第2回 ババ・ヴァンガは本当に「日本の巨大災害」を予言したのか
「日本を巨大地震と津波が襲う」
そんな予言を残した人物として、近年たびたび名前が挙げられる女性がいる。
ババ・ヴァンガ。
「バルカンのノストラダムス」と呼ばれることもある、ブルガリアの盲目の予言者である。
彼女について調べると、驚くほど多くの「的中例」が出てくる。
チェルノブイリ原発事故。
ソ連崩壊。
ダイアナ元皇太子妃の死。
ロシア原子力潜水艦クルスクの沈没。
アメリカ同時多発テロ。
スマトラ島沖地震とインド洋大津波。
さらには第三次世界大戦、巨大地震、巨大津波、文明の未来まで。
そして近年は、
「日本にも巨大地震と津波が来るとヴァンガは予言していた」
という話まで広まっている。
もし本当なら、これは無視できない。
そこで今回は、いつものように一つ質問することから始めた。
その予言は、どこに書いてあるのか。
調べ始めて間もなく、ノストラダムスとはまったく違う問題にぶつかった。
予言が見つからないのではない。
予言が多すぎるのだ。
そして、その大部分について――
ヴァンガ本人が語ったことを証明する原典が見つからない。
■ババ・ヴァンガとは何者だったのか
本名はヴァンゲリヤ・パンデヴァ・グシュテロヴァ。
1911年に生まれ、1996年に亡くなった。
幼少期に視力を失い、のちに人の運命や行方不明者について不思議なことを言い当てる女性として知られるようになった。
第二次世界大戦期には、戦地へ行った家族の消息を尋ねる人々が彼女のもとを訪れた。
やがてその名声は広がり、政治家を含む多くの人々が彼女を訪ねるようになる。
社会主義時代のブルガリアでは、彼女の活動が公的管理のもとに置かれた時期さえあった。
つまり、ババ・ヴァンガという人物そのものが後世に作られた都市伝説なのではない。
彼女は実在した。
多くの人々が彼女を訪れたことも事実である。
ところが――。
ここからがおかしい。
■「ヴァンガ予言集」が存在しない
ノストラダムスの場合、私たちは1555年に刊行された『予言集』まで戻ることができた。
そこに何が書かれているかを、現在でも確認できる。
ところがヴァンガには、それに相当するものがない。
本人が書いた体系的な予言書は存在しない。
「2026年にはこれが起こる」
「2028年にはこれが起こる」
「○○年に第三次世界大戦が始まる」
といった、インターネットで大量に流通している「ヴァンガ未来年表」の原本も確認できない。
彼女の言葉は、おもに彼女を訪れた人々や親族、後世の著者たちによって伝えられた。
1989年には姪クラスィミラ・ストヤノヴァによる伝記『Vanga』がブルガリアで出版されている。
1997年にはジェニ・コスタディノヴァによる『ヴァンガの予言』も刊行された。
つまり「ヴァンガについて書かれた本」は存在する。
だが、それと、
「ヴァンガ本人が、生前に日付入りの未来予言を記録して残した」
ことはまったく別である。
この違いは大きい。
■日本の巨大地震予言を探してみる
現在インターネットでは、
「ヴァンガは日本を襲う巨大地震を予言した」
「日本近海で巨大津波が発生すると予言した」
「アジアが大災害に襲われると語った」
といった情報を見ることができる。
2026年にも、
「ババ・ヴァンガは2026年、日本で巨大地震と津波が発生すると予言した」
という情報が海外のSNSやメディアで流通した。
しかし、その文章を過去へ過去へと遡っていくと奇妙なことが起こる。
肝心の、
ヴァンガ本人がいつ、どこで、誰に対してその言葉を語ったのか
が確認できない。
さらに、
「日本」
という国名を明示した生前の一次記録にも行き着かない。
つまり現時点で確認できる範囲では、
「ヴァンガが日本の巨大地震を予言した」
という主張を裏付ける、日付の確定した一次資料を提示することができないのである。
■では「巨大津波を予言した」はどうなのか
もう一つ有名なのが、2004年12月26日のスマトラ島沖地震とインド洋大津波である。
この災害ではインド洋沿岸の広大な地域が津波に襲われ、甚大な被害が発生した。
そして後に、
「ヴァンガは巨大な波が海岸を覆い、人々や町が水に消えると予言していた」
という話が広く流通した。
もしその文章が1996年の彼女の死以前に記録されているなら、非常に興味深い。
ところがここでも同じ問題が起こる。
災害以前の日付を持つ、検証可能な原文を確認できない。
災害後に紹介された「ヴァンガの予言」は大量に存在する。
しかし、
「2004年12月26日より前に出版された資料の、このページに同じ文章がある」
というところまで遡れない。
これは予言の検証では致命的な問題になる。
予言は、出来事が起きた後に初めて記録されても検証できない。
■「クルスク」はどうなのか
ヴァンガの予言の中でも特に有名なのが、ロシア原子力潜水艦クルスクである。
2000年8月12日。
原子力潜水艦クルスクがバレンツ海で事故を起こし沈没した。
乗員118人全員が死亡した。
そしてヴァンガはそれ以前に、
「クルスクは水に覆われ、全世界がそのために泣くだろう」
という趣旨の予言をしていた――とされる。
確かに、潜水艦「クルスク」が海底に沈んだ後にこの文章を読むと、ぞっとする。
しかし「クルスク」は潜水艦だけの名前ではない。
ロシアの都市名でもある。
第二次世界大戦最大級の戦車戦「クルスクの戦い」でも知られる地名だ。
したがって仮に発言そのものが真正だったとしても、
「クルスクが水に覆われる」
