真実の愛は試される
目の手術後のリハビリに短編を初めて投稿します。AIは推敲を含めて一切不使用。
真実の愛は試される
昔々、とある大陸全土で流行病があった。
身分の上下を問わず、多くの人が病で命を落とした。
人の減少が引き起こしたものは国土の荒廃。
孤児が大量に発生し、片親だけでも生き残っている家庭はまだましだった。
伴侶を失った者同士の再婚は身分のある者を中心に広く行われた。
その結果、爵位の簒奪も頻繁に見られた。
とある王国では妻を亡くした侯爵が子連れの男爵家の未亡人と再婚し、跡継ぎである娘の養育を託すことにした。
初めのうちは従順な姿勢を見せていた後妻も、侯爵が妻と同じ病に倒れて亡くなった後は態度が豹変。
後継である娘を召使扱いし、自分の娘達を侯爵家の後継に据えようと家督の簒奪を図った。
大陸の多くの国で起きていた問題ではあったが、その王国ではその動きを察知して後継者の娘を救い出した。
簒奪が行われそうな高位貴族の後継の資格を持つ子女は王族の子供達の伴侶として迎え、空いた爵位を王家で召し上げ、王子王女に生まれた子らの爵位と領地として国を整え直した。
娘は王子と結婚した後、その子に元の父親の爵位と領地を与えられた。
これが脚色されて「灰被り姫」という物語として大人にも子供にも広く伝わるようになった。
ただし、子供向けの物語となった時、娘が元々正当な侯爵令嬢だったことは仄かににおわせているだけで明確には触れていない。
最底辺の下女が王子に見初められて王子妃になるという部分だけが都合よく庶民の間に広まった。
元々侯爵令嬢だった娘は知識も教養も高く血筋も良く、だからこそ見染められてすぐに王子妃となっても立派に勤め上げられたのだが、そういった事情は庶民の間には不要で単なる夢のある下剋上物語としてのみ定着していったのである。
同じような事例が多くの国で起きたため、この娘の物語がどこの国で起きたことなのかは時代が下った今では特定はされていない。
「所詮は御伽噺ですわ」
ガーディア公爵家の長女、ステファニアは16歳。
半年後には自国の王太子との婚礼を控えている。
ところが最近、その王太子が市井で見染めた少女と恋仲であるらしいという噂が立っている。
貴族街のカフェに勤める少女エリン。
こういった手合いの店は、貴族達の手軽な交流の場としていくつか存在する。
働くのも高位貴族達に粗相をしないよう躾けられた、家督に関わらない下位貴族の子女達だ。
いずれは平民になるであろう、しかし貴族としての最低限の教養は持つ者達で、平民相手の店とは一線を画している。
彼ら彼女らは結婚で他の貴族家に入らない場合に備え、今から家を出た後の身の立て方を学んでおく必要がある。
こうした市井の店で働くだけでなく、王族や高位貴族の侍女や侍従として働くときのための仕事のトレーニングともいえる。
だからこそ高位貴族達も安心して利用できる場所だ。
そこで働く男爵家の娘と王太子が恋に落ちたのだという。
「ですがお嬢様、このままでは公爵家の体面というものが」
「ええ、そこはお父様もよくわかっておりますわ」
あと少しで婚礼という時期に降ってわいた王太子の醜聞に、公爵家の侍女達も心を痛めていた。
「灰被りの姫の話など、所詮現実的ではありません」
ステファニアの父方の祖父が元王弟であり、父親が現国王とは従兄弟になり、ガーディア公爵家は低くはあるが何なら王位の継承権も持つ。
薄まった王家の血と威光の回復と財産の後ろ盾が必要になって、ステファニアと王太子テオドールの婚約が結ばれた。
王位を継がない王家の子の降下先は高位貴族に限られる。
そうしないと、いつでも国家転覆の危険が起きる。
「元はと言えば王家から望まれた縁談です。お父様も国王陛下とは話し合っておられるようですわ」
国王もテオドールを次代の王として教育してきた。
婚約が結ばれてからは最低限でもきちんと婚約者としての交流をしてきていたし、お互い政略ということで恋情は無くてもこれから信頼関係を築いていければそれでよかった。
