第67話 私にとってはテスト最終日じゃなくてチョコ解禁日だよ
「蒼汰、悪いんだけど今日の夜から母さんはお父さんのところに行く事になったから、家のことは頼んだわよ」
「え?」
前置きもなく突然言い渡されたのは、今後自分で家事をこなさないといけないという、高校生にとっては非情で残酷な事実。
うちの父親は東京で単身赴任中なのだが、母親も今日からそちらに移り住むということらしい。
話を聞くと、父は腰の調子が悪いそうで、身の回りのお世話をしてあげないといけないとのこと。
それをなぜか嬉しそうに話す母の顔を見ていると、東京に行く理由がお世話だけではないことは察しがつく。夫婦仲がいいことは喜ばしいが、朝から自分の親の乙女な顔なんて見たくはなかったのだが。
「それにしても、今日からって急すぎない?」
「お父さんが会社の社長と食事に行く事になって、今度から一緒に住むんなら、奥さんも呼んだらどうかって話になったのよ。……ここは正妻として夫の出世をサポートするいい機会だわと思ってね」
「正妻って……愛人がいるみたいな言い方やめてよ。ていうか、元から決まってたんじゃん。東京行くの」
「言ってなかったっけ?」
……今初めて聞きましたが。
「今日凛の試合を観戦したら、夜には出発するから。凛には前々から伝えてあるけど、家のことは蒼汰に任せたわよ」
「えぇ……。家事とか、大丈夫かな」
「なんとかなるわよ。長男なんだし」
こうして俺は、肩書きだけの薄っぺらい信頼で、無情にも家の管理を任されてしまった。
「まぁ、頑張るよ」
家の事で朝から頭の中を乱されてしまったが、今はとりあえずテストだ。
昨日勉強した範囲を思い返しながら学校に向かった。
こう毎日受けていると、テストにももう慣れてくる。最初ほどピリついている自覚もないし、なんならやっと終わりだという浮き足だった気持ちすらある。
しかし最後の最後だからこそ、1点でも多く取れるように集中しないと。俺の学力では勝負にならないかもしれないのだから。
張り切って早い時間に教室に着くと、俺は黙々と問題集を解き続けた。
今日は凛も試合があるし、それぞれ大事な勝負の日になるのだろう。
夜には母さんは出発しているし、帰ったら、凛に"2人でお疲れさま会やろう~!"とか言われそうだな。
最終日の科目は3科目。
テスト中はいくつか悩む問題もあったりして、もう少し詰めておけば……という気持ちもよぎったが、もう今更だ。その気持ちは次回まで取っておこう。
とりあえず、これで期末テスト全行程が終了した。
「テストお疲れ様会やろうよ!」
お昼になると天羽さんと宇月さんが弁当を持ってお誘いにきた。
今日帰ってからも家でその会をやりそうな気もするけど……。しかし今は俺も開放的な気分なので、そんな無粋な返事はしないことにする。
「いいよ」
俺たちはまた3人揃って誰もいない部室へと向かった。
もう生徒相談部の部室は、お食事兼お勉強スペースになってしまっている。一応今日この後から部活は再開予定だが、今のところ特にすることはないし、こうして有効活用されていることにきっと部室も喜んでいるはずだ。
「じゃ~ん、これみて」
キュウリではないちゃんとした弁当を食べながら、宇月さんが薄い箱を高く掲げた。
「あ、明澄、ついにチョコを!」
「そうなのっ。ずっと我慢してたんだよ。これがなかったせいでお口が寂しくて。何回か消しゴムを口に入れようとしたりしなかったりしたんだよ」
……そこは普通ガムとかじゃない?
「え、ほんとに食べてないよね?消しゴム」
天羽さんが心配そうな顔つきで若干引きながら質問する。
「あ、当たり前だよっ。私女子高生だよ? そんなの食べないって」
「いや、女子高生じゃなくても食べないから」
弁当を食べ終わると、宇月さんは俺たちにもチョコを配ってくれた。勝手なイメージで甘ったるいのを食べていそうだと思っていたが、お裾分けされたのはビターなタイプのチョコ。宇月さんとはそこそこ一緒に過ごしているが、意外と知らないことも多いのかもしれない。
「松村くん、テストどうだった?」
宇月さんに質問され、改めて今回の手応えを振り返る。
「んー、いい感じだと思うよ」
「そっか、赤山くんにも勝ててるといいね」
「うん。ずっとそれを目指してたからね」
天羽さんの方に目を向けると、女神のように穏やかな微笑みを返してきた。
「蒼汰くん、ありがとね」
まだ結果は出ていないので、どういたしましてでも何でもない。
チョコを咥えていた俺は、笑顔で親指を立てて返した。
そこから少しだけ3人で話すと、天羽さんが「そろそろ部活行こうかな……」と荷物の準備を始めた。
「友梨乃、今日も部活いくの?」
「……うん、一応今日から活動再開ってことになってるから」
「そっか。でも大丈夫?赤山君もいるんじゃない?」
「……ま、まぁ、たぶんね。何か悪いことされるわけじゃないんだし、大丈夫だよ」
「そっか……」
宇月さんはこちらに視線を向けると、そのまま天羽さんに対してこう提案した。
「再開初日ぐらい、松村くんと一緒に行ったらどう?」
「えっ、それは悪いよ」
天羽さんが応えると、宇月さんがまたこちらに視線を送ってきた。天羽さんの表情はどことなく寂しそうで、でも心配そうで。俺も彼女の気持ちを汲み取って反応する。
「俺なら気にしないで。さすがに参加するのは邪魔になるから、一緒に行くだけにするし。ちょっと顔を見せるだけでも、テルマ君の事を牽制できるかもしれないし」
「……そ、そう? じゃあ、お願いしようかな」
話が決着したのを見届けると、宇月さんは弁当箱を鞄に片付けながら笑顔を振り撒いた。
「そうと決まればっ。いってらっしゃい。2人とも」
「わかったよ。宇月さん、相談部の方は頼んだよ」
「任せてっ。誰も来ないとは思うけどね」
「まぁ、そうだね。……それじゃあ、いってきます」
書道部の部室に行くのは体験の時以来だろうか。余所者の俺が来たら、逆に天羽さん迷惑がかかってしまう。
テルマ君に少しだけ顔を見せたら大人しく帰るとしよう。
廊下を歩くと、どこからともなく生徒たちの声が聞こえてくる。今日からはほとんどの部活が再開しているため、昨日までと違い校舎は騒がしく、学校らしい賑やかさが戻ってきていた。
部室に向かう途中、天羽さんは隣から俺の顔を見上げた。
「蒼汰くん、今日も妹さんの試合だよね?」
「そうそう。でもまだ母さんから連絡こないんだよね」
「そっか。上手く勝ち進んでて、連絡どころじゃないとかかな?」
「あはは。それだったらいいんだけど」
たしか凛は午前中から試合になっていた。だから今日の初戦は既に終わっているはず。
そのうち母さんから連絡がくるだろう。勝っても負けても、それを見て黙っていられるような人ではないから。




