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ヒロインが勝負をしかけてきた!  作者: ポット


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第93話 でもよかった、名前覚えててくれたんだね

 花さんへ別れを告げ、宇月さんと一緒に玄関を出る。

 松村家に向かって歩き出すと、彼女は先程の話を掘り返してきた。



「なんで今日会ったお母さんは名前呼びで、私はまだ苗字呼びなの? 松村くんとはそこそこの付き合いだと思うんだけどなー?」


「そこそこの付き合いだからこそ、今さら簡単には変えられないもんなんだよ」


「えぇー?」



 この返事、まだ納得いってなさそうだ。



「試しに呼んでみてくれたっていいのにっ」


「じゃ、じゃあ…………明澄……さん」


「な、なんか逆に前よりよそよそしく感じるかもっ……」


「そ、そう? でも、呼び捨てってあんまり柄じゃないんだけどな」


「えー?ペン見くんの事は呼び捨てなのに?」


「誠一郎はいいんだよ」


「いいなぁ~っ。ペン見くんだけ特別扱いしてもらえてっ」



 別に特別扱いしているわけではない。

 寧ろ、どうしても名前で呼べない方がちょっと特別だったりする……。



「呼び捨てって、なんか上からに感じちゃう人もいるじゃん? だからあんまりしないようにしてるんだよ」


「私はそんなの、全然気にしないよ?」



 ぼんやり見える彼女の瞳から、「呼んでみてよ」という好奇と期待の眼差しが向けられているのがよく分かった。

 引き下がるのは男らしくないと自分に言い聞かせ、慣れない単語をお腹の中から絞り出す。

  

 

「…………じゃあ……明澄……」


「ん…………は、はい……」



 彼女は静かに返事をした。

 暗がりの中、目を合わせながらも顔だけは俯いている。

 そこから彼女が作り出した数秒間の沈黙で、俺の鼓動はバクバクと早く動き始めた。



「……って、宇月さん、結局自分も敬語になってるじゃん」


「あっ、ほ、ほんとだ……。そういう松村くんも、また呼び方戻っちゃってるよ」


「あっ……。……や、やっぱり、俺には少し早かったかも。名前で呼ぶのは」


「そ、そうだね。わ、私にもちょっと早かったかも……。まだ、家にお泊まりするぐらいの仲だし……?」



 お泊まりをする仲でも "まだ" と付けるなんて、名前呼びのハードルどんだけ高いんだ……。




 閑静な田舎道に、自分達の話し声とスニーカーが地面を踏む音だけが小さく響いている。

 

 夏の夜というのは、解放感と高揚感が共存していて、まるで自分が第六感で周囲を捉えられているような不思議な空間だ。

 普段は近所を散歩なんてしない。それなのに、何故だか今はこのままずっと歩き続けたくなってしまう。

 それは空一面に広がる綺麗な星たちのせいなのか、昼間とは一転して涼しげな心地よい風のせいなのか、それとも、隣で楽しそうに話し続けている彼女がいるからなのか……。


 役目を追えた帰り道。ゆっくりと歩いているはずなのに、家までの距離は行き以上に短く感じられた。


  

 

 家に着き、明かりのついたリビングのドアを開ける。中では、凛がテーブルに向かって静かに勉強していた。



「お、お帰り、2人とも~! どうだった?」


「ただいまー!ちゃんと仲直りできたよっ! あと島に行く許可もバッチリ!」



 宇月さんが両手ピースで答える。

 それを見た凛は、持っていたシャーペンを置いて立ち上がった。



「ほんとっ?!やったね! それなら今日はお祝いだぁ! 冷凍庫にあるアイス、みんなで食べよ~っ!」


 

 お祝いって、ただアイスを食べたかっただけでは……?

 そう思いつつも、凛の言う通りに冷凍庫へアイスを取りに行く。

 そしてダイニングの椅子に座って喜んでいる2人の元へそれらを届け、自分も一緒に座った。


 ようやく一息つけた。やっぱり我が家が一番落ち着くな。


 

「明澄ちゃんのお母さんって、どんな感じの人だった?」

 


 アイスを食べ始めた凛が、スプーンを構えながら質問してくる。


 

「宇月さんによく似てたよ」


「ま、松村くん。それどういう意味?」


「いい意味だよ」


「えぇ、お兄ぼんやりしすぎぃ~」

 

「はは。……あ、そういえば宇月さんの昔の写真も見せてもらったよ」


「え、いいなぁ~。明澄ちゃんの小さい頃ってどんなだった?」


「んー。小さい頃も可愛かったよ」


「……んんっ、グフッ。コホッコホッ」 


 

 向かい側で低カロリーバニラアイスを食べていた宇月さんが急に咳き込んだ。

 俺はテーブルの上にあったティッシュを渡す。



「宇月さん大丈夫?どうしたの?」


「お兄が、小さい頃 "も" 可愛かったって言うから、照れてるんだよ~」


 

 横に座る凛がニヤニヤとこちらを見てくる。

 ……たしかに俺、そう言ったけれど……。


 

「りり、凛ちゃんっ、ち、ちがうよっ? そんなんで照れたりしないって~。……へ、へへっ。可愛いなんて、いつも言われてるんだからーっ……松村くんに」


「お兄、そうなの?」


「い、いやっ……えぇっ?」



 ……宇月さん、なんだその変な誤魔化し方は。

 どう考えてもいつも可愛いとか言ってるキャラじゃないでしょ、俺。



「そ、そもそも、小さい頃 "は" 可愛いなんて言えないし。普通の言い方しただけだって」


「ふぅ~ん? そこは素直に認めないといけないところだと思うんだけどな~」



 凛はそう言って宇月さんに視線を向ける。

 ……宇月さんはこちらをジトーっと見つめていた……。



「……あ、そ、そろそろお風呂入ってくる」


「あー、お兄逃げる気だ~」


 

 アイスの残りを急いで口にかき込み、凛の追撃を背中で受けながら浴室の方へ向かった。

 


 凛のやつ、2人で出掛けたのを知ってから明らかに俺たちで遊び始めている。

 このままからかい続けられるわけにはいかない。何か凛の弱みとか、恥ずかしいエピソードとかあったっけな……。


 何か思い出そうと頭を巡らせながら風呂からあがると、2人はまだダイニングで話に花を咲かせていた。


  

「これがお兄が膝擦りむいて涙堪えてるときのやつだよ~、ふふっ」


「ほんとだっ、松村くんが泣きそうっ、あの松村くんが」


「それでこれが、お兄がオン眉パッツンになった時のやつだよ~」


「あははっ、ほんとだぁ~っ」


   

 テーブルの上にはアルバムが一冊。2人は仲良く話しながらそれを眺めている。



「……なっ、凛っ。これ俺のアルバムじゃんっ」


「ん?そうだよ? お兄の小さい頃の可愛い写真見たいって、明澄ちゃんにお願いされたから~」


「宇月さん、ほんとに頼み込むとは……」

 

「ふふふ~」



 宇月さんはニコニコ顔でアルバムからこちらに視線を移す。……そして一言。

 

 

「松村くん、小さい頃"も"可愛かったんだねっ」


「……今は可愛くなくていいよ」

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