なのにここにきて王太子の裏切りが発覚してしまった。
たとえ相手に恋愛感情を持っていたとしても、人として信頼を寄せることはこの先無理だろうとは思えた。
やるべきことより先にやりたいことを優先してしまった。
それが周囲にどんな波紋を投げるのか、権力を持つ者だからこそ最も考える必要があった。
身分の低い王太子の護衛達は、立場的には王家の盾でありながら男爵家の少女エリンに感覚は近い。
心のどこかで灰被り姫の物語を連想したのだろう。
政略ではない王太子の純情を止めることを躊躇った。
それが国王の耳に入るのに時間がかかってしまった。
表面上、婚約者の公女との交流に何ら異変がなかったというのも大きな要因だ。
たまたまガーディア公爵家の嫡男が貴族街のカフェで王太子を見かけ、店員のエリンと親しそうにしている様子を見かけて不快に思い、公爵家の影に調査をさせた所王太子の不貞が発覚したのだ。
王家の影は王命でのみ動く。
国王が何も不審に思う所がなかったために機動が公爵家に後れを取った。
公爵家からの指摘が入り、王家でも調べたところ、既に王太子はエリンに愛を伝えてしまっていた。
「私どもとしましては、わざわざ娘を不幸にさせる婚姻は望みません」
王家から望まれた婚約なのに、王家の方から裏切るとはそんな君主に忠誠は誓えない。
同じ王族の血を引くガーディア公爵だからこそ遠慮なく国王にステファニアの婚約の継続について異を唱えられた。
しかもこの婚約は、相手がガーディア公爵家だからこそ意味があった。
「王太子殿下はガーディア公爵家に泥を塗り、我が娘ステファニアよりも男爵家の娘をその上に据えようとなさる。陛下は貴族社会の秩序を乱される治世をお望みなのか」
ガーディア公爵は決して激昂せず、淡々と国王に詰め寄った。
「そ、そんなことはない、エドワード。あくまでも愚息の暴走だ」
「そうでございましょうな。仮に娘に落ち度があったのならば私は何も申し上げるつもりはありませんでしたが」
社交界でもステファニアは次期王妃に相応しい淑女として評判があった。
ただ、下位貴族達の間では王太子に見初められたエリンの存在が噂として広まっていた。
実際に市井のカフェで仲睦まじく愛を語らう王太子と男爵令嬢の姿は複数の貴族子女達に目撃されており、ただの噂としては見られなくなっていた。
「ステファニア嬢は素晴らしい淑女であると、我が妃も令嬢の輿入れを楽しみにしている」
久々に父親に伴われて登城したステファニアは、父の横でじっと国王とのやり取りを聞いている。
『一体何が殿下はご不満だったのでしょう』
何か怒らせるような言動をした覚えもない。
そもそもそんなやり取りをするほど頻繁にテオドール王太子に会っているわけでもない。
どちらかというと王太子はステファニアに対して無関心なくらいだった。
国王の横に侍る王妃も悲しげな表情で俯いている。
この場に王太子は居ない。
公爵とステファニアが登城することは知らせてあるが、それを聞いてどうするかを王太子に行動を選ばせてくれと言ったのは公爵の方だった。
つまり、王太子がどういう選択をするのかを見極める目的もあった。
ステファニアに無関心な王太子は、嬉々として市井に出かけて愛しい少女のもとに向かったのである。
半分それで答えが出たようなものだった。
この場に居るのは他に王太子の姉であるエミリア王女と弟であるアルバート第2王子。
王女は他国への輿入れが決まっているので、婚約者を公爵家嫡男に切り替えるわけにもいかない。
アルバート王子は王太子のスペアとして同じく教育されてきた。
テオドールがいつも弟と比較をされて窮屈な思いをしてきたであろうことや優秀な淑女の婚約者と比較されて鬱屈していたのを市井の男爵家の令嬢といることでプライドを守ろうとしたのかもしれない。
けれどそんなのは貴族の序列を乱してまで公爵家の婚約者を男爵家の令嬢の下に置いてもいい理由にはならない。
王妃もステファニアの輿入れを楽しみにしている。
この言葉はステファニアが王家に嫁ぐことが覆らない何よりの証だった。
