隊長の訂正却下地獄
その日、隊長は執務室で一冊の分厚い公文書を前に、深く、長く、ため息をついていた。
「……よし。訂正する」
隊長はそう言って、赤ペンを取った。
脚注三十二。
『この時点でアキトは事態を理解していない(本人談)』
「“本人談”ではなく、“当時の記録による推定”だ。
公文書に軽すぎる表現は不要!」
力強く二重線を引こうとした、その瞬間。
コンコン。
扉が開き、事務官が顔を出す。
「失礼します、隊長。
その訂正申請ですが……上から戻ってきました」
「通ったか?」
一瞬、希望がよぎる。
事務官は、申し訳なさそうに首を振った。
「いえ。“史料として完成度が高すぎるため、訂正不可”とのことです」
「……は?」
さらに一枚、紙が差し出される。
・脚注の主観性が当時の空気を伝えている
・混乱の生々しさが歴史的
・むしろ脚注は残すべき
・できれば増やしてほしい
「増やすな!!!」
隊長の叫びが、執務室に響いた。
そこへ追い打ちのように、別の事務官。
「隊長。
新人教育課から問い合わせです。
“脚注は暗記範囲に含まれますか?”と」
「含まれるわけがあるか!!」
「ですが、“現場感覚を学ぶ教材として優秀”と……」
隊長は椅子に深く座り込み、天を仰いだ。
(私は……
治安を守るために、この職に就いたはずだ……)
その脳裏に浮かぶのは、牢屋。
パンツ。
脚注。
そして、なぜか売れているグッズ。
机の上の歴史書が、ずしりと重い。
「……却下、却下、却下だ」
誰に向けた言葉かも分からないまま、隊長はそう呟いた。
しかし、その赤ペンは
最後まで、一文字も加えられなかった。




