幻
幸せとは何か、を考えながら書きました。暗くて孤独で、だけど何としてでも幸せになろうとする人間の生命力に、衝撃を受けてもらえたら嬉しいです。
ゴミ屋敷。
幸せだ。この中に大切な人がいる。二年前に亡くなった母と父の写真は、壁の一番高いところに飾ってある。だからどんなに部屋が埋まっても、私たちはともに居られる。
うちを訪れる人は、誰一人いない。みんなうちを一目見て、私が頭のおかしい人間だと思い込む。ある日、大家さんの紹介で清掃業者が入ってきた。ゴミの臭いが近所にも漏れているらしい。
「大宮さん、失礼しますね〜」
彼らは必死で礼儀を保とうとしている、いい人たちだと思った。しかしドアを開けたとたん閉口し、覚悟を決める表情を見せた。うちはそんな所じゃないのに。私は何にもできずに立ち尽くす。立ち向かうエネルギーは無かった。彼らを出て行かせることも、私がこの家を出ていくこともできないと知っている。どうしようもないのだ。私は、思い出たちが業者によって消されていくのをただ見ることしかできない。彼らはなぜ、こんな事ができるのだろう。と、頭の遠くの方で考えた。「清掃」中、何度か質問された。
「これは残しておかれますか?」
その全てに、私は「はい」と答えた。私の生きた証明なのだ。目に見える形で残しておけるなら、そうしたい。
五時間後、「清掃」が終わった部屋はあまりにも広かった。私を証明してくれるものが、ほとんど無い。行政と賃貸の書類、請求書、電子レンジとか、あと家族写真。
二枚の家族写真の一枚目には私と母が、二枚目には私と父がにこやかに写っている。楽しかったなぁ…と、ふと思った。
母と父は仲が悪かった。だけど二人とも私を愛していて、それぞれ違うやり方だけど彼らなりに大切にしてくれた。楽しかった。空では、どうしているのだろうか。
二人が車の事故で亡くなったことを知ったとき、私は自分にまだこの身体があることに愕然とした。二人のいない世界に、価値を見いだせない。友達も恋人もいない、仕事は続けられなくなって辞め、大切にしたい人もしてくれる人も大して居ない。私は、家だけが自分を守ってくれるのだと思うようになった。他のものは全部敵に見えた。誰の目も私を見下しているように感じ、誰とも仲良くなどなれなかった。その日ひとりになった私は、すぐにコンビニで母と父の写真を印刷した。二人はまだ生きているのだと証明したかった。そうしていなければ、おかしくなってしまう。
それから私は毎日毎日、朝昼晩、母と父の写真を眺めた。二人に笑いかけ、今何をしているかと尋ねた。彼らのこと以外どうでも良い。次第に、母と父は返事をしてくれるようになった。
「ねぇお母さん、今日こんな絵を描いてね…」
「あら、すごいわね」
「お父さん、今日テレビでね…」
「ほぉ、そりゃ珍しいな」
たまに父と母は、ふたりで話した。にこやかで楽しそうで、ときにお互い腹が立って口論までしていた。私はそれを見て、とても満たされた気持ちになった。彼らが笑っていてくれるなら、それが一番幸せだ。
清掃業者が帰ったあと、私は写真を持って家から出た。母と父をこんな場所に閉じ込めておきたくなくなった。だけどどうしよう。
へぇ、近所にこんな大きな川があるなんて知らなかった。前に部屋から出たのはいつだったか、思い出せない。そういえばこんな魚が泳いでいるんだ。
「会いたいよ…」
水面に2人の影を見て、ふと言葉がこぼれる。呟くほどでもないあまりにも小さな声で、魚にも聞こえない。私は二人の写真を川辺に並べ、それに挟まれるようにして仰向けに寝転んだ。太陽がもうすぐ沈む。通り過ぎる人が何人もいるが、川辺で寝転んでいるおとなに気を向けるものなど誰も居ない。
体が勝手に動く。靴とジャケットを脱ぎ、丁寧に畳んで川辺に並べる。日の入りとともに、足首から順番に静かに川に入る。秋めいてきたので水が少し冷たいが、これくらいのほうがなんだか安心する。両手には母と父の写真を大切に握って、落とさないように細心の注意を払う。
「もう大丈夫だよ」
と声が出た。寒さに震える声とは裏腹に、水面に映る自分の顔はほほ笑んでいる。そしてゆっくりしゃがみ込み、さっきみたいに仰向けになる。眠たいな…。
私たちは、ともに居る。
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