という言葉だけから、
「2000年に原子力潜水艦クルスクが沈没する」
まで導き出すことはできない。
そして何より、この有名な文章についても、出来事以前の独立した記録をどこまで確認できるかが問題になる。
ここでも「当たったように見える」ことと、「事前に検証可能な形で予言されていた」ことは別なのである。
■9・11予言には、さらに奇妙な文章がある
ヴァンガは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロも予言した、と頻繁に紹介される。
そこでは、
「アメリカの兄弟たち」
「鉄の鳥」
などの象徴的な言葉が登場する。
事件を知っている私たちは、
鉄の鳥=旅客機。
兄弟=ツインタワー。
と読みたくなる。
しかし問題はやはり同じだ。
その文章が事件以前のいつ、どの資料に記録されたのか。
これが確定できなければ、予言としての検証はできない。
事件を知った後なら、象徴はいくらでも意味を持つ。
「鉄の鳥」が飛行機に見えるのは、私たちがすでに答えを知っているからかもしれない。
■研究者が調べた「ヴァンガの言葉の旅」
近年、この問題そのものが学術研究の対象になっている。
2024年、Mary NeuburgerとAdam Hanzelは、ババ・ヴァンガがロシア語圏でどのように受容されてきたのかを研究した論文を発表した。
そこで浮かび上がるのは、非常に興味深い伝達経路である。
ヴァンガ本人。
↓
彼女に会ったという証言者。
↓
新聞。
↓
書籍。
↓
テレビ。
↓
インターネット。
言葉が人から人へ渡っていく。
しかも翻訳される。
要約される。
解釈される。
時には政治的意味まで与えられる。
そうして最終的に、
「ババ・ヴァンガは○○を予言した」
という短い一文だけが残る。
しかし、その一文から逆方向へ辿って本人の口元まで戻ろうとすると、途中で道が途切れてしまう。
■死後30年たっても「新しい予言」が現れる
ここで非常に奇妙なことに気づく。
ババ・ヴァンガは1996年に亡くなっている。
ところがインターネットでは毎年のように、
「ババ・ヴァンガの2024年予言」
「2025年予言」
「2026年予言」
「2027年予言」
が登場する。
戦争。
地震。
津波。
人工知能。
宇宙人。
経済危機。
新エネルギー。
医学の進歩。
その内容は、その年に人々が恐れているものや期待しているものと、不思議なくらいよく似ている。
もちろん、本当に生前語った未来予言が後から紹介されること自体はあり得る。
だから「死後に公開された」という理由だけで偽物とは断定できない。
しかし、それなら確認しなければならない。
誰が記録したのか。
いつ記録したのか。
いつ初めて公開したのか。
出来事より前だったのか。
ここを飛ばしてしまえば、どんな文章でも「ヴァンガの予言」にすることができてしまう。
■日本予言についての今回の結論
では、ヴァンガは日本の巨大地震や津波を予言したのか。
今回確認した資料からは、
「ババ・ヴァンガが生前、日本を襲う巨大地震または津波を明確に予言した」
と証明することはできなかった。
日本を名指しした一次資料が確認できないからである。
これは、
「ヴァンガには何の能力もなかった」
という判定ではない。
そこまで今回の資料から言うこともできない。
彼女が相談者に対して何を言い、どの程度言い当てたのかという問題と、
「日本の巨大災害を予言したのか」
という問題は別だからだ。
私たちが今回判定しているのは後者だけである。
■今回の判定
【予言者】
ババ・ヴァンガ
(ヴァンゲリヤ・パンデヴァ・グシュテロヴァ)
【生没年】
1911―1996年
【日本巨大地震・津波予言の一次資料】
確認できず
【本人による体系的予言書】
確認できず
【事前記録】
D
日本の巨大災害について、災害以前に日付を確定できる一次記録を確認できない。
【日本との関連性】
D
「日本」を明示した真正な生前資料を確認できない。
【予言の具体性】
判定不能
原文そのものを確定できないため。
【後付けリスク】
非常に高い
口承、証言、翻訳、書籍、テレビ、インターネットという複数の伝達段階が存在する。
【総合信頼度】
D
ただし、これは「ヴァンガという人物全体」に対する評価ではない。
あくまで、
「ヴァンガが日本の巨大地震・津波を予言した」という主張
についての判定である。
■予言より奇妙なもの
第1回のノストラダムスには、少なくとも1555年の本があった。
だから私たちは、
「このフランス語は何を意味するのか」
と議論できた。
ヴァンガでは、それすらできない。
原文がない。
日付がない。
発言場所がない。
それなのに世界中の人々が、
「ヴァンガはこれを予言した」
と知っている。
考えてみれば、これは予言そのものより不思議な現象ではないだろうか。
一人の女性が1996年に亡くれた。
それから30年。
彼女は今も毎年、新しい未来を「予言」し続けている。
地震が起きれば、
「ヴァンガは予言していた」
戦争が始まれば、
「ヴァンガは予言していた」
新しい技術が登場すれば、
「それもヴァンガは見ていた」
予言者本人は、もう何も言えない。
だからこそ、その沈黙の周囲で言葉だけが増殖していく。
もしかするとババ・ヴァンガをめぐる最大の謎は、
彼女が未来を見ることができたかどうかではない。
なぜ私たちは、未来で何かが起きるたびに、過去の彼女にそれを「予言させる」のか。
そのことなのかもしれない。




