04 Motion Picture Soundtrack
登場人物
須藤江奈……女子高生。
鴇田玖珠……〃
但馬那珂……〃
三浦茅夜……〃
永野紗乃……〃。死体となって発見される。
生籟……警部補。
その他警察関係者多数。
〈北西〉……江奈の上位人格。
本当に、この中に紗乃を殺した人物がいるのだろうか。
江奈は警部補に悟られぬよう視線を走らせ、茅夜の所で眼の動きを留めた。
紗乃と茅夜の間で、少し前に些細ないざこざがあったのを江奈は思い出した。
茅夜が現在交際中の男性は、実はかつて紗乃と付き合っていた。
そのことが、二人の間に水面下での軋轢を生じさせていたのは確かだ。
玖珠が二階へ上がったのち、リビング内の両者に果たしてどのようなやり取りがあったのか。
「時に茅夜さん」
突然の名指しに、茅夜は眼に見えてビクンと肩を揺らした。
沈黙を守る茅夜の双眸を覗き込むようにして、警部補は続けた。
「二時半頃まで、テレビを見ていたとおっしゃいましたね。昨夜は随分と宵っ張りだったんですな」
「……」
「で、どのテレビ局の番組をご覧に?」
大層気乗りのしないふうに、あるキー局の名を茅夜が告げると、警部補は少々のけ反って大きく眼を開けた。
「いやいや、こいつは奇遇というやつですな」
興奮した面持ちの警部補が言うには、彼自身も同じ時間帯に、自宅で同局の番組を見ていたという。
その発言を開いた茅夜の顔に、何故か焦りの色が浮かんだ。
「証言を疑うわけじゃありませんが、念のため伺っておきましょう。どういった番組をご覧になったんですか」
如何にも不承不承といった感じで、幾つかの番組タイトルを挙げていく茅夜。
それらの番組の一つ――深夜二時より週一で放映されている三十分番組――を取り上げ、警部補はこんな質問をした。
「あの番組の進行役は、二人いましたね。あー名はなんと言いましたか、あの、髪の毛が緑色をしたほうは」
「……田所よ。田所グリーンヘッド」
言いにくそうに、だが自信のある声で茅夜は答えた。
不意に警部補が笑顔を見せた。
「確か、君のおっしゃる田所グリーンヘッドは、グリーンウッズというお笑いコンビの片割れでしたな」
「ええそうよ。かなり落ち目だけどね……昨日も二人とも出てたじゃない。モデルの女の子にストリッブ紛いなことさせたり」
犯罪捜査に身を委ねる警部補の下心を窘めるように、後半部を強調させて茅夜が言う。
警部補は厳めしい形相に余裕の笑みを浮かべたまま、
「そう言えば、そんないかがわしいコーナーもありましたな」
警部補が異を唱えないということは、番組内容に関する茅夜の言及は確かなのだろう。
事件が起きたとき、茅夜は本当に自室でテレビを見ていた……。
「すると、その田所の相方というは、えーと、あの変な髪型の」
「木村グリーンウッドでしょ。変な髪型っていうか、あいつのはただの七三分けじゃない」
「やっぱり変ですな」
と首を傾げ、腑に落ちない表情になった警部補は更に言った。
「君は、あの二人の名前と容姿を逆に憶えていませんか? 木村グリーンウッドが緑の頭髪で、七三分けは田所のほうでしょう」
「違うわよ。何言ってんの」
知人に接するかのような砕けに砕けきった口振りと共に、茅夜は相手を馬鹿にした驕慢な眼で獅子頭を見上げた。
「まだゴールデンの番組に出てた頃から、二人のヘアスタイルはずーっと同じ、木村が七三で田所が緑。大体芸名で判るでしょ。木村はグリーンウッドなのに田所はグリーンヘッド、緑頭なんだから。年寄りの頭じゃ、そんなことも憶えられないのね」
「昨夜の番組でもですか?」
「当たり前じゃない」
鬼の首を取ったような小娘の態度に、警部補は腹を立てるどころか益々愉快そうに口の端を持ち上げた。
「木村が七三分けで、田所が緑色の髪、ですか。茅夜さん、それはね、先週までの話なんですよ。昨夜の番組では、木村のほうが髪を緑に染めていて、相方の田所は、黒く染め戻した髪を七三に分けていたんです」
