大正女給娘。
記念リクエスト作品
企画・原案:はる麦子 さま
『大正っぽい軍人さんとカフェーの女給さんのお話が読みたいです』
『麦茶に砂糖を入れるアレです』
「それは私のおいなりさんだ!」
おいなり咥えたノラ狐追いかけて草履で駆けている吾輩の名前は春見である。苗字はまだ名乗りたくない。
なお、さっきはノリと勢いで『吾輩』とか値打ちこいた自称をしたが、普段の一人称は『私』。
一応、両親はカフェーという今風の事業を営んではいるが、銀座のカフェープランタンとかあの辺とは趣きが全然違う。
あくまで小休憩と軽食喫茶を目的とした、麻布十番のしがない家族経営店だ。あと店名もダサい。
「うおー」
絶対に取り返すと裂帛の気合いで吼える。
だってあの稲荷寿司、15銭もしたんだぞ。
あ、一応言っておくが、取り返して食べようってわけじゃないぞ。神社にお供えしようと奮発していたんだ。
だからこっちも命懸け。
地獄の果てまで追いかける所存だ。
蠍座の私から逃げ切れると思うなよ!
◇◇◇
「てなわけでお供物はないんですが、よく考えたら狐が口つけたやつなんて神様もお嫌でしょう?その辺をなんとか情状酌量して、一部だけでもお願いを聞いて頂ければ……」
件の神社でパンパンと手を合わせる
誤算だった。
いや、一度引き離されたものの、すぐに追いつきノラ狐の住処を突き止めはしたのだ。
それがまさか、子育て中だったなんて!!
鳴く子狐とお涙頂戴展開にゃ勝てねぇ。
こん畜生!(かけことば)
まあ、いいさ。そんな畜生共の末路なんて大体決まっている、わたしが直々に手を下すまでもない。
精々、首に毛皮を巻いた金持ちに捕まって、大きい屋敷で飼い殺されながら丸々肥え太ってそのまま幸せに天寿を真っ当するが関の山さ。
「さて、ご利益があるといいんだけど」
ぶちり
草履の鼻緒が切れた!不吉!
と思ったけど、さっき走ったせいだよなぁ……
「どうかされましたか?」
どうしたものかと困っていると、でっかい男の人から声をかけられた。
左のこめかみに縫い跡がある、軍人さんだった。年は私よりも十ほど上だろうか?
陣羽織風の詰襟をかっちりと着込み、その上からマンテル羽織、釦と羅紗製の刀釣りは装飾品のように美しい。
総評、とてもかっこいい。
右手には絵馬を持っている。
何かお願いにきたのだろう。
「何かお困りのようですね?」
「は、はい……」
普段、接点のないタイプの方に話しかけられたことにびっくりしつつ、なんとか失礼がない様に返事をする。
「ああ、鼻緒が切れたのですか。」
それはいけませんね、修繕してあげましょう、と軍人さん。
私の前に片膝をつき、脚に足を、肩に手を置く様に促してくる。
「ええ?!そんな、申し訳ない」
「いえいえ、お気になさらず。」
さあ早く、と笑顔で押し切られ、おずおずと失礼した。
うわ、脚も肩もがっちりしてる!
普段男の人に触れる事なんてない私。
柄にもなくドキドキしてしていると、軍人さんは目の前で絵馬の紐を外し、それを使って鼻緒を修繕してしまった。
「え!?お願いの絵馬、吊るせなくなっちゃいませんか?」
心配になって訪ねてみると軍人さんは、さらっと言った。
「個人的な願掛けなどよりも、目の前の困っている女性を優先するのは男として当然のことです。だからどうかお気になさらず。」
かっこいい!
他意のない、完全に善意からの言動とわかっているのに思わず顔が赤くなってしまう。
しかし、流石にされっぱなしというのは申し訳なさすぎる。何かお礼をしたいな。
「あ、あの!……この後お時間ありますか?」
◇◇◇
「本当によろしいのですか?」
「はい、今日は私用で使うので閉店にしてるんですけど、17時までは暇なんですよ。」
私は軍人さんへのお礼として、ウチで一杯飲んで行ってもらうことを提案した。
「あ、ここの店です。」
店の看板をみて、彼が目を見開くのがみえる。
そうでしょうねぇ、だってウチ
『カフェー権田原』
なんて名前なんですもん。
苗字そのまま使うお父さんのセンスェ……
「名前はちょっとアレですけど、内装はまともですから。さささ、どうぞ。」
軍人さんを中に案内して、電灯をつける。
椅子にかけてもらい、私は女給に変身だ。
まあ、今着ている和服の上に白いエプロンつけるだけなんだけどね。でも常連さんにはけっこう可愛いって言ってもらえてる。
「当店特製の麦茶です。」
隠し味、よろこんで貰えるかしら?
