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エピローグ

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・気象現象とは関係ありません。

※気象や魔法の描写は、作者独自の設定・解釈を含みます。

 ルクスは、明るくなった部屋で目を覚ました。

 慌てて時計を確認すると、午前10時。家の中はシンとしている。

 ルクスは、金色の髪を緩く束ね、顔を洗ってから、一つ伸びをした。


 着替えてからキッチンに向かうと、まだわずかに熱の残ったスープの鍋がテーブルに置いてある。バスケットからパンを取り出して、ルクスは軽い朝食を済ませた。


 職場までは、徒歩0分。

 ルクスは自宅に隣接するリリー・ローレン財団のオフィスに顔を出した。


「おはようございます」


「ルクスさん、今日はのんびりですね」


 白髪の男性が、温和な笑顔で挨拶する。


「ちょうどよかったです。こちら、ご相談したい件があって」


 書類を持って立ち上がったのは、男性と年の頃は同じで、背筋の伸びた女性だ。二人は、ウォード夫妻。元銀行員で、財団の仕事を切り盛りしてくれていた。

 

 ルクスは、マリ・ウォード夫人からの確認事項に端的に回答した。

 東部移住直後の名ばかり財団理事長からすれば、自分も少しは成長したものだ、とルクスは思う。


「他に急ぎの件がなければ、私は研究所にいますので」


 ルクスはそのまま財団オフィスから渡り廊下を経由して、本来の自分の職場である海洋研究所へと向かった。足早に歩くと、耳元で青いシーグラスと白い貝殻のピアスが揺れた。


 「海面温度の測定法を確立し、気候変動との因果関係を解き明かす」という壮大な目標はあるものの、実は研究成果は芳しくなかった。

 

 魔法陣を用いた測定方法は行き詰っていた。海水という素材を劣化させる要素に加え、波や潮位による位置の変化、さらに対象が近隣海域全体という広域になることも、ルクスの頭を悩ませていた。


「うーん……いっそ空から?反射を使うとか……可能性は、なくはない、か?」


 あれこれ考えを巡らすが、相変わらず妙案は浮かばない。

 ルクスは、書類の積み重なったデスクに頬杖をつき、ため息をついた。


 ふと、ルクスは右手から直径30cmほどの小型魔法陣を出した。そこから立体天気図が投影される。東の海上に、低気圧が近づいていた。


「これから、少し荒れそうだな……」


 ルクスは、肩を落とした。これでは船で海に出て、アイディアを巡らすこともできない。


「今日は、論文でも読むか……」


 都の国立気象研究所から、古い知り合いが送ってくれた最新の論文集が、何冊か溜まっている。ルクスは、一冊を手に取ってページをめくった。

 昼食も食べずに熱中していたら、あっという間に時間は過ぎていたらしい。ルクスは、マリ夫人が15時の退社の挨拶に来て気づいた。


「これからご自宅に伺いますけど、奥様から何か頼まれていることあります?」


「いえ、とくには。いつも通りで大丈夫です」


 東部に移住して以来、マリ夫人には頭が上がらない。マリ夫人には、多忙なルクスとミーシャに代わって、いくらか家事も手伝ってもらっていた。



 その日ルクスは、早めに仕事を切り上げて、ミーシャの帰りを待っていた。

 帰宅したミーシャの姿に、ルクスは途端に顔が緩む。


「ニナ!いい子にしてたか?父さんだよ〜」


 ミーシャの腕の中には、もうすぐ2歳になる愛娘の姿があった。ミーシャによく似た黒髪に大きな瞳の女の子だ。

 

「母さんといい子にしてたよね!」


 ミーシャの呼びかけに、ニナは得意げに大きく頷く。ルクスがニナの柔らかいほっぺたに触れると、ニナはキャッキャと声を上げた。



 結婚式を挙げたその年に、妊娠が分かってから、ミーシャの身の回りは劇的に変わった。


「ミーシャが隊長になればいいんじゃないか?」


 引退間近だった東部沿岸防護隊のジル隊長が、出産・子育てを控えるミーシャに、完全陸上勤務の指揮官になることを提案したのだ。しかも、子連れOKの定時勤務。

 戸惑うミーシャに、ジル隊長は身も蓋もないアドバイスを送った。


「なーに、優秀な副隊長を何人か置けば、隊長はドンと構えていればいい!」

 

