第63話 体温は測ったら負け
「……誰にもやられてないんだけど」
重い身体をゆっくりと起こすと、凛がこちらを心配そうに見つめていた。
「だ、大丈夫?」
「……大丈夫。ちょっと、疲れただけ。……たぶん」
俺がフラフラと立ち上がると、「大丈夫じゃないじゃん」と凛がリビングまで荷物を運んでくれた。
「お兄、いつからあそこで倒れてたの……?もう9時だけど……」
「覚えてない」
「それに、すっごい汗かいてる……。熱あるんじゃないの?」
「あるかも」
「ど、どうしよ……。お母さん、お父さんの所に行っちゃったから明日も帰ってこないし……」
ソファで横になる俺を前に、凛はどうしていいか分からないようで狼狽えている。
「……こんなの寝たら治るよ」
「だ、だめだって。ちゃんと食べて休まないと……それに、治るまでが辛いじゃん……。私、看病するよ」
心配そうな凛を見て思った。……なんていい子に育ったんだ。
「看病は大丈夫。自分の事は自分でできるから。凛は試合控えてるんだし、ちゃんと休んで」
「今はそれどころじゃないよ……」
「大丈夫だから。……凛が優しい子に育ってくれて、俺は嬉しいよ」
「や、やめてよ。死に際みたいな台詞……。なんで今そんなこと言うの……」
あまりにもしょんぼりしているので、心配かけさせまいと無理やり身体を起こす。
「シャワー浴びてくる。スッキリしたら治るし。たぶん」
「……わ、わかった。着替えは脱衣所に置いておくからね」
「ありがと。でもそれだけで十分だから。後は自分でやるよ」
俺は関節痛みを感じながら浴室に向かった。
脱いだ制服は汗で湿って重くなっていた。自分から出た水分だと思うと驚くべき重さだ。
椅子に座ってシャワーを浴び、軽く洗って早めに浴室を出る。タオルで身体を拭いていると、心なしかさっぱりして、少しだけ楽になったような気もする。
洗濯機の上に用意されていた寝間着を着てリビングに行くと、凛が立ち上がってこっちこっちと手招きしてきた。
案内されたダイニングテーブルの上には、水と風邪薬。ペットボトルのスポーツドリンクも用意されている。
「自分でやるって言ったのに」
「……放っておくわけにはいかないよ。これ飲んだらちゃんとベッドで休むんだよ」
「わかった、ありがと」
既に21時半。凛は部活の後も自主練してきて疲れているだろうし、これ以上自分に時間を使わせるわけにはいかない。
「でも、この通りシャワー浴びたらほとんど治ったし、薬飲んだら完全回復かも」
強がって右腕の力こぶを見せつける。
「ほ、ほんとに……?」
「ほんとに。だから凛ももう休んでいいよ」
「う、うん……。……あっ、でもお兄はご飯まだでしょ?お粥とか作ろっか?」
「いや、食べたから大丈夫」
「そうなの……?わかったよ。じゃあ、すぐ寝てね」
「うん」
凛が浴室の方に行くのを見届けると、言われた通り薬を飲む。
そして冷蔵庫の中を確認すると、エネルギー補給用のゼリーがあったので1つ手に取る。
お粥作ろうかって言ってたけど、凛が作ってるのは見たことないな……。たぶん作り方も知らないんだろう。こんな時間からそこまで手間はかけさせられない。
ゼリーを飲み干すと、凛が用意してくれたスポーツドリンクを持って自分の部屋に入った。
試験は残り4日間。一通り勉強はしてあるが、今日を丸々潰すわけにはいかない。
冷却シートで熱を誤魔化しながらペンを握る。身体のだるさや頭がボーッとするのは変わらないので、時々机に突っ伏して長い休憩を挟む。
効率の悪さから思うように進まず、ようやくベッドに横になれた頃には、時計は夜中の2時頃を指していた。
次の日。
遅めに起床し、問題集を手に持ちながら登校した。