「何それ」茅夜の声が上擦っている。「嘘でしょ? そんなはず……」
「お疑いなら、直接局に問い合わせてみますか? きっと今の私と同じ回答を返して寄越すでしょうな。何せ、私はちゃんとテレビの画面をつけて、その番組をじかに見ている。生憎君がそのポケットからはみ出させているイヤフォンで、ラジオを聴くような按配で番組の音声だけを聴いていたのとは違ってね」
茅夜ははっとして、自分の腰許に眼を落とした。
紗乃に借りたショートパンツの左ポケットから、一目でイヤフォンと判る細い黒コードが下方へ垂れているのに気付き、慌ててポケットに仕舞い込む。
とうとう立場は逆転した。
揚々と警部補は言う。
「あれだけ私が念を押しておいたのに、君は二人の髪型を従来通りだと言い張りましたね。実際に昨夜の番組を見ていれば、そんな主張は出来るはずがないんですよ」
「あのときは、もう眠かったから、適当に見てたのよ」
「矛盾しますな。つい先刻、君はテレビに夢中で物音に気付かなかったと、そう言っていたじゃありませんか」
最早言い逃れは通じないと判ったのか、茅夜はがっくり肩を下げ、
「酷い……わざと知らないふりをしたのね」
羞恥と侮しさに顔を赤くし、呻くように呟いた。
「グリーンウッズのファンなんですよ、私は。落ち目な分、余計にね」
小さく溜め息を洩らしたのは、警部補のほうだった。
「まさか私のお笑い好きがこんなところで役に立つなどとは、思いもしませんでしたがね。そんなわけで、彼らが別番組の罰ゲームで、一週間互いの髪型を交換することも知っていたし、収録の最中、その件について一切コメントしない口約があったことも知っていたわけです。もっとも、その裏事情に関してはちゃんと番組内で字幕表示がありましたがね。君はそれも見落としてしまった」
一瞬だけ緩めた表情を再び引き締め、警部補の言葉は続く。
「つまり、こういうことです。君は自分の部屋のテレビを付けっ放しにしておき、同じ階にいる人たちに、自分が部屋でテレビを見ているのだと、そう思い込ませたかったんです。が、実際の君はテレビのない場所、いやテレビを見ることの出来ない場所にいたので、もし他人に番組の内容を尋ねられでもしたら、答えようがない。それでは却って怪しまれてしまう」
茅夜は、自分の部屋でテレビを見ていたのではなかった。テレビを見ることの出来ない場所に、彼女はいた。
……テレビが壊れていた、あのリビングのことを、警部補は指しているのだ。
「だから君は携帯電話を懐に入れ、ワンセグ放送でテレビの音声だけでも耳に入れようとし、それを実行しました。友人や、私のような警察の者に番組のことを訊かれても、きちんと答えられるようにね。更に、部屋のテレビをつけたままにしておけば、ほかの部屋にいる人々が仮にまだ起きていたとしても、一階へ降りる自分の跫音がテレビの音声に紛れ、下手に怪しまれずに済む。君も結構な案を考え出したものです。実際に映像も観ることが出来れば完璧だったんでしょうが、それが出来なかったのは、状況的に困難だったんでしょうな。どなたか別の方と口論でもしていたのか、あいや、これは臆測の一つに過ぎませんがね。
にしても、こんなことを私が言うのもなんですが、君のアリバイ工作は、端的に言って杜撰でしたな。我々の推定した死亡時刻が余りに真実の殺害時刻と合致していたので、不安になったのでしょう。君は三時過ぎまでテレビの音を聞いていたにも拘らず、二時半までしかテレビを見ていないと偽った。臆病風に吹かれたとはいえ、これではなんのアリバイにもなっていません。ま、仮に三時以降もテレビを見ていたと君が証言したところで、結局その偽証は露呈していたでしょうがね。言ってみるなら、肝心要のテレビ画面を見ることなしに、警察の科学力を甘く見ていた……といったところですかな」
バシッ!
