100円で買える運命と、買えない未来
町角に、見慣れない販売機が設置された。
灰色の金属製で、飲料の写真も商品名もない。ただ中央に赤いボタンが一つあり、その上に白い文字でこう書かれていた。
「人生、一本 100円」
最初に押したのは、失業中の男だった。どうせ冗談だろう、と笑いながら硬貨を入れる。
ガコン。出てきたのは飲み物ではなく、透明なカプセル。中には細長い紙切れが入っている。
「あなたは三年後、大成功します」
「占いか」
男は鼻で笑い、紙を丸めて捨てた。
だが三年後――彼は本当に成功した。偶然とは思えないほど都合よく仕事が舞い込み、気づけば大企業の社長になっていた。
噂は爆発的に広まった。
次に押した主婦は「理想の家族」を引き当て、ぎくしゃくしていた家庭が突然円満になった。学生は「天才的ひらめき」を手に入れ、難問を次々解いた。売れない作家は「世界的ベストセラー」を出し、本屋の棚を埋め尽くした。
誰もが確信した。
これは本物だ。
販売機の前には長蛇の列ができた。夜中でも消えない。警備員が配置され、整理券が配られ、ついには転売屋まで現れた。
政府は調査班を派遣した。分解しようとした技術者のドライバーは、機械に触れた瞬間、柔らかく曲がってしまった。切断機は刃こぼれし、透視装置には内部が「未定義」と表示された。
ただ一つ分かったのは――
補充に来る人物を、誰も見たことがないという事実だった。
やがて社会は変わり始めた。
努力して資格を取るより、「資格取得の人生」を買った方が早い。
告白するより、「両想いになる人生」を買えばいい。
研究するより、「大発見する人生」を押せばいい。
学校は空席だらけになり、会社は出勤率が激減し、病院でさえ医者が列に並んだ。
人々は口をそろえて言った。
「これは人類史上最大の発明だ」
ある夕方、列の最後尾に並んでいた少年が、前にいた老人に話しかけた。
「ねえ、この機械って、誰が作ったの?」
老人は少し考え、肩をすくめた。
「さあな。だが一つ言える。
人間が作ったとは思えん」
「どうして?」
「人間はな、自分で頑張るのが好きな生き物だ。遠回りして、失敗して、それでもやる。
こんな“近道しかない装置”を作ったら――退屈で死んじまう」
少年は首をかしげた。
「でも、みんな嬉しそうだよ?」
「今はな」
そのとき、販売機の表示が静かに切り替わった。
「新商品入荷
『努力して夢をかなえる人生』」
列がざわついた。
「なんだそれ」
「当たり前じゃないか」
「買う意味あるのか?」
誰もボタンを押さない。整理券番号が呼ばれても、人は前に出なかった。
沈黙が数分続いたあと――
少年が列を抜けた。
「買わないのか?」と老人。
「うん」少年は笑った。「それ、もう持ってる気がする」
そう言って、販売機に背を向けて走り去った。
しばらくして、列から一人、また一人と離れていく者が現れた。
最後に残ったのは、赤いボタンを見つめる老人だけだった。
彼はしばらく考え、ポケットから100円玉を取り出す。
だが――入れずに戻した。
「やれやれ。どうやら、まだ人類は大丈夫らしい」
販売機は何も言わず、ただ静かに次の客を待っていた。