昨日よりマシだが、体調は優れないまま。ギリギリの時間に教室に着いたため、誰とも会話することなくすぐにテストを受ける。
夜に問題を解いていた時は、問題文が歪んで見えることもあったし、自分の字もいつも以上に真っ直ぐ書けなかった。
しかし本番となれば案外なんとかなるものだ。
アドレナリンとか、エピネフリンとか、そんな感じのやつがトバドバ出ているのだろう。各教科ある程度は集中力が続き、勉強の成果は発揮できたと言える。
テストが終わった後、本当は今日も天羽さんと約束していた。だがこの状態で2人で会うわけにはいかない。
『ごめん、今日も家にいないといけないから、先に帰るね。予定空けてくれてただろうに、ほんとごめん』
天羽さんに謝りのメッセージを入れ、大人しく1人で帰路に着く。
今日も身体は思うように動かないが、意識を保ちながら家に帰る事ができた。我ながらすさまじい成長だ。
家に着いた安心感から、ソファに横になるとすぐに寝落ちした。夕方頃に目覚め、シャワーを浴びてお粥を作り始める。立っているとフラつくので、時々床に座りながら作業し、キッチンでそのままゆっくりと食べ終えた。
健康というものは、失ってからその大切さを実感する。当たり前にできていた動作が思うようにいかなかった。なにもしていないのに、真っ直ぐに立って呼吸をするのがつらかった。せっかくトレーニングで育ててきた筋肉も、この2日で一気に衰えているのを感じる。
この日も冷却シートを貼って誤魔化しながら勉強をした。マシになったとは言え、悪寒がしたり、急に熱くなったり、嫌なだるさが続いたので、これからの体調管理には気を付けようと密かに心に誓う。
迎えた水曜日。
ほどほどに回復しており、ようやくまともに動けるようになった身体で学校へ行く。
テストを受け終わると、天羽さんが声をかけてきた。
「蒼汰くん……」
天羽さんとの約束は、今日もキャンセルしていたはずだ。どうしたんだろう。
「どうしたの?」
「ちょっとだけ時間……ある?」
「うん」
そこから一緒に相談部の部室に向かった。部室に着くまで何も話さなかった天羽さんは、あまり元気がないように感じる。
長い沈黙の時間を経てようやく部室に入ると、彼女はすぐにこちらを見上げた。
「ねぇ、蒼汰くん。私に言うことない?」
「え?えっと……」
……思い当たる節はない。咄嗟に思い付いた話で会話を続ける。
「昨日も今日も一緒に勉強する約束だったのに、キャンセルしちゃってごめん」
「私の予定は全然大丈夫だよ、。……でも……その事で他に言うことない?」
……選択を謝ったらしい。恋愛シミュレーションゲームだったら、ヒロインからの好感度マイナスになるやつだ。
正解に困り黙っていると、天羽さんの方から口を開いた。
「……蒼汰くん、体調悪かったでしょ?」
「え?」
正直、そんなことはバレていないと思っていた。
月曜日一緒に勉強していた時も適当な言い訳をして家に帰ったし、昨日も天羽さんとリアルで話すことはなかった。だからバレることはないだろうと高を括っていた。
「いやっ、まぁ眠かったけど……」
「本当はしんどかったんじゃないの?」
「それは……」
こんな事、バレても彼女に罪悪感を与えるだけだ。
ただでさえテストで勝負させている事を何度も謝られたのに、体調が悪い中勉強してテストを受けている、そんな事を知られてしまったら、彼女の申し訳ないという気持ちが無意味に大きくなってしまうだけ。
俺が言葉を詰まらせていると、再び天羽さんの方から口を開く。
「私、本当は気付いてたんだ……。蒼汰くんが立ってるだけで辛そうにしてたの。……ずっと見てたから……」
……彼女はお見通しだった。




