第85話 母親にバレていないと思っている事は大体バレてる
「よし、足湯はどこだろうね」
目的地の駅前に着いてバスから下車する。
先に降りた俺は、水族館に着いた時と同じく無意識に宇月さんへ手を差し伸べそうになったので、慌てて右手を引っ込めた。
「あれ、今回は手繋いでくれないの?」
「いやっ、あれはただの紳士的なエスコートだから。水族館の時も手を繋ぎたかったんじゃないって」
「ふぅ~ん、そっか」
宇月さんはつまらなそうな顔で一人バスから降りる。
降りて目に入ってきたのは、すぐそこの小さな駅。
一応ここは温泉地ではあるが、立派な湯畑や賑わう商店街があるわけではない。それでも観光客は少しだけ見られるし、この場所の落ち着きが保たれていて寧ろ好印象だ。
「あっちにあるみたいだから行こっか」
「うんっ」
足湯の方へ行くと、思っていたより建物は存在感があり、綺麗で大きい。浴槽も5つぐらいあるようだし、十分に観光スポットと言える。
「宇月さん、よくここの事知ってたね。来たことあるの?」
「調べたらでてきたんだよ。だから私も初めてなの。……ていうことで、私の大事な初めてを、松村くんにあげちゃいますっ」
「……そ、そう。ありがと」
適当に選んだ浴槽の縁に腰掛け、2人で履き物を脱ぐ。そして先に宇月さんが足を入れた。
「おお~、良い感じの湯加減だよっ」
「お、いいねっ。……じゃあ俺は、クラスメイトと混浴したことないから。その初めてを宇月さんにあげちゃいます」
俺が隣で足を入れると、彼女はこちらを見つめてニヤリと口角を上げた。
「じゃあ、私が"松村くんと混浴した"ってクラスの皆に言いふらしても大丈夫って事だねっ」
「……それはやめようね。高校生活、先は長いんだから。あと同級生に敵は作りたくないよ」
……そもそも宇月さん自身も失うものが多いと思うけど。
「じゃあ、"休日に松村くんと2人で出掛けたんだ"っていうのは?」
「それは宇月さんが恥ずかしい目に合うだけじゃん」
「いやいや。……牽制とか?もしかしたらそういうのも大事なのかなって」
「男が寄ってこないように?……俺は今回もボディガードなのか……」
「いやっ、そういう意味じゃないけど……。それもありかもね、ふふっ」
彼女は微笑んだ後、優しい眼差しで町並みを眺めた。そして座っている腰掛けに両手をつき、肘をピンと伸ばしながら後ろに体重をかける。
「今日、楽しかったねっ」
「うん。それに明日も学校がないっていうのが更に嬉しい」
「ほんとだよねっ」
今日はまだ夏休み初日なのだ。
スタートからいきなり予定を入れてしまったが、まだまだ休みが長いと思うと気持ちも軽くなる。宿題なんて、8月に入ってからやろう。
「そういえば私さ、今日お母さんに何も言わずに出てきたんだ~」
「え、そうなの?」
「うん。"友達と遊びに行ってくる"って伝えただけ」
「そうなんだ」
「たぶん、なにもバレてないだろうね~」
"友達と遊びに行く"というのは何も間違っていないし、今の自分達にそれ以上の言葉なんてないと思う。
でも彼女が親に嘘をついてきたかのような口振りで話すので、もしかしたら少しだけ特別に扱ってもらえているのかもと期待してしまう自分がいる。
……本当はそんな深い意味はなく、ただ男友達である点を隠したんだと言っているのだろうが。
「宇月さんのお母さんって、男と出掛けるのは反対とか、そういう感じなの?」
「んー、どうだろ。たしかにちょっと過保護な時もあるからね~。でもいつも優しいし、怒ったりはしないんじゃないかな? 今まで男の子と出掛けた事なかったから分かんないけど」
大事な一人娘だ。本人はこう言っているが、実際のところはどうか分からない。父親がいない分、目を光らせているということは大いにあり得る。
「松村くんはお母さんに言った?」
「俺は元からそんな話しないよ。友達だろうが、女の子と2人で出掛けてくるなんて母さんに言ったら、根掘り葉掘り詮索されて、たぶん凛と一緒にお祭り騒ぎだよ。それで"今度連れてきなさい"とか言うに決まってる」
「それは楽しそうかもっ」
「いや、息子にはキツイやつだって。今は母さんいないし、今日どこ行くかとか報告する必要がなくて本当によかったよ」
「連絡してないんだ? 私もお祭り参加したかったんだけどなぁ~」
「……それ、大変な思いするのは宇月さんだからね?」
……彼女は既に、松村家でのアルバイトという母さんの仕掛けた罠に引っ掛かっているし、気を付けてほしいものだ。
しばらく足湯でのんびり過ごし、ある程度休憩できたところで俺たちは家に帰ることにした。
凛も家で待っているし、一応今日も宇月さんはアルバイトに来てくれる事になっている。
行くときは、"休日にお出掛けだから"という理由で、彼女に言われるがまま駅で待ち合わせしたのだが、帰るときは家まで一緒だ。
バスと電車を乗り継ぎ、長かったお出掛けもようやく終わり。
松村家の前に着くと、彼女は中に入らず門の前で立ち止まった。
「今日は私の家に食材買ってあるから、今から取ってくるね」
「あ、ほんと? 疲れてるだろうに、わざわざありがと。今日のバイトは休みにしてもよかったのに」
「ううん。少しでも来たいからいいのっ。……か、稼ぎたいしっ」
「そっか。じゃあ、存分に腕を振るってもらえると助かるよ」
「任せといて!……じゃあ、ここで一旦解散ってことで。今日はありがとねっ」
「こっちこそ、ありがと」
「えへへっ」
日は落ちかけているが、彼女の持ち前の笑顔で、この場の空気は明るくなる。
外で会う宇月さんがいつもより魅力的に見えるのは、彼女が私服だからだろうか。それとも、俺の目がおかしくなってしまったのだろうか。
立ち止まっていた彼女は、俺に手を振ってから自分の家の方に歩いていった。
一人で家に入り、軽く凛の相手をしてから自分の部屋に入る。カーペットの上で横になると、ふぅーっと息が漏れた。……今日は1日、よく歩いたな。
そういえば宇月さんと一緒に帰っていたら、凛に怪しまれるところだった。運良く帰るタイミングと宇月さんがバイトに来るタイミングをズラせたため、凛には一緒に出掛けていた事がバレていない。偶然だろうけど、間一髪、ナイス判断だ宇月さん。
心の中でグッジョブを送り、今日の出来事を思い返しながら目を閉じていると、そのまま俺の意識は薄くなっていった……。
ピンポーーーン。
チャイムの音で、浅い眠りから目が覚める。
カーペットの上で寝ていたせいで、身体の裏側が痺れて痛い。
おそらくチャイムの主は宇月さんだ。あまり焦らずにゆっくりと起き上がり、重い腰をあげてトボトボ階段から降りた。すると同じタイミングで、リビングにいた凛が嬉しそうに出てくる。
「明澄ちゃん、来たのかなっ??」
「うん、たぶん」
凛が後ろから覗く中、俺が玄関を開ける。
するとそこには、予想通り宇月さんが立っていた。
……なぜかキャリーケースを持って。
「あっ、こんばんは。……あの、今日、泊めてくれない……?……えへっ」




