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王妃、お城辞めるってよ 〜加齢臭が無理なので家出したら、国王陛下が推し化しました〜

作者: 茨野 三智
掲載日:2026/05/24


「リリアーヌ。またその本か」


 あ、終わった。


 私は反射的に本を閉じたけれど、もう遅い。

 ベッドの横に立つギルベルト陛下は、完全に呆れた顔をしていた。


「王妃たるもの、読むべきは歴史書や政治書であって――」

「はいはい」


 思わず口が先に動く。


 だって今日これ三回目だ。


 三回。


 朝食のときにも聞いたし、昼にも聞いた。

 最近の陛下、口を開けば説教か健康の話しかしない。


「“はいはい”ではない」

「分かってますよー」


 分かってる。

 分かってるけど。


 私はシーツの中でこっそり本を抱きしめた。


『冷徹公爵の甘やかなる新婚調教』


 今日発売の最新刊。


 しかも作者サイン会付き。


 これを逃したら死ぬ。


 いや死なないけど、三日は引きずる。


「だいたいお前は夜更かしが多い。昨夜も明け方まで起きていただろう」

「……」

「肌に悪いぞ」

「陛下」

「なんだ」

「鼻毛出てます」

「なっ!?」


 陛下が慌てて鼻を押さえた。


 私は吹き出しそうになるのを必死で堪える。


 こういうところは嫌いじゃない。


 嫌いじゃないけど。


 でも、なんというか。


 ときめかないのだ。


 最初は少し期待していた。


 年上の国王。

 渋い大人の男。

 包容力。


 でも実際の結婚生活は、


「冷えるから靴下を履け」

「甘いものは控えろ」

「姿勢が悪い」

「最近、肩が痛くてな……」


 だった。


 恋じゃない。

 完全に生活。


 しかも最近、湿布の匂いがする。


 ロマンスどこ。


「聞いているのか、リリアーヌ」

「聞いてますって」


 私はむくれながら視線を逸らした。


 昨夜だって、新刊発売前だから一巻から読み返していたのだ。

 盛り上がって泣きながら寝落ちした。


 そしたら朝、陛下に真顔で言われた。


『新刊発売おめでとうございます先生ぇ……』


 って寝言を言っていたぞ、と。


 死ぬほど恥ずかしかった。


 なのにそのあと、


「そこまで夢中になれるものがあるのは良いことだ」


 とか普通に言うから調子が狂う。


 優しいのだ、この人は。


 ただ、色気がないだけで。


 その夜。


 私は侍女服に着替えて窓から逃げ出した。


 荷物は最低限。


 ……のはずだったのに、気づけば愛読書を三十冊詰め込んでいた。


 重い。


 ありえないくらい重い。


「なんで全部持ってきたの私……」


 でも置いていけなかった。


 推しは心の支えなので。


 私は肩を死なせながら下町へ向かった。


 そして翌日。


「おい新入り! 酒!」

「はいっ!」


 私は酒場で働いていた。


 なぜか。


 本が重すぎて途中でへたり込み、その隙に財布を落としたからである。


 終わってる。


「はい、お待たせしま――」


 顔を上げて、止まった。


 男がいた。


 黒い外套。

 冷たい目。

 無愛想な顔。


 うわ。


 めちゃくちゃ格好いい。


 というか。


(ラインハルト様じゃん……)


 『冷徹公爵』のヒーローがそのまま出てきたみたいだった。


 私は思わず前のめりになる。


「ご注文は、ラインハルト様!」

「誰だそれは」


 低い声。


 うわ、声までいい。


「俺はギルだ」

「へ?」

「あと服が前後逆だぞ」


 言われて固まる。


 首のところ、タグが当たって痛かったの、気のせいじゃなかった。


 うわぁ……。


 恥ずかしくて顔を覆いかけた、その時。


 ふわっと匂った。


 ポマード。


 あと、ほんのり湿布。


「…………」


 私はゆっくり顔を上げた。


 見慣れた目元。

 小ジワ。

 寝不足っぽい顔。


「……陛下?」

「やっと気づいたか」


 頭を抱えたくなった。


「なんでいるんですか!?」

「お前が消えたからだろうが!」


 そりゃそうなんだけど。


 陛下は椅子にどさっと腰を下ろした。


「城が大騒ぎだぞ」

「ちょっと推し活しに来ただけじゃないですか」

「王妃が“ちょっと”で消えるな」


 ぐうの音も出ない。


 でも陛下は本気で怒鳴ったりしなかった。


 疲れた顔でため息をつくだけだ。


 よく見ると、目の下に隈がある。


「寝てないんですか」

「誰のせいだと思う」

「……ごめんなさい」


 素直に謝ったら、陛下がちょっと変な顔をした。


 そのあと、小さく言う。


「……戻ってこないかと思った」


 私は返事ができなかった。


 なんだか妙に胸に引っかかる。


 気まずくて黙っていると、陛下が懐から本を出した。


『冷徹公爵の甘やかなる新婚調教』


「えっ」

「馬車の中で暇だった」

「読んだんですか!?」

「……まあ」


 しかも付箋まで挟まってる。


「二巻の夜会のところは良かった」

「読み込んでる!?」

「主人公の公爵、言葉が足りなさすぎるだろう」

「分かる!」


 思わず机を叩いた。


 陛下が少し笑う。


 ほんの少しだけ。


 珍しく柔らかい顔だった。


 その時。


 酒場の扉が乱暴に開いた。


「おい姉ちゃん」


 酔っ払いの男が私の腕を掴もうとする。


 私は反射的に身を引いた。


 次の瞬間。


 陛下の拳が男の顔にめり込んでいた。


 男が吹っ飛ぶ。


 店が静まり返った。


 陛下は冷えた目で周囲を睨む。


「……失せろ」


 低い声だった。


「俺の女に触るな」


 私はぽかんとした。


 今の。


 完全に。


『冷徹公爵』三巻の名台詞。


 陛下は私から露骨に目を逸らした。


「……たまたまだ」

「絶対影響受けてるじゃないですか」

「うるさい」


 耳が赤い。


 私は耐えきれず笑ってしまった。


 陛下は嫌そうな顔をしたけれど、少しだけ困ったみたいにも見えた。


「……サイン会、行くんだろう」

「え?」

「付き合う」


 私は目を瞬いた。


「いいんですか」

「お前一人だとまた財布を落とす」


 ひどい。


 でも否定できない。


 陛下は私のリュックを持ち上げて顔をしかめた。


「重いな……」

「愛です」

「腰を痛める愛は初めてだ」


 私は吹き出した。


 なんだ。


 案外。


 悪くないかもしれない。


「陛下! 急がないと列なくなります!」

「待て待て! 走ると膝が痛い!」


ここまで読んでくださってありがとうございました!


 家出する王妃と、それを全力で追いかける五十二歳の国王陛下のお話でした。


 書いていたら陛下が思った以上に『冷徹公爵』を読み込んでしまい、作者もちょっと困惑しています。


 少しでもクスッとしていただけたなら嬉しいです!


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