 天気魔法師団中央司令部の承認は、ヒース副隊長が滞りなく取り付けた。

 24歳の今、ミーシャは、天気魔法師団の花形、東部沿岸防護隊40名を束ねる若き指揮官だった。


 ニナは、ミーシャが職場に連れていくこともあれば、ルクスと一緒に研究所で過ごす日もある。子ども好きなウォード夫妻に預かってもらうこともあった。都で国家公務員をしていたら、きっとこんなに娘と一緒に過ごす時間は取れなかっただろうと、ルクスは思う。

 


 ニナをルクスに任せて、ミーシャは、キッチンで食事の準備をしている。その背中を見て、ルクスはこの何気ない日常に幸せを感じていた。


「ルクス、週末のお弟子さんの面接は、あたしがやっとくね!明後日、都へ発つんでしょう?」


 ミーシャに言われて、ルクスは一気に憂鬱になった。古巣の国立気象研究所の客員研究員として、ルクスは何だかんだ半年に一度は都に呼び出されるのだ。


「すまないな。疲れてるだろうに」


「全然!久しぶりの都、楽しんできて」


 ミーシャは明るく笑うが、ルクスの表情は曇るばかりだ。


「3週間も、ミーシャとニナの顔が見られないなんて……苦痛すぎる」


 ルクスが、ニナを抱きしめながら言う。


「また『自立できてない!』って、エレノア夫人に呆れられるよ!」


 ミーシャがからかった。

 雨の降る夜、三人の小さな家からは、あたたかな光が漏れていた。




「金糸の賢者様、筆不精もいい加減にしてください!」


 都の国立気象研究所に着くなり、ルクスは遅咲きの研究者、ジョシュア・テールから、恨み言をぶつけられていた。


「何のことだ?」


「3ヶ月も前に、論文集送ったじゃないですか!」


 論文へのコメントを依頼したのに、返事がなかったことを、ルクスはジョシュアから責められていた。

 

「すまない、最近開けたんだ……」


 ジョシュアは、信じられないという表情だ。


「だいたい、あの立体天気図投影魔法陣は、元々賢者様の研究ですからね!?私は引き継いだだけで……」


 ジョシュアが言い終わるか否かのタイミングで、ドアをノックする音がして、一人の青年が入ってきた。


「えっ、金糸の賢者様!?都にいらしてたんですか!」


 翡翠色の瞳を輝かせたのは、ルクスにとっては因縁の相手─フェルだった。

 フェルは、最近ジョシュアの研究を核にした防災省主管プロジェクトの担当になったらしかった。


 「魔弾の……」とルクスが言いかけたところを、フェルが遮る。


「あ、俺称号返上したんです。『魔弾の射手(しゃしゅ)』じゃなくて、ただのフェルです!」


 相変わらずの子犬のような人懐こさで、フェルは笑った。


「そうなのか。私も、ルクスでいい。東部では、誰も称号でなど呼ばないからな」


「はい、ルクス様!」


 妙に仲がいい二人を、ジョシュアは気味悪がっていた。



 ルクスがその日の仕事を済ませたところに、タイミングを見計らったように、またフェルが顔を出した。


「ルクス様、どこか寄って帰りませんか?」


 それなら……とルクスが誘ったのは、都の中でも若者が集まる通りにある女性向けのカフェだった。


「え?ここ、男二人で入るんですか!?」


 フェルは若干引いているが、ルクスは全く気にせず入っていく。

 学生中心の若い女性ばかりの店内で、29歳のルクスと25歳のフェルは、完全に悪目立ちしていた。

 周りの視線を気にする様子もなく、注文したパンケーキを食べながら、ルクスが種明かしをした。


「実は、リリー・ローレン(うちの)財団で出資した店でな。本店は東部で、ここが支店だ」


 あ、とフェルは思い当たった。


「もしかして、海岸通り沿いの?」


「そうだ、お前は入ったことないのか?」


「ミーシャとノアがよく行ってたカフェかぁ!」


 フェルはティーカップを口に運びながら、東部沿岸防護隊時代、ときどきノアが買ってきてくれたプリンを思い出した。

 フェルは少し遠くを見るような目をした。


「懐かしいなぁ、東部。ルクス様が順応されてるのは、ちょっと意外でしたけど」


「そうか?都よりずっと楽だぞ。過労で倒れることは、まずない。そういうお前は、少し痩せたんじゃないか?防災省は、人使いが荒いからな」


 心配するような口ぶりのルクスに、フェルは少し驚いた。


「まぁ、忙しいですけど、自分で選んだ道ですから」


「私に何か話があったんじゃないのか?」


 ルクスに切り出されて、フェルは遠慮がちに尋ねた。


「……ミーシャ、元気ですか?」


 最後にミーシャと会ったのは、もう6年前のこと。職場で天気魔法師団の噂は耳に入るものの、ずっと東部でどうしているか、気になっていた。それでいて、本人に連絡を取ることは躊躇われた。