テーブルを叩く音が鳴り響いた。
立ち上がった茅夜が、怒りに身を震わせ告発者を睨む。
「違うわ! あたしじゃない! あたし、そんなことしてないわ」
「ほう、まだそんな口を利く元気があるんですか。では私に教えて下さい。事件発生時、君は自分の部屋に居なかった。それは異論を扶む余地のない、厳然たる事実です。とすると茅夜さん。君はそのとき、一体何処にいたというんです。リビング以外の何処に」
詰問調で質す警部補に、茅夜は俄かに返事も出来ず、両の拳をきつく握ったきり、憤然と立ち尽くすしかなかった。
「え? どうして答えられないんです? 何か、答えることの出来ない事情でもあるというんですか」
玖珠と那珂が、複雑な思いを託した視線を彼女に注ぎ込む。
周囲の人々を確実に覆いつつある厭な緊張感に、江奈は胸中溜め息を吐き通しだ。
頭も痛くなってきた。
軽やかに階段を駆け降りる音が、やがて江奈の耳に入った。
リビングだけでなく、階上の部屋や戸外にも捜査の手が伸びていることは江奈も知っていた。
場の雰囲気を知ってか知らずか、程なく応接間のドアを勢い良く開けた面長の捜査員が足早に警部補に近付き、手にした格子模様の帳面を見せながら、小声で何か言い始めた。
「面白い情報が入りました」
馬じみた相貌の捜査員を脇に立たせたまま、警部補は朗々たる調子で言った。
「被害者の部屋から……いや、正確に言うと紗乃さんのご両親の寝室からですが……生前、被害者が記していた日記帳が見つかりました。皆さんに部屋を割り当てた際、他人に見られてはまずいと思って、ご自分の部屋から持ち出したんでしょうな。寝室のベッドの下に置いてあったそうです」
紗乃が日記を認めていたなんて初耳だ。
ほかの面々もきっとそうだろう。
警部補は受け取ったノートを己の顔の横に翳し、続けて、
「更に面白いことに、この日記帳、ある日付の分を境に、以後の記述がぴたりと止まってしまっているんですな。紗乃さんが最後に日記を書いたのは、今年の五月下旬となっています。今から丁度一月前ですな。この頃、彼女の身の回りでどんな出来事があったのか。仲の好かったという皆さんなら、すぐに察しが付くでしょう」
「……イチロー君と」
力のない那珂の呟き。
茅夜が微かに息を呑む。
「そう。この日記にもしっかり書かれているそうですよ。一ケ月前、紗乃さんはそれまで交際していた、ある男性と別れています。付き合いをやめた理由までは記してないようですがね。男女の業というのは、それはそれは根が深いものです。案外、君もこの出来事に何か関わりがあるのでは?」
訳知り顔を浮かべ、警部補はそう水を向ける。
対する茅夜は、しかし何も言わない。
「君と紗乃さんと、日記に書かれていたその男性。君たち三人は、ずばり三角関係にあったんでしょう」
「だからなんだってのよ!」
我慢の限界に達したようだ。
遂に茅夜が金切り声を上げた。
「あたしとイチローが付き合っちゃ悪いっての? 紗乃はあいつと完全に別れたのよ。あたしが付き合い始めたからって、紗乃に悪く思われる筋合いなんかないわ」
「こうとも考えられますよ。かつての紗乃さんの恋人と新たに交際を始めた君は、男と紗乃さんが縒りを戻すのをずっと恐れており、心の何処かに長らくそうした警戒心を抱いていた。この場合、紗乃さん自身がどう考えていたかは、問題にはなりません。昨日の夜、紗乃さんとリビングで二人きりになった君は、そんな不安を解消するために、本人に直接真意を問うたのではありませんか? 紗乃さんを問い詰めた結果、もし彼女が彼のことをまだ吹っ切れていないと答えたら……こうなると、君にとっては大問題でしょうな。