だから国王は決断せざるを得なかった。
再三注意したにもかかわらず、態度を改めなかったのは王太子だ。
「王家としてはステファニア嬢に何ら不満などない。それどころか愚息の婚約者として良く振舞ってくれていた」
「いえ、私が殿下の御心を繋ぎとめられなかったのは私の不徳の致すところです」
労う国王に、ステファニアは詫びた。
王太子との婚約が決まってから王妃教育も頑張ってきたし、それを教える教師もこれ以上はもうほぼ教えることがないと太鼓判を押していたことも国王は知っている。
「不徳などと。ステファニア様よりも未来の国母に相応しい方はおりませんわ」
王妃もステファニアの手を取って頭を下げる。
「ご安心なさって。ステファニア様は必ず王家にお迎えいたしますから」
「ありがとうございます王妃陛下。でもテオドール殿下はそのようにお考えなのでしょうか」
不安そうに申し出るステファニアに、王妃は目を一瞬見開き、にっこりと微笑みかけた。
「まあ、心配には及びませんわ。ねえ、アルバート?」
いきなり話を振られて、アルバート王子がはっとして王妃の方を見た。
「…ええ、そうですね、母上」
そして彼も、王妃に似た美しい笑顔を見せた。
このところ、王妃の主催する茶会では、公爵家や侯爵家、伯爵家の夫人達から不満が漏らされていた。
家の者が市井で王太子がカフェの店員の少女とただならぬ仲の良さを隠すことなく周囲に見せているのを報告してくる。
婚約者の公爵令嬢ではなくその娘こそが妃になるのだと見せつけているかのように。
下位貴族の子女達は王太子が身分を超えて妃を選ぶことに、昔話の「灰被り姫」のようだと夢を見ている。
でも高位貴族の子女達は違う。
彼等の親達は、それを看過できない事として王妃に陳情していた。
「王家の方々は、王太子殿下のなさりようを許諾されているのでしょうか」
直接王妃に物申せるのは、公爵家か侯爵家の者くらいだ。
そう言ったモーリア公爵家の夫人は、王家とガーディア公爵家の婚姻には理解を示している。
王家にとって必要な事であるとわかっているからこそ、王家の婚姻に自分の娘を捻じ込むなどという真似はしてこなかった。
「下位貴族の娘に膝を折れと高位貴族に求めるのは無理なことではないかと存じますわ。公爵令嬢をはるかに凌駕するほどの何かをお持ちで、諸侯が彼女ならばと納得できなければ未来の王妃様どころか、王家に対しても高位貴族達は反感を持ちかねません」
モーリア公爵夫人の苦言は、参加している高位貴族の夫人達にも共通の懸念だっただろう。
「ご心配頂き、ありがとうございます。けれど私どもは、王太子のやりたいことだけを見逃すことは致しませんとお約束いたします」
それを聞いて、一応モーリア公爵夫人をはじめ、高位貴族家の夫人達は留飲を下げた。
幾ら妃となる者に教育を施すにしろ、高位貴族と下位貴族では担う責任の重さが違う。
単なる身分の差ではなく、そこには責任の重さの差が伴う。
王妃は人の子の親である前に、国母である。
自らも政略で王家に嫁ぎ、国王と信頼を一歩ずつ積み重ねてきた。
燃えるような恋愛ではなくとも、穏やかな温かい関係を作ってきたつもりだった。
テオドールだけが何故、感情優先に走るようになってしまったのか、王妃も頭を痛めていた。
茶会の席で幾ら理解を求めようとしても土台無理な話で、テオドールから聞く話でも、貴族達の評判でも、王家の影の報告でも男爵家の令嬢が王太子の婚約者よりも優れている点を見出せなかった。
何度注意しても一向に聞く様子のない王太子に、流石の国王も痺れを切らせた。
王太子テオドールは、幼い頃に婚約者が決まった。
『ガーディア公爵令嬢は未来の王妃としてこの王家に迎えることに決まっている。お前も大切にするように』
そう父王から言われ続けていた。
美しい少女だった。
王太子の婚約者として相応しく努力家で、優秀で、誰もが素晴らしい令嬢と褒める。
そんな令嬢を婚約者にできて王太子は幸せだという。
―――果たしてそうなのだろうか?
