王女が視察という名の観光に来た
朝の牢屋は、珍しく静かだった。
正確には、嵐の前の、あまりにも不自然な静けさだった。
「……今日は、変な音しませんね」
エルミナが首をかしげる。
アキトは毛布を肩まで引き上げたまま、嫌な予感だけを抱いていた。
「それが一番怖いんだよ。今までの経験的に」
「ほっほ。嵐の前には、鳥も黙るものじゃ」
ラーデンが朝粥をすすりながら言うと、
次の瞬間
ガラァン!!
牢屋の扉が、ありえないほど丁寧な音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、
普段この場所に一番来てほしくない人物、隊長だった。
しかも今日は、
・制服がやたら正装
・顔色が土気色
・背後に、見たことのない豪華な護衛たち
「……起床。全員、姿勢を正せ」
声がやけに低い。
「な、なんですかこの雰囲気……」
エルミナが小声で聞く。
隊長は一度、深く息を吸い
死刑宣告のように言った。
「本日、王女殿下が
“視察”という名目で、この牢屋を訪問される」
一拍。
「……は?」
アキトの口から、素で声が漏れた。
「し、視察!? ここを!? なんで!?」
「知らん!!」
隊長が即答した。
「なぜか城で『最近話題の現場を見たい』と仰られ、
なぜか“公式見学コース”の資料にこの牢屋が載っており、
なぜか“歴史的資料と現行事例の融合”と書かれていた!!」
ラーデンが感心したようにうなずく。
「わしの歴史書、そんな扱いになっとったか」
「原因の一端が喋るな!!」
隊長はもう限界だった。
そこへ
絹の衣擦れの音とともに、
場違いなほど明るい声が響いた。
「まぁ……ここが噂の牢屋なのですね?」
現れたのは、
好奇心に目を輝かせた王女だった。
「わぁ……思ったより清潔!
それに、あの人が……?」
視線が、まっすぐアキトに突き刺さる。
「……え、俺?」
「あなたが“パンツ事件の中心人物”?」
「いやその言い方やめて!?」
エルミナが一歩前に出て、
勢いよく敬礼しようとして、途中でつまずいた。
「し、失礼します!
こちら、問題児……いえ、観察対象……いえ、
善良な被――」
「エルミナ、黙れ」
隊長が静かに止めた。
王女は楽しそうに手を叩いた。
「まぁ! 本当にそのままなのね!
展示の解説、聞いてもいい?」
「展示じゃないです!!」
即座に否定するアキト。
しかし王女はすでに牢屋の壁を眺め、棚を覗き、
例の“非公式パンツ展示ケース”の前で立ち止まった。
「……これが?」
空気が、凍る。
隊長は、
胃のあたりを押さえながら目を閉じた。
「説明しろ……アキト。
頼むから、余計なことは言うな」
全員の視線が集まる。
アキトは、
人生で一番慎重に言葉を選び
「……えっと……
これは、俺の人生を一度終わらせかけた布です」
王女は目を輝かせた。
「まぁ! 感動的!」
「どこが!?」
ラーデンが後ろで小さく笑う。
「歴史は、こうして始まるのじゃな」
隊長は、
その場にいなかったことにしたかった。
今日の牢屋は……王族まで来たが、誰も事態を説明できなかった。




