第56話 誰が相手でも名を名乗るのはマナー
目の前にケーキが来たので、俺たちはとりあえずそちらをいただくことに。ケーキに目を輝かせている天羽さんは、「食べるのがもったいないかも」なんて言いながら丁寧に両手を合わせていた。
俺もケーキを食べ始めると、天羽さんが聞いてきた。
「蒼汰くんは午前中、なにしてたの?」
「もちろん勉強だよ」
「えっ、朝から?」
「うん」
意外だったのだろう。彼女はケーキを運んだ口元を隠して驚いている。
「天羽さんは何してたの?」
「私はね……」
「削ってた?」
「……うふっ。まぁ、削ってたけど」
「やっぱりね」
彼女はへへっと笑う。
休日の朝ごはんまでお手伝いするなんて、よくできた娘だ。俺が親だったら泣いちゃう。
「その後は、お部屋でごろごろしてたよ」
「おお?天羽さんでもごろごろすることあるんだ?」
「当然だよ~。ごろごろのごろだよ」
「ははっ、なにそれ」
楽しく話しながらケーキを食べ終えると、ようやく勉強タイム。今日は地理の教科書と問題集を開く。天羽さんは隣で日本史の教科書を開いていた。
勉強をしながら考える。今頃テルマくんも頑張っているのだろうか……。
どうせならサボってくれていると助かるんだけどな。今日は天羽さんを誘って何かするつもりだったみたいだし、彼が油断しているなら俺にだってほんの少しは勝算が生まれるかもしれない。22位と158位の差は、それぐらい大きい。
……って、いやいや。そんな事考えてどうなる?
俺が頑張ればいいだけだ。俺が彼以上にもっと頑張らばいいだけ。
天羽さんとのデートは、自分にとっては少し早めのご褒美になってしまった。でも、これに胡座をかいてはいけない。いくら天羽さんと仲良くなろうが、勝敗には関係ないんだから。
チラリと天羽さんの方を見ると、彼女も集中して問題を解いていた。静かな店内で、彼女の生み出すペンの音が小さく聞こえている。
その真剣な眼差しを見て、どんなに勝算が低くても、天羽さんのためにもっと頑張ろうと素直に思えた。
そこから1時間以上経っただろうか、地理の勉強が一段落したところで背伸びをすると、隣から視線を感じた。
「蒼汰くん、今日もすごい集中してたね」
「え?」
天羽さんは自分のスマホの画面をこちらに向ける。
そこには16:30と表示されていた。
「2時間以上、ずっと黙って勉強してたよ」
体感の倍近く時間が進んでいる。勉強を始めてしまうと意外にも時間の進みは早い。
「ほんとだ……」
勉強デートで本当に勉強ばかりするやつがあるか。そう思っていると、「なんでガッカリしてるの?」と言いたげな顔で、天羽さんは少し首を傾げてこちらを見ていた。
「お尻痛くなってきたし、そろそろ出よっか」
「うん。実は私も。へへ」
一緒に階段を降り、店員さんに軽く会釈してお店の外へ。
そこから再びバス停のあった方向に歩き出す。
勉強、今日もまあまあ進んだな。
でも試験まであまり時間はないし、油断してはいけない。家に帰ったらまた頑張ろう。
今日は天羽さんが付き合ってくれて、おかげで勉強は捗った。だけど彼女にとってはつまらない時間だっただろうし、申し訳ないことをしてしまった。
ボーッと考えながら歩いていると、天羽さんが心配そうに見つめてきた。
「疲れちゃった?」
「あ、いや、考え事してただけだよ」
「そうなの?考え事って?」
「今日の夕飯なにかなーって」
「ふふっ、なにそれ可愛い」
「……天羽さん。カッコいいを目指して日々精進している直向きな男子に向かって、"可愛い"は逆効果なんだよ」
「そうなの?ていうか、カッコいい目指してた?」
「そうでもないかも」
「あははっ、だよねっ」
「うん」
夏のこの時間。まだ日は落ちていないし、気温も高いまま。
バス停が見えてくると、天羽さんは言いづらそうに口を開いた。
「ねぇ、今日は早く帰った方がいい?」
「いや、全然」
「……そっか。じゃあ、もう少しだけ、いい?」
「もちろん。せっかくのデートなんだから」
「練習だけどね」
何かしたいことでもあるのだろう。