テオドールから見て本当にステファニアは自分には勿体ないほどの淑女だった。
彼女が隣に立てば、自分の方が惨めに思える。
だからいつしかステファニアを避けるようになった。
そうしているうちに市井の貴族用カフェで気立ての良い少女に出会った。
客商売であり、まして高位の貴族相手なのだからそれも当然であるのに、殊更に自分を立ててくれる男爵家の令嬢に段々と惹かれていった。
ステファニアとの婚約は恋愛というプロセスを経たものではない。
けれどエリンとの恋は、純粋に心を預けられる。
自身の人生に最も必要なのは、そうした温かさだと思う。
両親の国王夫妻だって、互いを敬い想い合う良い関係だ。
人生を共にするなら、両親のような関係になれる人が良いと思う。
ステファニアには何の落ち度もない。
だからこれはあくまでも自分の我儘だ。
生まれてからずっと王子であり王太子であり続けた自分の、唯一の望み。
「父上、申し訳ございません。私には共に人生を歩みたい令嬢が居ます」
そう国王に告げた時、国王は一瞬顔を顰めた。
恐らく王宮騎士や影から報告が入っているのだろう。
「…その者を王太子の妃に迎えることはできない」
父上の言葉も当然だ。
侯爵や公爵たちは、未来の王妃として男爵令嬢に傅くことに抵抗があるだろう。
それに自分だってエリン嬢が王妃の器ではないことくらいわかる。
「その娘がお前の伴侶になることで、王国にどのような利益を齎すのか。諸侯を説得できるだけの理由があるのか。申してみよ」
「ございません」
そう、何もない。
何の利益にもならない。
求めるのは利益ではないからだ。
あるのは心許ない愛という名の心の支えだけ。
「今一度問う、テオドールよ。国を治める覚悟のない者に国を任せることは私とてできぬ。だが親として息子への情が無いわけでもない」
父上の言葉はありがたいものだった。
国王という地位があるから、何でもかんでも自分の希望を聞いてくれるというわけにもいかないだろう。
「はい。私が自分の伴侶にベルディ男爵令嬢エリンを迎えたいという気持ちは変わりません」
「何を失ってでも、その決意に変わりはないか」
「はい」
しっかりとよく通る声で返事をしたテオドールを国王は見降ろし、目を閉じて一つ溜息を吐いた。
「あいわかった。それではテオドールから王太子の地位を解き、新たにアルバートを王太子とする」
父王はテオドールの身分を王籍から外した。
新たに与える爵位が存在しないので、平民となることで男爵令嬢との婚姻を許した。
許すも何も、もう王家の筋を語ることもできない。
この先、王位の継承をめぐって血統を主張することがないように断種が行われる。
同じように第二王子アルバートも、王位の継承をめぐる政争を避けるためにこれまで婚約の話が持ち上がらなかった。
慣例で第二王子以下の婚姻は国王若しくは王太子の婚姻の五年以内に子が為されなかった場合にのみ行われる。
そのために長く若い令嬢を待たせることができずに婚約を結ばないのだ。
「ステファニア義姉上」
王太子に命じられたアルバート王子は、上気した顔を隠すことなくステファニアに向き合う。
ステファニアを義姉と呼ぶが、年齢はアルバートの方が一つ上である。
兄の嫁になる相手だから便宜上義姉と呼んでいたまでのこと。
「兄上の妃となられる方だからと、ずっと貴女への想いを胸にしまい続けてきました。誰よりも努力家で、微笑みの裏にある涙や悔しさもずっと見てまいりました」
アルバートは膝をつき、ステファニアに手を差し伸べる。
「愛しています、ステファニア嬢。この先の人生を、貴女と歩んでいきたい。いつ政略に使われるかもしれなかった僕は、心だけは生涯貴女に捧げようと長い間貴女への想いを貫き通しました。僕の真実の愛です。どうか僕の妃となってくださいませんか」
王族なのだから命じることだってできる。
それでも、ステファニアの愛を乞うている。
