の口から、彼氏なる人物の氏名・住所及び電話番号を聞き出し、素早く手帳に記した。

 そしてその頁を手帳から裂いて馬面の捜査員に渡すと、巡査部長にこの人物への詳しい聞き込みを行うように伝えろと命じる一方、捜査員自身には、問題の人物に前もって電話を掛け、事件当時の茅夜のアリバイを確認するよう指示を出した。

 捜査員は急ぎ足で応接室を去り、再び警部補は眼前の小面憎い少女を――聡明な少年びた少女を――鋭く睨み付けた。


「これでもし、彼女のアリバイが証明されなければ、君の戯言には金輪際耳を貸さんからな」

「的確且つ迅速な指示……やれば出来るじゃありませんか。警部補の肩書きも伊達じゃないと」

「やかましいっ」


 両者の小競り合いに眼を走らせ、あるいは気を配る余裕もなく、茅夜は垂心を失った人形のように上体と長い髪をふらふら揺らしたかと思うと、やがて放心の眼差しで後方の椅子にペタリと座り込んだ。

 虚脱状態という意味では、玖珠や那珂も例外ではない。

 捜査員がいなくなったからというわけでもないだろうが、何か危険な気配を匂わせていた応接室内の、隅々まで異様であった空気は、さながら休憩を言い渡された戦闘部隊のような、なんとも急速な弛緩ぶりを見せ始めていた。


「あの住所だと、ここからじゃ相当な距離があるな」


 隣室での現場検証は相変わらずほかの連中に任せきりで、警部補はふと、そんなことを呟いた。


「昨日の夜、君は、その付き合っていたとかいう男性と、何処で落ち合ったんですか」


 尋ねられ、茅夜は焦点の明確でない眼をテーブルの上の日記帳に注いだまま、虚ろな声で、彼の家、とだけ答えた。


「では、この家を離れた時刻と彼の家に到着した時刻、それからその逆……彼の家を発った時刻とここに戻ってきた時刻についても、教えて下さい」


 咄々《とつとつ》と茅夜が言うところによると、部屋のテレビをつけたまま密かにこの家を後にしたのが深夜一時五十分頃で、彼の家への到着時刻が四十分後の二時半、そして午前五時を過ぎた辺りで彼と別れ、再びここに辿り着いたのは三十分ほどのちの、午前五時半のことだという。

 この証言が真であるなら、紗乃が殺害されたとき、茅夜はこの家にはおらず、従って茅夜に紗乃殺しは不可能という必然的帰結に至る。


「昨夜この家に着いたときの時刻は、記憶にないと言っていましたね。少し都合が良すぎる気もしますが、ま、いいでしょう。こういう場合の記憶力は、特別だということですな」


 程なくして、玄関側の戸口に現れたスーツの刑事二人が、警部補に軽い会釈をし、そそくさと表玄関の方向へと去っていった。

 警部補の伝言を承けた巡査部長が、部下を聞き込みに行かせたのだろう。

 あるいは、二人のうちのどちらかが巡査部長本人なのかも知れない。


「茅夜さん。すると一体、君はどのようにして彼の家に向かったんです? とてもじゃないが、歩いて出掛けるような距離とも思えませんし、第一、徒歩で三、四十分というのは時間的に無理です。その時間帯は当然電車も走っていないわけですし。タクシーでも利用したんですか」

「タクシーを使う必要はありませんね。お忘れですか? 彼女は昨日、自転車に乗ってここに来たんですよ」


 そう答えたのは〈北西〉である。


「無論、夜半過ぎに彼氏の家へ行くというのを考慮した上でね」

「彼のお宅に、ご家族の方は誰かいましたか」


 わざとらしく〈北西〉を無視し、質問を続ける警部補。

 対する茅夜の返答は、精神的な理由もあってか余り要領を得たものではなかったが、どうやら茅夜の彼氏はマンションで独り暮らしをしており、普段から家人は不在らしい。

 折も折、今日二度目の登場と相成った面長の捜査員は、応接室に踏み込んだと同時に、上司たる生籟警部補に対し、聞き込み先へ電話連絡を入れた旨を告げた。

 応対に出た茅夜の彼氏なる若者は、茅夜が本日午前二時半から二時間半もの聞、彼の自宅マンションにいたと証言したという。


「確かに、時間は一致する。がしかし、しかしだ」


 取り敢えずそれだけ聞き出すと、警部補は退屈そうに室内をうろつき始めた〈北西〉のほうへすかさず向き直り、


「彼女の証言は、君の自信たっぶりな言説に少しばかり反しているようだな。現在交際中の彼は、茅夜さんの証言を裏付けるようなことを言ったらしいが、口裏を合わせたという可能性も含めて、事件発生当時のアリバイとしては弱い気がするんだが」


 と、口許を綻ばせ語り掛けた。

 〈北西〉も負けてはいない。

 壁際の戸棚に置かれた写真立てを物珍しげに見やりつつ、先程までとは比較にならぬ実にとぼけた口調で、


「そりゃそうでしょう。事件当時のアリバイを握造しようなどという意思は、彼女にはこれっぽっちもなかったんですから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。別に紗乃君の殺害嫌疑から逃れるために、この家の外にいたというアリバイを作ろうとしたわけではないのですからね。事件に関するアリバイが堅固でないことは自明であり、当然です。本来なら、敢えて説明するほどのことでもないんですけど。あなたの考え方は己の説に拘泥する頑固者、若しくはひねくれ者のそれです」

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