「これは……砂糖?美味しいですね。」
やったぜ!
「そうそう砂糖入りなんですよ」
東京では珍しいでしょう?
父の出身地の山梨では結構あるらしいんですよ。栄養補給やおもてなしの意味で、麦茶に砂糖を入れてお出しするの。
「そうなんですか。」
ところで、ええと……
と一瞬考える素振りを見せる軍人さん。
私をどう呼ぼうか考えていることに気づく。
「春見と呼んで頂ければ」
「では、春見さん」
「はい。あ、ちなみに……」
「自分のことは水木と呼んで頂ければ」
「わかりました」
水木さん、察しが良くて気遣いの出来る方だな。
非常に高得点。
家族中は良好だが、この雰囲気で権田原さん呼びは年頃の乙女的にはちょっとロマンスが足りないからね。
ゴンちゃん呼びが許されるのは尋常小学校までだ。
あと、ドテチンとか訳わからんあだ名つけてきた男子、キサマは一生許さん。
「春見さんは、随分と女給のお仕事に精通していらっしゃるようですね。とても手際がいい。」
「それはまあ、女学校には行かずに3年くらいやってますからねぇ。」
あ、卑屈な意味はないですよ。
勉強が好きな子は進学してうんと勉学すればいいと思いますけど、私は働く方が性に合ってそうでしたから。
「確かに、楽しそうにお茶を準備してらした」
「そう見えましたか?」
言われてみたら、確かにそうかも
人に喜んでもらうのって、嬉しいからね
「ところで……春見さんは、神社でどんなことをお祈りされていたのですか?」
「あー……実は私、常連客の花園さんってお家のご子息と急に結婚が決まったんです。でも、まだ旦那となる人とは会ったこともなくて。」
それに私、今15歳で同年代の中では一番結婚が早いんですよ。
それで結婚生活とか全然イメージできなくて
「それで不安になってお参りに?」
「だったんですけど、今日、水木さんとお会いして、こうやって給仕していてなんか吹っ切れました。」
私、自分のことばっかり考えてたなーとちょっと反省です。『いい旦那を願う』前に、まず自分が『いい妻になるように頑張る』のが筋でした。
「素晴らしい心がけだ。」
「少なくとも、『花園』ってお洒落な苗字は頂けるのは確定してますしね。」
「春見さんの結婚相手は果報者ですね」
「あはは、どんな相手でも私が幸せにしてやりますよ。」
まあ勿論、水木さんみたいな人が旦那になってくれたら最高だけど。
そこまで高望みするとバチがあたるよね。
物事には釣り合いいうものがある。
「そう言えば、水木さんの絵馬の代わりの吊り紐をまだ差し上げていませんでしたね。あれは何のお願いだったんですか?」
「ああ、あれはもう叶いました」
悪戯っぽく笑う水木さん
ん、どういうこと?
「春見。お客様かい?」
「あ、お父さん。」
「程々でね、今日は大事な初顔合わせの……おや、水木くんじゃないか。ずいぶん早いね。」
水木さんがお父さんに事情を説明している。
え、二人って知り合いだったの?
「名乗るのが遅くなって申しない。自分の名前は花園水木」
「え?」
「貴女の結婚相手です。」
えぇえええー!?
驚きすぎて、淑女らしくない声でちゃったよ……
その後の話を少しだけ。
『良縁成就』
それが水木さんの願い事だったらしい。
そんな彼に砂糖入り麦茶を美味しくいただいてもらったあの日から一月後。
私こと花園春子も、彼に砂糖菓子のような言葉を囁かれながら、毎晩のように美味しくいただかれてしまっている。えくすたしぃ……
さて、そんな私達、今日はお供え物ものを片手に件の神社へ向かっている。
願いを叶えて貰ったお礼を言うためだ。
おん?
いま、近所で有名な泥棒猫が狙っているのが見えたけど、コイツは絶対にとらせやしないぞ。
私のおいなりさんだからな!