公爵からは未来の王妃になるのだと言われてきた。
自分に見向きもしてくれない王太子にも、それが役目と諦めてもいた。
市井で働く男爵令嬢にも劣るのだと陰口を叩かれていたことも知っている。
兄のスペアとして存在するアルバートは、将来の王を支える事が生まれつき与えられた仕事だった。
ステファニアにとって同じ王を支える存在として、共に研鑽することを誓い、励みにしてきたのがアルバートだった。
もしもアルバート王子が居なければ、自分を顧みない王太子に心折れていたかもしれない。
「アルバート殿下。辛い日々も、殿下がいらっしゃってこそ私も頑張ってこられました」
ステファニアは、差し出された手を取るか、躊躇する。
「私は恋を知りません。知る前に役目が与えられました。ですが、殿下への敬愛の念はあります」
互いに与えられた役目を全うしようと、励まし合ってきた。
「それで構いません。恋は落ちるものですが、愛は育てるものです」
「育てる…」
「長い間、僕は貴女への想いを育ててきました。実らない可能性の方が高かった想いを」
おずおずとステファニアは手を差し出そうとする。
「あの」
手が触れそうになって、ステファニアは手を止めた。
「私は恋情を向けられる事に慣れていません。その返し方もわかりません。ですから」
また、他の令嬢に気持ちが向くのではないか、テオドールのように。
不安に震え、扱い方が分からない感情に慄く姿は、アルバートには牽制どころか却って庇護欲を増大させるだけだった。
「わからなければ、僕がいくらでも教えて差し上げます。わかるまでどれだけでも」
学ぶことなら王太子妃教育で貴女は慣れているでしょう?
アルバートがそう言っているのだ。
自分に寄り添ってくれる、優しい頼もしい人。
居てくれるだけで、温かい安心をくれる人。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
そして、ゆっくりとステファニアの手がアルバートの手の上に乗せられた。
「貴女を一生大切にすると誓います」
「はい」
その様子を、国王夫妻は微笑みながら見ていた。
テオドールも、自分の役目が終わり、無事に弟がそれを引き継いでくれたことに安堵した。
市井のカフェでは、もうすぐ開かれる王宮舞踏会について貴族の子女達が話に花を咲かせている。
年に一度の王家主催の王宮舞踏会は、国内の貴族が参加する恒例の行事だ。
普段交流する機会のない高位貴族と下位貴族が一堂に会する。
勿論、そこで働く貴族の子女達も舞踏会に参加する。
高位貴族への顔繫ぎができる数少ない機会である。
事業に携わる者、寄親家への挨拶をする者、目的は様々だ。
この先家を出る者にとって他家との縁を探す事や仕事先の情報を手に入れることも重要だ。
どこの商会がこういう人材を探している、侯爵家の夫人がお子様の家庭教師を探している、王家の侍女の採用基準はこんな具合。
そういった情報が得られる。
勿論市井の職業斡旋のギルドに行けば情報はあるが、細かい情報はやはり直接の経験者から聞く方がよくわかる。
それに。
本来なら接点のない筈の高位貴族に実際にお目にかかれる機会なんてここくらいしかない。
尤も、市井の貴族用カフェでは軽装で訪れる子女だけなら接点もあるのだが。
当主クラスの煌びやかな貴人は舞踏会での目の保養となる。
「今年の王宮主催の舞踏会では、王太子殿下とガーディア公爵令嬢の御成婚の時期についての発表があるようね」
「まあ、それならば御成婚祝賀の祭典もそのうちあるのでしょうね」
いつもにもまして華やかな話題が上がる。
エリンもそわそわしながら聞いていた。
―――王太子殿下は、私を妻にしたいと言ってくださったわ。
だから、その発表の時にテオドールの横に立つのは自分だと信じて疑わない。
でもおかしい。
王家の発表は、王太子とガーディア公爵令嬢の、ということだ。
私は?
