幻の供物
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
人身御供の歴史……神様と関係する以上、なかなか切り離せないよねえ。
人そのものは人間社会において、最大の力といえる。物を作り、維持し、運用して、また作る……地球全体の歴史でみたら、まだぽっと出の新顔にかかわらず大きく技術を発展させてきた。地球そのものにでっかい影響を与えてしまうくらいに。
それらの数々の奇跡に対し、どのようなものを人が返せるのかといったら、最大の資源である人を捧げるという考えに行きつくのも、無理ないと思う。
向こうにとって、ありがたいものかどうか……と考えてしまうのは、配慮を重視する人間ならではの考えかもしれない。
お気持ちの表明。これは動いたことそのものが、大きな意味を持つものだ。やるかやらないかで、伝わり方が全然違う。
そして人間でもこうなのだから、自然のほうからも捧げてくれるものがあったとき、どうすればいいのだろうね。
――いわば豊作、大漁のたぐいがそれじゃないのか?
先に話したろう? そいつは僕たちが自分にとってありがたいものであるから、印象に残るし、ありがたがっているだけだ。
迷惑をかけかねないものがお礼代わり、というのはこちらでも平然と起こるかもしれない。
僕が聞いた昔話なのだけど、耳に入れてみないか?
むかしむかし。
とある猟師が昼前に村へ戻ってきた。いつもなら夕方どきまで粘っている御仁が、早く戻ってきたものだから、顔を知っているみんなは少しいぶかしく思ったらしい。
青ざめた顔の猟師が語る。「五郎を山の中で見つけた」と。
五郎というのは、猟師が飼っている、いや飼っていた犬だ。猟犬としての務めを果たしていたが、一年前に別れを告げている。
猟師が山中で偶然に熊と鉢合わせたときのことだ。深い茂み越しだったから、両者が存在を視認したときは、文字通り目と鼻の先だったとか。
猟師も驚いたが、熊の驚きも相当なものだっただろう。大きく吠えるや、出し抜けに爪の生えた腕を振るってきた。
驚愕とともに飛びのいていて、爪の致命的な圏外から逃げ出せたのは、ほぼ偶然だった。
それでも完全に届かなかったわけではなく、服は裂かれて胸にも血の筋が浮き出るほどの傷がついてしまう。
熊はなお間合いを詰め、襲い掛かろうとしたが、そこでやつに噛みついたのが五郎だった。
足元に噛みついたその猟犬は、すでに過去の猟で尾を半分失うけがをしていたが、ここまで猟師とともに山での戦いを続けてきた手練れだった。
急な足の噛みつきに気がそれたか、熊はそこからは完全に五郎へ向かい攻撃を続けたという。五郎もまた、熊から逃げることなく牙を剥き続けた。
あいにく、猟師は熊を倒しうる装備を持ってはいない。再び熊にその敵意を向けられては、生き残れる確率は低い。
猟師はその場を逃げ出してしまった。そして五郎もまた、その日からずっと帰ってはこず、もう一年が過ぎていたのだった。その生存は絶望的だと猟師も思っていたらしいのさ。
ほんの先ほど、尻尾の中ほどを失いながら山中で駆ける犬の姿を見るまでは。
五郎は生きている。それは猟師を知るもの、知らないものにも広く知らされた。
その夜、空は不可解なほどの流星が走ることになる。ひとつが消えれば、次なるひとつが後を継ぎ、東方が白み始めるまでその動きは止むことがなかったらしい。
翌日、猟師は再び山へ向かい、五郎を探すために動いたのだが、その間にも村人たちは奇妙な体験をした。
五郎が村へ現れたのだ。村近くの林、家屋の影などから、ひょいと出し抜けにだ。
目撃する皆は、必ず不意をつかれる。そして、駆け去るそれをあっという間に見失ってしまうんだ。
同一の個体とは思えなかった。村人たちが、かなり離れたところにもかかわらず、ほぼ同時に目撃したという証言が絶えなかったからだ。
そして、彼らは誰もその五郎と思しき犬をつかまえたり、触れたりすることはできなかったという。また山から戻ってきた猟師も、五郎と思しき犬を何度も追いかけたが、そのたびに見失い、そして思いもよらぬ近場から顔を出して驚かされたという。
例の尾がちぎれた姿は猟師も皆も知るところ。それが何匹も現れるなど、五郎であるか否かを置いといても、考えづらい。
そしてその夜も、途切れなき流れ星が空を覆う。
その翌日。事態は五郎のみにとどまらなかった。
それぞれの者の家族。それも亡くなった者のみが、姿をあちらこちらに見せるようになったんだ。
生前と変わらぬ姿のまま、村内に限らず野山の中へ現れるのだから、尋常ならざるものであることは容易に察しがついたそうだ。
そして、触れることができない。手足はすり抜け、投げた石などもまた突き抜けてしまう。去っていく人は足も動かさず、滑るようにして視界の外へ逃げていき、こちらへ応答することもなく、また追いつくこともできない。
けれども、その進路にある木々やたらいなどは、本当にものがぶつかったかのように音を立てたとか。
幽霊というには、なんとも奇妙な存在たちが闊歩した翌日。
村を大規模な土砂崩れが襲った。雨もなく、突然起こったそれの原因は分からないが、多くの家屋と人命が失われたという事実がある。
あの五郎と死者たちの幻のごとき存在。それは逃れられないさだめのもと、天たちが村の人々へそなえた供物であったのかもしれない。




