第75話 おかえりの数は数えるべし
部室のドアを開けて相談部の部室に入る。
すると、一歩踏み入れた途端、すぐ近くで軽めの破裂音が鳴り響いた。
パァンッッ!
「うおっ」
いきなりのことで体がビクつく。
音の鳴った左側には、クラッカーを持った宇月さんが立っていた。
「びっくりした? サプライズだよっ!」
「宇月さん、俺今日は誕生日じゃないよ」
「そんなの分かってるよ~。期末テスト、勝利おめでとうのお祝いだよ」
「そ、そっちね。ありがと」
俺たちはいつものように、大きめのテーブルを挟んで向い合わせで座った。
「クラッカーなんてどこから出てきたの?」
「昨日買ってきたんだよ」
「昨日はまだテストの結果出てなかったけど?」
「うん。だから私が勝ってたら、自分で鳴らそうと思って。とりあえず買ったの」
「なるほど」
……とりあえず鳴らしたかっただけね。
「……で、松村くんは今までなにしてたの?」
「少し赤山君と話してきただけだよ」
「おぉ、タイマンだね」
「そんな拳で語り合うみたいな物騒な話し合いじゃないから。ただ少し、天羽さんの事とか話してきただけ」
「そっかそっか~。どうだった?」
「約束通り、天羽さんの事は諦めるって」
「じゃあ無事に解決したんだねっ」
「うん。これで心置きなく夏休みを過ごせそうだよ」
「あ、そっか。もう終業式だもんね。楽しみだね、夏休み」
「そうだね」
「どっか、行きたいよね」
「うん。せっかくの休みだしね」
「水辺とか、行きたいよね」
「涼しいもんね」
「魚とか、いいよね」
「いいよね。……ん?」
……あ。
思い出した。俺たちは仙台くんから水族館のチケットをもらっていた事を。そしてテストが終わったら一緒に行こうと、宇月さんと話していた事を……。
「……宇月さん、水族館、行こっか」
「…………もうっ。遅いよっ」
宇月さんは頬を膨らませてこちらを睨む。
「ごめん。楽しみにしてたんだけど。テストの事で頭いっぱいになっちゃってて」
膨れていた彼女は、「楽しみに……」と一言呟いた後、腕を組んでこう諭してきた。
「じゃあ、許してあげる。でも次に女の子を誘うときは気を付けないとダメだよ?」
「肝に銘じておきます。もうそんな時くるか分からないけど」
「お誘いを待ってる人もいるかもしれないんだからね」
「え?……実は俺、モテ期きてた?」
「そこまでは言ってないよ」
今日も部室には誰も来ない。
相談事がないというのは、この学校の平和が保たれている証拠だ。……なんてヒーローや警察みたいなことを考える。まぁ個人的には、この少し暇なぐらいがちょうどいい。
特にすることもないので、宇月さんが持ってきたクッキーを一緒に食べながら話を続ける。
「宇月さんは夏休み他に予定あるの?」
「んー、私はたくさんバイトする予定だよ」
「え?バイト? てっきり遊びまくるのかと思ってたよ」
「もちろん遊びも手を抜かないけどね。うち母子家庭だからさ、自分のおこづかいぐらいは自分で稼ごうと思ってるのっ」
知らなかった。
宇月さんがこれまで母親の話題しか出してこなかったのは、そういう事情からだったのか。
でもきっと、いろいろと踏み込まれたくない事もあるだろう。あまりこちらから聞くのはやめよう。
「……あ、もしかして気遣ってくれてる? いいんだよ、気にしなくて。おじいちゃんとおばあちゃんは私が小さい頃に亡くなっちゃったし、お父さんの事も、私覚えてないからさ」
「そうだったんだ。だから自分で弁当作ったりしてたんだね。……キュウリだけど」
「うん。お母さんには少しでもラクしてもらいたいからね」
そう言うと、彼女は儚げな顔で天井を見上げた。
「……でも、賑やかな家庭にも、ちょっとだけ憧れるな」
「子供、2人欲しいって言ってたもんね。男の子と女の子」
「そ、それはもう忘れてっ。……松村くん、私今いい感じにエモいところだったんだけど?」
「そのエモい黄昏シーンはさ、両手にクッキー持ってる人がするやつじゃないんだよ」
彼女は自分の手元を確認した。
「え、えへっ」
そこからも宇月さんと話し続け、下校のチャイムが鳴るより早い時間。彼女は用事があるからと言って先に帰って行った。
俺も帰ったら今日の夕ご飯を作らないといけない。母さんが父さんの単身赴任先へ出て行って、今や凛と2人暮らしだからだ。凛はまだ怪我が治っていないし、まぁどちらにしろ受験生に料理させるような事はしたくない。
部室に残り宿題をひとりで終わらせた後、俺も少し早めに下校することにした。
歩きながら今日のご飯は何にしようかななんて考えていると、一端の主夫にでもなった気分だ。
凛は部活も引退して帰るのが早くなっているから、もう家には着いているだろう。受験にかなり意気込んでいたから、ひとりで勉強を頑張っているかもしれないな。何かご飯のリクエストがないか、帰ったら聞いてみよう。
そうして俺も、まだ日が落ちきっていない、明るい時間に自宅に着いた。
玄関で靴を脱ぎ、制服のボタンを外しながらリビングのドアを開ける。
「ただいまー」
「あっ、おかえり松村くん」
「ただいま、宇月さん」
「お兄おかえり~」
「うん、ただいま凛」
「もうちょっとでご飯できるから待ってね~」
「うん、ありがと。…………って、え??」
キッチンには、宇月さんがいた。
紛れもなく宇月さん。紛れもなく、うちのキッチンだ。
制服の上からエプロンを着け、フライ返しを持ってコンロの前に立っている。
「……なんでうちに宇月さんがいるの? ていうか料理作ってくれてるし」
「今日は凛ちゃんのリクエストでハンバーグだからだよ~」
「いや、質問と答えが全然噛み合ってないよ」
「いいじゃんお兄。明澄ちゃんがいるのに、理由なんていらないでしょ?」
「いや、いるでしょ」
凛はダイニングテーブルで勉強道具を広げている。
料理をする宇月さんと、いたって普通の様子で勉強している凛。……なんでこの2人、こんなにザ・日常みたいな空気なの?
「え~? でもお兄だって、明澄ちゃんがいてくれて嬉しいでしょ?」
「そりゃあ、なぜかご飯まで作ってくれてるし、ありがたいけど」
「も~。そういう意味で聞いてるんじゃないのに~」
俺たちの会話を聞いているであろう宇月さんは、何も言わずフンフンと嬉しそうにハンバーグをひっくり返した。