王太子殿下はガーディア公爵令嬢と御成婚なされるの?
信じたくないような気持ちでエリンは黙って話を聞いているしかなかった。
自分に好意を向けてくれている相手が王太子だと知った時、エリンは子供の頃から読んでいた物語を思い出した。
下女から王妃に上り詰めた灰被り姫の物語。
それがただの物語でなく、史実に基づいた話であることがエリンに期待を持たせた。
『君には苦労を掛けるだろう。それでも私はエリンを妻にしたい』
灰被り姫は結局幸せになれたのだ。
ならばその苦労は自分にも耐えられるかもしれない。
ただ、テオドールは最後まで身分を隠し、自分からは王太子だと明かさなかった。
ただ自分の名をテディとだけ伝えた。
客として来ていた他の貴族がその彼を「殿下」と呼ぶのを聞いてしまったのだ。
「私もテディを支えられるのなら苦労は厭いませんわ」
そうして二人は想いを通じ合わせた。
テディは私に舞踏会のドレスを贈ってくださらないのかしら。
未来の王妃が見すぼらしい姿では舞踏会に出られない。
少なくとも公爵令嬢に見劣りしないくらいでないとテディだって困るでしょう?
一向にドレスが贈られる様子がないので、エリンは両親に宮殿舞踏会用のドレスを用立ててもらった。
昔母親が社交界デビューの時に着ていたドレスをリメイクして。
ドレスを解き直して流行の形に整え、サッシュやリボンを縫い付けた。
宝飾品は母親の持っているカーネリアンの物を借りた。
母親は娘がテオドールと思い合う仲だとは夢にも思っていない。
ただ煌びやかな王宮の舞踏会に憧れる可愛らしい少女だと思って疑わない。
灰被り姫のドレスは魔法使いが用意したという。
だけどこの大陸に魔法は無いし、恐らく比喩的なもので彼女の家のどこかに隠されていた資産をその時に引っ張り出してきたのではないだろうか。
そこまでは自力で行きなさい、ということなんだろうか。
それもそうだろう、今の王太子の婚約者は公爵令嬢なのだから。
真実の愛は、苦難を乗り越えてこそ実るもの。
エリンのことを応援してくれるカフェの店員仲間達はよくそう言って励ましてくれていた。
自分は灰被り姫のような苦労をしていないのだから、これからの苦労くらいどうってことない。
そう信じていた。
年に一度の王宮大舞踏会は、夜だというのに王宮だけが昼間の陽光の中にいるかのような光に溢れていた。
先に下位貴族達が舞踏の間に案内され、王族と高位貴族を迎えるような形になっている。
日がとっぷりと暮れ、王宮の庭にも灯りが点る頃にファンファーレが鳴り響き、舞踏の間に国王と王妃が入場した。
直接国王と王妃に挨拶ができるのは伯爵家までの高位貴族の招待者と、下位貴族の家長のみになる。
国王と王妃が着席すると、高位貴族の入場を告げるファンファーレがその都度鳴り響く。
一番最初に名を呼ばれたのはガーディア公爵家の当主夫妻と令嬢ステファニアだった。
次にモーリア公爵家の当主夫妻及び嫡男と息女。
国王夫妻は無言で貴族の挨拶に頷き、あまり時間を取らせずに次々と列を捌いていく。
最後にミンストル男爵の挨拶が終わると、舞踏の間の扉が閉められた。
その後、玉座の周りに国王夫妻以外の王族が集まった。
エリンもまたその玉座の方を見ていたが、何故かそこにテオドールがいない。
「今宵王城に集まりし王国の諸侯たちよ。王家より皆に二つの報せがある」
玉座から立ち上がった王は、舞踏会の開始の合図の前に貴族達に話しかけた。
「先日、王太子の交代があった。王太子は第二王子アルバートに決まった。諸侯もアルバート王太子を支えてくれるように望む」
玉座から一歩下がっていたアルバートが前に進み出た。
王太子の飾緒、ロイヤルブルーのサッシュを掛けた装束だ。