ちょっと笑顔になった天羽さんに付いていくと、自分たちが使う予定だったバス停を通りすぎ、すぐ近くの神社にたどり着いた。
「ここ!来る時にバスから見えたの」
「おお~。神社ね」
神社なんて年始以来だ。思えば半年間は神様に手を合わせていない。
「俺、お参りは初詣以来だよ。信仰心のなさに神様が怒ってなきゃいいけど」
「神様は心が広いから大丈夫だよ」
天羽さんの真似をして、鳥居に一礼。
並んで参道を歩き、拝殿の前で財布から小銭を取り出す。
「蒼汰くんは何お願いするの?」
「テストでテルマ君に勝てますように……かな」
「どうせなら1位にしようよ」
「え、なかなか思い切ったお願い。天羽さんカッコいい」
「神様は心が広いから大丈夫だよ。……ていうか、蒼汰くん。可愛いを目指してる女子に向かって、"カッコいい"は逆効果なんだよ?」
「はは。1本取られた」
「へへ」
2人で揃って拝礼。
俺が"テストで1位を取れますように"と強欲なお願いをした後、天羽さんの方をチラッと見ると、彼女はまだしばらく手を合わせていた。
最後に一緒に一礼して、拝殿の少ない階段から降りる。
「天羽さんは何お願いしたの?」
「え?どうしようかな~、教えたくないな~」
「そんな……俺の恥ずかしいお願いを聞いておいて……」
「あはは、そんなに恥ずかしくないでしょ」
「はは、まあね。今回はお願いもしたけど、テストは実力で勝ってみせる。頑張るよ」
「……うん、ありがとっ」
嬉しそうに笑う天羽さん。しっかりした性格なのに、今日は何だか守ってあげたくなるような雰囲気がある。
帰りも鳥居で一礼して出ると、天羽さんは「あっ」と何かを思い付いた顔で俺に質問した。
「蒼汰くん、ちゃんと住所と名前言った?」
「え?誰に?」
「神様にだよ」
「神様に?言ってないけど」
「……それじゃあ、さっきのお願いは無効かもしれないね」
「そうなの?」
「神様にお願いするときは、最初に名前と住所を言うんだって。どこの誰のお願いなのか分からないから」
知らなかった。顔パスじゃなかったのか。
「そうだったんだ……。俺、今まで自己紹介したことなかった」
「じゃあ、きっと神様のデータベースに蒼汰くんの情報はないねっ」
「これまでのお願いは全スルーされてたってことか……神様もひとこと言ってくれればいいのに」
「あはははっ」
神社を出ると、天羽さんが神社の隣にあった公園を指差した。
「あっちも、いい?」
「寄ってくってこと?」
「うん」
公園は整備されていて雑草などは少ないが、あるのは滑り台とブランコだけ。"そこそこ広さがあったから、空いたスペースを使いました"という程度の質素な公園だ。
よく見ると、彼女は中にあるブランコの方を指差している。
「あ、ブランコ?」
「うん。え、えっと、私の頭の中に御神託が……」
「御神託? 神様、なんて言ってるの?」
「あれに乗りなさいって」
そうか、神のお告げなら仕方がない。
天羽さんと一緒に公園に入り、彼女は赤いブランコにちょんと腰かける。
俺はブランコに座らず、彼女の後ろに立った。
「あれ?」
天羽さんは振り返り、こちらを見上げる。
「俺にも御神託がね」
「え?神様なんだって?」
「押しなさいって」
「うふふっ。住所教えてないのに、神様の声聞こえるんだ?」
彼女はぎゅっとブランコの鎖を掴んで前を向いた。
「神様だってDMの送り先を間違える事ぐらいあるんだよ」
俺が笑いながらブランコに手を掛けると、彼女は何かに勘づいたのか、再び後ろを振り返る。
「ね、ねえ、あんまり強く押しちゃダメだよ?」
「え?もしかして怖いの?」
「ちがうよっ、スカートだから!」
そ、それを言われてしまうと……。
想像していたよりずっと乙女な理由だったので、俺は大人しく軽めにブランコを押した。
キーコ……キーコ……
小さな美女がブランコに乗っているのを、すごく優しく押してあげる男子高校生。
なんともシュールな画ができあがった。
天羽さんはその絵面が恥ずかしくなってしまったのか、またまたこちらに振り返った。
「……や、やっぱり、もう少し強く押してっ」