「お前、まさかまだミーシャのことを……」


 急に警戒しだしたルクスに、フェルは吹き出した。


「まさか!ミーシャは、今ではいい思い出ですよ、俺の一番きれいな。初恋って、そういうものでしょう」


 少し意地悪く言ったフェルに、ルクスが真面目に聞いた。


「ミーシャ以外に、いないのか?そういう相手は」


「うーん……今はそれなり、ですかねぇ」


 煮え切らないフェルに、ルクスがキッパリと言った。


「それなり程度なら、やめておけ!本気の恋をして、人間は成長するものだぞ。私のように」


 ルクスらしからぬ恋の指南に、フェルが笑い出す。


「至極真面目な人生論だぞ?」


 かつての恋敵は、心外そうに言った。

 ひとしきり笑った後、フェルは目尻の涙を拭って、もう一度尋ねた。


「で、ミーシャは?どうしてます?」


「元気だぞ。子育ても仕事も、人一倍頑張ってる。私などより何倍も」


 ルクスの口調に、伴侶への尊敬が滲むのを、フェルは感じた。


「お子さん、娘さんでしたっけ?」


 ルクスが頷く。


「子を持つなら、絶対娘がいいぞ!ミーシャにそっくりで、可愛くて仕方ない。この先、魔力など持たずにいてほしいものだ。都の魔法学院(アカデミー)になどやらず、ずっと自分の手元で育てたいからな」


「溺愛するのは、弟子だけじゃなく、娘もなんですね……」


 心の内で、大好きな親友の幸せを確信しながら、フェルは苦笑した。




 都で隠居生活を送るバリーとエレノア夫妻からのお土産を抱えきれないほど持って、ルクスは東部に帰ってきた。

 都から馬車で1週間の道のりは、身体に堪えたが、ミーシャとニナの笑顔を見れば、旅の疲れも吹き飛ぶ心地だった。


 その夜、ミーシャに誘われて、ルクスは久しぶりに夜の散歩に出た。ルクスの腕の中では、ニナが小さな寝息を立てている。この小さな重みに、いつだってルクスの心は満たされるのだ。


 ルクスが話す都の家族や古い友人たちの近況に、ミーシャは終始笑顔だった。とくに、女性だらけのカフェでのルクスとフェルの会話に、ミーシャは声を上げて笑った。


「フェル……幸せになってほしいな」


 月明かりに照らされたミーシャの横顔は、大人の女性らしい凛とした美しさだった。


 ミーシャからは、この3週間のニナの様子と弟子の面接の話が語られた。

 弟子候補の男の子は5才。ちょうど魔力が発現する年頃だったそうだ。瞳の色がカラフルに変化するのが、魔力持ちの証だ。


「天気魔法使いとしては、ちょっと魔力量が足りないかなって。もしかしたら、観測士の適性があるかもしれないから、リアさんに繋いでおいた!」


 ミーシャの報告に、ルクスは頷いた。


「弟子探しは、気長にやればいい。私たちはずっとここで暮らすのだから」


「ずっと……」


 ルクスの言葉をなぞって、ミーシャが小さくつぶやく。


「そう、ずっと一緒だ」


 月明かりが揺れる水面を前に、ルクスとミーシャは潮騒を聞く。凶暴に世界を呑みつつある災いとは思えないほどに、海はただただ美しく広がっていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

とうとうミーシャとルクスの物語が完結しました。

無事ハッピーエンドを迎えられて、作者として胸がいっぱいです。

どうかあなたの心のどこかに、この物語が残ることを願って。

次回、あとがきとして、登場人物たちが知ることのない、この世界の秘密を少しだけ公開します。

最後に読めば、作品の世界がきっと深まるはずです。

お楽しみに♪

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