第81話 手が触れた時のリアクションは重要
水族館に到着したので、俺が先に降り、次に降りる宇月さんへ手を差し伸べた。
彼女は俺の手の上に自分の手を乗せ、バスの段差から静かに降りる。そして手を乗せたままこちらを見て言う。
「ま、松村くん。バスぐらい一人で降りれるよ?……そんなに手、繋ぎたかった?」
彼女が照れた顔で見つめてくるので、俺は恥ずかしくなってすぐに手を放した。
「あっ、ご、ごめんっ。いつもの癖で」
「えぇ? いつも女の子の手を握ってるわけー?」
微笑んでいるバスの運転手を背中に、宇月さんはこちらをジーッと睨んできた。
もちろん、そんなこなれた感じの紳士ではないので、俺も慌てて訂正する。
「ち、ちがうって。凛の怪我があるから。最近家の階段とか段差でもこうしてるんだよ」
「そ、そういうことね~。松村くんって、足でも怪我したらずっとおんぶしてくれそうだよね」
「まぁ、それはするかもね」
「じゃあ私が怪我したらさ、肩車がいいなっ」
「そ、それはちょっと……」
「大丈夫だよっ、ちゃんと痩せておくから!」
「いや、気にしてるのはそこじゃないよ」
バスは早めに帰るお客さんを数人乗せ、大きな音を立てて走っていった。
いよいよ水族館の入口だ。チケットは持ってきていたので入場券販売所はスルーし、そのままゲートを潜る。
ゲートの向こう側ではどこからか海の香りが漂ってきた。嬉しそうに笑う宇月さんを見ていると、2人で遠くまで来たんだなという実感が沸いてくる。
彼女がはしゃいでいるのはいつもの事だけど、それを見ているのは自分だけで、その笑顔は自分だけに向けられていて。
ただ学校の外で会うというだけで、そんな当たり前な事に特別感を覚え、普段どう接していたかも見失ってしまいそうになる。
「……とりあえず、その辺りの魚から見ていく?」
「うん、そうしよっ」
順路らしきルートを辿り、水槽の個性的な魚たちを見ていく。大きな水槽の前を歩きながら、宇月さんに質問した。
「宇月さんは魚って好き?」
「どっちも好きだよ!」
「なに?どっちもって」
「見るのも好きだけど、食べるのも好き!」
お決まりのやつだろうか。
俺も魚を食べるのは好きだが、この場所でその台詞が出てくることはまずない。
「そ、そうなのね。できればここの魚たちはそういう目では見ないであげてね」
「えぇ?もしかして、水槽のお魚見て『美味しそうっ』とか言うタイプだと思ってる?」
「うん、なんならその筆頭だと思ってるよ」
「それは心外だなぁ~。どっちかと言うと、どう調理すれば美味しくなるかなって考えてるよ」
「そ、それもやめてあげてっ」
宇月さんの前で優雅に泳いでいた魚は、ヒレをバタつかせて水槽の奥へ逃げていった。
しばらく水槽の魚たちを見て回った後、宇月さんが鞄から自分のスマホを取り出した。
「たしか3時からペンギンのお散歩があるんだよね!」
電車の中でも話していたのだが、ペンギンの群れが水族館の中を散歩するイベントがあるらしい。
それを思い出したのか、彼女は時間を確認するためにスマホをポチポチと触る。
そして画面を見たまましばらくフリーズしたかと思うと、泣きそうな顔で真っ暗な画面をこちらに向けてきた。
「ど、どうしよう松村くん。スマホの充電切れちゃったみたい……私の命が……」
「そうなんだ? きっと、SNS離れしなさいっていう神様のお告げだよ」
「そんな殺生なっ!……ていうか私、今日は全然触ってなかったんだよ? 朝ちゃんと充電できてなかったのかなぁ。写真とか、いっぱい撮りたかったのに……」
分かりやすく落ち込む彼女。そうやってシュンとされると可哀想になってくる。
「そういう日もあるよ。撮りたい魚とかいたら俺のを貸してあげるし、大丈夫だよ」
「ほんとっ?それならまぁいっか! ……あっ、でもね、1つだけ心配な事があるんだよ」
「心配って?」
「松村くんが迷子になっちゃったら、連絡取れないし大変かもって」
……なんで俺が迷子になる側で心配しているんだ?
「さすがにこの歳で迷子はないよ」
「万が一もあるかもしれないじゃん? だからいいこと思い付いたんだけど……。その時はこれで私を見つけてねっ」
彼女は鞄の中から黄色いハンカチを取り出し、「はいっ」と嬉しそうに俺に渡してくる。
「え、あぁ、ありがと」
"これで見つけて"と言われて渡されるのがハンカチって……。この娘は俺のこと犬か何かだと思ってるのだろうか。凛ならともかく、俺にそんな嗅覚はないのに。
まぁ迷子になる事はないと思うが、受け取ってしまったハンカチはとりあえず鞄に入れた。
そして代わりに自分のスマホを取り出し、時刻を確認する。今は14時15分だ。
「まだペンギンのお散歩まで時間あるみたいだね。……触れ合いでもする?」
「ふ、触れ合い……?!」
「うん。タコとかカニとか、触れるらしいよ」
「えっ、ああっ、そっちね!」
そっちって、どっちですか……?
気になったが、なんだか踏み込んではいけない気がしたので、その意味深な台詞は受け流した。
触れ合いコーナーに着くと、彼女はヒトデのいる水槽へ駆け寄った。そして手を突っ込むわけでもなく、水の上からオレンジの星を眺めている。
「宇月さんは触るのは大丈夫なの?」
「だ、大丈夫、なはずだけど……。やっぱり松村くんが先に触って!」
「あぁ、うん。いいよ」
水の中に手を入れると、思ったよりも結構冷たい。それにイケナイ物を触ろうとしているような背徳感を感じる。
俺はそのまま水槽の底まで深く手を入れ、じっとしているヒトデに優しく触れてみた。
「おぉ~」
程よく固く、程よく柔らかい。表面はガタガタしていて、なんとも言えない触り心地だ。
「おぉ~じゃなくて、どんな感じなの? 何かに例えてみてよっ」
「んー。例えるなら、なんだろ。……厚揚げ?」
「えぇ? そこで食べ物に例えるのはヒトデが可哀想だよ」
「……宇月さん。できればさっきの魚たちにもそのお慈悲をあげてね……」
宇月さんは横で見ているだけだったが、いよいよ興味が抑えられなくなったのか、「厚揚げなら……」と、目を瞑りながら恐る恐る手を入れた。
「うわぁ~っ、冷たいっ。……あっ、でもなんか、ヒトデって、少しあったかいかも……」
「それ俺の手だよ」
「あ、あれっ」
……ドキッとするシチュエーションかと思いきや……ヒトデと間違えられたので、そうでもありませんでした。