ざわめきが広がる。
これまで王太子の後ろ盾になっていた貴族家は切られるのか。
「ガーディア公爵家ステファニア嬢、前へ」
国王に名を呼ばれたステファニアは、そのままアルバートの横に立つ。
「王太子妃には変わらず、ガーディア公爵令嬢とする」
そこで目くばせをされたガーディア公爵も進み出た。
「我がガーディア公爵家は、変わらず『王太子殿下の』後ろ盾となりて王家をお支えいたしましょう」
その言葉に国王は頷く。
「いたみ入る、ガーディア公。貴家の忠誠、ありがたく思う」
貴族間の勢力図は、何の変化もないということになる。
「王太子とステファニア嬢の婚礼は『当初の予定通り』、半年後に執り行われる。王国の益々の繁栄を諸侯にも祝ってもらいたい」
貴族の間には戸惑いと、でも確かに祝う拍手が広がった。
ぽかんとしてるのはエリンとその友人達。
国王が舞踏会の開始を告げると、最初に国王と王妃、王太子とステファニアが舞踏の間の中心で躍った。
そこにやはりテオドールは居ない。
王族のダンスに続いて、貴族達が躍る。
「エリン」
不意に後ろから声をかけられて振り返ると、そこにテオドールが居た。
ただし、王族の礼服ではない。
「テディ…テオドール様、これは一体どういう」
そうエリンが返すと、テオドールは怪訝そうな顔をした。
「テオドール?私は君にテディと名乗った筈だが。それにテオドールは『以前の』王太子の名だ。その名を口にしてはいけないよ」
確かにカフェで聞いた通り、この王宮大舞踏会で国王陛下は王太子と公爵令嬢の婚姻についての発表を行った。
けど、それはエリンの予想していたものではなかった。
「テディ様、王太子殿下では、なかった、の?」
「王太子の婚約者は公爵令嬢だ。王太子が君に求婚するわけがないだろう?」
すぐ目の前で踊りの輪がくるくると咲き乱れているのに、エリンにはその音楽も遠くに聞こえるようだった。
「だって君には王太子妃、ゆくゆくは王妃になることはできないだろう。国の貴族達に敬意を持たれるだけの理由が君にあるのかい?」
それは、公爵令嬢にはそれがあるということだ。
君主の寵愛は貴族達が傅く理由にはならない。
「君を王太子妃にはできないから、私は王族であることを捨てた。君を日陰の存在にするわけにいかないから、君を妻にしたいから」
側妃や愛妾は国王の戴冠後、世継ぎがいない場合に王妃の承認をもってのみ許される。
まだまだ息災な国王の治世は当分続くだろう。
ただでさえエリンには超えるべきステファニア公爵令嬢のハードルが高いのに、王位に就くのがどれだけ先になるのか、ステファニアが子に恵まれずにエリンの存在を許すという条件もかなり厳しい。
子を産める若い側妃や愛妾であることが求められるのだから。
「テオ…テディ様は、それでよかったの?灰被り姫だって、王子の妃になれたのに」
何を言われているのか、テオドールには理解できなかった。
「灰被り姫は、元は高貴な侯爵家の令嬢だ。だから急に王子の前に出ても必要な教養、マナーが完全に身についていた。王家もその令嬢を簒奪から救い出す必要があった。この大陸の各国の王家の者には当然のように王子王女教育の中でこの物語について触れられることだ」
その場にエリンは座り込みそうになった。
「私の君への愛は真実だ。君には苦労を掛けるかもしれないが、幸せになろう、エリン」
テオドールが差し出したその手を取るか、一瞬エリンは躊躇った。
遠くで踊りの音楽が鳴っている。
テオドールの声が、それよりも遠い。
真実の愛は試される。
エリンの答えはYESもNOもありえます。自分ならどうするだろうという余韻もお楽しみください。




