王妃、お城辞めるってよ 〜加齢臭が無理なので家出したら、国王陛下が推し化しました〜
「リリアーヌ。またその本か」
あ、終わった。
私は反射的に本を閉じたけれど、もう遅い。
ベッドの横に立つギルベルト陛下は、完全に呆れた顔をしていた。
「王妃たるもの、読むべきは歴史書や政治書であって――」
「はいはい」
思わず口が先に動く。
だって今日これ三回目だ。
三回。
朝食のときにも聞いたし、昼にも聞いた。
最近の陛下、口を開けば説教か健康の話しかしない。
「“はいはい”ではない」
「分かってますよー」
分かってる。
分かってるけど。
私はシーツの中でこっそり本を抱きしめた。
『冷徹公爵の甘やかなる新婚調教』
今日発売の最新刊。
しかも作者サイン会付き。
これを逃したら死ぬ。
いや死なないけど、三日は引きずる。
「だいたいお前は夜更かしが多い。昨夜も明け方まで起きていただろう」
「……」
「肌に悪いぞ」
「陛下」
「なんだ」
「鼻毛出てます」
「なっ!?」
陛下が慌てて鼻を押さえた。
私は吹き出しそうになるのを必死で堪える。
こういうところは嫌いじゃない。
嫌いじゃないけど。
でも、なんというか。
ときめかないのだ。
最初は少し期待していた。
年上の国王。
渋い大人の男。
包容力。
でも実際の結婚生活は、
「冷えるから靴下を履け」
「甘いものは控えろ」
「姿勢が悪い」
「最近、肩が痛くてな……」
だった。
恋じゃない。
完全に生活。
しかも最近、湿布の匂いがする。
ロマンスどこ。
「聞いているのか、リリアーヌ」
「聞いてますって」
私はむくれながら視線を逸らした。
昨夜だって、新刊発売前だから一巻から読み返していたのだ。
盛り上がって泣きながら寝落ちした。
そしたら朝、陛下に真顔で言われた。
『新刊発売おめでとうございます先生ぇ……』
って寝言を言っていたぞ、と。
死ぬほど恥ずかしかった。
なのにそのあと、
「そこまで夢中になれるものがあるのは良いことだ」
とか普通に言うから調子が狂う。
優しいのだ、この人は。
ただ、色気がないだけで。
その夜。
私は侍女服に着替えて窓から逃げ出した。
荷物は最低限。
……のはずだったのに、気づけば愛読書を三十冊詰め込んでいた。
重い。
ありえないくらい重い。
「なんで全部持ってきたの私……」
でも置いていけなかった。
推しは心の支えなので。
私は肩を死なせながら下町へ向かった。
そして翌日。
「おい新入り! 酒!」
「はいっ!」
私は酒場で働いていた。
なぜか。
本が重すぎて途中でへたり込み、その隙に財布を落としたからである。
終わってる。
「はい、お待たせしま――」
顔を上げて、止まった。
男がいた。
黒い外套。
冷たい目。
無愛想な顔。
うわ。
めちゃくちゃ格好いい。
というか。
(ラインハルト様じゃん……)
『冷徹公爵』のヒーローがそのまま出てきたみたいだった。
私は思わず前のめりになる。
「ご注文は、ラインハルト様!」
「誰だそれは」
低い声。
うわ、声までいい。
「俺はギルだ」
「へ?」
「あと服が前後逆だぞ」
言われて固まる。
首のところ、タグが当たって痛かったの、気のせいじゃなかった。
うわぁ……。
恥ずかしくて顔を覆いかけた、その時。
ふわっと匂った。
ポマード。
あと、ほんのり湿布。
「…………」
私はゆっくり顔を上げた。
見慣れた目元。
小ジワ。
寝不足っぽい顔。
「……陛下?」
「やっと気づいたか」
頭を抱えたくなった。
「なんでいるんですか!?」
「お前が消えたからだろうが!」
そりゃそうなんだけど。
陛下は椅子にどさっと腰を下ろした。
「城が大騒ぎだぞ」
「ちょっと推し活しに来ただけじゃないですか」
「王妃が“ちょっと”で消えるな」
ぐうの音も出ない。
でも陛下は本気で怒鳴ったりしなかった。
疲れた顔でため息をつくだけだ。
よく見ると、目の下に隈がある。
「寝てないんですか」
「誰のせいだと思う」
「……ごめんなさい」
素直に謝ったら、陛下がちょっと変な顔をした。
そのあと、小さく言う。
「……戻ってこないかと思った」
私は返事ができなかった。
なんだか妙に胸に引っかかる。
気まずくて黙っていると、陛下が懐から本を出した。
『冷徹公爵の甘やかなる新婚調教』
「えっ」
「馬車の中で暇だった」
「読んだんですか!?」
「……まあ」
しかも付箋まで挟まってる。
「二巻の夜会のところは良かった」
「読み込んでる!?」
「主人公の公爵、言葉が足りなさすぎるだろう」
「分かる!」
思わず机を叩いた。
陛下が少し笑う。
ほんの少しだけ。
珍しく柔らかい顔だった。
その時。
酒場の扉が乱暴に開いた。
「おい姉ちゃん」
酔っ払いの男が私の腕を掴もうとする。
私は反射的に身を引いた。
次の瞬間。
陛下の拳が男の顔にめり込んでいた。
男が吹っ飛ぶ。
店が静まり返った。
陛下は冷えた目で周囲を睨む。
「……失せろ」
低い声だった。
「俺の女に触るな」
私はぽかんとした。
今の。
完全に。
『冷徹公爵』三巻の名台詞。
陛下は私から露骨に目を逸らした。
「……たまたまだ」
「絶対影響受けてるじゃないですか」
「うるさい」
耳が赤い。
私は耐えきれず笑ってしまった。
陛下は嫌そうな顔をしたけれど、少しだけ困ったみたいにも見えた。
「……サイン会、行くんだろう」
「え?」
「付き合う」
私は目を瞬いた。
「いいんですか」
「お前一人だとまた財布を落とす」
ひどい。
でも否定できない。
陛下は私のリュックを持ち上げて顔をしかめた。
「重いな……」
「愛です」
「腰を痛める愛は初めてだ」
私は吹き出した。
なんだ。
案外。
悪くないかもしれない。
「陛下! 急がないと列なくなります!」
「待て待て! 走ると膝が痛い!」
ここまで読んでくださってありがとうございました!
家出する王妃と、それを全力で追いかける五十二歳の国王陛下のお話でした。
書いていたら陛下が思った以上に『冷徹公爵』を読み込んでしまい、作者もちょっと困惑しています。
少しでもクスッとしていただけたなら嬉しいです!




