第89話 一生のお願い、3度目
映画の後は特にする事がないため、元々家に帰る予定だった。予定通り3人でスーパーに寄って、予定通り宇月さんが夕飯を作る。そして予定通り、宇月さんは今日もうちに泊まる。
そんな簡単な日常も、そう予定通りにはいかないものだ。
家に帰り、宇月さんが作ってくれたご飯を3人で食べながら話し合う。
「宇月さん、やっぱり今日帰った方がいいんじゃない?」
「えぇ~。うーん……やだ。お母さん、まだ認めてくれたわけじゃないもん」
彼女は煮物を箸でつつきながら頬を膨らませる。
「帰ってきなさいって連絡が来ただけで、島に行く事について何か言われたわけじゃないんでしょ? 心配されてるだろうし、一回帰って話した方がいいと思うけどなぁ」
「松村くん、そんなに私に帰ってほしいんだ」
なんかすごい拗ねている。
「そういうわけじゃないけど……」と付け加えようとすると、今日は宇月さんの横に座っていた凛が彼女の腕に抱きついた。
「明澄ちゃん行かないで~。私、1人じゃ寂しくて生きていけないよぉ~」
「凛ちゃん、ありがとぉ。私も可愛い可愛い凛ちゃんのために、ここに残るよ~っ」
宇月さんがいなくなっても俺がいる。1人ではない。……と言いたい気持ちを抑え、俺は宇月さんを優しく諭す。
「でもずっとこのままっていうのも、宇月さんも辛いんじゃないの?」
「うん……そうだけど……」
「お母さんの事、好きでしょ?」
「うん。仲直りはしたい……」
「それなら話しておいで。ずっと後回しにしてここで生活してても気が晴れないと思うし。早めに解決させた方が、きっと楽しい夏休みになるよ」
「うーん…………」
彼女は気後れしたのか、眉を落として少しだけ俯いた。
「じゃあ……じゃあさ、間違ってまた喧嘩しちゃったら、ここに戻って来てもいい……?」
「もちろん」
珍しく弱気な宇月さん。
間違ってまた喧嘩してくるのはちょっとやめてほしいが、親子なんだからそういう事もあるかもしれない。
今回はとりあえず勇気を持ってもらおう。宇月さんはこう見えてしっかりしている所があるし、たぶん一度送り出てしまえば大丈夫だ。
「それなら私、帰ってお母さんと話してみる。……でも、どうしよう。仲直りするだけなら私が謝ればいいんだけど、島に行く事、どうやったら認めてくれるかなぁ?」
「そんなの、明澄ちゃん家にお兄を連れていけばいいんだよ~!」
「え?」
凛の突拍子もない提案に固まる俺。
そして反対に、その提案を聞いた宇月さんの顔はパァッと明るくなっていった。
「そうじゃん、その手があったよ! さすが凛ちゃんだよ!」
「ま、待って。俺が行ってどうするの? 一緒に怒られてくればいいの?」
「違うよ~。男の子がいるところに泊まるのがダメなんだから、お兄が明澄ちゃんのお母さんに直接会って、僕は無害ですってアピールしてくればいいんだよ。それでお兄が認められれば、島に行って泊まるのも問題ないでしょ?」
「たしかにそうかもしれないけど……」
凛の主張も理屈は通っている。ただこれは、第三者だからこそ出せる極めて軽い提案だ。
実際、いきなりクラスメイトの女の子の家に押し掛け、初対面のお母さんに一回で気に入られてこいと言っているようなものだ。俺には向いてない上に、宇月さんの親だという点で一層気が引けてしまう。
「お願いっ。松村くんにしか頼めないんだよっ」
「えぇ……」
「一生のお願いだからっ」
宇月さんは箸を置いて、両手を合わせて目を瞑りながら頭を下げた。
そこまで強くお願いされてしまっては、こちらも断るのに良心が痛む。それにこのまま宇月さんが島に来れないとなってしまっては、生徒相談部としても、一個人としても大打撃であることは間違いない。
「おねがいおねがいっ」
「……分かったよ」
宇月さんの連続おねがい攻撃にあてられた俺は、渋々頭を縦に振るのだった。
夕飯の食器を洗い、軽く身支度を整えたら早速出発だ。
玄関で靴を履いている俺と宇月さんを見て、お見送りに来た凛が手をグーにして声をかけてくる。
「明澄ちゃん、頑張ってきてね~っ。お兄も粗相しないようにね~」
「うん。頑張ってくる! 松村くんの事は私に任せておいて!」
なんか俺が付き添ってもらうかのような言いぶりだけど……。とりあえず宇月さんの調子が戻ってきているのは安心だ。
「じゃあ行ってくるよ。遅くはならないと思うけど、何かあったら連絡してな」
「もぉー。私の心配じゃなくて、お兄は自分の心配しなよ~? 初めてのご挨拶なんだから」
ただ島に行くことを説得しに行くだけのつもりだったのだが。
そんな言い方されてしまうと、忘れかけていた緊張が戻ってきてしまう。
「そ、粗相しないように気を付けます……」
「そうだよ。第一印象が大事なんだから、気合い入れて行かないとね~。 ……じゃあ2人とも、気を付けて行ってきてね~」
手を振る凛に別れを告げ、2人揃って玄関を出た。
そして宇月さんの家の方角に向かって暗い夜道を歩き始める。
隣を歩く宇月さんは、夕飯の時のしおらしい様子が嘘だったかのように、いつの間にか普段のテンションに戻っていた。
「松村くん、明日はなにしよっか?」
「え、明日? とりあえず今からの事考えない?」
「そんなに緊張してるの? ふふっ」
「いや、宇月さんのお母さん初めてだし、下手なことはできないと思って。……そういう宇月さんはもう大丈夫そうだね。逆に嬉しそうなぐらいに見えるけど?」
「ん?そうだね~。お母さんと松村くんって、会うとどんな感じになるかなと思って。なんだかワクワクしてきちゃった。お母さんに紹介するの、ちょっと楽しみかもっ」
「あれ、なんか趣旨変わってきてない?」
夜道を10分程歩くと、宇月さんが「もうそろそろ着くよ」とこちらを見て微笑んできた。
その顔にはもう家出少女の面影はない。これは、ただの面白イベントに胸を躍らせている外野の顔だ。
「宇月さん。一応確認だけど、最初は仲直りからだからね? いきなり俺を紹介しても、お母さん驚いちゃうだろうし」
「うん、分かってる。まずは私1人で家に入るよ。隣で松村くんに色々聞かれるのも恥ずかしいし。それから落ち着いたら呼びに来るからさ、玄関の前……ここで待っててもらってもいい?」
彼女が指差したのは、明かりが灯った一軒家の玄関先。
ここが宇月家というわけか。案外近かったな。
「了解。それがいいと思うよ。ゆっくり話しておいで」
「うん、ありがとっ」
この調子なら、仲直りの方は大丈夫だろうな。
結局、彼女は少しおじおじしながら家の中に入っていった。ある程度の時間ここで待機しなければならないと悟った俺は、特にする事もなくボーッと夜空を見上げる。
田舎の澄んだ空に、綺麗な星がパラパラと散らばっている。
こんな広い世界、いや宇宙の中で偶然出会って、いつの間にか1つの季節を越え、気付けば一番隣にいる存在になっていた。
あの一際眩しい小さな星は、どんな星座の一部なのだろう。自分もその星座に入れているとしたら、その線を繋いでくれた…… ガチャッ。
「松村くん、出番だよっ」
「……え、早すぎない?」
「えへへっ。いいから入って入って」
……どうやらエモいモノローグとかは必要なかったみたいだ。