一度二階に上がって部屋のテレビをつけた後、同じ階の人々に悟られぬよう、すぐさまリビングに引き返した。この場合、テレビの音はアリバイ成就の布石や自分の跫音を消すという意図のみならず、階下での会話を上で寝ている人たちの耳から逸らすのにも役立ったことでしょう。再び紗乃さんと二人きりになったリビングで、ワンセグの音声をその耳に聴き入れつつ、君は既に紗乃さんに対する殺意を心の底で燃やしていた」
「違う! 違う違う……そんな話してない! そんな話、昨日は、」
耳を覆い、茅夜はイヤイヤをする稚児のように髪を振り乱して反駁した。
「茅夜ちゃん!」
「茅夜、落ち着いて……ねっ」
上体を乗り出し、茅夜の身を案ずる玖珠と那珂の心配そうな声色が、妙に江奈の心に残った。
江奈に劣らず神経質で気遣いの多い那珂は当然としても、リーダー格ながらグループ内では一番のんびりしていておおらかな性格の玖珠でさえ、発作的な茅夜の狼狽に不安と同情に満ちた眼差しを向けている。
どうしたものかと、用の済んだ捜査員は指示を仰ぐ眼で隣の警部補を見つめた。
事態は好転しているのか。
それとも悪化しているのか。
少なくとも江奈には、そのどちらであるとも判断することは出来なかった。
両側のこめかみがキリキリと痛んだ。
以前にも、寝床に伏しているときに、こういう頭痛は幾度か経験したことがある。
不眠症気味の体質故、軽度の頭痛は毎度のことなのだが、ここまで強烈な頭痛に襲われることは、就寝時以外には滅多にない。
どうしてこんなことになったの?
こんなはずじゃなかったのに。
本当に茅夜が、紗乃を殺したの?
殺人を犯すことが、茅夜には心理的に可能だったというの?
まだ紗乃がイチローなる男性と付き合っていた頃、姉妹の如き玖珠と那珂の仲睦まじい有様を、紗乃が待ち前のユーモア精神で大いに冷やかしたことがあった。
あのときは、怒りという感情を滅多に露出することのない那珂が、怒張で顔を紅潮させた玖珠と共に、珍しく過剰な反感を紗乃に対しぶつけていた。
その場はすぐに収まったが、恋人同士であるかのように揶揄われたことを未だ二人が根に持っていることは、傍目にも判然としていた。
二人を疑っているわけでは決してない。
が、茅夜が犯行可能な心理にあったというのなら、それは玖珠と那珂の二人には当て嵌まらない、と、そう断言できるわけでもない。
怨恨が殺意にまで膨れ上がるとき。
殺意が殺人の実行に帰着する瞬間。
それらの阻隔は、無論人によって大きく異なるだろう。
すると、茅夜の場合はどうなのか。
怨恨。
殺意。
殺害の着手。
警部補が考えているほどに、その三つの階梯は茅夜の中では容易に通過することの出来る、当たり前の道程だったというのか。
反対に、どのような根拠をもってすれば、玖珠や那珂はそうではなかったのだと主張できるのだろう。
判らない。
全く判らない。
一つ確かなのは、江奈の求めていたものは、こんな現実ではないということだ。
何故こんなことになったのか。
こんなはずじゃなかった。
今日は全員で、新しく出来たという郊外の遊園地に出掛ける予定だった。
乗り物に乗って、クレープを食べて、皆で写真を撮って。
それなのに、どうして五人のうち一人があんなふうに殺害され、早朝から警察の取り調べを受けなくてはならないのか。
こんなはずじゃ……絶対に、なかった。
警部補が茅夜を落ち着けるべく、漸く説得に取り掛かった。
眼を閉じた江奈の頭の奥に、昨日は……昨日は……という茅夜の消え入りそうな声が、過剰なエフェクトを伴って当て所ない反響を続けた。
なんで、こんな大事なときに。
頭痛が。
頭が。
意識を掻き消さんばかりの痛覚に、江奈は歯を喰い縛り、テーブルの上で頭を抱えた。
暫く経って、応接間に居る人々の耳に、引き摺るような低い笑い声が届いた。
迸り出る愉快な感情に耐えきれぬといったふうに、唇から継起的に洩れ出る含み笑いの発生源は、
……苦痛に顔を落としていたはずの、江奈だった。




