脚注増殖
アキトは、机の上に積まれた分厚い一冊を前に、無言で座っていた。
表紙には、金文字でこう書かれている。
『近代王都治安史・補遺第三版(改)』
そして、その右上に、雑に貼られた紙。
※脚注増補版
「……増えてない?」
アキトの呟きに、向かいのラーデンが満足そうに頷いた。
「うむ。順調じゃな」
「順調じゃなくて怖いんだけど」
前回読まされたとき、アキトの項目には脚注が三つあった。
それだけでも十分に心を折られたというのに
今、ページをめくると。
「……多くない?」
文章の下半分が、ほぼ脚注で埋まっている。
【本文】
アキト(通称:パンツ男)は、王都史上稀に見る事例としてー
【脚注】
※1:本人はこの通称を激しく否定している。
※2:否定の際、声が大きく、結果的に再確認された。
※3:否定中にパンツの話題を自分から出した記録あり。
※4:その場にいた衛兵三名が同時にため息をついた。
※5:ため息の理由は「説明が長い」。
「ちょっと待て待て待て」
「まだ序盤じゃぞ」
「序盤でこれなの!?」
さらに読み進める。
彼は魔力暴発体質であり―
【脚注】
※6:本人は自覚していない。
※7:自覚していないが、物が壊れるとだいたい彼のせいにされる。
※8:だいたい合っている。
※9:掃除用具が壊れやすいのは偶然ではない可能性。
※10:掃除係を初日で解雇された理由として有力。
「解雇理由、確定事項みたいに書くな!」
ページの余白には、さらに小さな文字で追記がある。
※追記A:異論は出たが、誰も反証できなかった。
※追記B:隊長が胃を押さえて黙ったため、採用。
「隊長ォ……!」
ここで、エルミナが勢いよく手を挙げた。
「アキトさん! でも脚注は親切ですよ!」
「どこが!?」
「ほら、脚注があるおかげで、本文が短くて読みやすいです!」
「その代わり心が削れるんだけど!?」
ラーデンは羽ペンをくるりと回し、穏やかに言う。
「歴史というのはな、最初は本文じゃ」
「うん」
「だが、後世が興味を持つのは脚注じゃ」
「やめて」
「そして脚注が増えるということは」
「やめてって」
「それだけ“語り継がれる余地”があるということじゃな」
その瞬間、アキトのページの端に、新しい注釈紙が貼られた。
※脚注追加予定:感情面について(編集中)
「誰が許可した!?」
「エルミナです! 善意です!」
「善意で増やすな!」
その日の夕方。
新人衛兵が廊下で声を揃えていた。
「『※12:本人はこの時点で現実逃避を開始した』!」
「『※13:逃避は三分で失敗』!」
「『※14:その様子を賢者が記録した』!」
アキトは牢屋の天井を見つめ、静かに悟った。
(……俺、本編より脚注で生きてるな)
ラーデンが、最後に一言。
「安心せい。次版からは索引も付く」
「地獄が整理されるだけじゃん……」
歴史は、英雄でなく、脚注から逃げられなかった男を残した。




